「ヘタフェCF」の版間の差分
69行目: | 69行目: | ||
==== 国内や欧州カップ戦での躍進 ==== |
==== 国内や欧州カップ戦での躍進 ==== |
||
[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]メンバーに[[マリアーノ・ペルニア]]が選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった<ref>[http://www.skysports.com/story/0,19528,11668_2378589,00.html Spain send for Pernia] Sky Sports、2006年5月30日</ref><ref>[http://edition.cnn.com/2006/SPORT/football/06/30/spain.pernia/index.html?section=cnn_latest Pernia completes Atletico transfer] CNN、2006年6月30日</ref>。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった<ref>[http://www.soccer-spain.com/ssdocs/results2006/table1.html 2006/07 Spanish Primera Final Table]</ref>。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]は[[サモラ賞]](最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前は[[コパ・デル・レイ]]で準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝で[[FCバルセロナ]]を破って決勝に進出した。[[カンプ・ノウ]]で行われたファーストレグは2-5で敗れたが<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=216690&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、[[コリセウム・アルフォンソ・ペレス]]でのセカンドレグに4-0で勝利し<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=215505&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。[[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ]]で行われた決勝では[[セビージャFC]]に0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=217345&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。セビージャFCはすでに[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を獲得していたため、ヘタフェCFが[[UEFAカップ]]の出場権を獲得した。2007年夏には[[ベルント・シュスター]]監督が[[レアル・マドリード]]に去り<ref>[http://www.guardian.co.uk/football/2007/jul/09/newsstory.europeanfootball Schuster confirmed as new Real coach] The Guardian、2007年7月9日</ref>、後任には[[ミカエル・ラウドルップ]]監督が就任した<ref>[http://uk.reuters.com/article/UK_WORLDFOOTBALL/idUKL0917612020070709 Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement] Reuters、2007年7月9日</ref>。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した<ref>[http://www.uefa.com/competitions/uefacup/standings/round=15119/group=700724.html UEFA Cup Group G] UEFA.com</ref>。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験がある[[バイエルン・ミュンヘン]]との対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムに[[コスミン・コントラ]]が同点弾を挙げて1-1で終えた<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=238320&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。ホームでのセカンドレグでは開始6分に[[ルベン・デ・ラ・レー]]が退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分に[[フランク・リベリー]]が同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階に[[ハビエル・カスケーロ]]と途中出場の[[ブラウリオ・ノブレガ]]が得点して3-1とリードしたが、バイエルンは[[ルカ・トーニ]]の2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった<ref>[http://fourfourtwo.com/news/spain/7204/default.aspx Heartbreak for Getafe as Bayern fight back] FourFourTwo、2008年4月10日</ref>。同シーズンの[[コパ・デル・レイ]]では2シーズン連続で決勝に進出したが、[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン]]で行われた[[バレンシアCF]]戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった<ref>[http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=743973.html Valencia win Copa del Rey] FIFA.com、2008年4月16日</ref>。 |
[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]メンバーに[[マリアーノ・ペルニア]]が選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった<ref>[http://www.skysports.com/story/0,19528,11668_2378589,00.html Spain send for Pernia] Sky Sports、2006年5月30日</ref><ref>[http://edition.cnn.com/2006/SPORT/football/06/30/spain.pernia/index.html?section=cnn_latest Pernia completes Atletico transfer] CNN、2006年6月30日</ref>。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった<ref>[http://www.soccer-spain.com/ssdocs/results2006/table1.html 2006/07 Spanish Primera Final Table]</ref>。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]は[[サモラ賞]](最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前は[[コパ・デル・レイ]]で準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝で[[FCバルセロナ]]を破って決勝に進出した。[[カンプ・ノウ]]で行われたファーストレグは2-5で敗れたが<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=216690&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、[[コリセウム・アルフォンソ・ペレス]]でのセカンドレグに4-0で勝利し<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=215505&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。[[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ]]で行われた決勝では[[セビージャFC]]に0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=217345&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。セビージャFCはすでに[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を獲得していたため、ヘタフェCFが[[UEFAカップ]]の出場権を獲得した。2007年夏には[[ベルント・シュスター]]監督が[[レアル・マドリード]]に去り<ref>[http://www.guardian.co.uk/football/2007/jul/09/newsstory.europeanfootball Schuster confirmed as new Real coach] The Guardian、2007年7月9日</ref>、後任には[[ミカエル・ラウドルップ]]監督が就任した<ref>[http://uk.reuters.com/article/UK_WORLDFOOTBALL/idUKL0917612020070709 Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement] Reuters、2007年7月9日</ref>。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した<ref>[http://www.uefa.com/competitions/uefacup/standings/round=15119/group=700724.html UEFA Cup Group G] UEFA.com</ref>。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験がある[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]との対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムに[[コスミン・コントラ]]が同点弾を挙げて1-1で終えた<ref>[http://soccernet.espn.go.com/match?id=238320&cc=3436 ESPNsoccernet Match Report]</ref>。ホームでのセカンドレグでは開始6分に[[ルベン・デ・ラ・レー]]が退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分に[[フランク・リベリー]]が同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階に[[ハビエル・カスケーロ]]と途中出場の[[ブラウリオ・ノブレガ]]が得点して3-1とリードしたが、バイエルンは[[ルカ・トーニ]]の2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった<ref>[http://fourfourtwo.com/news/spain/7204/default.aspx Heartbreak for Getafe as Bayern fight back] FourFourTwo、2008年4月10日</ref>。同シーズンの[[コパ・デル・レイ]]では2シーズン連続で決勝に進出したが、[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン]]で行われた[[バレンシアCF]]戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった<ref>[http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=743973.html Valencia win Copa del Rey] FIFA.com、2008年4月16日</ref>。 |
||
2008年夏には、MF[[ルベン・デ・ラ・レー]]が抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMF[[オイゲン・ポランスキ]]を加え、その他にも[[コパ・リベルタドーレス]]優勝に貢献したMF[[ホフレ・ゲロン]]、[[レアル・マドリード]]からFW[[ロベルト・ソルダード]]などを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のある[[ビクトル・ムニョス]]監督を選んだ。しかし、GK[[オスカル・ウスタリ]]がシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]が冬の移籍期間に[[ボカ・ジュニアーズ]]に復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託された[[ミチェル]]監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、[[セグンダ・ディビシオン]](2部)に降格した[[レアル・ベティス]]と同勝ち点の17位で[[プリメーラ・ディビシオン]](1部)残留に成功した。 |
2008年夏には、MF[[ルベン・デ・ラ・レー]]が抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMF[[オイゲン・ポランスキ]]を加え、その他にも[[コパ・リベルタドーレス]]優勝に貢献したMF[[ホフレ・ゲロン]]、[[レアル・マドリード]]からFW[[ロベルト・ソルダード]]などを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のある[[ビクトル・ムニョス]]監督を選んだ。しかし、GK[[オスカル・ウスタリ]]がシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GK[[ロベルト・アボンダンシェリ]]が冬の移籍期間に[[ボカ・ジュニアーズ]]に復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託された[[ミチェル]]監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、[[セグンダ・ディビシオン]](2部)に降格した[[レアル・ベティス]]と同勝ち点の17位で[[プリメーラ・ディビシオン]](1部)残留に成功した。 |
||
161行目: | 161行目: | ||
|準決勝 |
|準決勝 |
||
|{{flagicon|GER}} |
|{{flagicon|GER}} |
||
|[[バイエルン・ミュンヘン]] |
|[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]] |
||
|3–3(延長) |
|3–3(延長) |
||
|1–1 |
|1–1 |
2017年8月29日 (火) 09:35時点における版
ヘタフェCF | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Getafe Club de Fútbol S.A.D. | |||
愛称 |
Azulones (アスロネス, 濃青), El Geta (エル・ヘタ) | |||
クラブカラー | 青 | |||
創設年 | 1983年 | |||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
ホームタウン | ヘタフェ | |||
ホームスタジアム | コリセウム・アルフォンソ・ペレス | |||
収容人数 | 17,393 | |||
代表者 | アンヘル・トーレス・サンチェス | |||
監督 | ホセ・ボルダラス | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル(Getafe Club de Fútbol S.A.D.)は、スペインのマドリード州ヘタフェに本拠地を置くサッカークラブ。リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属している。
概要
1946年に設立され、1983年に再設立された。2004-05シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。2011年4月25日、クラブはドバイにあるロイヤル・エミレーツ・グループに7000万ユーロから9000万ユーロで買収された[1][2]。ヘタフェにあるコリセウム・アルフォンソ・ペレスを本拠地として使用している。スタジアムは1998年1月1日に落成し、スペイン代表やレアル・マドリードでプレーしたアルフォンソ・ペレス(ヘタフェ市出身)の名を冠している。しかし、ペレスはヘタフェCFに在籍したことがないどころか、ヘタフェCFと対戦したこともなく、コリセウムに入場したこともない[3]。コリセウムの完成以前は、ラス・マルガリータス・スポーツ公園(Sports City of Las Margaritas)にあるエスタディオ・デ・ラス・マルガリータスを本拠地として使用していた。
同じマドリード自治州の両名門クラブレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードとの関係は比較的良好。そのためレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードから若手選手をレンタルで獲得することも多い。またバレンシアCFとも密接な繋がりがあり、ヘタフェCFで実績を挙げたキケ・サンチェス・フローレス監督がバレンシアCFに引き抜かれたり、バレンシアCFの若手有望選手をレンタルで獲得したりと交流が深い。なお、アンヘル・トーレス会長は熱心なマドリディスタ(レアル・マドリードのファン)である。
歴史
クルブ・ヘタフェ・デポルティーボ
創設
1945年、ヘタフェ在住のエンリケ・コンデス・ガルシア、アウレリオ・ミランダ・オラバリア、アントニオ・コリドール・ロサーノ、マヌエル・セラーノ・ベルガラ、ミゲル・クベロ・フランセスの5人がラ・マルケシーナ(La Marquesina)というバルに集い、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルの設立を決めた。公式には1946年2月24日に設立され、クルブ・ヘタフェ・デポルティーボと名づけられた[4]。創設当初はゴールポストさえないカンポ・デル・レヒミエント・デ・アルティジェリアというグラウンドでプレーしていたが、すぐにサン・イシドロにある市営サン・イシドロ・スポーツセンターに移った。1956-57シーズン、CPビジャロベレードに勝利してテルセーラ・ディビシオン(当時3部)昇格を決めた。1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)昇格に近づいたが、CDアルメリアに敗れて昇格を逃した[5]。1969-70シーズンにはテルセーラ・ディビシオンへの昇格を決め、1970年9月2日に自前のスタジアムの落成試合を行った。フランシスコ・バラ会長が見守る中、ヘタフェは3-1でミチェリンに勝利した。1970-71シーズンはテルセーラ・ディビシオン残留を果たし、6年後にクラブ初のセグンダ・ディビシオン昇格を決めた[6]。
セグンダ・ディビシオン昇格
クルブ・ヘタフェ・デポルティーボは6シーズンの間セグンダ・ディビシオンでプレーし、いくらかの成功を収めたが、6シーズンとも10位以下であった。1978年にはコパ・デル・レイのラウンド16でFCバルセロナと対戦し、ホームで行われたファーストレグではスター選手が揃うFCバルセロナ相手に3-3と引き分けたが、カンプ・ノウで行われたセカンドレグでは0-8と粉砕された。1981-82シーズン終盤には選手への給料が支払われず、自動降格処分が下され、クラブは破産に追い込まれた。この一方で、1976年9月1日にはナショナル・スポーツ・カウンシルに新クラブが設立され、カスティージャ地方連盟に所属した。このクラブはペーニャ・マドリディスタ・ヘタフェ(レアル・マドリードのサポーターによるヘタフェ)として4シーズン、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェとして2シーズンプレーした。1982年7月10日、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェはより古くから存在するクルブ・ヘタフェ・プロメサスと統合し、再びカスティージャ地方連盟に登録した[7]。
ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル
再設立
1982年に合併したクラブを基にし、1983年7月8日、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルが公式に設立された[7]。1983-84シーズンの地域リーグに登録してチームが始動し、4シーズン連続で昇格を決めて1987年にはセグンダ・ディビシオンB(3部)に到達した。1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンで2位となってセグンダ・ディビシオンに昇格したが、2シーズンとも下位に低迷してセグンダ・ディビシオンBに舞い戻った[8]。1997年にはテルセーラ・ディビシオン降格の危機が訪れたが、昇降格プレーオフでSDウエスカに勝利して降格を免れた。1998年1月1日にはコリセウム・アルフォンソ・ペレスが落成した[3]。1990年代後半から2000年代前半にはセグンダ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンBを行き来するエレベータークラブであったが、2003-04シーズンはシーズンの大半を順位表の最上位で過ごした。CDテネリフェに勝利することでプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格が決まる最終節はセルヒオ・パチョンの5得点で5-3と勝利し、クラブ初のトップリーグ昇格を決めた[9]。レアル・マドリード、アトレティコ・マドリード、ラーヨ・バジェカーノに次いで、プリメーラ・ディビシオンに在籍するマドリード自治州内4番目のクラブとなり、マドリード市外のクラブとしては初のプリメーラ所属クラブとなった[10]。
プリメーラ・ディビシオン昇格
トップリーグに挑戦するにあたってキケ・サンチェス・フローレス監督を招聘したが、2004-05シーズンは順位表の下位に沈む低調な出だしだった。ホームではRCDエスパニョール、アスレティック・ビルバオ、バレンシアCF、レアル・マドリードなどに勝利したが[11]、アウェーではアスレティック・ビルバオから挙げた1勝に終わった[12]。最終的には13位でシーズンを終え、昇格組3クラブの中で唯一残留を果たした。2005年夏にはキケ・フローレス監督をバレンシアCFに引き抜かれたため、レバンテUD監督を解任されたベルント・シュスター監督を起用した[13]。2005-06シーズンはシュスター監督の目指したダイナミックで縦に早いサッカーがはまり、一時的にリーグ首位に立った[14]。その後徐々に順位を落としたが、最終的には9位と健闘した[15]。
国内や欧州カップ戦での躍進
2006 FIFAワールドカップのスペイン代表メンバーにマリアーノ・ペルニアが選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった[16][17]。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった[18]。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGKロベルト・アボンダンシェリはサモラ賞(最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前はコパ・デル・レイで準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝でFCバルセロナを破って決勝に進出した。カンプ・ノウで行われたファーストレグは2-5で敗れたが[19]、コリセウム・アルフォンソ・ペレスでのセカンドレグに4-0で勝利し[20]、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではセビージャFCに0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した[21]。セビージャFCはすでにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得していたため、ヘタフェCFがUEFAカップの出場権を獲得した。2007年夏にはベルント・シュスター監督がレアル・マドリードに去り[22]、後任にはミカエル・ラウドルップ監督が就任した[23]。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した[24]。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験があるバイエルン・ミュンヘンとの対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムにコスミン・コントラが同点弾を挙げて1-1で終えた[25]。ホームでのセカンドレグでは開始6分にルベン・デ・ラ・レーが退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分にフランク・リベリーが同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階にハビエル・カスケーロと途中出場のブラウリオ・ノブレガが得点して3-1とリードしたが、バイエルンはルカ・トーニの2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった[26]。同シーズンのコパ・デル・レイでは2シーズン連続で決勝に進出したが、エスタディオ・ビセンテ・カルデロンで行われたバレンシアCF戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった[27]。
2008年夏には、MFルベン・デ・ラ・レーが抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMFオイゲン・ポランスキを加え、その他にもコパ・リベルタドーレス優勝に貢献したMFホフレ・ゲロン、レアル・マドリードからFWロベルト・ソルダードなどを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のあるビクトル・ムニョス監督を選んだ。しかし、GKオスカル・ウスタリがシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GKロベルト・アボンダンシェリが冬の移籍期間にボカ・ジュニアーズに復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託されたミチェル監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、セグンダ・ディビシオン(2部)に降格したレアル・ベティスと同勝ち点の17位でプリメーラ・ディビシオン(1部)残留に成功した。
シーズン終了後にMFエステバン・グラネロやFWイケチュク・ウチェら攻撃の主力が抜けたものの、DFマネやMFペドロ・レオンなど即戦力の実力者を獲得した。関係が良好なレアル・マドリードからはGKジョルディ・コディーナ、DFミゲル・トーレス、MFダニエル・パレホの3選手をすべて完全移籍で獲得した。十分な準備期間を与えられたミチェル監督はプレシーズンの11試合を8勝3分(22得点8失点)の負けなしで終えた。2009-10シーズンはソルダードが16得点を記録するなど攻撃サッカーで旋風を巻き起こし、6位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2010年夏にはソルダードやペドロ・レオンなどの主力選手が抜け、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ敗退に終わった。2010-11シーズンのリーグ戦では後半戦に調子を落とし、34節終了時には降格圏内の18位まで沈んだが、最終的には16位で辛うじて残留を決めた。
ユニフォーム
伝統的にホームでは青色のシャツを着用する。アウェーでは一般に赤色のシャツを着用するが、これは近年は変更されつつある。ユニフォームのサプライヤーはホマ(Joma)である。
期間 | 胸スポンサー |
---|---|
2004-2005 | オプシオン(セントロ・デ・オシオ) |
2005-2006 | PSG |
2006-2009 | グルポ・ガルコ |
2009- | バーガーキング |
タイトル
国内タイトル
- 優勝 (1): 1998-99
個人タイトル
- サモラ賞 : ロベルト・アボンダンシェリ 2006-2007
欧州カップ戦の試合一覧
シーズン | ラウンド | 国 | クラブ | ホーム | アウェー | 総計 |
---|---|---|---|---|---|---|
2007–08 | プレーオフ | FCトゥウェンテ | 1–0 | 2–3(延長) | 3–3[28] | |
グループリーグ | トッテナム・ホットスパーFC | 2–1 | 1位 | |||
ハポエル・テルアビブFC | 1–2 | |||||
オールボーBK | 2–1 | |||||
RSCアンデルレヒト | 2–1 | |||||
ラウンド16 | AEKアテネFC | 3–0 | 1–1 | 4–1 | ||
準々決勝 | SLベンフィカ | 1–0 | 2–1 | 3–1 | ||
準決勝 | バイエルン・ミュンヘン | 3–3(延長) | 1–1 | 4–4[29] | ||
2010–11 | プレーオフ | APOELニコシア | 1–0 | 1–1 (延長) | 2–1 | |
グループリーグ | オーデンセBK | 2–1 | 1–1 | 3位 | ||
BSCヤング・ボーイズ | 1–0 | 0–2 | ||||
VfBシュトゥットガルト | 0–3 | 0–1 |
成績
過去の成績
シーズン ディビジョン 順位 試合数 勝 分 敗 得点 失点 勝ち点 コパ・デル・レイ 注釈 1983-84 地域リーグ 1 - - - - - - 62 参加せず 昇格 1984-85 地域リーグ 1 - - - - - - 59 参加せず 昇格 1985-86 地域リーグ 1 - - - - - - 56 参加せず 昇格 1986-87 テルセーラ 6 38 17 10 11 63 45 44 参加せず 昇格 1987-88 セグンダB 3 38 18 11 9 71 41 47 4回戦敗退 1988-89 セグンダB 6 38 16 11 11 52 36 43 1回戦敗退 1989-90 セグンダB 2 38 18 15 5 54 30 51 参加せず 1990-91 セグンダB 4 38 16 13 9 45 24 45 4回戦敗退 昇格プレーオフ敗退 1991-92 セグンダB 6 38 17 11 10 56 35 45 5回戦敗退 1992-93 セグンダB 4 38 15 17 6 42 28 47 3回戦敗退 昇格プレーオフ敗退 1993-94 セグンダB 2 38 17 16 5 53 31 50 4回戦敗退 昇格 1994-95 セグンダ 18 38 5 20 13 26 42 30 3回戦敗退 リーグ拡大により降格回避 1995-96 セグンダ 19 38 7 11 20 30 52 32 2回戦敗退 降格 1996-97 セグンダB 16 38 12 9 17 44 54 45 1回戦敗退 残留プレーオフ出場 1997-98 セグンダB 7 38 17 6 15 45 40 57 参加せず 1998-99 セグンダB 1 38 21 9 8 50 23 72 参加せず 昇格 1999-00 セグンダ 19 42 13 9 20 39 51 48 2回戦敗退 2000-01 セグンダ 21 42 8 11 23 42 65 35 1回戦敗退 降格 2001-02 セグンダB 5 38 17 10 11 48 37 61 1回戦敗退 昇格プレーオフ出場 2002-03 セグンダ 11 42 13 14 15 52 55 53 2回戦敗退 2003-04 セグンダ 2 42 20 16 6 55 38 76 1回戦敗退 昇格 2004-05 プリメーラ 13 38 12 11 15 38 46 47 ベスト16 2005-06 プリメーラ 9 38 15 9 14 54 49 54 ベスト16 2006-07 プリメーラ 9 38 14 10 14 39 33 52 準優勝 UEFAカップ出場権獲得 2007-08 プリメーラ 14 38 12 11 15 44 48 47 準優勝 UEFAカップ ベスト8 2008-09 プリメーラ 17 38 10 12 16 50 56 42 ベスト16 2009-10 プリメーラ 6 38 17 7 14 58 48 58 ベスト4 UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得 2010-11 プリメーラ 16 38 12 8 18 49 60 44 ベスト16 2011-12 プリメーラ 13 38 12 11 15 40 51 47 4回戦敗退 2012-13 プリメーラ 10 38 13 8 17 43 57 47 ベスト16 2013-14 プリメーラ 13 38 11 9 18 35 54 42 ベスト16 2014-15 プリメーラ 15 38 10 7 21 33 64 37 ベスト8 2015-16 プリメーラ 19 38 9 9 20 37 67 36 ベスト32 降格 2016-17 セグンダ 3 42 18 14 10 55 43 68 2回戦敗退 昇格 2017-18 プリメーラ 38
過去の成績
|
|
- 13シーズン - プリメーラ・ディビシオン
- 7シーズン - セグンダ・ディビシオン
- 11シーズン - セグンダ・ディビシオンB
- 1シーズン - テルセーラ・ディビシオン
- 3シーズン - 地域リーグ
- 2回出場 - UEFAヨーロッパリーグ
現所属メンバー
- 2017年7月24日時点
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
歴代会長
- アントニオ・デ・ミゲル 1983-1992
- フランシスコ・フローレス 1992-2000
- フェリペ・ゴンサレス 2000-2001
- ドミンゴ・レボシオ 2001
- アンヘル・トーレス 2002-
歴代監督
- キケ・サンチェス・フローレス 2004-2005
- ベルント・シュスター 2005-2007
- ミカエル・ラウドルップ 2007-2008
- ビクトル・ムニョス 2008-2009
- ミチェル 2009-2011
- ルイス・ガルシア・プラサ 2011-2014
- コスミン・コントラ 2014
- キケ・サンチェス・フローレス 2015
- パブロ・フランコ 2015
- フラン・エスクリバ 2015-2016
- フアン・エスナイデル 2016
- ホセ・ボルダラス 2016-
歴代所属選手
GK
- セルヒオ・サンチェス・サンチェス 2003-2005
- ロベルト・アボンダンシェリ 2006-2009
- オスカル・ウスタリ 2007-2012
- ハコボ・サンス 2008-2009
- ヴラディミル・ストイコヴィッチ 2008-2009
- ジョルディ・コディーナ 2009-
- メジェリ・バラージュ 2015-2016
DF
- ダビド・ベレンゲル 2003-2010
- ハビエル・パレデス 2003-2005
- ラウール・アルビオル 2004-2005
- マリアーノ・ペルニア 2004-2006
- コスミン・コントラ 2005-2009
- アレクシス 2006-2007, 2012-2016
MF
- マリオ・コテロ 2003-2009
- フランシスコ・ガジャルド 2003-2004
- ガビ 2004-2005
- ハイメ・ガビラン 2005-2006,2008-
- ファビオ・セレスティーニ 2005-2010
- フアン・アンヘル・アルビン 2006-2011
- フランシスコ・ソウザ 2006-2009
- ハビエル・カスケーロ 2006-2012
- エステバン・グラネロ 2007-2009
- パブロ・エルナンデス 2007-2008
- ルベン・デ・ラ・レー 2007-2008
- オイゲン・ポランスキ 2008-2009
- アドリアン・ゴンサレス 2008-2010
- ラファ・ロペス 2008-
- ダニエル・パレホ 2009-2011
- デレク・ボアテング 2009-2011
- ペドロ・レオン 2009-2010, 2011-
- ペドロ・リオス 2009-2012
- サミール 2014.1-2015.2
FW
- ルイス・アラゴネス 1957-1958
- ジカ・クライオベアヌ 2002-2006
- リキ 2004-2006
- ダニエル・ゴンサレス・グイサ 2005–2007
- ヴェリコ・パウノヴィッチ 2005-2007
- マヌエル・デル・モラル 2006-2011
- ケパ・ブランコ 2007-2010
- イケチュク・ウチェ 2007-2009
- ホフレ・ゲロン 2008-2010
- ロベルト・ソルダード 2008-2010
脚注
- ^ CARTA ROYAL EMIRATES GROUP ヘタフェCF公式サイト
- ^ Getafe sale to Dubai is confirmed The National
- ^ a b El estadio del Getafe CF ヘタフェCF公式サイト
- ^ En 1945 se comenzaba a crear un histórico ヘタフェCF公式サイト
- ^ Los primeros encuentros en el Campo del Regimiento de Artillería ヘタフェCF公式サイト
- ^ En Tercera en Las Margaritas ヘタフェCF公式サイト
- ^ a b El actual Getafe CF Getafe history
- ^ Vuelve a resurgir a lo más alto ヘタフェCF公式サイト
- ^ 2003/04 Spanish Second Division match reports
- ^ Spain – Regional Analysis RSSSF
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ 2005/06 Spanish Primera Transfers
- ^ 2005/06 Spanish Primera Standings, Matchday 8
- ^ 2005/06 Spanish Primera Final Table
- ^ Spain send for Pernia Sky Sports、2006年5月30日
- ^ Pernia completes Atletico transfer CNN、2006年6月30日
- ^ 2006/07 Spanish Primera Final Table
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ Schuster confirmed as new Real coach The Guardian、2007年7月9日
- ^ Getafe appoint Laudrup as Schuster's replacement Reuters、2007年7月9日
- ^ UEFA Cup Group G UEFA.com
- ^ ESPNsoccernet Match Report
- ^ Heartbreak for Getafe as Bayern fight back FourFourTwo、2008年4月10日
- ^ Valencia win Copa del Rey FIFA.com、2008年4月16日
- ^ 勝敗はアウェーゴールルールによる
- ^ 勝敗はアウェーゴールルールによる
外部リンク
公式サイト
サポータークラブ
公式ファンサイト