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1998年、[[レアル・マドリード]]から[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]][[バイエル・レバークーゼン|バイエル・レヴァークーゼン]]に移籍し、2001-02シーズンの国内リーグ2位、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02|チャンピオンズリーグ]]準優勝、[[DFBポカール]]準優勝の好成績に貢献した。2002年5月には同僚の[[ミヒャエル・バラック]]とともに強豪[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍した。 |
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[[2006年]]5月バイエルン・ミュンヘンを退団、母国ブラジルの[[サントスFC|サントス]]へ移籍したが、2007-08シーズンよりバイエルン・ミュンヘンに復帰した。以前、バイエルンでは中盤左サイドで起用されていたが、復帰後はセントラルハーフのレギュラーとして攻守に奮闘している。バイエルンでは[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]と[[DFBポカール]]でそれぞれ4度の優勝を果たした。バイエルンは2010年までの契約延長を希望したが、ゼ・ロベルトはこれを拒否。2009年夏に契約満了でバイエルンを退団し、[[ハンブルガーSV]]と2年契約を結んだ。その後、ハンブルガーSVからは1年間の契約延長をオファーされていたものの断り、カタールの[[アル・ガラファ|アル・ガラファSC]]へ移籍した。 |
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2017年8月29日 (火) 09:46時点における版
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名前 | ||||||
本名 |
ジョゼ・ロベルト・ダ・シウヴァ・ジュニオル José Roberto da Silva Júnior | |||||
ラテン文字 | Ze Roberto | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1974年7月6日(50歳) | |||||
出身地 | サンパウロ | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SEパルメイラス | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 11 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994–1997 | ポルトゥゲーザ | 61 | (1) | |||
1997–1998 | レアル・マドリード | 15 | (0) | |||
1998 | フラメンゴ | 24 | (0) | |||
1998-2002 | レヴァークーゼン | 113 | (17) | |||
2002-2006 | バイエルン・ミュンヘン | 110 | (5) | |||
2006-2007 | サントス | 48 | (12) | |||
2007-2009 | バイエルン・ミュンヘン | 59 | (9) | |||
2009-2011 | ハンブルガーSV | 54 | (7) | |||
2011-2012 | アル・ガラファ | 14 | (1) | |||
2012-2014 | グレミオ | 83 | (6) | |||
2015- | パルメイラス | 20 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
1995-2006 | ブラジル [1] | 86 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年9月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ゼ・ロベルト(Ze Roberto)こと、ジョゼ・ロベルト・ダ・シウヴァ・ジュニオル(José Roberto da Silva Júnior、1974年7月6日 - )は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロ出身のサッカー選手。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA・SEパルメイラス所属。元ブラジル代表。ポジションはミッドフィールダー。
経歴
クラブ
1998年、レアル・マドリードからブンデスリーガバイエル・レヴァークーゼンに移籍し、2001-02シーズンの国内リーグ2位、チャンピオンズリーグ準優勝、DFBポカール準優勝の好成績に貢献した。2002年5月には同僚のミヒャエル・バラックとともに強豪バイエルン・ミュンヘンに移籍した。 2006年5月バイエルン・ミュンヘンを退団、母国ブラジルのサントスへ移籍したが、2007-08シーズンよりバイエルン・ミュンヘンに復帰した。以前、バイエルンでは中盤左サイドで起用されていたが、復帰後はセントラルハーフのレギュラーとして攻守に奮闘している。バイエルンではブンデスリーガとDFBポカールでそれぞれ4度の優勝を果たした。バイエルンは2010年までの契約延長を希望したが、ゼ・ロベルトはこれを拒否。2009年夏に契約満了でバイエルンを退団し、ハンブルガーSVと2年契約を結んだ。その後、ハンブルガーSVからは1年間の契約延長をオファーされていたものの断り、カタールのアル・ガラファSCへ移籍した。
代表
ブラジル代表としては1995年8月12日に行われた韓国代表との国際親善試合でデビュー[3]。1997年と1999年のコパ・アメリカ連覇に貢献したが、1998年にフランスで開催された1998 FIFAワールドカップでは準々決勝のデンマーク代表戦の1試合のみの出場に終わり[3]、2002年に日本と韓国で共同開催された2002 FIFAワールドカップでは代表入りを逃した[4]。2006年にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップでは全5試合に出場したが準々決勝でフランス代表に敗れ、この試合が代表として最後の試合出場となったた[3]。
代表では2004年末頃からボランチで起用されることが多く、エメルソンとコンビを組み攻守の舵取り役として活躍。ロナウジーニョやロベルト・カルロスの守備の負担を軽減させカナリア軍団の攻撃陣を支えた。2007年6月、代表引退を発表。
人物
左サイドのドリブル突破、精度の高いクロスが魅力。シュート精度、ドリブル技術も高く、危険なスペースを埋める守備技術も高く評価されている職人肌な選手。フリーキックの精度も高い。デビュー当時は左サイドバックだったが、その後攻撃センスを活かすべく左サイドハーフ、トップ下などの攻撃的なポジションにコンバートされた。
プロ意識が高く自己管理が徹底している。人生で1度もマクドナルドへ行った事がなく、日常生活においてミネラルウォーターとグレープジュース以外の飲み物は口にしない[5]。
タイトル
クラブ
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1回 (1997)
- リーガ・エスパニョーラ プリメーラ・ディビシオン:1回 (1997)
- ブンデスリーガ:4回 (2003, 2005, 2006, 2008)
- DFBポカール:4回 (2003, 2005, 2006, 2008)
- DFBリーガポカール:2回 (2004, 2007)
代表
- コパ・アメリカ:2回 (1997, 1999)
- FIFAコンフェデレーションズカップ:2回 (1997, 2005)
個人
- ボーラ・ジ・プラッタ:1回 (2012)
脚注
- ^ “Jose Roberto da Silva Junior "Ze Roberto" - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “40歳の元バイエルンMFゼ・ホベルト、パウメイラスと契約”. The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b c “José Roberto da Silva Júnior “Zé Roberto - International Appearances”. rsssf.com. 2016年10月21日閲覧。
- ^ “José Roberto da Silva Júnior “Zé Roberto - International Appearances”. CNN. 2002年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月21日閲覧。
- ^ 「ワールドサッカーダイジェスト」No.302、2009年11月5日号91ページ
外部リンク
- Zé Roberto profile at Sambafoot
- Zé Roberto profile at Leverkusen.com
- Zé Roberto - fussballdaten.de