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* ねぇ 知ってるかい(1990年)
* ねぇ 知ってるかい(1990年)
* [[ジャガイモジャガー]](1991年)
* [[ジャガイモジャガー]](1991年)
* [[エトはメリーゴーランド]](1992年) ※作曲者名義はNHKサイドは「田中星児」([http://cgi2.nhk.or.jp/minna/search/index.cgi?id=MIN199212_01 NHKみんなのうた 全曲リスト]、[[JASRAC]]作品データベース<!--Wiki同様、出典および執筆者の表記が無いため出典無効→『デジタル大辞泉プラス』の解説<ref>[http://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%81%AF%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89 エトはメリーゴーランド とは] - コトバンク</ref>-->)であるが、[[音楽 (教科)]]分野で使われる[[教育研修社]]発行の楽譜集『新版・歌の森』<ref>[http://www.gakufu.ne.jp/detail/view.php?id=50685 『楽譜ネット』内商品情報]</ref>、[[教育研究社]]発売アルバムCD『クラスでクラブで たのしく歌おう合唱CD 2』<ref>参考:[https://web-beta.archive.org/web/20160304112855/http://members3.jcom.home.ne.jp/kyoken.co/gassyoutanosikuutaou.html 教育研究社公式サイト内『たのしく歌おう合唱CD』シリーズ商品カタログページ](2016年3月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、歌詞検索サイト『UtaTen』掲載情報<ref>[http://utaten.com/lyric/jb60907109 『UtaTen』より、『エトはメリーゴーランド』歌詞情報]</ref>)では前出の『ジャガイモジャガー』の作曲者「中山竜」としている(理由は不明)。
* [[エトはメリーゴーランド]](1992年) ※作曲者名義はNHKサイドは「田中星児」([http://cgi2.nhk.or.jp/minna/search/index.cgi?id=MIN199212_01 NHKみんなのうた 全曲リスト]、[[JASRAC]]作品データベース<!--Wiki同様、出典および執筆者の表記が無いため出典無効→『デジタル大辞泉プラス』の解説<ref>[http://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%81%AF%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89 エトはメリーゴーランド とは] - コトバンク</ref>-->)であるが、[[音楽 (教科)]]分野で使われる[[教育研修社]]発行の楽譜集『新版・歌の森』<ref>[http://www.gakufu.ne.jp/detail/view.php?id=50685 『楽譜ネット』内商品情報]</ref>、[[教育研究社]]発売アルバムCD『クラスでクラブで たのしく歌おう合唱CD 2』<ref>参考:[https://web-beta.archive.org/web/20160304112855/http://members3.jcom.home.ne.jp/kyoken.co/gassyoutanosikuutaou.html 教育研究社公式サイト内『たのしく歌おう合唱CD』シリーズ商品カタログページ](2016年3月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、歌詞検索サイト『UtaTen』掲載情報<ref>[http://utaten.com/lyric/jb60907109 『UtaTen』より、『エトはメリーゴーランド』歌詞情報]</ref>)では前出の『ジャガイモジャガー』の作曲者「中山竜」としている(理由は不明)。
* [[大名ぎょうれつ]](1996年)
* [[大名ぎょうれつ]](1996年)



2017年9月4日 (月) 17:20時点における版

田中 星児
たなか せいじ
別名 せいちゃん
生誕 (1947-08-27) 1947年8月27日(77歳)
出身地 日本の旗 日本奈良県御所市
ジャンル 童謡
担当楽器
活動期間 1970年 -
レーベル JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
事務所 AOB&DAVINCI INTERNATIONAL

田中 星児(たなか せいじ、1947年8月27日[1] - )は、日本歌手奈良県御所市出身[1][2]。名前は、星の綺麗な夜に生まれた事にちなむ[2]。歌手のグッチ裕三は従兄弟である[1]

作曲家としてのペンネームに「中山 竜」がある[2]

来歴・主な活動

音楽教師をしていた両親の赴任地である奈良県御所市で出生、小学校3年生の時大阪府大阪市へ転居。幼少から音楽的環境に恵まれていた。

大阪府立阪南高等学校[要出典]在学中からオーディション番組やのど自慢などに参加し、法政大学文学部[要出典]在学中には1966年にはTBSナショナル10人抜きのど自慢』優勝、1968年にはNHK『NHKのど自慢全国大会』(ポピュラーの部)優勝、シャンソンコンクールで入賞、といった実力を発揮する。

その華やかな経歴や抜群の歌唱力が話題になり、1970年にNHKの音楽番組『ステージ101』のレギュラーとなり(本番組がデビュー[2])、翌年には同局の幼児番組『おかあさんといっしょ』の初代うたのおにいさんとなる[2]

1976年、シングル「オー・マリヤーナ/ビューティフル・サンデー」がオリコン最高位4位を記録し、同年の『第27回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

現在も子ども向けのコンサートや曲作りなどの活動を続ける傍ら、健聴者とろうあ者が一緒に楽しめる「歌のバリアフリーコンサート」を吉祥谷友歩らと行っている。また、鹿児島県を全国にアピールするマキシシングル「Neo KAGOMAGO(ネオ カゴマーゴ)」を世に広めている。

平城遷都1300年祭応援団長に就任。

備考

もともと「ビューティフルサンデー」は「オー・マリヤーナ」のB面[2]で、田中は「オー・マリヤーナ」の方に歌手生命をかけており、B面を「ビューティフルサンデー」にした理由もスタッフの勧めで、田中も「これでいいか」程度だったが、皮肉にもビューティフルサンデーの方がヒット、本人もこの曲が好きではなかったと語る。だがビューティフルサンデーを歌うと聞いているお客さんが笑顔になり、元気付けていると考える様になってからは、この曲が大好きになったと語っている。

主な作品(歌唱曲)

『みんなのうた』

『おかあさんといっしょ』

『ステージ101』

  • D-51
  • 僕が五年前に考えたこと

『おはよう720』

『おはよう700』

『8時の空』

  • オー・マリヤーナ(ユーゴスラビアから持ち帰った曲[2]
  • モーニング・コーヒー(作曲:田中星児)

その他

  • オートバイ野郎
  • ホームラン王(1977年 ビクター KV-1004)
    • 王貞治の応援歌。B面は「ホームラン・マーチ」。
  • おにのパンツ(1980年 ビクター KV-2020)
    • B面は「さやかちゃんのたんじょう日」、振り付け指導付き
  • ラップ九九(1992年2月21日 ビクター VIDG-108)
  • ビューティフル・サンデー My Favorite Song★8曲集(1997年 ビクター NDS-146)
    • 「みんなのうた」からカバーを含む8曲を収録したミニアルバム。「WAになっておどろう」の新録カバーが唯一収録されている。
  • ラッキーセブンがやってきた(1997年2月21日 日本コロムビア CODC-1159)
  • サルゲッチュのうた(1999年5月)
  • Neo KAGOMAGO(ネオ・カゴマーゴ 2000年6月28日)
    • 鹿児島県をテーマとしたインディーズ盤(発売元:エイオービーアンドダヴィンチインターナショナル)

主な作品(作曲)

  • 雨のなかの子犬
  • うみのソンブレロ
  • 大きなリンゴの木の下で(歌唱はダ・カーポ
  • さやかちゃんのたんじょう日
  • おとこのこってつらいよな
  • かたぐるまのうた

主な出演

テレビ・ラジオ番組

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1976年(昭和51年)/第27回 ビューティフル・サンデー 11/24 伊藤咲子
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

映画

CM

脚注

外部リンク

先代
-
おかあさんといっしょ
うたのおにいさん
初代:1971年11月3日-1977年3月8日
共演:水木一郎
次代
たいらいさお