「ピオトル・トロホウスキ」の版間の差分
m Category:バイエルン・ミュンヘンの選手を除去; Category:FCバイエルン・ミュンヘンの選手を追加 (HotCat使用) |
|||
38行目: | 38行目: | ||
=== クラブ === |
=== クラブ === |
||
9歳の時にBillsted Hornでサッカーをはじめ、その後は[[SCコンコルディア・ハンブルク]]、[[FCザンクトパウリ]]の下部組織でプレーした。1999年に[[バイエルン・ミュンヘン]]の下部組織に移り、2001年にバイエルン・ミュンヘンIIに昇格した。2003年にトップチーム初出場を果たしたが、出場機会は少なく、2005年1月に故郷のハンブルクにある[[ハンブルガーSV]]に移籍した。[[トーマス・ドル]]監督に出場機会を与えられ、自らの価値を証明した。2005年9月24日のバイエルン戦(2-0)では古巣相手に1得点1アシストの活躍を見せた。2005-06シーズンにはレギュラーに定着して5得点を挙げ、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を獲得に貢献した。 |
9歳の時にBillsted Hornでサッカーをはじめ、その後は[[SCコンコルディア・ハンブルク]]、[[FCザンクトパウリ]]の下部組織でプレーした。1999年に[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]の下部組織に移り、2001年にバイエルン・ミュンヘンIIに昇格した。2003年にトップチーム初出場を果たしたが、出場機会は少なく、2005年1月に故郷のハンブルクにある[[ハンブルガーSV]]に移籍した。[[トーマス・ドル]]監督に出場機会を与えられ、自らの価値を証明した。2005年9月24日のバイエルン戦(2-0)では古巣相手に1得点1アシストの活躍を見せた。2005-06シーズンにはレギュラーに定着して5得点を挙げ、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を獲得に貢献した。 |
||
2011年4月5日、シーズン終了後に[[リーガ・エスパニョーラ]]の[[セビージャFC]]に移籍することが合意に達した。2010-11シーズン後半戦はハンブルガーSVにとって扱いづらい選手であり、ウィンターブレーク明けにはめっきり出場機会が減っていた<ref>{{cite web | url = http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/startseite/550769/artikel_piotr-trochowski_neuer-anlauf-in-sevilla.html | title = Piotr Trochowski: Neuer Anlauf in Sevilla | language = German | publisher = kicker.de |date=2011-04-05 |accessdate=2011-04-06}}</ref>。 |
2011年4月5日、シーズン終了後に[[リーガ・エスパニョーラ]]の[[セビージャFC]]に移籍することが合意に達した。2010-11シーズン後半戦はハンブルガーSVにとって扱いづらい選手であり、ウィンターブレーク明けにはめっきり出場機会が減っていた<ref>{{cite web | url = http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/startseite/550769/artikel_piotr-trochowski_neuer-anlauf-in-sevilla.html | title = Piotr Trochowski: Neuer Anlauf in Sevilla | language = German | publisher = kicker.de |date=2011-04-05 |accessdate=2011-04-06}}</ref>。 |
2017年8月29日 (火) 10:39時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
ハンブルガーSV時代 (2009年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Piotr Trochowski | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ドイツ ポーランド | |||||
生年月日 | 1984年3月22日(40歳) | |||||
出身地 | トチェフ | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FCアウクスブルク | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 15 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2003 | バイエルンII | 38 | (8) | |||
2003-2005 | バイエルン | 13 | (1) | |||
2005-2011 | ハンブルガーSV | 180 | (20) | |||
2011-2015 | セビージャ | 59 | (3) | |||
2015-2016 | アウクスブルク | 6 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2001 | ドイツU-18 | 5 | (1) | |||
2003 | ドイツU-20 | 13 | (5) | |||
2004-2006 | ドイツU-21 | 15 | (2) | |||
2006-2010 | ドイツ | 35 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月19日現在。 2. 2010年7月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ピオトル・トロホウスキ(Piotr Trochowski, 1984年3月22日 - )は、ポーランド・トチェフ出身でドイツ国籍のサッカー選手。FCアウクスブルク所属。ドイツ代表である。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。
経歴
出自
彼の家系は1919年までドイツ帝国の領域(旧ドイツ東部領土)であった西プロイセンに由来しており、ゲルマン人ではなくスラブ人であったが、法的にドイツの系譜を受け継いでおり、すべての祖父母はドイツ国籍を有していた[1]。ピオトル・トロホウスキはポーランド・ポモージェ県のトチェフに生まれ、彼が5歳の時、両親とともに帰還権を行使してドイツのハンブルクに移住した[2]。
クラブ
9歳の時にBillsted Hornでサッカーをはじめ、その後はSCコンコルディア・ハンブルク、FCザンクトパウリの下部組織でプレーした。1999年にバイエルン・ミュンヘンの下部組織に移り、2001年にバイエルン・ミュンヘンIIに昇格した。2003年にトップチーム初出場を果たしたが、出場機会は少なく、2005年1月に故郷のハンブルクにあるハンブルガーSVに移籍した。トーマス・ドル監督に出場機会を与えられ、自らの価値を証明した。2005年9月24日のバイエルン戦(2-0)では古巣相手に1得点1アシストの活躍を見せた。2005-06シーズンにはレギュラーに定着して5得点を挙げ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得に貢献した。
2011年4月5日、シーズン終了後にリーガ・エスパニョーラのセビージャFCに移籍することが合意に達した。2010-11シーズン後半戦はハンブルガーSVにとって扱いづらい選手であり、ウィンターブレーク明けにはめっきり出場機会が減っていた[3]。
2015年7月21日、FCアウクスブルクへ移籍[4]。4シーズンぶりにドイツへ復帰した。
代表
ポーランドで生まれたため、ポーランド代表を選択する権利も有していた。ピオトルの母親はポーランドサッカー協会(Polish Football Association)に何度も手紙を出し、ピオトルが優れた才能の持ち主であることや、彼がポーランド代表招集に乗り気であることを知らせた[5]。しかし、ポーランドサッカー協会は彼に興味を示さず、彼はドイツ代表を選択することとなった。2005年8月に行われたインタビューで「僕の心はドイツよりもポーランドにある。でもポーランドサッカー協会の人間は誰ひとり僕に関心を示さなかった。それでドイツ代表でプレーすることを選んだ。僕の母が(ポーランドサッカー協会に)送った手紙に返信はなかった。そしてドイツサッカー協会は僕に興味を示したからね」と語った[2]。しかしドイツのディ・ヴェルト紙では「もし過去に戻れたとしてもドイツ代表でプレーすることを望んだろう。学校は楽しいし、ここでサッカーの技術を得たから」と語っている[6]。2003年にはU-20ドイツ代表としてFIFAワールドユース選手権に参加した。ハンブルガーSVに移籍して1年後にはドイツA代表のヨアヒム・レーヴ監督が初めて彼を招集し、2006年10月7日のジョージアとの親善試合でデビューを飾った。UEFA欧州選手権2008予選では6試合に出場し、UEFA欧州選手権2008本大会にも出場した。2008年10月15日、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のウェールズ戦で代表初得点を決めた。
人物
3人の兄弟はいずれもセミプロのサッカー選手である[6]。従兄のクリスティアン・トロホウスキはラグビードイツ代表の選手である[7]。
タイトル
クラブ
- セビージャFC
- UEFAヨーロッパリーグ: 2013-2014
代表
- ドイツ代表
- FIFAワールドカップ 3位 : 2010
- UEFA欧州選手権 準優勝 : 2008
個人成績
クラブでの出場記録
- 2010年5月16日時点
クラブ成績 | リーグ | カップ | 国際大会 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
ドイツ | リーグ | DFBポカール | ヨーロッパ | 通算 | ||||||
2001–02 | バイエルンII | レギオナルリーガ南部 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 |
2002–03 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | ||
バイエルン | ブンデスリーガ | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |
2003–04 | 10 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 11 | 2 | ||
バイエルンII | レギオナルリーガ南部 | 17 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 6 | |
2004–05 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | ||
ハンブルガーSV | ブンデスリーガ | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |
2005–06 | 32 | 5 | 3 | 0 | 16 | 2 | 51 | 7 | ||
2006–07 | 26 | 2 | 1 | 0 | 8 | 1 | 35 | 3 | ||
2007–08 | 32 | 1 | 4 | 2 | 14 | 3 | 50 | 6 | ||
2008–09 | 31 | 5 | 3 | 0 | 5 | 0 | 39 | 5 | ||
2009–10 | 33 | 4 | 1 | 3 | 13 | 2 | 47 | 9 | ||
2010–11 | 21 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 22 | 2 | ||
総通算 | 229 | 28 | 16 | 6 | 56 | 8 | 301 | 42 |
代表での得点
# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2008年10月15日 | メンヒェングラートバッハ | ウェールズ | 1–0 | 1-0 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
2. | 2009年6月2日 | アブダビ | アラブ首長国連邦 | 0-3 | 2-7 | 親善試合 |
脚注
- ^ Gazeta W.; SPIEGEL 22032010, p. 21
- ^ a b Łukasz Pałucha (2005年8月21日). “Piotr Trochowski - mówią o nim Zidane” (Polish). Gazeta Wyborcza. 2009年4月5日閲覧。
- ^ “Piotr Trochowski: Neuer Anlauf in Sevilla” (German). kicker.de (2011年4月5日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “Trochowski erhält Vertrag beim FCA” (German). FCアウクスブルク公式 (2015年7月21日). 2015年7月22日閲覧。
- ^ “Trochowski: Polski nigdy się nie wyrzekłem” (Polish) (2008年4月25日). 2009年4月5日閲覧。
- ^ a b Kai Behrmann (2008年6月7日). “Familie Trochowski jubelt über deutsche Tore - auf Polnisch” (German). welt.de. 2009年8月25日閲覧。
- ^ “TotalRugby-XV der Hinrunde 2009/2010 - Props” (German) (18 December 2009). 16 March 2010閲覧。
外部リンク
- Piotr Trochowski at transfermarkt.de
- Piotr Trochowski - fussballdaten.de