コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「黒部光昭」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:FCバイエルン・ミュンヘン関連 - log
50行目: 50行目:
2005年にはフル代表への意欲からJ1クラブへの移籍を望み、FW[[大久保嘉人]]が退団した[[セレッソ大阪]]へレンタル移籍。7月24日に徳島にフットサル場「シーサイドフットサル徳島」をオープン、現役Jリーガー初のオーナー経営者となる。9月3日には地元の小学生のサッカーチームを集めて「第一回 クロベカップ少年サッカー大会」を開催。
2005年にはフル代表への意欲からJ1クラブへの移籍を望み、FW[[大久保嘉人]]が退団した[[セレッソ大阪]]へレンタル移籍。7月24日に徳島にフットサル場「シーサイドフットサル徳島」をオープン、現役Jリーガー初のオーナー経営者となる。9月3日には地元の小学生のサッカーチームを集めて「第一回 クロベカップ少年サッカー大会」を開催。


2006年は[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]へ京都よりレンタル移籍したが、その年にリーグ得点王となった[[ワシントン・ステカネロ・セルケイラ|ワシントン]]とポジションを争う形となり、出場機会に恵まれなかった。なお、この年に行われたさいたまシティカップの対[[バイエルン・ミュンヘン]]戦で決勝点となるゴールを決めている。
2006年は[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]へ京都よりレンタル移籍したが、その年にリーグ得点王となった[[ワシントン・ステカネロ・セルケイラ|ワシントン]]とポジションを争う形となり、出場機会に恵まれなかった。なお、この年に行われたさいたまシティカップの対[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦で決勝点となるゴールを決めている。


2007年に[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ市原・千葉]]へ完全移籍。
2007年に[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ市原・千葉]]へ完全移籍。

2017年8月29日 (火) 10:21時点における版

黒部 光昭
名前
愛称 クロ
カタカナ クロベ テルアキ
ラテン文字 KUROBE Teruaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-03-06) 1978年3月6日(46歳)
出身地 徳島県阿南市
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2006 日本の旗 京都パープルサンガ 138 (62)
2005 日本の旗 セレッソ大阪 (loan) 32 (5)
2006 日本の旗 浦和レッズ (loan) 9 (0)
2007 日本の旗 ジェフ市原・千葉 (loan) 11 (0)
2008-2009 日本の旗 アビスパ福岡 23 (1)
2010-2013 日本の旗 カターレ富山 100 (22)
2014 タイ王国の旗 TTMカスタムズFC
代表歴
2003-2004[1] 日本の旗 日本 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年1月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

黒部 光昭(くろべ てるあき、1978年3月6日 - )は徳島県阿南市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。元日本代表。

来歴

アマチュア時代

小学2年でサッカーを始める。徳島県立徳島商業高等学校時代、全国高校サッカー選手権大会徳島県大会で3年間連続して決勝へ勝ち進んだが全て準優勝だった。Jリーグクラブからのオファーはあったが、福岡大学へ進学。大学サッカー屈指のストライカーとして活躍し、ユニバーシアード(スペイン・マリョルカ大会)の日本代表にも選ばれた。大学では教員免許を取得した。

2000年 - 2004年(京都サンガ時代)

大学卒業後、京都パープルサンガに入団。

プロ1年目の2000年は三浦知良へジスの陰に隠れていてゴールを決めることができなかったが、2年目の2001年には背番号9をもらい、この年41試合で日本人として驚異的な30ゴールを決めJ2ゴールランキング2位、日本人ゴールランキング1位に輝いた。

2002年には松井大輔朴智星らとともに破壊力抜群の攻撃的なサッカーを展開し、3-4-3のフォーメーションのセンターフォワードとしてチームトップ、日本人ゴールランキング3位の13得点をあげた。また天皇杯では5試合で4得点を上げ優勝に貢献。決勝の鹿島アントラーズ戦では決勝点を挙げた[2]

2003年にはフル代表に初選出されるが怪我などで苦しいシーズンを送り、チームも来季よりJ2へ降格することとなった。

2004年はJ2で戦うことを決意したが、代表から漏れチームもJ1に昇格できず本人も9得点と不本意なシーズンを送った。

2005年以降

2005年にはフル代表への意欲からJ1クラブへの移籍を望み、FW大久保嘉人が退団したセレッソ大阪へレンタル移籍。7月24日に徳島にフットサル場「シーサイドフットサル徳島」をオープン、現役Jリーガー初のオーナー経営者となる。9月3日には地元の小学生のサッカーチームを集めて「第一回 クロベカップ少年サッカー大会」を開催。

2006年は浦和レッズへ京都よりレンタル移籍したが、その年にリーグ得点王となったワシントンとポジションを争う形となり、出場機会に恵まれなかった。なお、この年に行われたさいたまシティカップの対バイエルン・ミュンヘン戦で決勝点となるゴールを決めている。

2007年にジェフ市原・千葉へ完全移籍。

2008年はアビスパ福岡に完全移籍し2シーズンプレー。

2009年シーズンオフにJリーグ合同トライアウトを受け、2010年からカターレ富山に完全移籍。チーム最多得点となる8得点をあげた。

2013年シーズン終了後、契約満了により退団[3]タイ・ディヴィジョン1リーグTTMカスタムズFCへ移籍[4]

2015年3月、現役引退を発表した[5]。同年12月、カターレ富山強化部長に就任した[6]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 福岡大 10 - - - 2 2 2 2
1999 - - 2 1 2 1
2000 京都 16 J1 12 0 5 1 1 0 18 1
2001 9 J2 41 30 2 0 0 0 43 30
2002 J1 27 13 6 1 5 4 38 18
2003 23 10 1 2 1 0 25 12
2004 J2 35 9 - 1 0 36 9
2005 C大阪 10 J1 32 5 8 0 3 1 43 6
2006 浦和 12 9 0 4 0 1 0 14 0
2007 千葉 9 11 0 5 1 0 0 16 1
2008 福岡 J2 23 1 - 1 0 24 1
2009 32 3 - 2 1 34 4
2010 富山 27 8 - 1 0 28 8
2011 30 9 - 1 1 31 10
2012 29 5 - 0 0 29 5
2013 14 0 - 0 0 14 0
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2014 TTM Div1
通算 日本 J1 114 28 29 5 11 5 154 38
日本 J2 231 65 2 0 6 2 239 67
日本 - - 4 3 4 3
タイ Div1
総通算 345 93 31 5 21 10 387 108

その他の公式戦


代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(2003年 - 2004年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2003 3 0
2004 1 0
通算 4 0

関連項目

出典

  1. ^ a b 黒部 光昭”. サッカー日本代表データベース. 2014年1月24日閲覧。
  2. ^ 京都の希望、関西の希望”. ジェレミー・ウォーカーのA View From A Brit (2003年1月3日). 2013年8月31日閲覧。
  3. ^ 契約満了選手のお知らせ”. カターレ富山 (2013年11月29日). 2013年11月29日閲覧。
  4. ^ "黒部光昭選手 TTMカスタムズFC(タイ)へ加入のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 24 January 2014.
  5. ^ 引退。”. 黒部光昭 公式Webサイト (2015年3月6日). 2015年3月6日閲覧。
  6. ^ 黒部光昭氏 強化部長就任内定のお知らせ”. カターレ富山 (2015年12月7日). 2015年12月8日閲覧。

外部リンク