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==== 国内や欧州カップ戦での躍進 ====
==== 国内や欧州カップ戦での躍進 ====
[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]メンバーに[[マリアーノ・ペルニア]]が選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった<ref>[http://www.skysports.com/story/0,19528,11668_2378589,00.html Spain send for Pernia] Sky Sports、2006年5月30日</ref><ref>[http://edition.cnn.com/2006/SPORT/football/06/30/spain.pernia/index.html?section=cnn_latest Pernia completes Atletico transfer] CNN、2006年6月30日</ref>。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった<ref>[http://www.soccer-spain.com/ssdocs/results2006/table1.html 2006/07 Spanish Primera Final Table]</ref>。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]は[[サモラ賞]](最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前は[[コパ・デル・レイ]]で準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝で[[FCバルセロナ]]を破って決勝に進出した。[[カンプ・ノウ]]で行われたファーストレグは2-5で敗れたが<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=216690&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、[[コリセウム・アルフォンソ・ペレス]]でのセカンドレグに4-0で勝利し<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=215505&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。[[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ]]で行われた決勝では[[セビージャFC]]に0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=217345&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。セビージャFCはすでに[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を獲得していたため、ヘタフェCFが[[UEFAカップ]]の出場権を獲得した。2007年夏には[[ベルント・シュスター]]監督が[[レアル・マドリード]]に去り<ref>[http://www.guardian.co.uk/football/2007/jul/09/newsstory.europeanfootball Schuster confirmed as new Real coach] The Guardian、2007年7月9日</ref>、後任には[[ミカエル・ラウドルップ]]監督が就任した<ref>[http://uk.reuters.com/article/UK_WORLDFOOTBALL/idUKL0917612020070709 Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement] Reuters、2007年7月9日</ref>。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した<ref>[http://www.uefa.com/competitions/uefacup/standings/round=15119/group=700724.html UEFA Cup Group G] UEFA.com</ref>。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験がある[[バイエルン・ミュンヘン]]との対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムに[[コスミン・コントラ]]が同点弾を挙げて1-1で終えた<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=238320&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。ホームでのセカンドレグでは開始6分に[[ルベン・デ・ラ・レー]]が退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分に[[フランク・リベリー]]が同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階に[[ハビエル・カスケーロ]]と途中出場の[[ブラウリオ・ノブレガ]]が得点して3-1とリードしたが、バイエルンは[[ルカ・トーニ]]の2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった<ref>[http://fourfourtwo.com/news/spain/7204/default.aspx Heartbreak for Getafe as Bayern fight back] FourFourTwo、2008年4月10日</ref>。同シーズンの[[コパ・デル・レイ]]では2シーズン連続で決勝に進出したが、[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン]]で行われた[[バレンシアCF]]戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった<ref>[http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=743973.html Valencia win Copa del Rey] FIFA.com、2008年4月16日</ref>。
[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]メンバーに[[マリアーノ・ペルニア]]が選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった<ref>[http://www.skysports.com/story/0,19528,11668_2378589,00.html Spain send for Pernia] Sky Sports、2006年5月30日</ref><ref>[http://edition.cnn.com/2006/SPORT/football/06/30/spain.pernia/index.html?section=cnn_latest Pernia completes Atletico transfer] CNN、2006年6月30日</ref>。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった<ref>[http://www.soccer-spain.com/ssdocs/results2006/table1.html 2006/07 Spanish Primera Final Table]</ref>。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]は[[サモラ賞]](最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前は[[コパ・デル・レイ]]で準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝で[[FCバルセロナ]]を破って決勝に進出した。[[カンプ・ノウ]]で行われたファーストレグは2-5で敗れたが<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=216690&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、[[コリセウム・アルフォンソ・ペレス]]でのセカンドレグに4-0で勝利し<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=215505&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。[[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ]]で行われた決勝では[[セビージャFC]]に0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=217345&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。セビージャFCはすでに[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を獲得していたため、ヘタフェCFが[[UEFAカップ]]の出場権を獲得した。2007年夏には[[ベルント・シュスター]]監督が[[レアル・マドリード]]に去り<ref>[http://www.guardian.co.uk/football/2007/jul/09/newsstory.europeanfootball Schuster confirmed as new Real coach] The Guardian、2007年7月9日</ref>、後任には[[ミカエル・ラウドルップ]]監督が就任した<ref>[http://uk.reuters.com/article/UK_WORLDFOOTBALL/idUKL0917612020070709 Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement] Reuters、2007年7月9日</ref>。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した<ref>[http://www.uefa.com/competitions/uefacup/standings/round=15119/group=700724.html UEFA Cup Group G] UEFA.com</ref>。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験がある[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]との対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムに[[コスミン・コントラ]]が同点弾を挙げて1-1で終えた<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=238320&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。ホームでのセカンドレグでは開始6分に[[ルベン・デ・ラ・レー]]が退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分に[[フランク・リベリー]]が同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階に[[ハビエル・カスケーロ]]と途中出場の[[ブラウリオ・ノブレガ]]が得点して3-1とリードしたが、バイエルンは[[ルカ・トーニ]]の2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった<ref>[http://fourfourtwo.com/news/spain/7204/default.aspx Heartbreak for Getafe as Bayern fight back] FourFourTwo、2008年4月10日</ref>。同シーズンの[[コパ・デル・レイ]]では2シーズン連続で決勝に進出したが、[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン]]で行われた[[バレンシアCF]]戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった<ref>[http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=743973.html Valencia win Copa del Rey] FIFA.com、2008年4月16日</ref>。


2008年夏には、MF[[ルベン・デ・ラ・レー]]が抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMF[[オイゲン・ポランスキ]]を加え、その他にも[[コパ・リベルタドーレス]]優勝に貢献したMF[[ホフレ・ゲロン]]、[[レアル・マドリード]]からFW[[ロベルト・ソルダード]]などを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のある[[ビクトル・ムニョス]]監督を選んだ。しかし、GK[[オスカル・ウスタリ]]がシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]が冬の移籍期間に[[ボカ・ジュニアーズ]]に復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託された[[ミチェル]]監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、[[セグンダ・ディビシオン]](2部)に降格した[[レアル・ベティス]]と同勝ち点の17位で[[プリメーラ・ディビシオン]](1部)残留に成功した。
2008年夏には、MF[[ルベン・デ・ラ・レー]]が抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMF[[オイゲン・ポランスキ]]を加え、その他にも[[コパ・リベルタドーレス]]優勝に貢献したMF[[ホフレ・ゲロン]]、[[レアル・マドリード]]からFW[[ロベルト・ソルダード]]などを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のある[[ビクトル・ムニョス]]監督を選んだ。しかし、GK[[オスカル・ウスタリ]]がシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]が冬の移籍期間に[[ボカ・ジュニアーズ]]に復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託された[[ミチェル]]監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、[[セグンダ・ディビシオン]](2部)に降格した[[レアル・ベティス]]と同勝ち点の17位で[[プリメーラ・ディビシオン]](1部)残留に成功した。
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2017年8月29日 (火) 09:35時点における版

ヘタフェCF
原語表記 Getafe Club de Fútbol S.A.D.
愛称 Azulones (アスロネス, 濃青),
El Geta (エル・ヘタ)
クラブカラー
創設年 1983年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン ヘタフェ
ホームスタジアム コリセウム・アルフォンソ・ペレス
収容人数 17,393
代表者 スペインの旗 アンヘル・トーレス・サンチェス
監督 スペインの旗 ホセ・ボルダラス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルGetafe Club de Fútbol S.A.D.)は、スペインマドリード州ヘタフェに本拠地を置くサッカークラブ。リーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに所属している。

概要

1946年に設立され、1983年に再設立された。2004-05シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。2011年4月25日、クラブはドバイにあるロイヤル・エミレーツ・グループに7000万ユーロから9000万ユーロで買収された[1][2]ヘタフェにあるコリセウム・アルフォンソ・ペレスを本拠地として使用している。スタジアムは1998年1月1日に落成し、スペイン代表レアル・マドリードでプレーしたアルフォンソ・ペレス(ヘタフェ市出身)の名を冠している。しかし、ペレスはヘタフェCFに在籍したことがないどころか、ヘタフェCFと対戦したこともなく、コリセウムに入場したこともない[3]。コリセウムの完成以前は、ラス・マルガリータス・スポーツ公園(Sports City of Las Margaritas)にあるエスタディオ・デ・ラス・マルガリータスを本拠地として使用していた。

同じマドリード自治州の両名門クラブレアル・マドリードアトレティコ・マドリードとの関係は比較的良好。そのためレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードから若手選手をレンタルで獲得することも多い。またバレンシアCFとも密接な繋がりがあり、ヘタフェCFで実績を挙げたキケ・サンチェス・フローレス監督がバレンシアCFに引き抜かれたり、バレンシアCFの若手有望選手をレンタルで獲得したりと交流が深い。なお、アンヘル・トーレス会長は熱心なマドリディスタ(レアル・マドリードのファン)である。

歴史

クルブ・ヘタフェ・デポルティーボ

創設

1945年、ヘタフェ在住のエンリケ・コンデス・ガルシア、アウレリオ・ミランダ・オラバリア、アントニオ・コリドール・ロサーノ、マヌエル・セラーノ・ベルガラ、ミゲル・クベロ・フランセスの5人がラ・マルケシーナ(La Marquesina)というバルに集い、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルの設立を決めた。公式には1946年2月24日に設立され、クルブ・ヘタフェ・デポルティーボと名づけられた[4]。創設当初はゴールポストさえないカンポ・デル・レヒミエント・デ・アルティジェリアというグラウンドでプレーしていたが、すぐにサン・イシドロにある市営サン・イシドロ・スポーツセンターに移った。1956-57シーズン、CPビジャロベレードに勝利してテルセーラ・ディビシオン(当時3部)昇格を決めた。1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)昇格に近づいたが、CDアルメリアに敗れて昇格を逃した[5]。1969-70シーズンにはテルセーラ・ディビシオンへの昇格を決め、1970年9月2日に自前のスタジアムの落成試合を行った。フランシスコ・バラ会長が見守る中、ヘタフェは3-1でミチェリンに勝利した。1970-71シーズンはテルセーラ・ディビシオン残留を果たし、6年後にクラブ初のセグンダ・ディビシオン昇格を決めた[6]

セグンダ・ディビシオン昇格

クルブ・ヘタフェ・デポルティーボは6シーズンの間セグンダ・ディビシオンでプレーし、いくらかの成功を収めたが、6シーズンとも10位以下であった。1978年にはコパ・デル・レイのラウンド16でFCバルセロナと対戦し、ホームで行われたファーストレグではスター選手が揃うFCバルセロナ相手に3-3と引き分けたが、カンプ・ノウで行われたセカンドレグでは0-8と粉砕された。1981-82シーズン終盤には選手への給料が支払われず、自動降格処分が下され、クラブは破産に追い込まれた。この一方で、1976年9月1日にはナショナル・スポーツ・カウンシルに新クラブが設立され、カスティージャ地方連盟に所属した。このクラブはペーニャ・マドリディスタ・ヘタフェレアル・マドリードのサポーターによるヘタフェ)として4シーズン、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェとして2シーズンプレーした。1982年7月10日、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェはより古くから存在するクルブ・ヘタフェ・プロメサスと統合し、再びカスティージャ地方連盟に登録した[7]

ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル

再設立

1982年に合併したクラブを基にし、1983年7月8日、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルが公式に設立された[7]。1983-84シーズンの地域リーグに登録してチームが始動し、4シーズン連続で昇格を決めて1987年にはセグンダ・ディビシオンB(3部)に到達した。1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンで2位となってセグンダ・ディビシオンに昇格したが、2シーズンとも下位に低迷してセグンダ・ディビシオンBに舞い戻った[8]。1997年にはテルセーラ・ディビシオン降格の危機が訪れたが、昇降格プレーオフでSDウエスカに勝利して降格を免れた。1998年1月1日にはコリセウム・アルフォンソ・ペレスが落成した[3]。1990年代後半から2000年代前半にはセグンダ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンBを行き来するエレベータークラブであったが、2003-04シーズンはシーズンの大半を順位表の最上位で過ごした。CDテネリフェに勝利することでプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格が決まる最終節はセルヒオ・パチョンの5得点で5-3と勝利し、クラブ初のトップリーグ昇格を決めた[9]。レアル・マドリード、アトレティコ・マドリードラーヨ・バジェカーノに次いで、プリメーラ・ディビシオンに在籍するマドリード自治州内4番目のクラブとなり、マドリード市外のクラブとしては初のプリメーラ所属クラブとなった[10]

プリメーラ・ディビシオン昇格

トップリーグに挑戦するにあたってキケ・サンチェス・フローレス監督を招聘したが、2004-05シーズンは順位表の下位に沈む低調な出だしだった。ホームではRCDエスパニョールアスレティック・ビルバオバレンシアCFレアル・マドリードなどに勝利したが[11]、アウェーではアスレティック・ビルバオから挙げた1勝に終わった[12]。最終的には13位でシーズンを終え、昇格組3クラブの中で唯一残留を果たした。2005年夏にはキケ・フローレス監督をバレンシアCFに引き抜かれたため、レバンテUD監督を解任されたベルント・シュスター監督を起用した[13]。2005-06シーズンはシュスター監督の目指したダイナミックで縦に早いサッカーがはまり、一時的にリーグ首位に立った[14]。その後徐々に順位を落としたが、最終的には9位と健闘した[15]

国内や欧州カップ戦での躍進

2006 FIFAワールドカップスペイン代表メンバーにマリアーノ・ペルニアが選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった[16][17]。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった[18]。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGKロベルト・アボンダンシェリサモラ賞(最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前はコパ・デル・レイで準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝でFCバルセロナを破って決勝に進出した。カンプ・ノウで行われたファーストレグは2-5で敗れたが[19]コリセウム・アルフォンソ・ペレスでのセカンドレグに4-0で勝利し[20]、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではセビージャFCに0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した[21]。セビージャFCはすでにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得していたため、ヘタフェCFがUEFAカップの出場権を獲得した。2007年夏にはベルント・シュスター監督がレアル・マドリードに去り[22]、後任にはミカエル・ラウドルップ監督が就任した[23]。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した[24]。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験があるバイエルン・ミュンヘンとの対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムにコスミン・コントラが同点弾を挙げて1-1で終えた[25]。ホームでのセカンドレグでは開始6分にルベン・デ・ラ・レーが退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分にフランク・リベリーが同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階にハビエル・カスケーロと途中出場のブラウリオ・ノブレガが得点して3-1とリードしたが、バイエルンはルカ・トーニの2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった[26]。同シーズンのコパ・デル・レイでは2シーズン連続で決勝に進出したが、エスタディオ・ビセンテ・カルデロンで行われたバレンシアCF戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった[27]

2008年夏には、MFルベン・デ・ラ・レーが抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMFオイゲン・ポランスキを加え、その他にもコパ・リベルタドーレス優勝に貢献したMFホフレ・ゲロンレアル・マドリードからFWロベルト・ソルダードなどを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のあるビクトル・ムニョス監督を選んだ。しかし、GKオスカル・ウスタリがシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GKロベルト・アボンダンシェリが冬の移籍期間にボカ・ジュニアーズに復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託されたミチェル監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、セグンダ・ディビシオン(2部)に降格したレアル・ベティスと同勝ち点の17位でプリメーラ・ディビシオン(1部)残留に成功した。

シーズン終了後にMFエステバン・グラネロやFWイケチュク・ウチェら攻撃の主力が抜けたものの、DFマネやMFペドロ・レオンなど即戦力の実力者を獲得した。関係が良好なレアル・マドリードからはGKジョルディ・コディーナ、DFミゲル・トーレス、MFダニエル・パレホの3選手をすべて完全移籍で獲得した。十分な準備期間を与えられたミチェル監督はプレシーズンの11試合を8勝3分(22得点8失点)の負けなしで終えた。2009-10シーズンはソルダードが16得点を記録するなど攻撃サッカーで旋風を巻き起こし、6位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2010年夏にはソルダードやペドロ・レオンなどの主力選手が抜け、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ敗退に終わった。2010-11シーズンのリーグ戦では後半戦に調子を落とし、34節終了時には降格圏内の18位まで沈んだが、最終的には16位で辛うじて残留を決めた。

ユニフォーム

伝統的にホームでは青色のシャツを着用する。アウェーでは一般に赤色のシャツを着用するが、これは近年は変更されつつある。ユニフォームのサプライヤーはホマ(Joma)である。

期間 胸スポンサー
2004-2005 オプシオン(セントロ・デ・オシオ)
2005-2006 PSG
2006-2009 グルポ・ガルコ
2009- バーガーキング

タイトル

国内タイトル

優勝 (1): 1998-99

個人タイトル

欧州カップ戦の試合一覧

シーズン ラウンド クラブ ホーム アウェー 総計
2007–08 プレーオフ オランダの旗 FCトゥウェンテ 1–0 2–3(延長) 3–3[28]
グループリーグ イングランドの旗 トッテナム・ホットスパーFC 2–1 1位
イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブFC 1–2
デンマークの旗 オールボーBK 2–1
ベルギーの旗 RSCアンデルレヒト 2–1
ラウンド16 ギリシャの旗 AEKアテネFC 3–0 1–1 4–1
準々決勝 ポルトガルの旗 SLベンフィカ 1–0 2–1 3–1
準決勝 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 3–3(延長) 1–1 4–4[29]
2010–11 プレーオフ キプロスの旗 APOELニコシア 1–0 1–1 (延長) 2–1
グループリーグ デンマークの旗 オーデンセBK 2–1 1–1 3位
スイスの旗 BSCヤング・ボーイズ 1–0 0–2
ドイツの旗 VfBシュトゥットガルト 0–3 0–1

成績

過去の成績

シーズン ディビジョン 順位 試合数 得点 失点 勝ち点 コパ・デル・レイ 注釈
1983-84 地域リーグ 1 - - - - - - 62 参加せず 昇格
1984-85 地域リーグ 1 - - - - - - 59 参加せず 昇格
1985-86 地域リーグ 1 - - - - - - 56 参加せず 昇格
1986-87 テルセーラ 6 38 17 10 11 63 45 44 参加せず 昇格
1987-88 セグンダB 3 38 18 11 9 71 41 47 4回戦敗退
1988-89 セグンダB 6 38 16 11 11 52 36 43 1回戦敗退
1989-90 セグンダB 2 38 18 15 5 54 30 51 参加せず
1990-91 セグンダB 4 38 16 13 9 45 24 45 4回戦敗退 昇格プレーオフ敗退
1991-92 セグンダB 6 38 17 11 10 56 35 45 5回戦敗退
1992-93 セグンダB 4 38 15 17 6 42 28 47 3回戦敗退 昇格プレーオフ敗退
1993-94 セグンダB 2 38 17 16 5 53 31 50 4回戦敗退 昇格
1994-95 セグンダ 18 38 5 20 13 26 42 30 3回戦敗退 リーグ拡大により降格回避
1995-96 セグンダ 19 38 7 11 20 30 52 32 2回戦敗退 降格
1996-97 セグンダB 16 38 12 9 17 44 54 45 1回戦敗退 残留プレーオフ出場
1997-98 セグンダB 7 38 17 6 15 45 40 57 参加せず
1998-99 セグンダB 1 38 21 9 8 50 23 72 参加せず 昇格
1999-00 セグンダ 19 42 13 9 20 39 51 48 2回戦敗退
2000-01 セグンダ 21 42 8 11 23 42 65 35 1回戦敗退 降格
2001-02 セグンダB 5 38 17 10 11 48 37 61 1回戦敗退 昇格プレーオフ出場
2002-03 セグンダ 11 42 13 14 15 52 55 53 2回戦敗退
2003-04 セグンダ 2 42 20 16 6 55 38 76 1回戦敗退 昇格
2004-05 プリメーラ 13 38 12 11 15 38 46 47 ベスト16
2005-06 プリメーラ 9 38 15 9 14 54 49 54 ベスト16
2006-07 プリメーラ 9 38 14 10 14 39 33 52 準優勝 UEFAカップ出場権獲得
2007-08 プリメーラ 14 38 12 11 15 44 48 47 準優勝 UEFAカップ ベスト8
2008-09 プリメーラ 17 38 10 12 16 50 56 42 ベスト16
2009-10 プリメーラ 6 38 17 7 14 58 48 58 ベスト4 UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得
2010-11 プリメーラ 16 38 12 8 18 49 60 44 ベスト16
2011-12 プリメーラ 13 38 12 11 15 40 51 47 4回戦敗退
2012-13 プリメーラ 10 38 13 8 17 43 57 47 ベスト16
2013-14 プリメーラ 13 38 11 9 18 35 54 42 ベスト16
2014-15 プリメーラ 15 38 10 7 21 33 64 37 ベスト8
2015-16 プリメーラ 19 38 9 9 20 37 67 36 ベスト32 降格
2016-17 セグンダ 3 42 18 14 10 55 43 68 2回戦敗退 昇格
2017-18 プリメーラ   38          

過去の成績

シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1983-84 地域リーグ 1位 参加せず
1984-85 地域リーグ 1位 参加せず
1985-86 地域リーグ 1位 参加せず
1986-87 テルセーラ 6位 参加せず
1987-88 セグンダB 3位 4回戦敗退
1988-89 セグンダB 6位 1回戦敗退
1989-90 セグンダB 2位 参加せず
1990-91 セグンダB 4位 4回戦敗退
1991-92 セグンダB 6位 5回戦敗退
1992-93 セグンダB 4位 3回戦敗退
1993-94 セグンダB 2位 4回戦敗退
1994-95 セグンダ 18位 3回戦敗退
1995-96 セグンダ 19位 2回戦敗退
1996-97 セグンダB 16位 1回戦敗退
1997-98 セグンダB 7位 参加せず
1998-99 セグンダB 1位 参加せず
1999-00 セグンダ 19位 2回戦敗退
2000-01 セグンダ 21位 1回戦敗退
2001-02 セグンダB 5位 1回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2002-03 セグンダ 11位 2回戦敗退
2003-04 セグンダ 2位 1回戦敗退
2004-05 プリメーラ 13位 ベスト16
2005-06 プリメーラ 9位 ベスト16
2006-07 プリメーラ 9位 準優勝
2007-08 プリメーラ 14位 準優勝
2008-09 プリメーラ 17位 ベスト16
2009-10 プリメーラ 6位 ベスト4
2010-11 プリメーラ 16位 ベスト16
2011-12 プリメーラ 13位 4回戦敗退
2012-13 プリメーラ 10位 ベスト16
2013-14 プリメーラ 13位 ベスト16
2014-15 プリメーラ 15位 ベスト8
2015-16 プリメーラ 19位 ベスト32
2016-17 セグンダ 3位 2回戦敗退
2017-18 プリメーラ  位

現所属メンバー

2017年7月24日時点

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK スペイン アルベルト・ガルシア
2 DF スペイン カルロス・ゴンサレス・ペーニャ
4 MF アルゼンチン アレハンドロ・ファウリン
5 MF ルーマニア パウル・アントン
6 DF アルゼンチン カタ・ディアス
7 FW アルゼンチン エミリアーノ・ブエンディア
8 MF アルジェリア メディ・ラセン
10 MF 日本 柴崎岳
11 FW スペイン チュリ
12 MF スペイン フランシスコ・ポルティージョ
13 GK スペイン ビセンテ・グアイタ
14 MF スペイン ダビド・フステル
No. Pos. 選手名
15 DF スペイン フランシスコ・モリネロ
16 DF スペイン カラ
17 DF アルゼンチン ニコラス・ゴロシート
18 MF アルゼンチン ファクンド・カスティヨン
19 FW スペイン ホルヘ・モリーナ
20 MF スペイン ダニ・パチェコ
22 DF ウルグアイ ダミアン・スアレス
23 MF スペイン アルバロ・ヒメネス
25 MF スペイン セルヒオ・モラ
-- DF スペイン ブルーノ・ゴンサレス
-- DF ポルトガル ヴィトリーノ・アントゥネス

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
5 MF ルーマニア パウル・アントン (FCディナモ・ブカレスト)
11 FW スペイン チュリ (UDアルメリア)
18 MF アルゼンチン ファクンド・カスティヨン (ラシン・クラブ)
No. Pos. 選手名
23 MF スペイン アルバロ・ヒメネス (レアル・マドリード・カスティージャ)
-- DF ポルトガル ヴィトリーノ・アントゥネス (FCディナモ・キエフ)

歴代会長

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

  1. ^ CARTA ROYAL EMIRATES GROUP ヘタフェCF公式サイト
  2. ^ Getafe sale to Dubai is confirmed The National
  3. ^ a b El estadio del Getafe CF ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  4. ^ En 1945 se comenzaba a crear un histórico ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  5. ^ Los primeros encuentros en el Campo del Regimiento de Artillería ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  6. ^ En Tercera en Las Margaritas ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  7. ^ a b El actual Getafe CF Getafe history (スペイン語)
  8. ^ Vuelve a resurgir a lo más alto ヘタフェCF公式サイト (スペイン語)
  9. ^ 2003/04 Spanish Second Division match reports
  10. ^ Spain – Regional Analysis RSSSF
  11. ^ ESPNsoccernet Match Report
  12. ^ ESPNsoccernet Match Report
  13. ^ 2005/06 Spanish Primera Transfers
  14. ^ 2005/06 Spanish Primera Standings, Matchday 8 (スペイン語)
  15. ^ 2005/06 Spanish Primera Final Table
  16. ^ Spain send for Pernia Sky Sports、2006年5月30日
  17. ^ Pernia completes Atletico transfer CNN、2006年6月30日
  18. ^ 2006/07 Spanish Primera Final Table
  19. ^ ESPNsoccernet Match Report
  20. ^ ESPNsoccernet Match Report
  21. ^ ESPNsoccernet Match Report
  22. ^ Schuster confirmed as new Real coach The Guardian、2007年7月9日
  23. ^ Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement Reuters、2007年7月9日
  24. ^ UEFA Cup Group G UEFA.com
  25. ^ ESPNsoccernet Match Report
  26. ^ Heartbreak for Getafe as Bayern fight back FourFourTwo、2008年4月10日
  27. ^ Valencia win Copa del Rey FIFA.com、2008年4月16日
  28. ^ 勝敗はアウェーゴールルールによる
  29. ^ 勝敗はアウェーゴールルールによる

外部リンク

公式サイト

サポータークラブ

公式ファンサイト