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2008年夏には[[ミヒャエル・スキッベ]]監督を解任し、フェラーSDの強い推薦により[[ブルーノ・ラッバディア]]新監督を迎えた。MF[[セルゲイ・バルバレス]]、MF[[カルステン・ラメロウ]]らベテランが引退したが、MF[[レナト・アウグスト]]、DF[[エンリケ・アドリアーノ・ブス|エンリケ]]、FW[[パトリック・ヘルメス]]など若手の逸材を多数獲得した。2008-09シーズンは[[DFBポカール]]で準優勝し、リーグ戦でも一時、首位に立ったが、後半戦に調子を落とし、9位に終わった。またこのシーズン、ホームスタジアムのバイ・アレナが改修工事のため[[エスプリ・アレーナ]]を使用した。 |
2008年夏には[[ミヒャエル・スキッベ]]監督を解任し、フェラーSDの強い推薦により[[ブルーノ・ラッバディア]]新監督を迎えた。MF[[セルゲイ・バルバレス]]、MF[[カルステン・ラメロウ]]らベテランが引退したが、MF[[レナト・アウグスト]]、DF[[エンリケ・アドリアーノ・ブス|エンリケ]]、FW[[パトリック・ヘルメス]]など若手の逸材を多数獲得した。2008-09シーズンは[[DFBポカール]]で準優勝し、リーグ戦でも一時、首位に立ったが、後半戦に調子を落とし、9位に終わった。またこのシーズン、ホームスタジアムのバイ・アレナが改修工事のため[[エスプリ・アレーナ]]を使用した。 |
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21得点を挙げたFW[[パトリック・ヘルメス]]が2009年6月に靭帯断裂の大怪我を負い、2009-10シーズン開幕から半年を棒に振ったが、[[リヴァプールFC|リヴァプール]]から獲得したDF[[サミ・ヒーピア]]が若手主体のチームに安定感をもたらした。2009-10シーズン前半戦9勝8分0敗で、[[ハンブルガーSV]] (1982-83) 、[[バイエルン・ミュンヘン]] (1988-89) に次ぐブンデスリーガ史上3チーム目の無敗での「冬の王者」になった。 |
21得点を挙げたFW[[パトリック・ヘルメス]]が2009年6月に靭帯断裂の大怪我を負い、2009-10シーズン開幕から半年を棒に振ったが、[[リヴァプールFC|リヴァプール]]から獲得したDF[[サミ・ヒーピア]]が若手主体のチームに安定感をもたらした。2009-10シーズン前半戦9勝8分0敗で、[[ハンブルガーSV]] (1982-83) 、[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]] (1988-89) に次ぐブンデスリーガ史上3チーム目の無敗での「冬の王者」になった。 |
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2010-11シーズンは前シーズンで「冬の王者」となった勢いをそのままに2位と「準三冠」を達成した2001-02シーズン以来の躍進を遂げた。2011-12シーズンは躍進の立役者[[ユップ・ハインケス]]監督はバイエルンへ、[[アルトゥーロ・ビダル]]は[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]へ引き抜かれ、[[SCフライブルク|フライブルク]]を躍進へと導いた[[ロビン・ドゥット]]新監督を迎えた。開幕戦の[[1.FSVマインツ05|マインツ]]戦 (0-2) を落とし、勢いに乗ることができず、2012年3月31日に行われたフライブルク戦 (0-2) で公式戦5連敗を喫したことをきっかけに解任された。結局優勝争いに絡むことなく、5位に終わった。 |
2010-11シーズンは前シーズンで「冬の王者」となった勢いをそのままに2位と「準三冠」を達成した2001-02シーズン以来の躍進を遂げた。2011-12シーズンは躍進の立役者[[ユップ・ハインケス]]監督はバイエルンへ、[[アルトゥーロ・ビダル]]は[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]へ引き抜かれ、[[SCフライブルク|フライブルク]]を躍進へと導いた[[ロビン・ドゥット]]新監督を迎えた。開幕戦の[[1.FSVマインツ05|マインツ]]戦 (0-2) を落とし、勢いに乗ることができず、2012年3月31日に行われたフライブルク戦 (0-2) で公式戦5連敗を喫したことをきっかけに解任された。結局優勝争いに絡むことなく、5位に終わった。 |
2017年8月29日 (火) 09:31時点における版
バイエル・レバークーゼン | |||
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原語表記 | Bayer 04 Leverkusen Fußball GmbH | ||
愛称 | バイヤー・ヌルフィア (Bayer 04) | ||
クラブカラー | 赤と白と黒 | ||
創設年 | 1904年 | ||
所属リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | レバークーゼン | ||
ホームスタジアム | バイ・アレーナ | ||
収容人数 | 30,210 | ||
代表者 | ヴォルフガング・ホルツホイザー | ||
監督 | ハイコ・ヘルリッヒ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
バイエル04レバークーゼン(ドイツ語: Bayer 04 Leverkusen, Bayer null vier Leverkusen)は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州レバークーゼンを本拠地とするサッカークラブである。バイエル・レバークーゼン(Bayer Leverkusen, [ˌbaɪ̯ɐ ˈleːvɐˌkuːzn̩])とも呼ばれる。バイエルをバイヤー、レバークーゼンをレヴァークーゼン、レーバークーゼンなどと表記する場合もある。
レバークーゼンに本社を置く製薬会社バイエルの従業員によって設立された。以前は陸上競技や体操競技、バスケットボール、ボート、テニス、ホッケーなどに関わるスポーツクラブTSVバイエル04レバークーゼンの一部門であった。1999年にサッカー部門がクラブから分離し、現在は公式にBayer 04 Leverkusen Fußball GmbHと呼ばれる別の事業体である。
ブンデスリーガに所属し、これまでにDFBポカールとUEFAカップでそれぞれ1度ずつ優勝している。1958年から本拠地はバイ・アレーナである。ローカルライバルはケルン。
概要
ブンデスリーガに所属。バイエルをスポンサーに持ち、資金提供を受けて補強を図ってきた。歴史も長く古豪チームではあるが、リーグタイトルを手にしたことはない。2002年にUEFAチャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、ドイツカップをあと一歩のところで逃し、全て準優勝に終わるという「準三冠」(シルバーコレクター) を達成したこともある。
以降のチャンピオンズリーグの成績としては、2002-03シーズンに2次グループリーグ・ラウンドまで進出した他、2004-05シーズンにおいても決勝トーナメント1回戦まで進出している。このところは、チャンピオンズリーグよりもUEFAカップへの出場機会が多く、2005-06から2007-08シーズン間に3季連続で出場をし、2006-07、2007-08シーズンにおいてはベスト8まで進出している。UEFAクラブランキングでは2008-09シーズン終了時で32位につけている。
2007年夏、DFマヌエル・フリードリヒ、DFアルトゥーロ・ビダル、DFルカス・シンキエヴィッツなど、守備陣にレギュラークラスを多数確保し、VfLボーフムで得点王を獲得したFWテオファニス・ゲカスを迎え入れた。UEFAチャンピオンズリーグ出場権を目標に掲げたが、失点数の多さから敗戦は13を数え、UEFAチャンピオンズリーグのみならずUEFAカップ出場権も逃した。
2008年夏にはミヒャエル・スキッベ監督を解任し、フェラーSDの強い推薦によりブルーノ・ラッバディア新監督を迎えた。MFセルゲイ・バルバレス、MFカルステン・ラメロウらベテランが引退したが、MFレナト・アウグスト、DFエンリケ、FWパトリック・ヘルメスなど若手の逸材を多数獲得した。2008-09シーズンはDFBポカールで準優勝し、リーグ戦でも一時、首位に立ったが、後半戦に調子を落とし、9位に終わった。またこのシーズン、ホームスタジアムのバイ・アレナが改修工事のためエスプリ・アレーナを使用した。
21得点を挙げたFWパトリック・ヘルメスが2009年6月に靭帯断裂の大怪我を負い、2009-10シーズン開幕から半年を棒に振ったが、リヴァプールから獲得したDFサミ・ヒーピアが若手主体のチームに安定感をもたらした。2009-10シーズン前半戦9勝8分0敗で、ハンブルガーSV (1982-83) 、バイエルン・ミュンヘン (1988-89) に次ぐブンデスリーガ史上3チーム目の無敗での「冬の王者」になった。
2010-11シーズンは前シーズンで「冬の王者」となった勢いをそのままに2位と「準三冠」を達成した2001-02シーズン以来の躍進を遂げた。2011-12シーズンは躍進の立役者ユップ・ハインケス監督はバイエルンへ、アルトゥーロ・ビダルはユヴェントスへ引き抜かれ、フライブルクを躍進へと導いたロビン・ドゥット新監督を迎えた。開幕戦のマインツ戦 (0-2) を落とし、勢いに乗ることができず、2012年3月31日に行われたフライブルク戦 (0-2) で公式戦5連敗を喫したことをきっかけに解任された。結局優勝争いに絡むことなく、5位に終わった。
2012年4月からクラブOBのサミ・ヒーピアが監督に就任。しかし、指導者のトップライセンスを保持していないため、ユースチームの監督であったサシャ・レヴァンドフスキが名目上の監督となり、2015年夏までの二頭体制を組む。しかし成績不振の責任を問われ2014年4月5日にヒーピアは監督を解任され、レヴァンドフスキが暫定監督となった。
2014年7月、レッドブル・ザルツブルクを率いていたロガー・シュミットを監督に招聘し、前線から猛烈なプレスをかけに行く能動的なスタイルを確立[1]。さらに、グレミオから左SBのウェンデウを、シャルケ04からレンタルでDFキリアコス・パパドプーロスを、ASローマからレンタルでDFティン・イェドヴァイを、メガクラブから注目を集める逸材中の逸材であるMFハカン・チャルハノールらを獲得し、2部のアイントラハト・ブラウンシュヴァイクに期限付き移籍をしていたMFカリム・ベララビを復帰させ、戦力を充実させた。
2015年7月、メキシコ代表のハビエル・エルナンデスを獲得すると、シュテファン・キースリングと2トップを組みリーグ戦で17得点をあげて主力に定着した。
タイトル
国内タイトル
- ドイツカップ:1回 ファイル:Coppagermania.png
- 1992-93
国際タイトル
- UEFAカップ:1回
- 1987-88
過去の成績
シーズン | ディビジョン | DFBポカール | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | ||
1986-87 | ブンデスリーガ1部 | 6位 | 34 | 16 | 7 | 11 | 56 | 38 | +18 | 39 | 2回戦敗退 |
1987-88 | ブンデスリーガ1部 | 8位 | 34 | 10 | 12 | 12 | 53 | 60 | −7 | 32 | 1回戦敗退 |
1988-89 | ブンデスリーガ1部 | 8位 | 34 | 10 | 14 | 10 | 45 | 44 | +1 | 34 | 準決勝敗退 |
1989-90 | ブンデスリーガ1部 | 5位 | 34 | 12 | 15 | 7 | 40 | 32 | +8 | 39 | 2回戦敗退 |
1990-91 | ブンデスリーガ1部 | 8位 | 34 | 11 | 13 | 10 | 47 | 46 | +1 | 35 | 2回戦敗退 |
1991-92 | ブンデスリーガ1部 | 6位 | 38 | 15 | 13 | 10 | 53 | 39 | +14 | 43 | 準決勝敗退 |
1992-93 | ブンデスリーガ1部 | 5位 | 34 | 14 | 12 | 8 | 64 | 45 | +19 | 40 | 優勝 |
1993-94 | ブンデスリーガ1部 | 3位 | 34 | 14 | 11 | 9 | 60 | 47 | +13 | 39 | 準々決勝敗退 |
1994-95 | ブンデスリーガ1部 | 7位 | 34 | 13 | 10 | 11 | 62 | 51 | +11 | 36 | 2回戦敗退 |
1995-96 | ブンデスリーガ1部 | 14位 | 34 | 8 | 14 | 12 | 37 | 38 | −1 | 38 | 準決勝敗退 |
1996-97 | ブンデスリーガ1部 | 2位 | 34 | 21 | 6 | 7 | 69 | 41 | +28 | 69 | 1回戦敗退 |
1997-98 | ブンデスリーガ1部 | 3位 | 34 | 14 | 13 | 7 | 66 | 39 | +27 | 55 | 準々決勝敗退 |
1998-99 | ブンデスリーガ1部 | 2位 | 34 | 17 | 12 | 5 | 61 | 30 | +31 | 63 | 2回戦敗退 |
1999-2000 | ブンデスリーガ1部 | 2位 | 34 | 21 | 10 | 3 | 74 | 36 | +38 | 73 | 3回戦敗退 |
2000-01 | ブンデスリーガ1部 | 4位 | 34 | 17 | 6 | 11 | 54 | 40 | +14 | 57 | ベスト16 |
2001-02 | ブンデスリーガ1部 | 2位 | 34 | 21 | 6 | 7 | 77 | 38 | +39 | 69 | 準優勝 |
2002-03 | ブンデスリーガ1部 | 15位 | 34 | 11 | 7 | 16 | 47 | 56 | −9 | 40 | 準決勝敗退 |
2003-04 | ブンデスリーガ1部 | 3位 | 34 | 19 | 8 | 7 | 73 | 39 | +34 | 65 | ベスト16 |
2004-05 | ブンデスリーガ1部 | 6位 | 34 | 16 | 9 | 9 | 65 | 44 | +21 | 57 | 2回戦敗退 |
2005-06 | ブンデスリーガ1部 | 5位 | 34 | 14 | 10 | 10 | 64 | 49 | +15 | 52 | 2回戦敗退 |
2006-07 | ブンデスリーガ1部 | 5位 | 34 | 15 | 6 | 13 | 54 | 49 | +5 | 51 | 2回戦敗退 |
2007-08 | ブンデスリーガ1部 | 7位 | 34 | 15 | 6 | 13 | 57 | 40 | +17 | 51 | 1回戦敗退 |
2008-09 | ブンデスリーガ1部 | 9位 | 34 | 14 | 7 | 13 | 59 | 46 | +13 | 49 | 準優勝 |
2009-10 | ブンデスリーガ1部 | 4位 | 34 | 15 | 14 | 5 | 65 | 38 | +27 | 59 | 2回戦敗退 |
2010-11 | ブンデスリーガ1部 | 2位 | 34 | 20 | 8 | 6 | 64 | 44 | +20 | 68 | 2回戦敗退 |
2011-12 | ブンデスリーガ1部 | 5位 | 34 | 15 | 9 | 10 | 52 | 44 | +8 | 54 | 1回戦敗退 |
2012-13 | ブンデスリーガ1部 | 3位 | 34 | 19 | 8 | 7 | 65 | 39 | +26 | 65 | 3回戦敗退 |
2013-14 | ブンデスリーガ1部 | 4位 | 34 | 19 | 4 | 11 | 60 | 41 | +19 | 61 | 準々決勝敗退 |
2014-15 | ブンデスリーガ1部 | 4位 | 34 | 17 | 10 | 7 | 62 | 37 | +25 | 61 | 準々決勝敗退 |
2015-16 | ブンデスリーガ1部 | 3位 | 34 | 18 | 6 | 10 | 56 | 40 | +16 | 60 | 準々決勝敗退 |
2016-17 | ブンデスリーガ1部 | 12位 | 34 | 11 | 8 | 15 | 53 | 55 | −2 | 41 | 2回戦敗退 |
2017-18 | ブンデスリーガ1部 | 位 | 34 |
現所属メンバー
- 2017-18シーズン 開幕戦フォーメーション
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
ローン移籍選手
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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2017-18シーズン移籍
歴代監督
- デットマール・クラマー 1982-1985
- クリストフ・ダウム 1996.7-2000.10
- ルディ・フェラー 2000.10-2000.11 (暫定)
- ベルティ・フォクツ 2000.11-2001.5
- クラウス・トップメラー 2001.7-2003.2
- トーマス・ヘルスター 2003.2-2003.5
- クラウス・アウゲンターラー 2003.5-2005.9
- ルディ・フェラー 2005.9-2005.10 (暫定)
- ミヒャエル・スキッベ 2005.10-2008
- ブルーノ・ラッバディア 2008-2009
- ユップ・ハインケス 2009-2011
- ロビン・ドゥット 2011-2012.3
- サミ・ヒーピア 2012.4-2013 - 二頭体制
- サシャ・レヴァンドフスキ 2012.4-2013 - 二頭体制
- サミ・ヒーピア 2013-2014.4
- サシャ・レヴァンドフスキ 2014.4-2014.6 (暫定)
- ロガー・シュミット 2014.7-2017.3
- タイフン・コルクト 2017.3-2017.5
- ハイコ・ヘルリッヒ 2017.6-
歴代所属選手
GK
- デュディガー・フォルボーン 1982-2000
- パスカル・ツベルビューラー 2000-2001
- ハンス=イェルク・ブット 2001-2007
- レネー・アードラー 2006-2012
- ベルント・レノ 2011-
- ラマザン・エーズガン 2016-
DF
- アロイス・ラインハルト 1984-1992
- ジョルジーニョ 1989-1992
- ロベルト・コヴァチ 1996-2001
- イェンス・ノボトニー 1996-2006
- ルッシオ 2000-2004
- ディエゴ・プラセンテ 2000-2005
- エマヌエル・ポガテッツ 2001-2005
- フアン 2002-2007
- アチルソン 2005-2007
- クリス 2003
- ホッキ・ジュニオール 2005-2007
- カリム・ハグイ 2006-2009
- マヌエル・フリードリヒ 2007-2013
- サミ・ヒーピア 2009-2011
- ダニエル・カルバハル 2013-2014
- ヨナタン・ター 2015-
- アレクサンダル・ドラゴヴィッチ 2016-
- ロベルト・ヒルバート 2013-
- ティン・イェドヴァイ 2014, 2015-
- ヴェンデウ 2014-
- エメル・トプラク 2011-2017
MF
- 風間八宏 1984-1985
- ヴォルフガング・ロルフ 1986-1989
- チッタ 1987-1988
- ラルフ・ファルケンマイヤー 1987-1989
- ベルント・シュスター 1993-1996
- ラモン 1995-1996
- ルディ・フェラー 1995-1997
- クラウディオ・レイナ 1995-1997
- カルステン・ラメロウ 1995-2008
- ニコ・コヴァチ 1996-1999
- エメルソン・フェレイラ 1998-2000
- ゼ・ロベルト 1998-2002
- ロブソン・ポンテ 1999-2001、2003-2005
- ミヒャエル・バラック 1999-2002、2010-2012
- ヤン・シマーク 2002-2003
- リカルド・ファティ 2007-2008
- ベルント・シュナイダー 1999-2009
- マルコ・バビッチ 2001-2007
- ユルドゥライ・バシュテュルク 2001-2004
- ジャーメイン・ジョーンズ 2004–2005
- ヤツェク・クジノヴェク 2004-2006
- パウル・フライアー 2004-2008
- トランクイロ・バルネッタ 2004-2012
- ジモン・ロルフェス 2005-2015
- アルトゥーロ・ビダル 2007-2011
- 細貝萌 2011-2013
- アンドレス・グアルダード 2014.1-2014.5
- ラース・ベンダー 2009-
- ハカン・チャルハノール 2014-2017
- ユリアン・バウムガルトリンガー 2016-
- チャルレス・アランギス 2015-
- カリム・ベララビ 2011-
- ベンヤミン・ヘンリヒス 2015-
- ケヴィン・カンプル 2010-2011, 2015-
FW
- 車範根 1983-1989
- ウルフ・キルステン 1990-2003
- オリバー・ノイビル 1999-2004
- フランサ 2002-2005
- ランドン・ドノバン 2004-2005
- アンドレイ・ヴォロニン 2004-2007
- ディミタール・ベルバトフ 2000-2006
- セルゲイ・バルバレス 2006-2008
- テオファニス・ゲカス 2007-2010
- パトリック・ヘルメス 2008-2011.1
- アンドレ・シュールレ 2011-2013
- 孫興民 2013-2015
- ハビエル・エルナンデス 2015-2017
- シュテファン・キースリング 2006-
- アドミル・メーメディ 2015-
- ユリアン・ブラント 2014-
- ロビー・クルーズ 2013-
- ケヴィン・フォラント 2016-
脚注
- ^ シュミット監督が挑む「パワーフットボール」革命 JSports 2015年8月28日
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- バイエル・レバークーゼン (bayer04fussball) - Facebook
- バイエル・レバークーゼン (@bayer04fussball) - X(旧Twitter)