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東京ガスでは入社1年目から投手の柱として活躍し、{{by|2009年}}の[[第80回都市対抗野球大会]]では[[若獅子賞]]を受賞し、好左腕として注目される。{{by|2010年}}の都市対抗でも大いに活躍した。 |
東京ガスでは入社1年目から投手の柱として活躍し、{{by|2009年}}の[[第80回都市対抗野球大会]]では[[若獅子賞]]を受賞し、好左腕として注目される。{{by|2010年}}の都市対抗でも大いに活躍した。 |
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[[2010年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2010年のプロ野球ドラフト会議]]で、[[阪神タイガース]]から1巡目で指名。契約金1億円プラス出来高払い5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という最高条件で入団した<ref>[http://web.archive.org/web/20101129163526/http://www.sanspo.com/baseball/news/101126/bsb1011262032013-n1.htm 阪神、ドラフト1位の榎田が入団合意](2010年11月29日時点の[[インターネット |
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=== プロ入り後 === |
=== プロ入り後 === |
2017年9月4日 (月) 17:56時点における版
阪神タイガース #13 | |
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2015年8月29日 阪神鳴尾浜球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
生年月日 | 1986年8月7日(38歳) |
身長 体重 |
181 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト1位 |
初出場 | 2011年4月16日 |
年俸 | 3,200万円(2017年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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榎田 大樹(えのきだ だいき、1986年8月7日 - )は、阪神タイガースに所属する鹿児島県曽於郡大崎町出身のプロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
大崎小学校4年時に地元の鹿児島県・大崎ソフトボールスポーツ少年団に所属しソフトボールを始める。5年生の時には全国大会優勝。当時、同チームの1学年先輩には松山竜平が在籍して捕手を務めており、榎田ともバッテリーを組んでいた(なお、このチームの監督の新留勝郎は、阪神で榎田とチームメイトとなる福留孝介を指導した人物である)。
大崎中学では野球部に入り投手兼外野手。小林西高では1年春からベンチ入りし、秋からは本格的に投手として起用されるようになる。3年の夏は、準決勝で日南学園高に敗れベスト4。甲子園出場はならなかったが、打者として注目され、投手としても高く評価されるも、体育の教員免許が取れる福岡大学に進学。2年上には後に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団する藤原紘通、1年上には後に阪神でチームメートとなる白仁田寛和がいた。4年春には肘を痛めながら2勝を挙げリーグ優勝に貢献し、大学選手権出場を決めた。リーグ通算12勝で、ドラフト候補にも挙げられたが指名されず、東京ガスに入社した。東京ガス時代のチームメイトに、後に楽天に入団する美馬学がいる。
東京ガスでは入社1年目から投手の柱として活躍し、2009年の第80回都市対抗野球大会では若獅子賞を受賞し、好左腕として注目される。2010年の都市対抗でも大いに活躍した。
2010年のプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースから1巡目で指名。契約金1億円プラス出来高払い5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という最高条件で入団した[2]。なお、指名後の同年11月には、広州アジア大会に野球日本代表として参加。銅メダルを獲得した。
プロ入り後
2011年には、新人ながら、開幕からセットアッパーとして活躍[3]。5月24日の対埼玉西武ライオンズ戦(阪神甲子園球場)でプロ初勝利を挙げると、7月7日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)ではプロ初セーブを記録した[4]。さらに、オールスターゲームにも監督推薦で出場[5]。阪神でオールスターに出場した新人選手は、当時の一軍投手コーチ・藪恵壹の現役時代(1994年)以来であった。後半戦の序盤に蓄積疲労の影響で二軍調整を経験したものの[6]、8月15日に一軍へ再び昇格する[7]と、セットアッパーへ復帰。一軍公式戦全体では、西村一孔(1955年)の60試合を上回る球団新人新記録の62試合に登板した。この間に稼いだホールド数は33で、セントラル・リーグの新人投手では歴代最多、NPBの新人投手全体でも歴代2位に相当する記録であった[3]。
2012年には、開幕からセットアッパーに起用されると、NPBシーズンタイ記録の8試合連続ホールドを記録。9試合目での登板でも無失点に抑えたが、チームが8点差を付けていた場面からマウンドに立ったため、ホールドが付かず新記録の達成を逃した[8]。オールスターゲームでは、選手間投票で選出されていた中日のトニ・ブランコが左手骨折のために出場を辞退したことから、代役ながら阪神としては藪以来となる入団1年目からの2年連続出場が内定していた。しかし、内定後に左肘の関節を痛めたため、結局は榎田自身も辞退せざるを得なくなった(榎田の代役は中日の新人投手・田島慎二)。8月21日に一軍へ復帰したが、左肘痛の再発をきっかけに左肘関節炎との診断を受けたため、9月21日に再び出場選手登録を抹消[9]。同月27日には、シーズン終盤にもかかわらず、翌シーズンの早期復帰に備えるべく左肘遊離軟骨の除去手術を受けた[10]。
2013年には、前年の左肘手術の影響から、連投を避けるなどの目的で先発に転向。プロ初先発になった4月4日の対中日戦(京セラドーム)では、6回2死まで無安打に抑えたものの、失策による1失点(8回2安打自責点0)で敗戦投手になった[11]。しかし、2試合目の登板になった同月11日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(甲子園)では、8回途中まで2安打無失点に抑えて先発初勝利[12]。一時はセントラル・リーグの防御率でトップに立った[13]が、7月28日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)に先発したところ、プロ入り後ワーストの6失点を喫した[14]。9月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、ウラディミール・バレンティンから1回裏にシーズン本塁打の日本プロ野球新記録の56号本塁打、3回裏の第2打席に2打席連続でアジア野球新記録の57号本塁打を浴びた[15]。さらに、この試合では、先発としてプロ入り後最短の3回で降板[16]。翌16日に一軍登録を抹消される[17]と、一軍に復帰できずにシーズンを終えた。レギュラーシーズン全体では、リーグ優勝の巨人から先発で3勝を挙げたものの、4勝9敗と大きく負け越したうえに3回にわたって戦線を離脱。シーズン終了後の契約交渉では、球団からプロ入り後初めての減俸提示を受けた末に、推定年俸4,100万円(300万円減)で契約を更改した[18]。
2014年には、巨人との開幕カード第3戦(3月30日)で先発を任されたが、3回4失点で敗戦。以降も3試合に先発したが、2試合で3回途中に降板するほど不調だったため、4月20日に出場選手登録を抹消された。6月8日の対福岡ソフトバンクホークス戦(甲子園)では、初回に味方打線が9点を取ったにもかかわらず、3回途中6失点で降板[19]。この試合を境に、再び中継ぎへ回った。左肩の違和感を訴えた8月[20]には、最短期間(10日間)での二軍調整を経て、救援投手として一軍に復帰。しかし、1死すら取れないまま首脳陣から交代を命じられるほど振るわず、短期間で二軍へ戻った[21]。結局、レギュラーシーズンでは、一軍公式戦の先発で1勝も挙げられなかった。
2015年には、左の救援陣が手薄なチーム事情などを背景に、中継ぎ専任で再起を期した[22]。開幕から一軍に食い込んだが、一軍公式戦全体で8試合しか登板できず、2年連続の0勝に終わった。
2016年には、首脳陣が一軍先発陣への復帰を検討するなど、オープン戦で中継ぎ投手として好投を続けた[23]。公式戦の開幕を一軍の救援要員として迎えると、3月27日には、中日との開幕第3戦(京セラドーム大阪)に救援で登板。1回を無失点に抑えた末に、一軍公式戦では自身2年振りの勝利を挙げた[24]。
選手としての特徴
平均球速約139 km/h[25]、最速150 km/h[26]のストレートと二種類のスライダー(本人いわく120 km/h前後の縦気味のスラーブとカットボール[27])、二種類のスクリューボール[28]、フォークボール、カーブを投げ分ける[27]。フォークボールは回転のない独特の軌道で落ちるため、アマチュア時代は1試合に1・2球投げる程度だった[29]。
人物
愛称は、JXエネルギー(ENEOS)のイメージキャラクターに容姿が似ていることから付けられた「エネゴリ」、「ゴリ」[30]。またつの丸の漫画『モンモンモン』にも似ているとされ、2016年にはタイガースおよび榎田とのコラボグッズが発売される[31]。
元々は中日ファンであり、同じ左腕でプロ入り後は背番号も同じである岩瀬仁紀に憧れていた。オールスターゲームでは同僚の藤川球児の計らいで岩瀬と対面し、キャッチボールをした[32]。
EXILEの黒木啓司が高校の硬式野球部の7年先輩にあたる縁から、阪神入団当初から登場曲をEXILE、EXILE THE SECONDの楽曲にしている[33]。
家族
阪神入団後の2012年3月1日には、東京ガス時代に知り合った3歳年上の一般女性との結婚を発表した[34]。
日本文理大学から日本新薬へ入社した2歳下の実弟・宏樹は、自身と同じ左腕投手として、社会人野球で活躍中。日本新薬のエースとして出場した2016年のJABA東京スポニチ大会では、2試合連続完封勝利でチームを優勝へ導くとともに、MVPに選ばれた[35]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 阪神 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | 33 | .500 | 259 | 63.1 | 43 | 3 | 28 | 2 | 4 | 71 | 4 | 0 | 19 | 16 | 2.27 | 1.12 |
2012 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 2 | 21 | .500 | 188 | 42.1 | 36 | 2 | 20 | 3 | 8 | 37 | 2 | 0 | 13 | 11 | 2.34 | 1.32 | |
2013 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 4 | 9 | 0 | 0 | .308 | 389 | 92.1 | 70 | 11 | 38 | 0 | 8 | 78 | 5 | 0 | 39 | 37 | 3.61 | 1.17 | |
2014 | 24 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 2 | .667 | 216 | 44.2 | 60 | 2 | 20 | 0 | 6 | 42 | 3 | 0 | 38 | 35 | 7.05 | 1.81 | |
2015 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 42 | 8.2 | 9 | 1 | 4 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 11 | 10 | 10.38 | 1.50 | |
2016 | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | .500 | 174 | 39.2 | 39 | 6 | 16 | 0 | 3 | 32 | 2 | 0 | 19 | 19 | 4.31 | 1.39 | |
通算:6年 | 193 | 23 | 0 | 0 | 0 | 13 | 17 | 3 | 59 | .433 | 1268 | 291 | 257 | 25 | 126 | 5 | 30 | 268 | 16 | 0 | 139 | 128 | 3.96 | 1.32 |
- 2016年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2011 | 62 | 4 | 10 | 0 | 2 | 1.000 |
2012 | 48 | 3 | 9 | 0 | 0 | 1.000 |
2013 | 16 | 7 | 21 | 0 | 0 | 1.000 |
2014 | 24 | 2 | 13 | 0 | 0 | 1.000 |
2015 | 8 | 1 | 2 | 1 | 0 | .750 |
2016 | 35 | 2 | 8 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 193 | 19 | 63 | 1 | 2 | .988 |
- 2016年度シーズン終了時
記録
- 投手記録
- 初登板・初ホールド:2011年4月16日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に2番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、6回裏にジョエル・グスマンから空振り三振
- 初勝利:2011年5月24日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(阪神甲子園球場)、7回表に4番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:2011年7月7日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤドーム)、11回裏から3番手で救援登板・完了、1回1失点
- 初先発:2013年4月4日、対中日ドラゴンズ3回戦(京セラドーム大阪)、8回1失点(自責点0)で敗戦投手
- 初先発勝利:2013年4月11日、対読売ジャイアンツ3回戦(阪神甲子園球場)、7回2/3無失点
- 打撃記録
- 初安打:2013年4月25日、対中日ドラゴンズ6回戦(ナゴヤドーム)、5回表に岩田慎司から中前安打
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2011年)
背番号
- 13 (2011年 - )
登場曲
- 「FIREWORKS」EXILE(2011年 - 2012年)
- 「24karats -type EX-」EXILE(2013年、登板時)
- 「男は気持ちを伝えたい」ET-KING(2013年、打席時)
- 「HEAD BANGIN'」THE SECOND from EXILE(2014年 - 2016年)
- 「SUPER FLY」EXILE THE SECOND(2017年 - )
脚注
- ^ 阪神 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年11月29日閲覧。
- ^ 阪神、ドラフト1位の榎田が入団合意(2010年11月29日時点のアーカイブ) サンケイスポーツ、2010年11月26日。
- ^ a b ルーキー1年目総括『週刊ベースボール』2011年12月26日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/26, 45頁。
- ^ 阪神・榎田、球児の仕事代行でプロ初S! サンケイスポーツ2011年7月8日配信
- ^ 阪神・榎田、推薦に驚き「まさか」/球宴 サンケイスポーツ 2011年7月4日配信
- ^ フル回転の榎田、無期限2軍調整 デイリースポーツ 2011年7月31日配信
- ^ 斬った~!阪神・榎田、復活3K1回0封 サンケイスポーツ 2011年8月15日配信
- ^ 阪神・榎田、好投も連続ホールド止まった サンケイスポーツ 2012年4月23日配信
- ^ 【阪神】榎田左肘痛抹消、手術は様子見て - 日刊スポーツ 2012年9月21日
- ^ 阪神・榎田 左肘の軟骨除去手術 - スポーツニッポン 2012年9月28日
- ^ 6回2死までノーヒット…榎田、自責0の好投報われずスポーツニッポン2013年4月4日配信
- ^ 阪神 3戦連続無失点、今季初のカード勝ち越し G打線沈黙スポーツニッポン2013年4月11日配信
- ^ 榎田1失点●で防御率トップ陥落日刊スポーツ、2013年4月25日
- ^ 阪神榎田6失点KO 次は8・4得意G戦
- ^ バレンティン プロ野球新の次は2打席連続57号弾!アジア記録も抜く スポーツニッポン 2013年9月15日配信
- ^ 歴史に名を残してしまった榎田「勝負にいった」スポーツニッポン2013年9月15日配信
- ^ 【16日の公示】日本ハム 斉藤勝らを出場登録スポーツニッポン2013年9月16日配信
- ^ 【阪神】榎田、巨人から3勝も300万減日刊スポーツ2013年12月6日配信
- ^ 榎田 大量援護も白星ならず「野手のみなさんに申し訳ない」スポーツニッポン 2014年6月8日配信
- ^ 阪神 榎田が登録抹消 左肩の違和感訴えるスポーツニッポン 2014年8月8日配信
- ^ 虎・遼馬が昇格か…一死も奪えずに降板した榎田が登録抹消へサンケイスポーツ 2014年8月31日配信
- ^ 榎田再生 江夏臨時コーチに託す 中西コーチがプラン披露スポーツニッポン 2014年12月3日配信
- ^ 榎田ローテ候補“大穴”に一気浮上 6番手の座必ずスポーツニッポン 2016年3月10日配信
- ^ 阪神・榎田、2年ぶり白星も先頭に打たれ反省「勝ちはたまたま」サンケイスポーツ 2016年4月1日配信
- ^ 気になるあの投手たちの持ち球CHECK!『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、35-39頁。
- ^ 虎・榎田、頼れる!最速150キロ3人斬り! サンケイスポーツ、2011年5月9日。
- ^ a b 運命の日を前に ドラフト候補インタビュー『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、100-101頁。
- ^ a b 小関順二&西尾典文のアマチュア野球スカウティングリポート 『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、56-57頁。
- ^ 榎田、魔球解禁!無回転フォーク!! デイリースポーツ、2011年1月30日。
- ^ 防御率0・71!ルーキー・榎田、7戦連続無失点 スポーツニッポン、2011年5月16日。
- ^ つの丸「モンモンモン」、阪神タイガース&榎田大樹投手とついにコラボ - コミックナタリー、2016年6月30日
- ^ 日刊スポーツ、2012年1月29日
- ^ 阪神榎田がEXILEからゲキ 日刊スポーツ、2011年1月27日
- ^ 榎田結婚“直球”プロポーズで姉さん女房射止めた スポーツニッポン 2012年3月2日配信
- ^ 兄は虎戦士 日本新薬・榎田がMVP 登板2試合いずれも完封 スポーツニッポン 2016年3月14日配信
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 榎田大樹 - NPB.jp 日本野球機構