「ヴォロスチ (行政区画)」の版間の差分
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2017年8月29日 (火) 00:20時点における版
ヴォロスチ(ロシア語: Волость、リトアニア語: Valsčius)は歴史的な行政区画の1種である。リトアニア大公国では15世紀初めまで、ロシアでは20世紀初めまで、村落領域を指す際に用いられた。
ロシアのヴォロスチ
語源は「権威・政権(власть / ヴラスチ)、国土、管区」などを意味する古東スラヴ語のволодѣтиである。キエフ・ルーシ等の諸公国においては、ヴォロスチは都市をも含む、広範囲の領域を指す言葉として用いられていた。ゆなわち、この時期のヴォロスチは公(クニャージ)の領地を意味した[1]。
14世紀からは都市に従属する農村地帯を指す語となった。16世紀、イヴァン雷帝期のヴォロスチは、セロ、デレヴニャ等の村落の上位組織であり[2]、ウエズドの下位組織となっていた[3]。この形態のヴォロスチは郷と訳される[1][2]。また、15 - 17世紀の間にスタン(ru)という行政区画への改組が多く行われた[4]。
ヴォロスチはソビエト連邦期の1923 - 1929年の行政改革で廃止され[5]、ヴォロスチやウエズドはラヨンへと改組された。
出典
- ^ a b 東郷正延ら編 『研究社露和辞典(携帯版)』 研究社、1988年、P244
- ^ a b 田中陽兒ら編 『世界歴史大系 ロシア史1 - 9~17世紀-』 山川出版社、1995年、P271
- ^ Уезд // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
- ^ Готье Ю. В. Замосковный край в XVII веке. — М., 1906. — С. 184.
- ^ 和久利誓一ら編 『岩波ロシア語辞典』 岩波書店、1992年、P195