コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

水谷則博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水谷 則博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市南区
生年月日 (1950-04-27) 1950年4月27日
没年月日 (2001-11-29) 2001年11月29日(51歳没)
身長
体重
177 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1968年 ドラフト2位
初出場 1969年9月16日
最終出場 1987年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

水谷 則博(みずたに のりひろ、1950年4月27日 - 2001年11月29日)は、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手投手)。

経歴

[編集]

中京高等学校(現:中京大学附属中京高等学校)では1966年、1年生の時にチームが史上2校目の甲子園春夏連覇を果たす。夏の選手権では控え投手として出場したが登板はなかった[1]。2年上のチームメートに加藤英夫矢沢正平林二郎伊熊博一がいる。2年生時の1967年も、3年生エース川口勉の控え投手として夏の甲子園準決勝に進出するが、習志野高に敗退[1]、この時も自身の登板機会はなかった。1年上のチームメートに捕手大島忠一二塁手望月博中堅手渡辺幸三がいる。翌1968年はエースとして春の選抜に出場。しかし1回戦で広陵高の宇根洋介(近大電電中国)と投げ合い1-3で惜敗[2]。高校同期に外野手星山和久がいた。

1968年のドラフト2位で中日ドラゴンズに入団(同期の1位が星野仙一、3位が大島康徳である)[3]1969年ジュニアオールスターに出場するが、一軍ではほとんど活躍の機会がなかった。

1973年シーズン途中に奥田直也佐藤政夫との交換トレードで土屋紘と共にロッテオリオンズに移籍[3]。7月には初先発を任され、同年は3勝をあげる。1974年には主に中継ぎとして37試合に登板し、リーグ優勝を経験。古巣中日との日本シリーズでも3試合に中継ぎとして登板し、地味ながら日本一に貢献した。1975年から先発陣の一角を占め、技巧派左腕として活躍する。1980年から4年連続2桁勝利をマークした。オールスターゲームにも2回出場。

1988年に現役を引退した後はロッテのスカウトを務め、吉田篤史小野晋吾小林雅英清水直行渡辺俊介らを獲得した。

2001年11月29日急性硬膜下血腫のため51歳で急逝[4]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1969 中日 4 0 0 0 0 0 1 -- -- .000 23 5.0 6 3 2 0 0 3 0 0 7 6 10.80 1.60
1972 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 5 0.1 3 0 1 0 0 0 0 0 2 2 54.00 12.00
1973 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 21 4.0 6 2 0 0 0 0 0 0 7 0 0.00 1.50
ロッテ 19 2 0 0 0 3 1 -- -- .750 221 55.2 45 7 17 0 4 32 2 0 22 22 3.56 1.11
'73計 22 2 0 0 0 3 1 -- -- .750 242 59.2 51 9 17 0 4 32 2 0 29 22 3.32 1.14
1974 37 1 0 0 0 2 1 1 -- .667 223 57.2 44 5 14 1 2 32 2 0 18 14 2.18 1.01
1975 32 24 1 0 0 9 7 0 -- .563 568 132.0 127 14 38 1 3 54 0 0 58 41 2.80 1.25
1976 35 14 0 0 0 3 4 0 -- .429 311 72.1 74 6 25 0 2 26 0 1 35 28 3.48 1.37
1977 37 19 4 0 0 8 6 1 -- .571 523 124.2 106 9 45 3 3 57 2 0 52 44 3.18 1.21
1978 34 22 2 0 0 5 8 0 -- .385 560 131.0 132 18 54 2 5 71 3 1 74 63 4.33 1.42
1979 33 23 3 2 0 7 11 0 -- .389 631 137.0 166 16 73 1 10 76 4 0 83 78 5.12 1.74
1980 35 27 7 0 0 11 9 0 -- .550 865 196.0 204 23 92 3 6 90 1 0 86 76 3.49 1.51
1981 34 30 5 0 0 12 11 0 -- .522 850 191.1 210 21 87 1 5 90 2 0 96 85 4.00 1.55
1982 30 29 20 3 0 14 11 0 -- .560 938 219.1 219 20 89 2 9 90 2 1 81 72 2.95 1.40
1983 34 30 5 0 0 10 14 0 -- .417 833 181.2 218 31 81 7 3 95 3 0 120 108 5.35 1.65
1984 27 23 5 0 0 5 11 0 -- .313 544 122.0 143 21 46 2 3 54 3 0 82 69 5.09 1.55
1985 33 16 3 0 0 9 5 0 -- .643 512 120.0 122 14 35 1 4 70 0 0 69 57 4.28 1.31
1986 33 25 6 1 1 7 10 0 -- .412 657 147.1 160 24 63 1 6 76 3 0 93 79 4.83 1.51
1987 14 10 1 0 0 3 1 0 -- .750 217 49.1 62 7 12 0 2 36 1 0 28 24 4.38 1.50
通算:17年 476 295 62 6 1 108 111 2 -- .493 8502 1946.2 2047 241 774 25 67 952 28 3 1013 868 4.01 1.45
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

[編集]

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 45 (1969年 - 1973年途中)
  • 50 (1973年途中 - 同年終了)
  • 10 (1974年 - 1979年)
  • 11 (1980年 - 1988年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ a b <訃報>水谷則博さん51歳=ロッテ編成部スカウト”. Yahoo!ニュース (2001年11月30日). 2001年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月22日閲覧。
  4. ^ “水谷則博氏死去/プロ野球元ロッテ投手”. 四国新聞社. (2001年11月30日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20011130000218 2020年3月1日閲覧。 

関連項目

[編集]