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日本では、初代[[東京地下鉄道]](現・[[東京地下鉄|東京メトロ]])の[[上野駅]]([[1927年]]営業開始)に[[1930年]](昭和5年)4月1日開業した500mの地下街(地下鉄ストア)が地下街の元祖とされる{{sfn|浅井建爾|2001|p=200}}<ref>『東京地下鉄開通50周年記念 昭和を走った地下鉄』 帝都高速度交通営団 1977年12月6日刊</ref>。なおこの地下鉄ストアは現代の定義では地下街かつ[[駅ナカ]]に該当しており、2010年現在も『[[エチカ (商業施設)|エチカフィット上野]]』として営業を継続している。戦前に建設されたものでは、1942年(昭和17年)に完成した旧梅田地下街(大阪駅前地下道、約5700m<sup>2</sup><ref>[http://web.archive.org/web/20140819080547/http://mainichi.jp/select/news/20140819k0000e040198000c.html 大阪・梅田地下街:初の全体像 高低差7m、CGで再現]、[[毎日新聞]]、2014年8月19日 15:00(最終更新 8月19日 16:33)。[[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。大阪市)が当時、最も大規模であった。戦後の道路法(占用許可)、建築基準法(建築確認)に基づく地下街としては、東京・銀座の[[三十間堀]](戦災復興で埋め立て)にかかっていた三原橋を利用して地下街とした「[[三原橋地下街]]」(1952年)が嚆矢であった。本格的に建設され始められたのは、1960年代の高度経済成長期のころで、大都市の地下からつくられ始め、地方の中核都市へと広がっていった{{sfn|浅井建爾|2001|p=200}}。日本では、都心の地価高騰により地下空間を有効利用した地下街が急速に発展してゆき、公共民間が一体となって事業が推進されてきたことから、世界最大の地下街大国となっている{{sfn|浅井建爾|2001|p=200}}。 |
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=== 法律上の位置づけ === |
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2017年9月4日 (月) 15:04時点における版
地下街(ちかがい)とは、地下に設置された不特定多数の通行のための歩道に面した商店街である。
概要
大都市のターミナル駅で自動車と歩行者とを立体交差させ交通の利便性を高めるための公共地下歩道と、店舗・駐車場・地下鉄入口とを一体として整備したものが多い[1]。寒冷地においては、冬季の寒さや積雪から歩行者を保護する目的もある。
地上の建築物と比較して、地下街の整備には多額の費用がかかる。また、地下歩道部分の利用時間が長いため、設備の運転時間が長く、整備の時間が十分にとれず、耐用年数が短く、改修に要する費用・時間も多くなる。さらに、換気設備が道路の緑地帯など条件の悪い場所にしか設置できないため、空気環境の維持に苦慮している所も多い。下水道より深い場所にある地下街もあるため、水害対策も必要である。
防災・防犯では、不特定多数が利用する施設として、地下で直接接続された地下街や建築物との相互連携が重要である。自主防災・防犯組織を結成し定期的な会合を行っている所がほとんどである。また、緊急時の相互応援も規定されている。
世界の代表的な地下街
- カナダには大規模な地下街が2つあり、世界最大の地下街はオンタリオ州トロントの地下街「PATH」である。27kmに及ぶ通路は商業地として利用されており、環状に走る地下鉄駅6駅と直接接続されている。商業地域は37万1600m2に及び、商店数だけでも約1200店舗に上る。
- 韓国ではソウル以外の主要都市にも地下街(「地下商街」と呼ばれる)があるが、これは地下鉄とともに、有事の際に防空壕に転用するためでもある。年に3、4回(かつては毎月)「民防衛訓練」と呼ばれる防空訓練が行われるが、その際にも地下街が指定避難場所(「待避所」)となっている。
- 名称は「フリードリヒシュタット=パサージェン (Friedrichstadt-Passagen[2])」。フランス資本の百貨店ギャラリー・ラファイエットベルリン店地階より(都心を南北に縦貫し、東西に伸びるウンターデンリンデンとも交差している)フリードリヒ通りに3区画分に沿って続いている。現在、至近の公共交通機関駅「フリードリヒ通り駅」の手前までであり、同駅地階とは直結していない。旧東ベルリン地区(ミッテ区(「中央区」のドイツ語訳))に位置し、東西ドイツ統一以降、ベルリン市内初であり唯一である地下街として建設された。
- ちなみに、東西ドイツ統合まで旧西ベルリン一の繁華街であったクーダム通り(クーアフュルステンダム通り)、戦前・戦中のベルリンで随一の繁華街であったウンター・デン・リンデン通りとポツダム広場、旧東ドイツ政府の肝煎りで大規模な整備がされるも1960年代中に勢いを失っていたカール=マルクス=アレー(旧スターリンアレー)とアレクサンダー広場、これらのいずれにも、過去から現在に至るまで地下街は造られていない。
- フランクフルト(ドイツ)
- フランクフルト中央駅地下に広がる。
日本
歴史
日本では、初代東京地下鉄道(現・東京メトロ)の上野駅(1927年営業開始)に1930年(昭和5年)4月1日開業した500mの地下街(地下鉄ストア)が地下街の元祖とされる[1][3]。なおこの地下鉄ストアは現代の定義では地下街かつ駅ナカに該当しており、2010年現在も『エチカフィット上野』として営業を継続している。戦前に建設されたものでは、1942年(昭和17年)に完成した旧梅田地下街(大阪駅前地下道、約5700m2[4]。大阪市)が当時、最も大規模であった。戦後の道路法(占用許可)、建築基準法(建築確認)に基づく地下街としては、東京・銀座の三十間堀(戦災復興で埋め立て)にかかっていた三原橋を利用して地下街とした「三原橋地下街」(1952年)が嚆矢であった。本格的に建設され始められたのは、1960年代の高度経済成長期のころで、大都市の地下からつくられ始め、地方の中核都市へと広がっていった[1]。日本では、都心の地価高騰により地下空間を有効利用した地下街が急速に発展してゆき、公共民間が一体となって事業が推進されてきたことから、世界最大の地下街大国となっている[1]。
法律上の位置づけ
日本の法規では、道路・駅前広場・都市公園などの公共用地の地下に店舗・通路があるものを地下街、店舗部分が民有地で通路部分が公共用地の地下のものを準地下街、店舗・通路とも民有地の地下のものを地下階という。また、百貨店の地下階にある食品売り場を中心とした商店街をデパ地下と呼ぶこともある。平成17年版消防白書(総務省消防庁)によると、2005年3月31日現在、全国に地下街は63(うち特別区と政令指定都市に50)、準地下街は7(同6)ある。また、平成25年の国土交通省都市局の資料[5]によると、全国に地下街は78か所とされている。
このように、法規により明確な定義付けがされているため、実態としては地下街と一体の構造であっても地下街とは定義されない場合があったり、逆に定義上地下街とは呼べないような場所が地下街とされている場合がある[6]。東京の『小田急エース』・『京王モール』は百貨店の直下ではなく道路などの公共用地の地下にあるため、地下街と定義される[6]。名古屋の『中部近鉄百貨店』は百貨店であるにも拘らず地下街の範疇として名前が挙げられているが、これは百貨店の地下階の一部が道路下にあるため、道路下部分の面積のみを用地管理上地下街として区別していることによる[6]。これに対して、地下通路を通じて他の地下街と連絡している大阪の『阪急三番街』や、構造的には地下街と見なせる名古屋の『エキワン』は、駅施設直下にあるため地下街とは定義されない[6]。
道路法
道路法(昭和二十七年六月十日法律第百八十号)は成立当時から、道路占用の対象として地下街を位置づけている。その後、1957年に発出された「道路の管理について」[7]及び「道路の管理に関する取扱いについて」[8]により、地下を含む占用の取扱いが明確化されている。地下については、原則として地上交通の緩和的施設に限ること、地下道、地下室等の出入口は、原則として道路敷内に設けないこと等が定められている。
また、特に駅前広場に関しては、「駅前広場における地下施設の設置に関する日本国有鉄道・建設省間の覚書」(1956年)により特定の駅に限定し都市計画事業として実施することとされ、その後、「駅前広場における地下施設の設置に関する日本国有鉄道・建設省間の申し合わせ」(1969年)により、地下道の幅員、施行者基準、地下付帯店舗の面積割合等の計画基準が規定された。この計画基準は、1972年「地下街に関する基本方針について」[9]に引き継がれている。
なお、1997年の建設省道路局長通知「地下鉄施設への二次占用について」[10]により、「地下街に関する基本方針について」に定められた要件、手続きを経ずに道路の地下に商業施設が設置されるケース[† 1]が出てきたが、これらはキヨスク等と同様の駅の利便施設とされ、地下街には定義されない。
建築基準法
建築基準法施行令(昭和25年11月16日政令第338号)の成立時から、避難階に至る直通階段までの歩行距離の規制をしているが、地下街という用語はなく、地下街を規制の対象とする積極的な意図も特になかった[11]とされている。その後、1959年12月4日の同施行令改正により令第128条の3を追加、地下街の各構えと接続する地下道の基準を規定し、地下街の各構えは地下道に2 m以上接すること等が規定された。さらに、1969年旭川駅地下ステーションデパート火災、1970年地下鉄新宿駅構内火災、1972年大阪千日デパートビル火災等を踏まえて、各構えの耐火性能、防火区画の強化、避難の歩行距離を規定を追加している。
消防法
1967年消防審議会「超高層建築物及び地下街の防災対策について答申」に基づき、翌1968年に消防法改正[12]、同法に第8条の2を追加し、超高層建築物及び地下街等の防火管理が整備[13]された。また、1974年に消防法施行令を改正し別表1に16-2を追加し[14]、消防施行令に地下街が位置づけられた。従来、地下街については地下工作物内の店舗、飲食店、事務所等をそれぞれ個々の防火対象物としてとらえ、それぞれの用途及び規模に応じて消防用設備等に関する規定を適用していたが、この改正で地下街を令別表第1(16の2)項に掲げる防火対象物として追加したことにより、同表(1)項から(16)項までに掲げる防火対象物が連続して地下道に面して設けられ地下街を形成しているときは、これら防火対象物は、同表第1(1)項から(16)項までに掲げる個々の防火対象物としてではなく、別途地下街としても規制されることとされた[15][† 2]。その後、1980年8月静岡駅前地下街ガス爆発事故を踏まえ、1981年消防法施行令を改正[16]、準地下街に対する規制の新設(同施行令別表1に16-3を追加)をするとともに、地下街等に対するガス漏れ火災警報設備の設置を義務づけるようになった[13]。
地下街の取扱いについて、地下街に関する基本方針
1972年の千日デパート火災を機に、1973年、建設省、消防庁、警察庁、運輸省通達「地下街の取扱いについて」[17]により、地下街新設は厳に抑制することを基本にし、ただし、ただし、公益上真にやむを得ないものについては、防災、衛生、発生する交通の処理その他の観点から、設置計画及び管理運営方法に関して、あらかじめ十分な措置を講ぜしめるとともに、供用開始後の指導監督を強力に行なうものとされた。翌1974年には建設省通達「地下街に関する基本方針について」[9]により、事業手法、事業主体、構造など具体的な規制が定められた。1980年8月静岡駅前地下街ガス爆発事故を踏まえ、同年10月に資源エネルギー庁を加え5省庁による改正通知により、地下街の新設又は増設は厳に抑制することが再確認されている。しかし、1980年代後半以降は、利便性向上や経済活性化の推進、防災技術の向上などにより通達が改正[18]され、規制緩和が進む方向となった。その後2001年に地方分権一括法施行に伴い、本方針ほか関連通達はすべて廃止され、地下街等に関する基準は、各自治体が独自に定めることとなった。
地下街に関する基本方針では、以下のような地下街の設置計画策定に関する基準を定めていた。
- 地下街の延床面積は、付属公共地下駐車場の延床面積以下とする。(機械室・防災センターなどの管理運営上必要な施設、交番・公衆便所・授乳室・行政施設などの快適性・利便性向上施設を地下街の面積から除くことができる)
- 店舗等の延床面積は、公共地下歩道の延床面積以下とする。(エレベーター・エスカレーター・動く歩道などの歩行者支援施設は、公共地下歩道の面積に含めることができる)
- 地下通路の有効幅を6m以上とする。
- 地上の道路との連絡通路の幅は1.5m以上とする。
- 全ての地下歩道から歩行距離50m以内に、2つ以上の地上への直通階段と、排煙・採光のための地上への吹き抜けのある地下広場を設置する。
- 店舗・地下通路は1層とする。
- 原則として店舗を200m2以下の防火区画に区切る。
- 消防・警察と即時・直接の通信できる防災センターを設置する。
- 消防用設備を設置する。
- 地下街・建築物相互間の地下で直接接続する通路には、防火・水防用の施設を完備する。
地下街等に関する水防上の規定
特定都市河川浸水被害対策法(平成十五年六月十一日法律第七十七号)では、都市浸水想定区域内の地下街その他不特定かつ多数の者が利用する地下に設けられた施設の所有者又は管理者は、単独に又は共同して、都市洪水又は都市浸水が生じた時における施設の利用者の円滑かつ迅速な避難の確保を図るために必要な措置に関する計画を作成し、これを公表するように努めなければならないとする努力義務を課している。
水防法(昭和二十四年六月四日法律第百九十三号)は、平成17年改正により、浸水想定区域に係るものであって、市町村地域防災計画にその名称及び所在地を定められた地下街等の所有者又は管理者は、単独で又は共同して、水防法施行規則で定めるところにより、当該地下街等の利用者の洪水時等の円滑かつ迅速な避難の確保及び洪水時等の浸水の防止を図るために必要な訓練その他の措置に関する計画を作成する義務を課している。ここで、「地下街等」とは、地下街その他地下に設けられた不特定かつ多数の者が利用する施設(地下に建設が予定されている施設又は地下に建設中の施設であつて、不特定かつ多数の者が利用すると見込まれるものを含む。)とされており、地下街、準地下街、地下にある鉄道駅、地下道、地下駐車場、建築物の地下階等を含めていると解されている。
一覧
地下街とされているものの一覧[19]。資料中、統合されたものは表中に配置し、廃止されたものは別表に配置した。
都道府県 | 都市 | 名称 | 開設 | 延床面積 (m2) |
画像 |
---|---|---|---|---|---|
北海道 | 札幌市 | さっぽろ地下街オーロラタウン | 1971年11月 | 33,645.60 | |
北海道 | 札幌市 | さっぽろ地下街ポールタウン | 1971年11月 | 14,230.40 | |
北海道 | 札幌市 | Apia | 1966年03月 | 29,810.00 | |
北海道 | 札幌市 | 札幌駅前名店街 (三者統合→Apia) |
1966年 | 3月10,259.20 | |
北海道 | 札幌市 | ステーションデパート (三者統合→Apia) |
1952年10月 | 3,458.10 | |
北海道 | 札幌市 | エスタ二番街 (三者統合→Apia) |
1978年 | 9月6,372.80 | |
北海道 | 札幌市 | 札幌駅パセオ地下街 | 1989年 | 7月3,864 | |
岩手県 | 盛岡市 | 盛岡ステーションデパート | 1969年11月 | 1,485.90 | |
千葉県 | 千葉市 | ペリチカ | 1961年 | 8月12,800 | |
東京都 | 中央区 | 八重洲地下街 | 1965年 6月 | 73,253.40 | |
東京都 | 中央区 | 地下鉄銀座駅地下店舗 | 1957年12月 | 138 | |
東京都 | 港区 | ウィング新橋 | 1972年 6月 | 11,848.90 | |
東京都 | 渋谷区 | しぶちか | 1957年12月 | 4,675.70 | |
東京都 | 台東区 | 浅草地下街 | 1955年 1月 | 1,277.30 | |
東京都 | 新宿区 | 新宿駅東口地下街[† 3] | 1964年 5月 | 18675.30 | |
東京都 | 新宿区 | 小田急エース | 1966年11月 | 29,650.00 | |
東京都 | 新宿区 | 新宿サブナード | 1973年 9月 | 38,363.80 | |
東京都 | 新宿区 | 京王モール | 1976年 3月 | 17,078.60 | |
東京都 | 豊島区 | 池袋ショッピングパーク | 1964年 | 9月15,356.60 | |
東京都 | 豊島区 | 東武ホープセンター | 1969年 4月 | 14,709.40 | |
神奈川県 | 川崎市 | 川崎アゼリア | 1986年10月 | 56,704.30 | |
神奈川県 | 横浜市 | 横浜ポルタ | 1980年11月 | 39,133.00 | |
神奈川県 | 横浜市 | ザ・ダイヤモンド | 1964年12月 | 38,815.60 | |
神奈川県 | 横浜市 | マリナード | 1977年10月 | 4,809.00 | |
神奈川県 | 横浜市 | 新相鉄ビルDブロック | 1974年 3月 | 2,680.40 | |
神奈川県 | 横浜市 | ぴおシティ | 1968年 5月 | 4,195.00 | |
神奈川県 | 小田原市 | アミーおだちか[† 4] (運営者変更→ハルネ小田原) |
1976年11月 | 8,283.50 | |
神奈川県 | 小田原市 | ハルネ小田原 | 2014年11月 | 7984 | |
新潟県 | 新潟市 | 西堀ローサ | 1976年10月 | 17,359.40 | |
富山県 | 高岡市 | クルン高岡地下街 | 1970年 | 7月4,144.20 | |
愛知県 | 蒲郡市 | 蒲郡北駅前地下街 | 1967年 | 6月384.9 | |
愛知県 | 名古屋市 | エスカ地下街 | 1971年12月 | 29,179.60 | |
愛知県 | 名古屋市 | ゲートウォーク | 1976年11月 | 6,985.90 | |
愛知県 | 名古屋市 | ユニモール | 1970年11月 | 27,363.90 | |
愛知県 | 名古屋市 | ダイナード | 1963年 3月 | 896.3 | |
愛知県 | 名古屋市 | 名駅地下街サンロード | 1957年 | 3月11,347 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄名駅地下街 (メイチカ) |
1957年11月 | 1,983 | |
愛知県 | 名古屋市 | 中部近鉄百貨店 | 1966年11月 | 68.4 | |
愛知県 | 名古屋市 | 新名フード地下街 | 1957年 | 7月711.9 | |
愛知県 | 名古屋市 | ミヤコ地下街 | 1963年 | 9月3,599.80 | |
愛知県 | 名古屋市 | 伏見地下街 | 1957年11月 | 2,712.30 | |
愛知県 | 名古屋市 | サカエチカ | 1969年11月 | 14,250.7 | |
愛知県 | 名古屋市 | セントラルパーク地下街 | 1978年11月 | 56,369.50 | |
愛知県 | 名古屋市 | 森の地下街 | 1957年11月 | 13,337 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄栄北地下街 (四者統合→森の地下街) |
1978年11月 | 4,115.40 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄栄東地下街 (四者統合→森の地下街) |
1969年 | 9月3,410.10 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄栄地下街 (四者統合→森の地下街) |
1957年11月 | 836.7 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄栄南地下街 (四者統合→森の地下街) |
1965年 | 9月2,642.50 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄覚王山駅構内店舗 | 1963年 | 4月173.1 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄東山公園駅構内店舗 | 1963年 | 4月24.1 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄市役所駅構内店舗 | 1966年 1月 | 21.9 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄上前津地下街 | 1977年12月 | 705 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄金山地下街 | 1967年 3月 | 705.5 | |
愛知県 | 名古屋市 | 大曽根地下街オズガーデン | 2006年12月 | 1,119.67 | |
京都府 | 京都市 | 京都駅前地下街ポルタ | 1980年11月 | 24,339.20 | |
京都府 | 京都市 | ゼスト御池 | 1997年10月 | 32,120.00 | |
大阪府 | 大阪市 | ホワイティうめだ | 1963年11月 | 31,336.00 | |
大阪府 | 大阪市 | プチシャンゼリゼ (統合→ホワイティうめだ) |
1974年 | 8月3,737.10 | |
大阪府 | 大阪市 | ドーチカ | 1966年 | 7月7,963.50 | |
大阪府 | 大阪市 | 中之島地下街 | 1965年10月 | 3,512.00 | |
大阪府 | 大阪市 | なんばウォーク | 1970年 3月 | 3,6474.60 | |
大阪府 | 大阪市 | NAMBAなんなん | 1957年12月 | 7,157.50 | |
大阪府 | 大阪市 | あべちか | 1968年11月 | 9,244.90 | |
大阪府 | 大阪市 | ディアモール大阪 | 1995年10月 | 42,977.00 | |
大阪府 | 大阪市 | クリスタ長堀 | 1997年 5月 | 81,765.00 | |
大阪府 | 大阪市 | 京橋コムズガーデン | 1990年3月 | 7,960.00 | |
兵庫県 | 神戸市 | さんちか | 1965年10月 | 17,998.10 | |
兵庫県 | 神戸市 | メトロこうべ | 1968年 | 9月10,197.80 | |
兵庫県 | 神戸市 | デュオこうべ山の手 | 1974年10月 | 6,220.60 | |
兵庫県 | 神戸市 | デュオこうべ浜の手 | 1992年 | 9月10,862.50 | |
兵庫県 | 神戸市 | 神戸ハーバーランド | 1992年9月 | 6,072 | |
兵庫県 | 姫路市 | グランフェスタ | 1959年11月 | 7,000 | |
兵庫県 | 姫路市 | 名店街 (二者統合→グランフェスタ) |
1959年11月 | 4,586.80 | |
兵庫県 | 姫路市 | 駅東ビル地下ゴールド街 (二者統合→グランフェスタ) |
1974年12月 | 1,551.80 | |
岡山県 | 岡山市 | 岡山一番街 | 1974年 | 8月23,200.50 | |
岡山県 | 岡山市 | ペスカ岡山 | 1959年12月 | 2,342.90 | |
岡山県 | 岡山市 | 天地下タウン・中地下タウン | 1973年11月 | 452.4 | |
広島県 | 広島市 | 紙屋町シャレオ | 2001年 4月 | 25,210.00 | |
愛媛県 | 松山市 | まつちかタウン | 1971年 4月 | 4,596.00 | |
福岡県 | 福岡市 | 天神地下街 | 1976年 | 9月53,300.00 | |
福岡県 | 福岡市 | 博多駅地下街 | 1964年11月 | 5,423.70 | |
福岡県 | 福岡市 | 博多デイトス地下街 (博多デイトス) |
1975年 | 3月21,000 |
都道府県 | 都市 | 名称 | 開設 | 閉鎖 | 延床面積 (m2) |
画像 |
---|---|---|---|---|---|---|
千葉県 | 船橋市 | 船橋パール地下街[† 5] | 1967年10月 | 6,353.00 | ||
埼玉県 | 川口市 | 川口駅東口地下街 (正式名称不明)[† 6] |
1970年 | 8月1992年 | 6月||
東京都 | 千代田区 | 神田須田町地下鉄ストア | 1931年 4月 | 2011年 | 1月144 | |
東京都 | 中央区 | 三原橋地下街 | 1952年12月 | 2014年 | 4月1,429.00 | |
新潟県 | 長岡市 | JR長岡駅連絡地下道[† 7] | 不明 | 1989年10月 | ||
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄千種地下街 | 1960年 6月 | 2013年 | 3月531 | |
愛知県 | 名古屋市 | 地下鉄今池地下街 | 1960年 | 6月2013年 | 3月745.1 | |
石川県 | 金沢市 | 金沢駅前広場地下街 | 1963年10月 | 2017年 | 3月973.3 | |
熊本県 | 熊本市 | 熊本交通センタープラザ | 1969年 | 3月2015年 | 3月||
長崎県 | 佐世保市 | 佐世保駅前地下商店街[† 8] | 1957年10月 | 2002年 | 5月1,233.20 |
延床面積
以下は日本国内における2015年時点での単独地下街延床面積の上位5箇所である。
順位 | 地下街 | 所在地 | 延床面積 (2015年時点) |
商業面積 (2015年時点)[20] |
---|---|---|---|---|
1位 | クリスタ長堀 | 大阪府大阪市中央区 | 81,765m2 | 9,500m2 |
2位 | 八重洲地下街 | 東京都中央区 | 73,253m2 | 13,787m2 |
3位 | 川崎アゼリア | 神奈川県川崎市川崎区 | 56,706m2 | 10,706m2 |
4位 | セントラルパーク地下街 | 愛知県名古屋市中区 | 55,732m2 | 10,250m2 |
5位 | 天神地下街 | 福岡県福岡市中央区 | 53,300m2 | 11,500m2 |
脚注
注釈
- ^ エチカ池袋、エチカ表参道、京王モールアネックスなど。
- ^ 地下街と一体をなす地階部分の判定基準及び指定方法については、昭和50年3月11日消防安第32号「特定防火対象物の地階と地下街とが一体をなす場合の判定基準及び指定方法について(通知)」によるものとされている。同通知は201503,「緩衝帯を有する接続部の評価方法 」,一般財団法人 日本消防設備安全センター 大規模防火対象物の防火安全性のあり方検討会, に収録されている。
- ^ ルミネエスト新宿のうち駅前広場下部分が該当する。[1]
- ^ 2007年6月に一旦閉鎖。地下道としての運用ののち、改装を経て2014年11月1日に営業再開。(ありがとう「おだちか」 30年の歴史に幕)
- ^ 跡地は駐輪場、駐車場及び地下道に転用している。( 平成13年第4回船橋市議会定例会会議録(第1号・2))
- ^ 駅前再開発に伴い1992年6月30日に閉鎖、遺構は地下駐輪場に転用された。(時代とともに変わる地下道~川口駅地下道~)
- ^ 跡地は駐輪場に転用、駅前再開発の折にその地下道の延伸もされた。長岡市制100周年記念ページ。10月31日の項目
- ^ 佐世保駅高架化、移転にともない、従来の地下街は2002年5月に閉鎖。跡地は全て埋め戻され、その出入り口の形跡も今はない。
出典
- ^ a b c d 浅井建爾 2001, p. 200.
- ^ ベルリン公式サイト観光案内
- ^ 『東京地下鉄開通50周年記念 昭和を走った地下鉄』 帝都高速度交通営団 1977年12月6日刊
- ^ 大阪・梅田地下街:初の全体像 高低差7m、CGで再現、毎日新聞、2014年8月19日 15:00(最終更新 8月19日 16:33)。インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ 第1回地下街安心避難対策検討委員会,資料(別紙)
- ^ a b c d 東京ふしぎ探検隊(10) 大阪の地下街はなぜ1番ではないのか 日経電子版 2011年9月22日「NIKKEI STYLE」 2016年7月17日閲覧.
- ^ 道路局長通達「道路の管理について」建設省道発第一四七号 昭和三二年五月二九日
- ^ 道路局路政課長通達「道路の管理に関する取扱いについて」建設省道発第一四七号の二 昭和三二年五月二九日
- ^ a b 「地下街に関する基本方針について」昭和四十九年六月二十二日、建設省都計発第五十八号 ※平成13年6月廃止
- ^ 平成9年10月20日付建設省道政発第81号
- ^ 1994,建設省都市局都市計画課監修「地下空間の計画と整備」
- ^ 「消防法及び消防組織法の一部を改正する法律」昭和43年6月10日法律第95号
- ^ a b 消防年表
- ^ 「消防法施行令の一部を改正する政令」昭和49年7月1日 政令第252号
- ^ 昭和49年7月12日消防安第79号「消防法施行令の一部を改正する政令等の施行について」
- ^ 「消防法施行令の一部を改正する政令」昭和56年1月23日 政令第6号
- ^ 「地下街の取扱いについて」建設省都計発第71号、消防安第1号、警察庁乙交発第5号、鉄総第304号、昭和48年7月31日 ※その後、昭和55年に資源エネルギー庁を加え5省庁事務次官通達となった。さらに、平成13年6月(5省庁事務次官通達廃止)統廃合され「4省庁」となった関係省庁により「地下街の取扱いについて」の関係通達が廃止され、同時に「地下街中央連絡協議会」が廃止されるとともに「地下街に関する基本方針」等すべて廃止された。
- ^ 「地下街の取扱いについて」 昭和61年10月改正、「地下街に関する基本方針」昭和63年8月改正、※地下街の新・増設について「厳に抑制することとし、原則として認めない」こととされていた方針が転換され、防災対策の徹底を図ることを前提として緩和している。
- ^ 大都市における地震災害時の安全の確保について (PDF) (日本学術会議)
- ^ 全国都道府県別SC一覧 (PDF) (日本ショッピングセンター協会)
参考文献
- 浅井建爾『道と路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日。ISBN 4-534-03315-X。