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[[1910年]]に創設。ブンデスリーガ発足後は、[[1977年]]に1部昇格を果たしたが、翌年に2部へ降格、更に降格した年も成績は低迷し3部にまで降格した。そこから徐々にはい上がり、[[1988年]]に1部復帰を果たした。1部在籍中にみられた、同じハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとのハンブルクダービーは街を熱狂させた。 |
[[1910年]]に創設。ブンデスリーガ発足後は、[[1977年]]に1部昇格を果たしたが、翌年に2部へ降格、更に降格した年も成績は低迷し3部にまで降格した。そこから徐々にはい上がり、[[1988年]]に1部復帰を果たした。1部在籍中にみられた、同じハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとのハンブルクダービーは街を熱狂させた。 |
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その後も1部と2部の往復を繰り返していたが、[[2002年]]に2部に降格すると更に低迷し、またもや2シーズン連続の降格という不名誉な結果を残し[[レギオナルリーガ]](3部)へと降格した。こうした低迷期の中でも、2002年にカップ戦で世界王者であった[[バイエルン・ミュンヘン]]を破っており、サポーターを大いに喜ばせている。[[2006年]]にもカップ戦で4強にまで残った(この際はバイエルン・ミュンヘンに敗北)。その間にも着実に力を付け、[[2007年]]には2部へ復帰、[[2010年]]には1部復帰を果たした。前半戦こそは11位と比較的大健闘していたが、0-1でアウェーながらも勝利した[[2011年]]2月16日のハンブルガーSVとのハンブルク・ダービーを最後に一気に低迷し、最下位に終わり、結局前評判通り、1シーズンで2部に降格した。しかし、序盤戦で失点を恐れない勇猛果敢なサッカーを見せた[[ホルガー・シュタニラウスキ]]([[:de:Holger Stanislawski|de]])監督の手腕が高く評価され、翌シーズンには[[TSG1899ホッフェンハイム]]に引き抜かれる結果となった。 |
その後も1部と2部の往復を繰り返していたが、[[2002年]]に2部に降格すると更に低迷し、またもや2シーズン連続の降格という不名誉な結果を残し[[レギオナルリーガ]](3部)へと降格した。こうした低迷期の中でも、2002年にカップ戦で世界王者であった[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]を破っており、サポーターを大いに喜ばせている。[[2006年]]にもカップ戦で4強にまで残った(この際はバイエルン・ミュンヘンに敗北)。その間にも着実に力を付け、[[2007年]]には2部へ復帰、[[2010年]]には1部復帰を果たした。前半戦こそは11位と比較的大健闘していたが、0-1でアウェーながらも勝利した[[2011年]]2月16日のハンブルガーSVとのハンブルク・ダービーを最後に一気に低迷し、最下位に終わり、結局前評判通り、1シーズンで2部に降格した。しかし、序盤戦で失点を恐れない勇猛果敢なサッカーを見せた[[ホルガー・シュタニラウスキ]]([[:de:Holger Stanislawski|de]])監督の手腕が高く評価され、翌シーズンには[[TSG1899ホッフェンハイム]]に引き抜かれる結果となった。 |
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2015年6月に[[アーセナルFC]]を退団した[[宮市亮]]が3年契約で完全移籍。移籍金は契約満了のためなし。 |
2015年6月に[[アーセナルFC]]を退団した[[宮市亮]]が3年契約で完全移籍。移籍金は契約満了のためなし。 |
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2017年8月29日 (火) 09:48時点における版
FCザンクトパウリ | |||
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原語表記 | FC St. Pauli | ||
愛称 | The Pirates of the League | ||
クラブカラー | 栗色と白 | ||
創設年 | 1909年 | ||
所属リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ | ||
所属ディビジョン | 2部 | ||
ホームタウン | ハンブルク | ||
ホームスタジアム | ミラントア・シュタディオン | ||
収容人数 | 24,701 | ||
代表者 | オーケ・ゲトリッヒ | ||
監督 | エヴァルト・リーネン | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
FCザンクトパウリ(FC St. Pauli)は、ドイツ・ハンブルクのザンクトパウリ地区を本拠地とするスポーツクラブ。同じくハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとのサッカー部門の対戦は、ハンブルク・ダービーとして激しい盛り上がりをみせる。ドイツ最大級の歓楽街であるレーパーバーンの脇に本拠地となるスタジアムが位置している。サポーター層はハンブルガーSVより庶民的であるといわれ、その声援はより熱狂的である。
歴史
1910年に創設。ブンデスリーガ発足後は、1977年に1部昇格を果たしたが、翌年に2部へ降格、更に降格した年も成績は低迷し3部にまで降格した。そこから徐々にはい上がり、1988年に1部復帰を果たした。1部在籍中にみられた、同じハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとのハンブルクダービーは街を熱狂させた。
その後も1部と2部の往復を繰り返していたが、2002年に2部に降格すると更に低迷し、またもや2シーズン連続の降格という不名誉な結果を残しレギオナルリーガ(3部)へと降格した。こうした低迷期の中でも、2002年にカップ戦で世界王者であったバイエルン・ミュンヘンを破っており、サポーターを大いに喜ばせている。2006年にもカップ戦で4強にまで残った(この際はバイエルン・ミュンヘンに敗北)。その間にも着実に力を付け、2007年には2部へ復帰、2010年には1部復帰を果たした。前半戦こそは11位と比較的大健闘していたが、0-1でアウェーながらも勝利した2011年2月16日のハンブルガーSVとのハンブルク・ダービーを最後に一気に低迷し、最下位に終わり、結局前評判通り、1シーズンで2部に降格した。しかし、序盤戦で失点を恐れない勇猛果敢なサッカーを見せたホルガー・シュタニラウスキ(de)監督の手腕が高く評価され、翌シーズンにはTSG1899ホッフェンハイムに引き抜かれる結果となった。 2015年6月にアーセナルFCを退団した宮市亮が3年契約で完全移籍。移籍金は契約満了のためなし。
タイトル
国内タイトル
なし
国際タイトル
なし
過去の成績
シーズン | リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007-08 | ブンデスリーガ2部 | 9位 | 34 | 11 | 9 | 14 | 47 | 53 | −6 | 42 |
2008-09 | ブンデスリーガ2部 | 8位 | 34 | 14 | 6 | 14 | 52 | 59 | −7 | 48 |
2009-10 | ブンデスリーガ2部 | 2位 | 34 | 20 | 4 | 10 | 72 | 37 | +35 | 64 |
2010-11 | ブンデスリーガ1部 | 18位 | 34 | 8 | 5 | 21 | 35 | 68 | −33 | 29 |
2011-12 | ブンデスリーガ2部 | 4位 | 34 | 18 | 8 | 8 | 59 | 34 | +25 | 62 |
2012-13 | ブンデスリーガ2部 | 10位 | 34 | 11 | 10 | 13 | 44 | 47 | −3 | 43 |
2013-14 | ブンデスリーガ2部 | 8位 | 34 | 13 | 9 | 12 | 44 | 49 | −5 | 48 |
2014-15 | ブンデスリーガ2部 | 15位 | 34 | 10 | 7 | 17 | 40 | 51 | −11 | 37 |
2015-16 | ブンデスリーガ2部 | 4位 | 34 | 15 | 8 | 11 | 45 | 39 | +6 | 53 |
2016-17 | ブンデスリーガ2部 | 7位 | 34 | 12 | 9 | 13 | 39 | 35 | +4 | 45 |
現所属メンバー
- 2016-17シーズン 開幕戦フォーメーション
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
- アンドレアス・ベルクマン 2004-2006
- ホルガー・スタニスラウスキ 2006-2007, 2008-2011
- アンドレ・トゥルルセン 2007-2008
- アンドレ・シューベルト 2011-2012
- トーマス・メグレ 2012, 2014
- ミヒャエル・フロンツェック 2012-2013
- ローラント・ブラベッツ 2013-2014
- エヴァルト・リーネン 2014-
歴代所属選手
GK
- トーマス・ケスラー 2010-2011
DF
- トーレ・ペデルセン 1995-1997
- ズラタン・バイラモビッチ 1997-2002
- バスティアン・オツィプカ 2010-2011
- モリッツ・フォルツ 2010-2012
- カルロス・サンブラーノ 2010-2012
- マルツェル・ハルステンベルク 2013-2015
- ラッセ・ゾビーヒ 2014-
MF
- チャド・ディアリング 1988–1990
- ピオトル・トロホウスキ 1997–1999
- アレクサンダー・マイアー 2001-2003
- カリム・ゲデ 2007-2010
- デイヴィッド・ホイレット 2008-2009
- マティアス・レーマン 2009-2011
- フィン・バルテルス 2010-2014
- パトリック・フンク 2011-2013
- ミヒャエル・グレゴリッチュ 2013–2014
- トム・トリブル 2014-2015
FW
- 尾崎加寿夫 1988-1989
- イヴァン・クラスニッチ 1997-2001
- エメルソン 1996–1997
- マックス・クルーゼ 2009-2012
- ゲーラルド・アサモア 2010-2011
- リヒャルト・スクタ=パス 2010-2011
- ダニエル・ギンチェク 2012-2013
- 宮市亮 2015-
- マーヴィン・ドゥクシュ 2016-
- レンナルト・ティー 2017-
関連項目
- FIFIワイルドカップ - FIFA非加盟国による国際サッカー大会。ザンクトパウリが主催し、自ら「ザンクトパウリ共和国」として出場。