「マッシモ・オッド」の版間の差分
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|クラブ10={{flagicon|ITA}} [[SSラツィオ|ラツィオ]] |年10=2002-2007 |出場10=135 |得点10=17 |
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|通算出場=428 |通算得点=36 |
|通算出場=428 |通算得点=36 |
2017年8月29日 (火) 11:33時点における版
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現役時代のオッド | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Massimo ODDO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1976年6月14日(48歳) | |||||
出身地 | チッタ・サンタンジェロ | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (RSB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1992-1993 | レナート・クーリ | |||||
1993-1995 | ミラン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1993 | レナート・クーリ | 3 | (0) | |||
1993-1999 | ミラン | 0 | (0) | |||
1995-1996 | → フィオレンツォーラ (loan) | 19 | (0) | |||
1996 | → モンツァ (loan) | 4 | (0) | |||
1996-1997 | → プラート (loan) | 16 | (0) | |||
1997-1998 | → レッコ (loan) | 20 | (1) | |||
1998-1999 | → モンツァ (loan) | 30 | (5) | |||
1999-2000 | ナポリ | 36 | (1) | |||
2000-2002 | ヴェローナ | 64 | (9) | |||
2002-2007 | ラツィオ | 135 | (17) | |||
2007-2012 | ミラン | 56 | (2) | |||
2008-2009 | → バイエルン (loan) | 18 | (0) | |||
2011-2012 | → レッチェ (loan) | 27 | (1) | |||
通算 | 428 | (36) | ||||
代表歴2 | ||||||
2002-2008 | イタリア [1] | 34 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
2013-2014 | ジェノア U-17 | |||||
2014-2015 | ペスカーラ U-20 | |||||
2015-2017 | ペスカーラ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年7月14日現在。 2. 2008年8月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マッシモ・オッド(Massimo Oddo, 1976年6月14日 - )は、イタリア、アブルッツォ州チッタ・サンタンジェロ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF (RSB)。
セリエA屈指のスピードを武器とした元イタリア代表右サイドバック。いわゆる遅咲きの部類に入る選手で、イタリア代表に至っては2003年以降に定着した。イタリア屈指のリゴリスタ(PK職人)でもある[要出典]。父親のフランチェスコ・オッドは元サッカー指導者。
経歴
選手時代
初期の経歴
ACミランの育成組織出身。トップチーム昇格後も2シーズンをベンチ要因として過ごし、出場機会を求めてレンタル移籍の形でセリエBやセリエCのチームを転々とする。
2000年にエラス・ヴェローナFCに完全移籍し、セリエAデビューを果たす。ここでの活躍が目に留まり、2002年にSSラツィオへの移籍が決まる。
ラツィオ
4シーズン半を過ごしたラツィオではUEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップでヨーロッパの舞台でプレーする機会を得た。ラツィオでの3年目にあたる2003-04シーズンにはコッパ・イタリアを獲得し、自身初のタイトルを経験した。
2006-07シーズンにはファビオ・リヴェラーニの後任としてキャプテンに任命された。2007年1月、移籍金750万ユーロ(約11億6千万円)とパスクアーレ・フォッジャとの交換で、実に12年ぶりに古巣ACミランへの復帰が決まった。
ミラン
移籍から数カ月後のチャンピオンズ・リーグ決勝では右サイドバックとして先発フル出場し、チームの優勝に貢献。しかし、翌シーズンは好不調の波が激しく、クロスの精度を欠くこともあり、チームも低迷する。2008年夏にはイタリア代表で同じポジションのジャンルカ・ザンブロッタがチームに加入し、控えにまわることが噂されたが、入れ替わる形でバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍した(故障離脱中のウィリー・サニョルの代役)。
翌2009-10シーズンにミラン復帰後は、左サイドにポジションを移したザンブロッタに代わり、若手のイグナツィオ・アバテと右サイドバックのポジションを争うことになった。2010年10月21日には残りの契約を1年間延長し、2012年6月30日までミランでプレーすることになった[2]。なお、同時期にザンブロッタも契約を延長している。
しかし、2010-11シーズンのリーグ戦出場はわずか7試合とチームの構想外となり、2011年夏にはUSレッチェへレンタル移籍。2011-12シーズン終了後に現役引退を発表した [3]。
指導者時代
ペスカーラ
プリマヴェーラでの指導を経て、2015年5月16日、成績不振で解任されたマルコ・バローニ監督の後任としてデルフィーノ・ペスカーラ1936の監督に就任した[4]。
代表歴
2002年にデビューを飾り、UEFA EURO 2004予選では7試合に出場した。2006年ドイツW杯では、ザンブロッタの控えとして優勝メンバーの一員となった。
所属クラブ
- ACミラン 1993-1995
- USフィオレンツォーラ1922 1995-1996
- カルチョ・モンツァ 1996
- ACプラート 1997
- USレッチェ 1997-1998
- カルチョ・モンツァ 1998-1999
- SSCナポリ 1999-2000
- エラス・ヴェローナFC 2000-2002
- SSラツィオ 2002-2007.1
- ACミラン 2007.1-2012
- → バイエルン・ミュンヘン 2008-2009 (loan)
- → USレッチェ 2011-2012 (loan)
指導歴
- ジェノアCFC U-17 2013-2014
- デルフィーノ・ペスカーラ1936 U-20 2014-2015
- デルフィーノ・ペスカーラ1936 2015.5-2017
タイトル
クラブ
- ラツィオ
- コッパ・イタリア : 2003-04
- ミラン
- セリエA : 2010-11
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2011
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2006-07
- UEFAスーパーカップ : 2007
- FIFAクラブワールドカップ : 2007
代表
- イタリア
脚注
- ^ “Massimo Oddo - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ Oddo extends Milan contract
- ^ “Massimo Oddo dice addio al calcio, ma in futuro si vede dietro una scrivania: "Mi piacerebbe fare il direttore sportivo, è il mio sogno"”. goal.com. (2012年6月6日)
- ^ “元伊代表のオッド氏、最終節前にセリエBのペスカーラ指揮官に就任”. サッカーキング. (2015年5月18日)