「ミッチェル・ランゲラック」の版間の差分
57行目: | 57行目: | ||
2010年5月12日、メルボルンがドルトムントの三度目のオファーを受け入れ、ランゲラクはドルトムントと4年間の契約を結んだ。ドルトムント加入後、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]2010-11シーズンにおいてランゲラクはクラブの第2ゴールキーパーとなり、リザーブチームではレギュラーになった。 |
2010年5月12日、メルボルンがドルトムントの三度目のオファーを受け入れ、ランゲラクはドルトムントと4年間の契約を結んだ。ドルトムント加入後、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]2010-11シーズンにおいてランゲラクはクラブの第2ゴールキーパーとなり、リザーブチームではレギュラーになった。 |
||
[[ローマン・ヴァイデンフェラー]]の怪我での離脱に伴い、[[バイエルン・ミュンヘン]]戦でブンデスリーガ初出場を果たした。試合は3-1で勝利し、ランゲラクは堅実なパフォーマンスを見せた。ヴァイデンフェラーが復帰するまで、ランゲラクはファーストチームに初めて加わり、[[DFBポカール]]第2ラウンドの[[1.FCディナモ・ドレスデン]]戦に出場した。[[ヴェストファーレンシュタディオン]]では多数の[[発炎筒]]が焚かれ、影響が懸念されたが勝利し、8万人超の観客の前で初めて無失点を記録できた喜びを試合後に[[ユルゲン・クロップ]]監督に見せた。 |
[[ローマン・ヴァイデンフェラー]]の怪我での離脱に伴い、[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦でブンデスリーガ初出場を果たした。試合は3-1で勝利し、ランゲラクは堅実なパフォーマンスを見せた。ヴァイデンフェラーが復帰するまで、ランゲラクはファーストチームに初めて加わり、[[DFBポカール]]第2ラウンドの[[1.FCディナモ・ドレスデン]]戦に出場した。[[ヴェストファーレンシュタディオン]]では多数の[[発炎筒]]が焚かれ、影響が懸念されたが勝利し、8万人超の観客の前で初めて無失点を記録できた喜びを試合後に[[ユルゲン・クロップ]]監督に見せた。 |
||
2012年5月12日、ドルトムントに移籍して丁度2年、[[DFBポカール]]決勝戦[[バイエルン・ミュンヘン]]戦にて、32分に交代出場した。これはヴァイデンフェラーの負傷によるもので、試合序盤の[[マリオ・ゴメス]]のチャレンジによるあばらの怪我が疑われた結果だった。ドルトムントは5-2で勝利してカップを手にし、2つのリーグタイトルに加えて、ランゲラクにとっての3つ目のタイトルとなった。 |
2012年5月12日、ドルトムントに移籍して丁度2年、[[DFBポカール]]決勝戦[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦にて、32分に交代出場した。これはヴァイデンフェラーの負傷によるもので、試合序盤の[[マリオ・ゴメス]]のチャレンジによるあばらの怪我が疑われた結果だった。ドルトムントは5-2で勝利してカップを手にし、2つのリーグタイトルに加えて、ランゲラクにとっての3つ目のタイトルとなった。 |
||
2013-2014シーズンでは開幕戦の[[FCアウクスブルク]]戦に出場し、4-0のクリーンシートで勝利した<ref>{{cite web|url=http://www.bvb.jp/news/4-0%ef%bc%9a%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%90%e3%83%a1%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%b4%bb%e8%ba%8d%e3%81%a7%e5%ae%8c%e7%92%a7%e3%81%aa%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%88/|title=4-0:オーバメヤンの活躍で完璧なスタート|date=11 August 2013|work=Borussia Dortmund 公式ホームページ|accessdate=16 September 2014}}</ref>。これで、ランゲラクがブンデスリーガのリーグ戦で出場したここまで7試合全てでドルトムントが勝利したことになる。 |
2013-2014シーズンでは開幕戦の[[FCアウクスブルク]]戦に出場し、4-0のクリーンシートで勝利した<ref>{{cite web|url=http://www.bvb.jp/news/4-0%ef%bc%9a%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%90%e3%83%a1%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%b4%bb%e8%ba%8d%e3%81%a7%e5%ae%8c%e7%92%a7%e3%81%aa%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%88/|title=4-0:オーバメヤンの活躍で完璧なスタート|date=11 August 2013|work=Borussia Dortmund 公式ホームページ|accessdate=16 September 2014}}</ref>。これで、ランゲラクがブンデスリーガのリーグ戦で出場したここまで7試合全てでドルトムントが勝利したことになる。 |
2017年8月29日 (火) 11:06時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
ミチェル・ジェームズ・ランゲラク Mitchell James Langerak[1] | |||||
ラテン文字 | Mitchell Langerak | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1988年8月22日(36歳) | |||||
出身地 | エメラルド | |||||
身長 | 193cm | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | VfBシュトゥットガルト | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-2002 | Tieri Tigers | |||||
2003-2005 | Bundaberg Waves | |||||
2006-2007 | オーストラリア国立スポーツ研究所 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2010 | メルボルン・ビクトリーFC | 21 | (0) | |||
2007 | → サウス・メルボルンFC (loan) | 14 | (0) | |||
2010-2012 | ボルシア・ドルトムント II | 10 | (0) | |||
2010-2015 | ボルシア・ドルトムント | 19 | (0) | |||
2015- | VfBシュトゥットガルト | 37 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2006 | オーストラリア U-20 | 5 | (0) | |||
2013- | オーストラリア | 6 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月21日現在。 2. 2015年4月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ミチェル・ジェームズ・ランゲラク(Mitchell James Langerak, 1988年8月22日 - )は、オーストラリア・エメラルド出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・VfBシュトゥットガルト所属。ポジションはゴールキーパー。
来歴
クラブ
メルボルン・ビクトリーFC
2007年、Aリーグのメルボルン・ビクトリーFCとの間に初めてのプロ契約を結ぶ[2]。入団後すぐ、出場時間と経験を得るため、そして余剰人員の放出のため、ビクトリアンプレミアリーグのサウス・メルボルンFCに期限付き移籍した。
期限付き移籍を終えると、ユージン・ガレコヴィッチがアデレード・ユナイテッドFCに移籍するまで、ランゲラクはメルボルン・ビクトリーの第3ゴールキーパーだった。彼のメルボルン・ビクトリーでのデビューは2007-2008シーズンのシドニーFC戦で、2失点を許し試合はドローに終わった[3]。
ガレコヴィッチがアデレード・ユナイテッドに移籍し、ランゲラクは第2ゴールキーパーとなった。第1ゴールキーパーのマイケル・セオが海外に移籍し、クラブはニュージーランド代表のグレン・モスをウェリントン・フェニックスFCから獲得した。モスが2009–10シーズンの第1ゴールキーパーとなり、ランゲラクはレギュラーの座を掴むことができなかった。
2010年4月13日、メルボルンはボルシア・ドルトムントによるランゲラク獲得オファーを断ったが、話し合いはまだ続いていると発表した。2010年5月4日、ドルトムントは再びオファーを出すものの、またしてもメルボルン側に拒否された。
ボルシア・ドルトムント
2010年5月12日、メルボルンがドルトムントの三度目のオファーを受け入れ、ランゲラクはドルトムントと4年間の契約を結んだ。ドルトムント加入後、ブンデスリーガ2010-11シーズンにおいてランゲラクはクラブの第2ゴールキーパーとなり、リザーブチームではレギュラーになった。
ローマン・ヴァイデンフェラーの怪我での離脱に伴い、バイエルン・ミュンヘン戦でブンデスリーガ初出場を果たした。試合は3-1で勝利し、ランゲラクは堅実なパフォーマンスを見せた。ヴァイデンフェラーが復帰するまで、ランゲラクはファーストチームに初めて加わり、DFBポカール第2ラウンドの1.FCディナモ・ドレスデン戦に出場した。ヴェストファーレンシュタディオンでは多数の発炎筒が焚かれ、影響が懸念されたが勝利し、8万人超の観客の前で初めて無失点を記録できた喜びを試合後にユルゲン・クロップ監督に見せた。
2012年5月12日、ドルトムントに移籍して丁度2年、DFBポカール決勝戦バイエルン・ミュンヘン戦にて、32分に交代出場した。これはヴァイデンフェラーの負傷によるもので、試合序盤のマリオ・ゴメスのチャレンジによるあばらの怪我が疑われた結果だった。ドルトムントは5-2で勝利してカップを手にし、2つのリーグタイトルに加えて、ランゲラクにとっての3つ目のタイトルとなった。
2013-2014シーズンでは開幕戦のFCアウクスブルク戦に出場し、4-0のクリーンシートで勝利した[4]。これで、ランゲラクがブンデスリーガのリーグ戦で出場したここまで7試合全てでドルトムントが勝利したことになる。
2013年9月18日、ヴァイデンフェラーの退場によってチャンピオンズリーグSSCナポリ戦に出場し、これがチャンピオンズリーグデビューとなる。この試合でランゲラクはロレンツォ・インシーニェのシュートを止めようとしてゴールポストに激突し、前歯2本を折ってしまう[5]。
2014年8月23日、2014-2015シーズン開幕戦のバイエル・レバークーゼン戦において、開始わずか9秒でのゴールを許してしまう。これはブンデスリーガ史上最速得点記録で、ドルトムントは0-2で破れた[6]。
VfBシュトゥットガルト
2015年6月29日、VfBシュトゥットガルトへ2018年6月までの3年契約で完全移籍した[7]。
代表
オーストラリア代表U-20に選出され、AFCユース選手権2006に参加した。フル代表に招集されたのは2011年3月で、ドイツと戦う「17-man squad」と、ホルガー・オジェックに名付けられた一員となった。
ランゲラクがオーストラリア代表デビューをしたのは2013年10月12日のことで、フランスとの親善試合においてだった。この試合では、フランク・リベリー、オリヴィエ・ジルー、ヨアン・キャバイェ、マテュー・ドゥビュシー、カリム・ベンゼマの得点を許し、6-0の大敗を喫した。この試合はホルガー・オジェックのオーストラリア代表監督としての最後の試合となり、この試合の結果を受けてすぐに彼は解雇された。代表としての2度目の出場はカナダ戦で、ジョシュア・ケネディ、ダリオ・ヴィドシッチ、マシュー・レッキーの得点により、3-0で勝利した。2014 FIFAワールドカップオーストラリア代表の23名のメンバーに選出された。
個人成績
- 2016年5月21日現在
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | サウス・メルボルン | ビクトリアンプレミアリーグ | 14 | 0 | - | - | 14 | 0 | |||
2007-08 | メルボルン・ビクトリー | Aリーグ | 1 | 0 | - | 3 | 0 | 4 | 0 | ||
2008-09 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 5 | 0 | ||||
2009-10 | 16 | 0 | - | - | 16 | 0 | |||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2010-11 | ボルシア・ドルトムント | ブンデス1部 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
2011-12 | 2 | 0 | - | 3 | 0 | 5 | 0 | ||||
2012-13 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | ||||
2013-14 | 4 | 0 | - | 3 | 0 | 7 | 0 | ||||
2014-15 | 9 | 0 | - | 6 | 0 | 15 | 0 | ||||
2015-16 | シュトゥットガルト | 1 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | ||
2016-17 | ブンデス2部 | 34 | 0 | - | 2 | 0 | 36 | 0 | |||
通算 | オーストラリア | ビクトリアンプレミアリーグ | 14 | 0 | - | - | 14 | 0 | |||
オーストラリア | Aリーグ | 21 | 0 | - | 4 | 0 | 25 | 0 | |||
ドイツ | ブンデス1部 | 19 | 0 | - | 12 | 0 | 31 | 0 | |||
ドイツ | ブンデス2部 | 34 | 0 | - | 2 | 0 | 36 | 0 | |||
総通算 | 88 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | 106 | 0 |
国際大会個人成績 | FIFA | 期間通算 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | AFC CL | AFC CUP | CWC | 期間通算 | ||||||
2007-08 | メルボルン・ビクトリー | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | |||
2009-10 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||||
UEFA | UEFA CL | UEFA EL | CWC | 期間通算 | ||||||
2010-11 | ボルシア・ドルトムント | - | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
2011-12 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
2012-13 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
2013-14 | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||||
2014-15 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||
通算 | AFC | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |
UEFA | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
総通算 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
代表歴
出場大会
- U-20オーストラリア代表
- オーストラリア代表
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ (グループリーグ敗退)
- 2015年 - AFCアジアカップ2015 (優勝)
試合数
国際Aマッチ 6試合 0得点(2013年- )
オーストラリア代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2013 | 2 | 0 |
2014 | 3 | 0 |
2015 | 1 | 0 |
通算 | 6 | 0 |
タイトル
クラブ
- Aリーグ プレシーズンチャレンジカップ:1回 (2008)
- Aリーグ チャンピオンシップ:1回 (2008-09)
- Aリーグ プレミアシップ:1回 (2008-09)
- ブンデスリーガ:2回 (2010-11, 2011-12)
- DFBポカール:1回 (2011-12)
- DFLスーパーカップ:2回 (2013, 2014)
代表
個人
- PFAハリー・キューウェルメダル:1回 (2009-10)
脚注
- ^ “2014 FIFA World Cup Brazil: List of Players” (PDF). FIFA. (11 June 2014). p. 3 16 September 2014閲覧。
- ^ “Kevin Muscat top shelf”. Herald Sun. (24 February 2007) 16 September 2014閲覧。
- ^ “Mitch Langerak is keeping up”. The Age (26 September 2008). 16 September 2014閲覧。
- ^ “4-0:オーバメヤンの活躍で完璧なスタート”. Borussia Dortmund 公式ホームページ (11 August 2013). 16 September 2014閲覧。
- ^ “ベンダー:「次は最高の結果を出さないとね!」”. Borussia Dortmund 公式ホームページ (21 September 2013). 16 September 2014閲覧。
- ^ “ブンデスリーガ史上最速ゴール”. Borussia Dortmund 公式ホームページ (24 August 2014). 16 September 2014閲覧。
- ^ “Der VfB verpflichtet Mitchell Langerak”. VfBシュトゥットガルト公式ホームページ (29 June 2015). 29 June 2015閲覧。
外部リンク