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* ネメツカヤ・スロボダ[[:ru:Немецкая слобода|(ru)]]:[[帝政ロシア]]期の[[モスクワ]]等に形成されていた外国人居住地。ある程度の自治権を有していた。 |
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2017年8月29日 (火) 00:18時点における版
スロボダ(ベラルーシ語: Слабада、ウクライナ語/ロシア語: Слобода)とは、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの歴史的な地理的概念の1つであり、特定の集落もしくは都市内の地域を指す言葉である。名称の由来は、スロボダの住人が何らかの納税義務を免除されていたことによる。(例えば、ロシア語で「Свобода」は「自由」の意味である。)
以下、本頁では集落のスロボダに関して記述する。都市内のスロボダに関してはru:Слобода#Слободы в городах、またスロボダの住民に関してはru:Слободские людиを参照されたし。
概念と変遷
スロボダという言葉の初出は10世紀-11世紀であり、広く普及するのは12世紀からである。12世紀から18世紀前半におけるスロボダとは、国家や封建領主への納税義務を一時的に免除された集落(要塞を含む)を指す言葉だった。原則的には完全・恒久の免除がなされていたわけではなく、その免除の内容は状況に応じて変更された。
スロボダへの最初の移住者にはポダチや兵役を免除された。これらの多くはコサックによる新興開拓地であり[1]、その出現には免税が拍車をかけていた。
18世紀前半には、スロボダへの免税制度は廃止され、スロボダは通常の村や都市風の集落を指す言葉となった。1900年頃の百科事典の定義では[注 1]、スロボダとは「1つ以上の教会がある、もしくはヤルマルカ(ru)(定期市)の行われる、もしくは郡役所のある大村」であり、また、「農業はほぼ行われず、工場を有する工業村」とされている[2]。
脚注
注釈
出典
- ^ казаки Слободские казаки
- ^ Слобода//Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона: В 86 томах (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
参考文献
- Снегирёв В. Л. Московские слободы / Художник П. Зубченков. — М.: Московский рабочий, 1947. — 156 с.
- Романюк С. К. По землям московских сёл и слобод. — М.: Сварог, 1999. публикация
- Большая Советская Энциклопедия(второе издание)/ Б. А. Введенский. — М: Большая Советская Энциклопедия, 1956 г.
- Архитектурные ансамбли Москвы XV — начала XX веков/ Т. Ф. Саваренская. — М.: Стройиздат, 1997 г.
関連項目
- スロボダ・ウクライナ:ウクライナの歴史的な地域。名称はスロボダに由来する。
- ネメツカヤ・スロボダ(ru):帝政ロシア期のモスクワ等に形成されていた外国人居住地。ある程度の自治権を有していた。