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2000年夏、[[デポルティーボ・ラ・コルーニャ]]に移籍し、4-5-1フォーメーションでの[[ロイ・マカーイ]]などとの連携で相手を恐怖に陥れた。2000-01シーズンはマカーイがワントップのレギュラーであり、試合に継続的に出場できなかったトリスタンは移籍を匂わせたが、2001-02シーズンには絶対的なレギュラーとなり、リーグ戦で21得点を挙げて得点王([[ピチーチ賞]])となった。同シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]では6得点、[[コパ・デル・レイ]]では5得点を挙げ、シーズンを通じての得点数は32点に及んだ<ref>[http://www.uefa.com/memberassociations/news/newsid=19659.html Golden Shoe: Tristán moves up after treble] UEFA.com、2002年3月18日</ref>。2002年4月7日の[[RCDマジョルカ]]戦(5-0)ではハットトリックを達成している<ref>[http://www.uefa.com/memberassociations/news/newsid=21121.html Tristán treble lifts Deportivo] UEFA.com、2002年4月8日</ref>。 |
2000年夏、[[デポルティーボ・ラ・コルーニャ]]に移籍し、4-5-1フォーメーションでの[[ロイ・マカーイ]]などとの連携で相手を恐怖に陥れた。2000-01シーズンはマカーイがワントップのレギュラーであり、試合に継続的に出場できなかったトリスタンは移籍を匂わせたが、2001-02シーズンには絶対的なレギュラーとなり、リーグ戦で21得点を挙げて得点王([[ピチーチ賞]])となった。同シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]では6得点、[[コパ・デル・レイ]]では5得点を挙げ、シーズンを通じての得点数は32点に及んだ<ref>[http://www.uefa.com/memberassociations/news/newsid=19659.html Golden Shoe: Tristán moves up after treble] UEFA.com、2002年3月18日</ref>。2002年4月7日の[[RCDマジョルカ]]戦(5-0)ではハットトリックを達成している<ref>[http://www.uefa.com/memberassociations/news/newsid=21121.html Tristán treble lifts Deportivo] UEFA.com、2002年4月8日</ref>。 |
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しかしその後、スペイン代表招集中に足首を負傷し、[[ヨーロッパ・ゴールデンシュー]]を獲得したマカーイに完全にポジションを奪われた。2002-03シーズンはベンチ生活を余儀なくされ、リーグ戦では23試合に出場して9得点に終わったが、公式戦全体では19得点を挙げた。2003年6月にマカーイが[[バイエルン・ミュンヘン]]に移籍すると、トリスタンは調子や自信を落とした。2003-04シーズンはチームの公式戦56試合のうち出場しなかったのは8試合だけであったが、フル出場はわずかに10試合で、20試合は途中出場であったため、得点は13点(リーグ戦で8点、コパ・デル・レイで2点、UEFAチャンピオンズリーグで3点)に終わった。6シーズン在籍したデポルティーボではリーグ戦で87得点を挙げ、[[ファン・カルロス・バレロン]]の代わりにトップ下を務めたこともあった。2006年9月1日、[[リオネル・スカローニ]]とともに戦力外通告を受けた<ref>[http://soccernet.espn.go.com/news/story?id=377750&cc=5739 Deportivo's Tristán and Scaloni released from contracts] ESPNsoccernet、2006年9月1日</ref>。 |
しかしその後、スペイン代表招集中に足首を負傷し、[[ヨーロッパ・ゴールデンシュー]]を獲得したマカーイに完全にポジションを奪われた。2002-03シーズンはベンチ生活を余儀なくされ、リーグ戦では23試合に出場して9得点に終わったが、公式戦全体では19得点を挙げた。2003年6月にマカーイが[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍すると、トリスタンは調子や自信を落とした。2003-04シーズンはチームの公式戦56試合のうち出場しなかったのは8試合だけであったが、フル出場はわずかに10試合で、20試合は途中出場であったため、得点は13点(リーグ戦で8点、コパ・デル・レイで2点、UEFAチャンピオンズリーグで3点)に終わった。6シーズン在籍したデポルティーボではリーグ戦で87得点を挙げ、[[ファン・カルロス・バレロン]]の代わりにトップ下を務めたこともあった。2006年9月1日、[[リオネル・スカローニ]]とともに戦力外通告を受けた<ref>[http://soccernet.espn.go.com/news/story?id=377750&cc=5739 Deportivo's Tristán and Scaloni released from contracts] ESPNsoccernet、2006年9月1日</ref>。 |
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==== RCDマジョルカ復帰 ==== |
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2017年8月29日 (火) 10:20時点における版
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名前 | ||||||
本名 |
ディエゴ・トリスタン・エレーラ Diego Tristán Herrera | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1976年1月5日(48歳) | |||||
出身地 | セビリア | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1998 | レアル・ベティスB | 95 | (23) | |||
1998-1999 | マジョルカB | 39 | (15) | |||
1999-2000 | マジョルカ | 35 | (18) | |||
2000-2006 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 177 | (87) | |||
2006-2007 | マジョルカ | 13 | (0) | |||
2007-2008 | リヴォルノ | 21 | (1) | |||
2008-2009 | ウェストハム | 14 | (3) | |||
2009-2010 | カディス | 29 | (8) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2003 | スペイン | 15 | (4) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ディエゴ・トリスタン・エレーラ(Diego Tristán Herrera, 1976年1月5日 - )は、スペイン出身の元サッカー選手。スペイン代表であった。ポジションはFW。
リーガ・エスパニョーラ通算227試合出場95得点の実績を誇っている。スペイン代表としては2002 FIFAワールドカップに出場した。
経歴
クラブ
RCDマジョルカ
セビージャ県ラ・アルガバに生まれ、レアル・ベティスの下部組織で育った。その後RCDマジョルカの下部組織に移り、1998-99シーズンにトップチームからデビューすると、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めた。1999-2000シーズンにはCDヌマンシア戦でプリメーラ・ディビシオンデビューして初得点も決め、最終的にはトップリーグ初挑戦ながら18得点を決めた。2000年夏にはレアル・マドリードに移籍しかけたが、レアル・マドリードのロレンソ・サンス会長が退任し、スター選手を好んで獲得するフロレンティーノ・ペレス会長が就任したため、移籍は取り止められた。
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
2000年夏、デポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍し、4-5-1フォーメーションでのロイ・マカーイなどとの連携で相手を恐怖に陥れた。2000-01シーズンはマカーイがワントップのレギュラーであり、試合に継続的に出場できなかったトリスタンは移籍を匂わせたが、2001-02シーズンには絶対的なレギュラーとなり、リーグ戦で21得点を挙げて得点王(ピチーチ賞)となった。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは6得点、コパ・デル・レイでは5得点を挙げ、シーズンを通じての得点数は32点に及んだ[1]。2002年4月7日のRCDマジョルカ戦(5-0)ではハットトリックを達成している[2]。
しかしその後、スペイン代表招集中に足首を負傷し、ヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得したマカーイに完全にポジションを奪われた。2002-03シーズンはベンチ生活を余儀なくされ、リーグ戦では23試合に出場して9得点に終わったが、公式戦全体では19得点を挙げた。2003年6月にマカーイがバイエルン・ミュンヘンに移籍すると、トリスタンは調子や自信を落とした。2003-04シーズンはチームの公式戦56試合のうち出場しなかったのは8試合だけであったが、フル出場はわずかに10試合で、20試合は途中出場であったため、得点は13点(リーグ戦で8点、コパ・デル・レイで2点、UEFAチャンピオンズリーグで3点)に終わった。6シーズン在籍したデポルティーボではリーグ戦で87得点を挙げ、ファン・カルロス・バレロンの代わりにトップ下を務めたこともあった。2006年9月1日、リオネル・スカローニとともに戦力外通告を受けた[3]。
RCDマジョルカ復帰
ボルトン・ワンダラーズFCなど、スペイン国内外から獲得への関心が示されたが、2006年9月、古巣RCDマジョルカに移籍した[4]。しかし、コンディション不良が続き、得点を奪うこともできなかったため、2007年1月31日に放出された。同年夏までの半年間は無所属状態であった。
ASリヴォルノ・カルチョ
2007年7月、FCシャフタール・ドネツクに移籍したクリスティアーノ・ルカレッリの後釜を探していた、イタリア・セリエAのASリヴォルノ・カルチョと1年契約を結んだ[5]。2007-08シーズンはわずか1得点しか挙げられず、チームもセリエBに降格した。
ウェストハム・ユナイテッドFC
2008-09シーズン開始時点で所属クラブがなかったが、2008年9月30日からプレミアリーグ・ウェストハム・ユナイテッドFCのトライアルを受け[6]、10月14日に契約を交わした[7]。12月8日のトッテナム・ホットスパーFC戦(0-2)の83分に途中出場してデビューし[8]、12月28日のストーク・シティFC戦(2-1)で途中出場から移籍後初得点を決めた[9]。2008-09シーズン終了後にウェストハムを退団した。
カディスCF
2009年7月24日、セグンダ・ディビシオン(2部)のカディスCFに移籍し、14シーズンぶりにアンダルシア州内のクラブに戻った[10]。2009-10シーズンは調子を取り戻し、最後の試合となったCDヌマンシア戦(4-2)では2得点を挙げたが、クラブは19位でセグンダ・ディビシオンB(3部)降格が決定した。
代表
デポルティーボ・ラ・コルーニャでの活躍が認められ、2001年6月2日、2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のボスニア・ヘルツェゴビナ戦(4-1)でスペイン代表デビューし、この試合で初得点も決めている。日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップ本大会には背番号10を着けて臨んだが、大会中に負傷し、無得点と不完全燃焼に終わった[11]。2003年9月6日、最後のスペイン代表キャップとなったポルトガルとの親善試合(3-0)で代表4得点目を決めた。
所属クラブ
- 1995-1998 レアル・ベティスB
- 1998-1999 RCDマジョルカB
- 1999-2000 RCDマジョルカ
- 2000-2006 デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- 2006-2007 RCDマジョルカ
- 2007-2008 ASリヴォルノ・カルチョ
- 2008-2009 ウェストハム・ユナイテッドFC
- 2009-2010 カディスCF
タイトル
クラブ
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- コパ・デル・レイ: 2001-2002
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 2000, 2002
個人
- ピチーチ賞: 2001-2002
個人成績
クラブ
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1996-97 | ベティスB | 7 | セグンダB | 33 | 11 | ||||||
1997-98 | ベティスB | 7 | セグンダB | 24 | 11 | ||||||
1998-99 | マヨルカB | 7 | セグンダB | 39 | 15 | ||||||
1999-00 | マジョルカ | 7 | プリメーラ | 35 | 18 | ||||||
2000-01 | デポルティーボ | 9 | プリメーラ | 29 | 19 | ||||||
2001-02 | デポルティーボ | 9 | プリメーラ | 33 | 21 | ||||||
2002-03 | デポルティーボ | 9 | プリメーラ | 23 | 9 | ||||||
2003-04 | デポルティーボ | 9 | プリメーラ | 34 | 8 | ||||||
2004-05 | デポルティーボ | 9 | プリメーラ | 23 | 9 | ||||||
2005-06 | デポルティーボ | 9 | プリメーラ | 36 | 11 | ||||||
2006-07 | マジョルカ | 14 | プリメーラ | 13 | 0 | ||||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | リヴォルノ | 22 | セリエA | 21 | 1 | 0 | 0 | - | 21 | 1 | |
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2008-09 | ウェストハム | 25 | プレミア | 14 | 3 | ||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | カディス | 10 | セグンダ | ||||||||
通算 | スペイン | セグンダB | 96 | 37 | |||||||
プリメーラ | カテゴリー | 226 | 95 | ||||||||
イタリア | セリエA | 21 | 1 | ||||||||
プレミアリーグ | プレミア | 14 | 3 | ||||||||
総通算 | 343 | 133 |
代表
- 年別出場試合数
スペイン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2001 | 5 | 2 |
2002 | 6 | 0 |
2003 | 4 | 2 |
通算 | 15 | 4 |
- 全得点
# | 日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2001年6月2日 | オビエド | ボスニア・ヘルツェゴビナ | 4–1 | 勝利 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
2 | 2001年9月1日 | バレンシア | オーストリア | 4–0 | 勝利 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
3 | 2003年4月2日 | レオン | アルメニア | 3–0 | 勝利 | UEFA欧州選手権2004予選 |
4 | 2003年9月6日 | ギマランイス | ポルトガル | 3–0 | 勝利 | 親善試合 |
脚注
- ^ Golden Shoe: Tristán moves up after treble UEFA.com、2002年3月18日
- ^ Tristán treble lifts Deportivo UEFA.com、2002年4月8日
- ^ Deportivo's Tristán and Scaloni released from contracts ESPNsoccernet、2006年9月1日
- ^ Striker Tristán agrees a return to Real Mallorca ESPNsoccernet、2006年9月13日
- ^ Tristán to fill Lucarelli void UEFA.com、2007年7月23日
- ^ Hammers dealt Ashton injury blow BBC Sport、2008年12月26日
- ^ Tristán deal completed Whu FC.com、2008年10月14日
- ^ West Ham 0-2 Tottenham BBC Sport、2008年12月8日
- ^ West Ham 2-1 Stoke BBC Sport、2008年12月28日
- ^ Tristan joins Cádiz FIFA.com、2009年7月24日
- ^ Tristán ordered to rest injured ankle ESPNsoccernet[リンク切れ]
外部リンク
- BDFutbol profile
- National team data
- Diego Tristán - Soccerbase
- Diego Tristán – FIFA主催大会成績