「トルステン・フリンクス」の版間の差分
m Category:バイエルン・ミュンヘンの選手を除去; Category:FCバイエルン・ミュンヘンの選手を追加 (HotCat使用) |
|||
27行目: | 27行目: | ||
|年3=1997-2002|クラブ3={{Flagicon|GER}} [[ヴェルダー・ブレーメン]]|出場3=162|得点3=15 |
|年3=1997-2002|クラブ3={{Flagicon|GER}} [[ヴェルダー・ブレーメン]]|出場3=162|得点3=15 |
||
|年4=2002-2004|クラブ4={{Flagicon|GER}} [[ボルシア・ドルトムント]]|出場4=47|得点4=10 |
|年4=2002-2004|クラブ4={{Flagicon|GER}} [[ボルシア・ドルトムント]]|出場4=47|得点4=10 |
||
|年5=2004-2005|クラブ5={{Flagicon|GER}} [[バイエルン・ミュンヘン]]|出場5=29|得点5=3 |
|年5=2004-2005|クラブ5={{Flagicon|GER}} [[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]|出場5=29|得点5=3 |
||
|年6=2005-2011|クラブ6={{Flagicon|GER}} [[ヴェルダー・ブレーメン]]|出場6=164|得点6=21 |
|年6=2005-2011|クラブ6={{Flagicon|GER}} [[ヴェルダー・ブレーメン]]|出場6=164|得点6=21 |
||
|年7=2011-2012|クラブ7={{Flagicon|CAN}} [[トロントFC|トロント]]|出場7=33|得点7=2 |
|年7=2011-2012|クラブ7={{Flagicon|CAN}} [[トロントFC|トロント]]|出場7=33|得点7=2 |
||
47行目: | 47行目: | ||
3部の[[アレマニア・アーヘン]]でプロとしてのキャリアを始め、[[1996年]]に[[ヴェルダー・ブレーメン]]へ移籍すると才能を開花させ、翌シーズンには28試合に出場し2得点を挙げ、ドイツ中にその名を知らしめた。 |
3部の[[アレマニア・アーヘン]]でプロとしてのキャリアを始め、[[1996年]]に[[ヴェルダー・ブレーメン]]へ移籍すると才能を開花させ、翌シーズンには28試合に出場し2得点を挙げ、ドイツ中にその名を知らしめた。 |
||
[[ボルシア・ドルトムント]]を経て移籍した[[バイエルン・ミュンヘン]]ではリーグ優勝も経験した。 |
[[ボルシア・ドルトムント]]を経て移籍した[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]ではリーグ優勝も経験した。 |
||
しかし2005年の夏には「バイエルンの華やかな世界は自分の性格に合わない。再び静かな環境でサッカーに打ち込みたい。」と語り、同リーグの名門[[ヴェルダー・ブレーメン]]に復帰した。以降も同クラブ、そして[[サッカードイツ代表|ドイツA代表]]で活躍。[[ドイツ・ブンデスリーガ2010-2011|2010-11シーズン]]終了後、ブレーメンでコーチ職への打診を受けたが、現役続行にこだわり、[[メジャーリーグサッカー]]の[[トロントFC]]へと移籍した。しかしブレーメン時代に傷めた腰の状態が悪化したため2013年2月26日に現役を引退した<ref>[http://www.goal.com/jp/news/123/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/2013/02/27/3783184/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%8C%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E5%BC%95%E9%80%80 フリンクスが現役引退] - Goal.com 2013年2月27日(2月27日閲覧)</ref>。 |
しかし2005年の夏には「バイエルンの華やかな世界は自分の性格に合わない。再び静かな環境でサッカーに打ち込みたい。」と語り、同リーグの名門[[ヴェルダー・ブレーメン]]に復帰した。以降も同クラブ、そして[[サッカードイツ代表|ドイツA代表]]で活躍。[[ドイツ・ブンデスリーガ2010-2011|2010-11シーズン]]終了後、ブレーメンでコーチ職への打診を受けたが、現役続行にこだわり、[[メジャーリーグサッカー]]の[[トロントFC]]へと移籍した。しかしブレーメン時代に傷めた腰の状態が悪化したため2013年2月26日に現役を引退した<ref>[http://www.goal.com/jp/news/123/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/2013/02/27/3783184/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%8C%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E5%BC%95%E9%80%80 フリンクスが現役引退] - Goal.com 2013年2月27日(2月27日閲覧)</ref>。 |
||
70行目: | 70行目: | ||
* [[DFBリーガポカール]]:1回 (2006) |
* [[DFBリーガポカール]]:1回 (2006) |
||
; [[バイエルン・ミュンヘン]] |
; [[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]] |
||
* [[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]:1回 (2004-05) |
* [[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]:1回 (2004-05) |
||
* [[DFBポカール]]:1回 (2004-05) |
* [[DFBポカール]]:1回 (2004-05) |
2017年8月29日 (火) 09:49時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
トロント時代のフリンクス (2012年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ルッチャー | |||||
ラテン文字 | Torsten Frings | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1976年11月22日(48歳) | |||||
出身地 | ヴュルゼレン | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1982-1988 | ロート=ヴァイス・アルスドルフ | |||||
1988-1990 | レナニア・アルスドルフ | |||||
1990-1994 | アレマニア・アーヘン II | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1997 | アレマニア・アーヘン | 57 | (13) | |||
1997 | ヴェルダー・ブレーメン (A) | 1 | (1) | |||
1997-2002 | ヴェルダー・ブレーメン | 162 | (15) | |||
2002-2004 | ボルシア・ドルトムント | 47 | (10) | |||
2004-2005 | バイエルン・ミュンヘン | 29 | (3) | |||
2005-2011 | ヴェルダー・ブレーメン | 164 | (21) | |||
2011-2012 | トロント | 33 | (2) | |||
通算 | 493 | (65) | ||||
代表歴 | ||||||
1997-1998 | ドイツ U-21 | 6 | (1) | |||
1999-2000 | ドイツ B | 5 | (0) | |||
2001-2009 | ドイツ | 79 | (10) | |||
監督歴 | ||||||
2017- | ダルムシュタット | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
トルステン・フリンクス(Torsten Frings, 1976年11月22日 - )はドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ヴュルゼレン出身の元サッカー選手。元ドイツ代表。現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。現在はブンデスリーガのSVダルムシュタット98の監督を務めている。
選手経歴
生い立ち
5歳の時に車にひかれ自転車から落ち、顔の左側に傷が残っている。
クラブ
3部のアレマニア・アーヘンでプロとしてのキャリアを始め、1996年にヴェルダー・ブレーメンへ移籍すると才能を開花させ、翌シーズンには28試合に出場し2得点を挙げ、ドイツ中にその名を知らしめた。
ボルシア・ドルトムントを経て移籍したバイエルン・ミュンヘンではリーグ優勝も経験した。 しかし2005年の夏には「バイエルンの華やかな世界は自分の性格に合わない。再び静かな環境でサッカーに打ち込みたい。」と語り、同リーグの名門ヴェルダー・ブレーメンに復帰した。以降も同クラブ、そしてドイツA代表で活躍。2010-11シーズン終了後、ブレーメンでコーチ職への打診を受けたが、現役続行にこだわり、メジャーリーグサッカーのトロントFCへと移籍した。しかしブレーメン時代に傷めた腰の状態が悪化したため2013年2月26日に現役を引退した[1]。
代表
ブレーメンでの最後の年には2002 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、7試合全てにフル出場し決勝進出の原動力となった。
2006 FIFAワールドカップではチームおよび中盤の要として活躍、特に初戦のコスタリカ戦ではドイツの勝利を決定的にする豪快なミドルシュートを決める。ミドルシュートでのゴールが多かった同大会において、フリンクスのシュートは同大会の印象的なゴールとなった。しかし、準々決勝の対アルゼンチン戦終了後、アルゼンチン代表FWフリオ・クルスを殴ったとして準決勝(対イタリア戦)には出場停止処分となった。準決勝ではイタリア相手に敗退、フリンクスの欠場が大きな痛手となってしまった。
監督経歴
2016年12月27日、SVダルムシュタット98の監督に就任した[2]。
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- ブレーメンに入団当初はアマチュアでFWだった。アマチュア時代の監督は『ジャンプ力がないんじゃFW向きではない。しかしスタミナだけは凄い。いくら走っても疲れないようだ。それにゲーム全体を見通す能力にも長けている』と判断してMFにコンバートした。このアマチュア時代の監督がトーマス・シャーフである。
- 気さくな人物としても知られており、自宅を不意に訪れた子供たちと一緒になって公園でボールを蹴るほど。
- 愛称の「ルッチャー」は、フリンクスのデビュー当時ヴェルダー・ブレーメンに所属していたアンドレアス・ヘルツォークが名づけた。
タイトル
クラブ
- DFBポカール:2回 (1998-99, 2008-09)
- DFBリーガポカール:1回 (2006)
- ブンデスリーガ:1回 (2004-05)
- DFBポカール:1回 (2004-05)
- DFBリーガポカール:1回 (2004)
- カナディアン・チャンピオンシップ:1回 (2012)
監督成績
- 2016年12月27日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利 | 引分 | 敗北 | 得点 | 失点 | 点差 | 勝率 | |||
SVダルムシュタット98 | 2016年12月27日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | +0 | — | |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | +0 | — |
脚注
- ^ フリンクスが現役引退 - Goal.com 2013年2月27日(2月27日閲覧)
- ^ ブンデス最下位ダルムシュタット、元ドイツ代表フリンクスが新監督に…初の監督業に注目 - Goal.com 2016年12月28日