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成長してからは[[スイス]]の[[ジュネーヴ]]の[[インターナショナルスクール]]などに[[留学]]歴があると言われている<ref>[[陸軍士官学校]]卒業。[[陸軍大学校]]卒業。[https://web.archive.org/web/20051014194720/http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=24&Itemid=2 金正日・金正男、愛憎の父子関係 ](2005年10月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])North Korea Today</ref>が詳細は不明。なお、12歳から14歳までは[[ソビエト連邦]]・首都[[モスクワ]]で生活していたという<ref name=rosiannews>{{cite web |
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|title = 金正男氏 送金中断でホテル代にも困窮=露週刊誌 |
|title = 金正男氏 送金中断でホテル代にも困窮=露週刊誌 |
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=== 職務と生活 === |
=== 職務と生活 === |
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[[1988年]]に17歳<ref>{{cite web |url=http://dailynk.jp/archives/5974 |title=正男の3人の夫人と 2男2女は中国に居住 |author=|date=2009-07-21 |work= |publisher=[[デイリーNK]] |accessdate=2016-09-29}}</ref>で就任した[[コンピュータ]]委員会委員長<ref>[https://web.archive.org/web/20060714080342/http://news.pyongyangology.com/archives/2001/04/it_11.html 金正日の長男がIT政策の最高責任者](2006年7月14日時点の[[インターネット |
[[1988年]]に17歳<ref>{{cite web |url=http://dailynk.jp/archives/5974 |title=正男の3人の夫人と 2男2女は中国に居住 |author=|date=2009-07-21 |work= |publisher=[[デイリーNK]] |accessdate=2016-09-29}}</ref>で就任した[[コンピュータ]]委員会委員長<ref>[https://web.archive.org/web/20060714080342/http://news.pyongyangology.com/archives/2001/04/it_11.html 金正日の長男がIT政策の最高責任者](2006年7月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])North Korea Today</ref>として[[ソフトウェア|ソフト]]産業の振興発展、[[朝鮮コンピューターセンター]]の創設<ref name="kimani">[{{cite web |url=http://japanese.joins.com/article/803/117803.html |title=サイバー戦争核心KCC、金正男氏が設立主導 |author=|date=2009-07-12 |work= |publisher=中央日報 |accessdate=2016-09-29}}</ref>と[[北朝鮮サイバー軍]]の育成<ref name="kimani" />、[[光ファイバー]][[情報ネットワーク]]「光明」の構築などを指導したとされる<ref>[https://web.archive.org/web/20060714082807/http://news.pyongyangology.com/archives/2001/07/post_1487.html 北、内部コンピューター網のホームページを初めて公開](2006年7月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])North Korea Today</ref>。[[1995年]]には[[朝鮮人民軍]]の大将となり<ref name="chosunonline">{{cite web |url=http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/02/14/2017021403143.html |title=殺害された金正男氏はどんな人物だったのか |author=|date=2017-02-14 |work= |publisher=[[朝鮮日報]] |accessdate=2017-02-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170215010304/http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/02/14/2017021403143.html |archivedate=2017-02-15}}</ref>、その後は[[秘密警察]]<ref>{{cite web |url=http://www.fsight.jp/7509 |title=北朝鮮秘密警察の責任者だった金正男氏 |author=|date=2001-05 |work= |publisher=[[デイリー新潮]] |accessdate=2017-02-21}}</ref>や武器輸出と秘密資金管理の責任者<ref>{{cite web |url=http://dailynk.jp/archives/229 |title=“金正男, 北の海外武器販売責任者” |author=|date=2007-02-13 |work= |publisher=[[デイリーNK]] |accessdate=2017-02-21}}</ref><ref name="chosunonline"/>なども務めたといわれている。[[2007年]][[8月27日]]に[[大韓民国]]の「[[朝鮮日報]]」は、正男が2007年6月帰国し、以前父親の金正日が所属していた[[朝鮮労働党組織指導部|党組織指導部]]に所属していると報道した。 |
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[[2007年]][[1月30日]]に在[[香港]]の複数の情報筋が、金正男と思われる男が、[[中華人民共和国]]の[[特別行政区]]である[[マカオ]]入りしたことを明らかにした。[[アメリカ合衆国]]の北朝鮮に対する金融制裁により、マカオの金融機関「[[匯業銀行|バンコ・デルタ・アジア]] (BDA)」にあった約2400万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]に上る北朝鮮関連口座が凍結されており、[[中朝関係]]筋は、北京で同日始まった金融制裁問題に関する米朝専門家会合に関連して、正男がマカオ入りした可能性を指摘している。なお、[[エレベーター]]内の取材で「[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本の拉致問題]]」の事を話すとノーコメントだった。 |
[[2007年]][[1月30日]]に在[[香港]]の複数の情報筋が、金正男と思われる男が、[[中華人民共和国]]の[[特別行政区]]である[[マカオ]]入りしたことを明らかにした。[[アメリカ合衆国]]の北朝鮮に対する金融制裁により、マカオの金融機関「[[匯業銀行|バンコ・デルタ・アジア]] (BDA)」にあった約2400万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]に上る北朝鮮関連口座が凍結されており、[[中朝関係]]筋は、北京で同日始まった金融制裁問題に関する米朝専門家会合に関連して、正男がマカオ入りした可能性を指摘している。なお、[[エレベーター]]内の取材で「[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本の拉致問題]]」の事を話すとノーコメントだった。 |
2017年9月4日 (月) 19:45時点における版
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金正男 김정남 | |
---|---|
生年月日 | 1971年5月10日 |
出生地 | 北朝鮮、平壌 |
没年月日 | 2017年2月13日(45歳没) |
死没地 | マレーシア セランゴール州セパン |
出身校 | 金日成総合大学 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
配偶者 |
シン・ジョンヒ/ミョンヒ (本妻)[1][2] 李恵慶〈リ・ヘギョン〉(第2夫人)[2][3] |
子女 |
金クムソル (息子) (母ジョンヒ)[1] 金漢率 (息子) (1995年誕生、母恵慶) 金ジミー (息子) (1997年誕生) 金率熙〈ソルヒ〉(娘)[4] (1998年誕生、母恵慶) |
親族 |
金正日 (父親) 成恵琳 (母親) 金日成 (祖父) 金雪松 (妹) 金正哲 (弟) 金正恩 (弟) |
在任期間 | 1988年 - |
国家主席 | 金日成 |
在任期間 | 2007年6月 - |
党総書記 | 金正日 |
在任期間 | 1995年 - |
党総書記 | 金正日 |
その他の職歴 | |
金正恩の異母兄弟 ( - ) |
金正男 김정남 | |
---|---|
渾名 | 胖熊[5] |
生誕 |
1971年5月10日 北朝鮮、平壌 |
死没 |
2017年2月13日(45歳没) マレーシア、セランゴール州、セパン |
所属組織 | 朝鮮人民軍 |
軍歴 | - 2001年 |
最終階級 | 陸軍大将 |
金正男 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 김정남 |
漢字: | 金正男 |
発音: | キム・ジョンナム |
日本語読み: | きん まさお |
ローマ字: | Kim Chŏng-nam |
英語表記: | Kim Jong-nam |
金 正男(キム・ジョンナム、1971年5月10日 - 2017年2月13日[6][7])は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)第2代最高指導者・金正日労働党総書記の長男かつ第3代最高指導者・金正恩労働党委員長の異母兄。北朝鮮の元政治家。
経歴
出生
1971年5月10日、北朝鮮の初代最高指導者・金日成の息子である金正日を父に、成蕙琳を母に平壌で生まれる。出生当初、父・正日は正男の存在が外部、とりわけ、蕙琳との結婚に反対していた祖父の日成に漏れないように努めていた。しかし、後に日成も娘の金敬姫・張成沢夫妻のとりなしを受けて初孫である正男の存在を認め、党活動に専念する正日に代わって可愛がるようになる[8]。
成長してからはスイスのジュネーヴのインターナショナルスクールなどに留学歴があると言われている[9]が詳細は不明。なお、12歳から14歳まではソビエト連邦・首都モスクワで生活していたという[10]。1995年からは中華人民共和国の北京で暮らし始め、上海の経済発展ぶりを見て北朝鮮の改革開放を志すようになる[11]。
母国語の朝鮮語の他に英語やフランス語(それぞれ2007年2月12日と2007年11月13日にフジテレビのFNNスーパーニュースで記者とのやり取りが報道された)を話し、またロシア語、中国語(広東語)もある程度話せるようである。日本語については、日本人記者の「日本語は分かりますか?」という朝鮮語の質問に、日本語で「日本語ワカリマセン」と答えている[12]。
職務と生活
1988年に17歳[13]で就任したコンピュータ委員会委員長[14]としてソフト産業の振興発展、朝鮮コンピューターセンターの創設[15]と北朝鮮サイバー軍の育成[15]、光ファイバー情報ネットワーク「光明」の構築などを指導したとされる[16]。1995年には朝鮮人民軍の大将となり[17]、その後は秘密警察[18]や武器輸出と秘密資金管理の責任者[19][17]なども務めたといわれている。2007年8月27日に大韓民国の「朝鮮日報」は、正男が2007年6月帰国し、以前父親の金正日が所属していた党組織指導部に所属していると報道した。
2007年1月30日に在香港の複数の情報筋が、金正男と思われる男が、中華人民共和国の特別行政区であるマカオ入りしたことを明らかにした。アメリカ合衆国の北朝鮮に対する金融制裁により、マカオの金融機関「バンコ・デルタ・アジア (BDA)」にあった約2400万ドルに上る北朝鮮関連口座が凍結されており、中朝関係筋は、北京で同日始まった金融制裁問題に関する米朝専門家会合に関連して、正男がマカオ入りした可能性を指摘している。なお、エレベーター内の取材で「日本の拉致問題」の事を話すとノーコメントだった。
なお、同時に日本や韓国のメディアで、「金正男とその家族がマカオ市内に住居を構え長期間滞在し、マンダリン・オリエンタルホテルなどでヨーロッパの高級ブランド品などのショッピングを楽しんでいる」と報道された。
2011年当時はマカオに滞在して活動していたとされる。金正日の長男という立場でありながら、後継者問題(後述)を巡り、北朝鮮の政治体制を揺るがしかねない批判、あるいは意見を広く西側に向けて発信していたことから、軍部を中心に北朝鮮側にとって疎まれる存在であるとみられた。2011年時点では父親である正日への接触はもちろん、公式非公式問わず北朝鮮への入国や北朝鮮指導部とも接触が報道されたことはない。同年12月17日の正日の死去においても、テレビで初めて知らされたことが伝えられている。しかし正男は直後に「金哲(キム・チョル)」という名義のパスポートを使い、平壌直行便のある北京経由ルートを避けて本国に帰国、正日の霊前との対面を果たし、後継指導者である金正恩を含む家族とともに別れを告げたとみられる。数日後にはマカオに戻った[20]。なお、公式な葬儀への参列は確認されていない[21]。
その後、ロシアメディアなどが、正男の妻や子供は中華人民共和国の支援により、マカオ市内の高級マンションに住み、正男本人は北朝鮮支援によるホテル住まいであることなどが伝えられていたが、北朝鮮本国で金正恩体制が確立された2012年に入り、ホテルの1万5000ドルの宿泊代を払えずに退去し、これは北朝鮮側からの送金停止によるものではないかと伝えられた[10]。さらに、4月22日に、朝鮮労働党書記の金永日が北京市で戴秉国と会談した中で、マカオに住む正男の身柄引き渡しを要求し、中華人民共和国側が拒否したと伝えられた[22][リンク切れ]。これは朝鮮半島有事で北朝鮮の体制が危機となれば、金正男を中心とした傀儡政権を据える手段を保持するためと言われている[23]。
暗殺
2017年2月13日午前9時頃(日本時間同10時)に、「キム・チョル(Kim Chol)1970年6月10日平壌生まれ」という北朝鮮国籍のパスポートを持つ男性がクアラルンプール国際空港で出国手続きのため自動チェックイン機を操作している最中に、女2人が突然襲いかかり逃げ去った[24][25]。直後に襲われた男性は体調不良に陥り、空港内の医務室から病院へ搬送中に急死した[25]。翌14日に、マレーシア政府が金正男の死亡を発表し、複数の韓国メディアが、「キム・チョル」名義の偽造パスポートを所有した金正男が女2人に殺害され、実行犯がタクシーで逃走したことを報じた[24][6][26][27]。
マレーシアの華字紙「東方日報」によると、逮捕されたベトナム国籍の女が「一人がハンカチで顔を押さえ、もう一人が顔にスプレーを吹きかけた」と供述していたという[25]。マレーシア政府が死体の指紋照会を14日に行なったので、韓国側が以前採取した金正男の指紋と死体指紋を照合すると「指紋が同一」として「死亡した人物は金正男氏」と断定[7][28][29]。マレーシア警察が24日に解剖して「殺害に使用されたのは致死性があるVXガス」と断定している[30]。
殺害に中心的役割を果たしたのは、毒殺専門たる朝鮮人民軍偵察総局19課と見られている[31]。このうち北朝鮮籍容疑者4名が搭乗したと見られる高麗航空JS272便がジャカルタ・ドバイ・モスクワ・ウラジオストクを経て、北朝鮮に入国すると思った韓国情報当局が、ロシア連邦政府に抑留要請したが、ロシア政府は受容せず出国を容認している[32]。
マレーシア当局による事件捜査を北朝鮮が批判したことや、使用されたVXガスを運搬したと思われる在マレーシア北朝鮮大使館二等書記官への面会要請拒否などを受け、マレーシア政府は、駐北朝鮮マレーシア特命全権大使の召喚、北朝鮮人のビザなし渡航制度の廃止や、康哲駐マレーシア北朝鮮特命全権大使に対するペルソナ・ノン・グラータ指定といった対抗措置をとった。一方、北朝鮮外務次官の李吉聖と中国外相の王毅等との北京での会談や、2月28日からクアラルンプールに派遣されていた前北朝鮮次席国連大使・李東一国際機構局長からの金正男の遺体引き渡し及び北朝鮮籍容疑者の釈放要請のあと3月3日に当該容疑者は「証拠不十分」として釈放された。就労許可証が期限切れしていてマレーシアが国外追放処分を下した同容疑者は、北京の北朝鮮大使館で会見し「証拠捏造などがあった」とマレーシア政府を批判[33][34][35][36][37][38]。
2017年3月30日朝鮮中央通信で、北朝鮮とマレーシアの間で遺体の引渡しや、出国禁止の解除、ビザなし渡航制度の再導入への協議開始などを行うとの共同声明が出されたと伝えられた[39]。翌31日、陸慷中華人民共和国外交部報道局長により、遺体が北朝鮮に到着したことが発表された。また同日北朝鮮籍の被疑者が中国国際航空で帰国し、北朝鮮で事実上の人質となっていたマレーシア人9名もマレーシアに戻った[40]。
金正男は暗殺直前に、アメリカ情報機関の関係者と接触して、アメリカ合衆国連邦政府から資金援助も受けていたという報道もある[41]。
後継者問題
朝鮮の儒教では世襲するのは嫡男であることから後継者候補であるとされてきたが、略奪愛である成蕙琳との結婚も公には認められていなかったため、正男は事実上の庶長子であり、その存在を金正日はひた隠していた。正日の専属料理人であった藤本健二は「将軍(正日)や軍大将、党幹部らが集まる宴席で彼の姿を見たことはないし、噂話として語られたことは一度も無い」一方「金正哲や金正恩の話は将軍からよく聞きましたし、遊び相手でもありました。きっと彼は長男の存在を隠し通したかったのではないでしょうか」とコメントした。
2007年2月25日に、日本や韓国のメディアで正男が後継者問題について「関心が無く、させられてもやらない」と知人に述べていることが報道された[42]。ニュースでも「色々な所に行って、後継者になったりするのか」、「後継者とは考えられない」という発言があった。
また、正日にロシア語を教えた金賢植(キム・ヒョンシク)によると、「正男は出生当時、出生が極秘にされたことから、後継者になるのは難しい」との見解を示した[43][リンク切れ]。ところが、次男の正哲を推す軍部の強硬派である李済剛が失脚し、正男を推す正日の義弟の張成沢が権力を掌握、正男が後継者になる可能性が高まったとの報道もある。その後、2008年9月には正日の重病説が流れたこともあり、一部では後継者問題に再び火がついたという見方をされていた[44]。
2009年6月5日に、西側諸国のメディアで「金正男が滞在先のマカオから中華人民共和国(もしくはアメリカか韓国)に亡命する見込みが強まっている」との報道がなされた[45] 三男の正恩を後継とする体制づくりが急ピッチで進んでいたとされる。だが、6月9日にマカオでテレビ朝日の「報道ステーション」の単独インタビューに応じ、「後継には興味はない。個人的にこの問題に興味がない。政治には興味がない。後継者については報道で知り、事実だと思う。父が正恩を寵愛している。いかなる決断も父がする。父が決断すれば従わなければならない」と語った[46]。なお、この頃から正恩による正男暗殺が企てられたことがあり[47]、正日が正男の暗殺阻止のため、中国政府に正男の身辺擁護を依頼したとも報じられている。
正男は正恩が後継者となるのに反対していた。反対した主な理由は、天安沈没事件と2009年に行われたデノミ施策が正恩指揮の下で行われたため[48]。
2010年9月、正恩への権力世襲について、韓国の民主平和統一諮問会議の李首席副委員長は、正男と親密な関係者から、「正男が『滅びるのに。長続きすると思うか』と述べた」と聞いた[49]。
2010年10月9日、テレビ朝日のインタビューに対し、「1つの家族が3代続いて権力を世襲することに、個人的には反対だ」と述べた上で、正恩が後継者に決定したことについては「ある内部的な事情」が背景にあるとして、「決定には従うべきだろう。(中略)わたしの父(金総書記)が決定したことだと思う。だが、わたしには関係のないことだし、関心もない」と語った[50]。なお、正恩に対しては、北朝鮮人民の生活向上に最善を尽くすことを要望し、必要であれば支援する用意があると述べた[50]。
日本への密入国
観光などを目的に偽造パスポートを使い、日本に何度か不法入国していたことを本人が認めている。来日時に「東京ディズニーランド」にも出入りしていたと伝えられているほか、赤坂の韓国バーなどで朝鮮総連の関係者や暴力団関係者と接触していたと伝えるメディアもある[要出典]。また密輸資金の回収が過去数回の不法来日の目的ではないかとも報じられた。
2001年(平成13年)5月1日に、「金正男と見られる男性」が新東京国際空港で東京入国管理局成田空港支局に拘束されるという事件が発生した。男は妻子を連れており、ドミニカ共和国の偽造パスポートを使用して、中国語名の『胖熊』[5]という偽名で日本入国を図ったところを、入管難民法違反で拘束・収容され、その際に背中に虎の刺青が施されていることが判明。
5月3日に、身柄拘束の事実が報道によって明らかとなったが、外交問題に発展することを恐れたことと、当時北朝鮮にいた日本人観光客の人命を保護するため、日本国政府の判断により国外退去処分(事実上の超法規的措置)とされ、翌4日に、2階席を貸し切り状態にされた全日本空輸 (ANA) のボーイング747-400型機で中華人民共和国の北京首都国際空港に向けて出国させた。なお同社の同路線は通常ボーイング767型機で運航されていることから、[要出典]金正男とその家族の移送のために、予備機として成田空港にあったボーイング747-400型機に振り替えて運行されたものと思われる。[独自研究?]
この際、北京市に移送される際の映像が、世界中のテレビ局で何度もテレビ放映された[注釈 1]。この男について、日本及び北朝鮮政府いずれからも、金本人かどうかの正式な発表はないが、韓国政府筋は「金正男本人」であるとした。この男は、「東京ディズニーランドに行きたかった」と語った。
実際、2009年(平成21年)1月24日に北京首都国際空港に現れた金本人が、日本のマスメディアにインタビューを受けた際のやり取りにおいて、2001年に日本に不法入国しようとした理由につき、「日本に興味があったので旅行に行ったが、現在は簡単に行けない。日本はとても清潔で美しい。また、経済的にも非常に発展している国だと思う。」と答え、日本へ入国した過去があることと、2001年5月に新東京国際空港で拘束された「金正男とみられる男性」が、本人であることを事実上認めている。
その他
- 2002年12月に、ディズニーランド・パリを訪れるためにフランス政府に入国を申請したが拒否された、とフランス紙に報じられた。
- 2004年9月25日には、北京国際空港に現れ、居合わせた報道陣の問いに金正男本人だと認めた。渡航理由は不明だが、付き人もなく一人で北京市内のホテルに滞在したという。また同年12月3日、本人と思われる人物が複数の日本の新聞社に年末年始の挨拶の電子メールを送った事が報じられた。これが実際に本人からのものであるならば、先述の9月の北京国際空港での取材時に、渡された名刺に書かれたメールアドレスを見て送ったのだろうと推測されている。
- 尚、中央日報によると、金正男は金正恩によって暗殺されそうになったとする記事がある[51]。
- 2011年9月、正男の長男である金漢率がボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルにあるインターナショナル・スクールに入学し[52]、Facebookに顔写真が公開されていると報道された[53]。
- 2011年10月、Facebookのアカウントを取得したと報道された[54]。
- 2012年1月20日、文藝春秋より「父・金正日と私:金正男独占告白」五味洋治/著 が出版された。2004年に名刺を交換した東京新聞の五味洋治編集委員との150通にわたる電子メールのやりとりと、7時間のロングインタビューによって構成されている。この中で金正男は、北朝鮮の三世代世襲制を批判し、また金正日も生前これを否定したことを語っている。この本の出版時期について金正男は、金正日の喪が明けたあとに考えたいとしていたが、五味によって半ば強行されている。
金膺禹 (1848-1878) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金輔鉉 (1871-1955) | 李寶益 (1876-1959) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金亨稷 (1894-1926) | 康盤石 (1892-1932) | 金亨禄 | 金亨權 (1905-1936) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金正淑 (1917-1949) | 金日成 (1912-1994) 本名:成柱 | 金聖愛 (1928-2014) | 金哲柱 (1916-1935) | 金英柱 (1920-2021) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
洪一茜 (1942- ) | 成蕙琳 (1937-2002) | 金英淑 (1947- ) | 金正日 (1941-2011) | 高英姫 (1953-2004) | 金玉 (1964- ) | 金万一 (1944-1947) | 金敬姫 (1946- ) | 張成沢 (1946-2013) | 金平一 (1954- ) | 金英一 (1955- ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金惠敬 (1968- ) | 金正男 (1971-2017) | 金雪松 (1974- ) | 金春松 (1975- ) | 金正哲 (1981- ) | 金正恩 (1984- ) | 李雪主 (1989- ) | 金与正 (1987- ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金錦率 (母:申貞姫) | 金漢率 (1995- ) (母:李惠慶) | 金ジミー (1997- ) (母:李惠慶) | 金東煥 (母:崔惠理) | 金率姫 (1998- ) (母:李惠慶) | 金現慶 (母:徐英蘭) | 金領主 (2010- ) | 金主愛 (2013- ) | 男子or女子 (2017- ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ a b “姿現した正男氏息子のハンソル氏とは? 新世代の留学組”. 聯合ニュース. (2017年3月8日) 2017年3月11日閲覧。
- ^ a b “【金正男氏殺害事件】中韓が“悲劇のプリンス”争奪戦”. エキサイトニュース. (2017年2月23日) 2017年3月9日閲覧。
- ^ “金正男 元女優にCAも…“妻は4人”の知られざる逃亡生活”. エキサイトニュース. (2017年2月23日) 2017年3月9日閲覧。
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