コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「名港西大橋」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
top: 統合提案終了
画像追加、リンク追加
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2013年5月3日 (金) 01:23 (UTC)|ソートキー=橋めいこうにしおおはし}}
{{特筆性|date=2013年5月3日 (金) 01:23 (UTC)|ソートキー=橋めいこうにしおおはし}}<!-- 名港トリトンに統合してもよい内容 -->
{{橋
{{橋
|名称=名港西大橋
|名称=名港西大橋
|画像=[[ファイル:名港西大橋.jpg|300px|名港西大橋]]
|画像=[[File: Meiko West Bridge 20170617E.jpg |300px|名港西大橋]]
|国={{JPN}}
|国={{JPN}}
|都市=[[愛知県]][[名古屋市]]
|都市=[[愛知県]][[名古屋市]]
26行目: 24行目:
昭和59年度の[[土木学会田中賞]]作品部門を受賞した<ref name="日本の名橋"/>。
昭和59年度の[[土木学会田中賞]]作品部門を受賞した<ref name="日本の名橋"/>。


== 橋の特色 ==
== 概要==
橋長758m、中央径間405mの鋼[[斜張橋]]である。構造がほかの2つの大橋と違って上下線に分離しており、上り線は[[有料道路]]名港西大橋として[[1985年]](昭和60年)[[3月20日]]に[[暫定2車線]][[対面通行]]で供用された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}。
[[ファイル:Meiko Nishi Bridges-2.jpg|thumb|left|150px|近景]]
橋長758m、中央径間405mの鋼[[斜張橋]]である。構造がほかの2つの大橋と違ってI期線(東京方面行き車線)とII期線(大阪方面行き車線、[[1998年]](平成10年)[[3月30日]]供用開始)で2橋に分離しており、I期線は[[有料道路]]名港西大橋として[[1985年]](昭和60年)[[3月20日]]に[[暫定2車線]][[対面通行]]で供用された(当時は[[名港中央インターチェンジ|名港中央IC]]側にのみ[[料金所]]があった)。夜間には[[ライトアップ]]され、塗装色の赤色で夜空に映える。また全長758mは、「名古屋(ナゴヤ)」にちなんでいる。


なお、I期線はII期線および他2橋と比べ路肩が狭くなっているが、これは当路線が[[新東名高速道路|新東名]]・[[新名神高速道路|新名神]]と一体運用の東西幹線とされる以前の、[[都市高速]]である[[名古屋第二環状自動車道|名二環]]の一部として計画されていた時代に設計施工されたためである。
西大橋は一体施工の中央大橋と東大橋とは異なり、上り線を先行建設のうえ運用し、3橋運用決定後に下り線を建設する段階施工となっている。よって西大橋のみ独立二橋並列となっている。日本道路公団の資料では上り線を一期線、下り線を二期線と呼称していることから、以下の解説もそれに倣う。なお、期線は期線および他2橋と比べ路肩が狭くなっているが、これは当路線が[[新東名高速道路|新東名]]・[[新名神高速道路|新名神]]と一体運用の東西幹線とされる以前の、道路規格第2種第1級{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}(名二環と同規格)として計画されていた時代に設計施工されたためである。


斜張橋は斜めに張ったケーブルで橋桁を吊る橋の一形式である。このため、桁橋に比べて支間長が長く設定できるメリットがある。技術の進歩によって支間長は長大化の傾向にあり、長らく支間長200 m以下クラスの橋が主流の中で、1975年以降は400 mクラスとなり、西大橋建設過程時もこの流れの中にあった{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|pp=ii - iii(はじめに)}}。西大橋一期線は支間長405 mで、竣工当時は世界最長の斜張橋であった{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|pp=4 - 5}}。西大橋以後、鋼斜張橋は急速に長大化してきている{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|p=iii(はじめに)}}。なお、支間長 405 mに決定した理由として、船舶の航行条件として概ね340 mの長さを必要としたこと、これに必要な防護施設の幅をプラスしたためである{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}。
飛島公共交通バス名港線が1時間に1~2本程度、この橋を通過している。


== 構造 ==
[[太平洋フェリー]]は橋の北側にあるフェリーふ頭に入港する為、出入港時は必ずこの橋の下を潜る。
* 橋長 : 758 m{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}<br>
* 支間割 : 175 m+405 m+175 m{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}<br>
* 桁下空間 : T.P+39.4 m{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}<br>
* 基礎 : P1、P4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P2、P3 : ニューマチックケーソン{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}<br>
* 型式 : 3径間連続鋼斜張橋{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}<br>
* 主桁 : 偏平六角形箱桁{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}<br>
* ケーブル : 一期線 : パラレルワイヤーストランド 直径5 mm{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}、二期線 : セミパラレルワイヤーストランド 直径7 mm{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=8}}


一期線が計画された1970年代後半{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=49}}、マルチケーブルによる長大斜張橋の施工例は日本国内にはなく、世界的見地からしても珍しいものであった{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=165}}{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=393}}{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=560}}。よって技術的に未知の部分が多く、幾多の調査研究を経て設計された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=165}}。また、名古屋港に架かるこの橋は、季節風や海風の影響を受け、幾多の船舶が横断することから、設計はその点を考慮した。
== 脚注・参考文献 ==

=== 下部工 ===
[[File:Meiko West Bridge CCB823-C3B-9.jpg|thumb|250px|建設中の一期線。橋脚周囲にジャケットを設置し、陸上とジャケットをつなぐ桟橋を設けている(1982年11月)<br /><small>出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:[http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)]』</small>]]
地質調査の結果、支持層として適格な東海層は、東大橋ではT.P-30 m付近だが、西大橋ではT.P-150 mでも確認できなかった{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=87}}。よって、それよりも浅い層を支持層として求め、砂層ではあるが強度的に安定している熱田層下部砂層(洪積層)をP2およびP3、P4の支持層とした{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=87}}。その深度はT.P-45 m付近である。

基礎形式は海中部橋脚のP2、P3がニューマチックケーソン、陸上部橋脚のP1、P4が現場打コンクリート杭である{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=98}}。P2、P3では、ニューマチックケーソン基礎の他に鋼管矢板基礎も検討されたが、工事費用が割安であるメリットがあるにせよ、大型の鋼管矢板基礎の設計手法が確立されていないこと、および施工上の問題点が払拭されていないことからケーソン方式が採用された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=100}}。

P1、P4はふ頭に建設されることから資材搬入路の心配はないが、問題は海中のP2、P3である。このため、P2は西二区(現・木場金岡ふ頭)から、P3は金城ふ頭から桟橋を設け、これを搬入路とした{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=139}}。一方、作業足場はジャケットと呼称する鋼製の足場を工場で組み立てたのち、フローティングクレーンで設置する方法によった。これにより海上作業期間の大幅短縮が可能となったほか{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=139}}、ジャケット上でクレーンおよびトラックを活用できることから作業効率の向上が図られている{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=139}}。

ニューマチックケーソンのため、人がケーソン底部に入って作業を行うが、そのためには作業室内から水を排除するために高圧の空気を送り込むことになる。しかしながら、掘削して深度が深まるにつれて多大な水圧を受けることから、それに対抗するためにより高圧の空気を送り込めば必然的に人体に悪影響を与える。外国ではこの工法によって多大な犠牲者を出したことから、多くの国ではニューマチックケーソン工法を禁じている{{Sfn|塩井幸武 |2014|pp=199 - 200}}。一方で日本では施工の容易さ(地質、地層の変化に対応でき、支持地盤を直接確認できる{{Sfn|佐久間智・前川利聡・宮内秀敏|1997|p=65}})やコストの点から施行例が多く、西大橋もその例に漏れない。しかし、以上に見た悪影響(潜函病)を回避するためのさまざまな手段が講じられ、ケーソン周辺に大深度の井戸を掘って地下水を揚水することで、送り込む空気の圧力を低減して作業員の安全に配慮すると共に作業効率の向上を図った(ディープウェル工法){{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=302 - 307}}。

一期線計画時点で将来、二期線が近接施工されることは織り込み済みであったが、当初は主桁の2倍の間隔をあけるとの前提から、ケーソン基礎の間隔は10 mで計画された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=100 - 101}}。しかし、後年の道路規格変更で二期線が各幅された関係でケーソン基礎間隔も13 mに拡大され、ケーソン基礎も一期線比で5 m拡大された。基礎間隔が約3 m拡大されたとはいえ、13 mしか離れていないところへケーソン基礎を埋めることで一期線への影響が懸念された{{Sfn|佐久間智・前川利聡・宮内秀敏|1997|pp=55 - 56}}。特にディープウェル工法によって地下水をくみ上げた際に地盤が変位して一期線の基礎が傾斜する懸念があった。潜函病対策として是非とも必要な工法であるが、以上のリスクを鑑み当工法を断念する代わりに[[ヘリウム]]混合ガスを作業員に呼吸させることで問題の解決を図った。これによって海面下40 m以下の高い気圧の中での作業を可能とした。ただし、地面の掘削は世界初の無人掘削システムによる通常気圧下で作業員が遠隔操作でパワーショベルを操作し、ヘリウム混合ガスの吸引は機器のメンテナンスや点検時に限って使用した{{Sfn|佐久間智・前川利聡・宮内秀敏|1997|p=57}}。

基礎と主塔を連結するためのアンカーブロックを設置してからコンクリートを打設するが、大重量で高さ120 mを越える主塔をコンクリート上で安定的に支え密着するには高精度の平坦性が要求される。このため、研磨機を使ってアンカーボルト周辺部のコンクリートを研磨した{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=409 - 413}}。

=== 主塔 ===
{{multiple image
| align = right
| image1 = Meiko Nishi Bridges-2-edit.jpg
| width1 = 200
| caption1 = 名港西大橋主塔
| image2 = Meiko Central Bridge 20160910G.jpg
| width2 = 100
| caption2 = 名港中央大橋
| image3 = Meiko East Bridge20170604A.jpg
| width3 = 100
| caption3 = 名港東大橋
}}
独立2橋並列で、両橋が近接することから、支間長(405 m)に比べて主塔の幅が狭いスレンダーな外観が特徴となっている{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=165}}。また、支持層が砂層で軟弱地盤であることから、[[瀬戸大橋]]のような門形によらず、重量軽減のためA形として下部工の負担を抑えた{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=165}}。西大橋は中央大橋と東大橋と比べると塔頂から下部工までがストレートで、その形はまさしくA形である。それでも、設計段階では主桁部以下の塔柱間隔を絞り込んで中央、東大橋のイメージで計画されたが、Aに比べて塔下部に架かる負担が大きく、塔自体の重量も重かった{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=39}}。そこに製作の容易さ、形式美も勘案して現行のA形が採用された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=39}}。主塔形状の変更によって橋軸方向(西大橋で言えば南北方向)の負荷が減少したことに伴い、主塔断面形状も南北方向が狭められて東西方向が長めの長方形となった{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=39 - 40}}。

架設は主塔の根元たる小ブロックをアンカーブロックに置いてボルトで接合した。根元より上の部分(大ブロック)は製作工場でAの形に組み上げて3000 tフローティングクレーンで吊り上げ、そのまま名古屋港に運び入れて下部工と接合した{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=412 - 417}}。

塗装は1980年に航空法施工規則の一部が改正されたことを受けて、従来は高層の塔に対し、黄赤と白のコンビネーションが義務付けられていたが、[[昼間障害標識]]に高光度航空標識灯を設置する場合は黄赤と白の対象外となった。よって色選択の自由度が得られ、西大橋の場合は色による誘目性、視認性、港のシンボル性を考慮して赤系濃彩色を採用した{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=560}}。

=== 主桁 ===
[[File:Meiko West Bridge 20170618A.jpg|thumb|主桁。変形六角形になっているのが分かる。白い円筒には定着鋼管を覆うフェアリング。(2017年6月)]]
桁高さの決定要因は大型船舶の通過に支障が出ないことである。西大橋では名古屋港と[[苫小牧西港フェリーターミナル|苫小牧西港]]を結ぶカーフェリー「いしかり」(マスト高さ36 m)が最大船舶と想定され、余裕高さ2 mを加えて桁下空間を38 mと決定した{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=30 - 31}}。

名古屋港に架かる本橋は海風の影響を受け、特に海面より高い位置にある主桁に対してはその影響による安全面が心配された{{Sfn|鈴木裕二・橋本昌郎|1998|pp=24 - 25}}。このため、主桁断面形状の決定において風洞実験を行い、風による抵抗低減の意図から薄型の変形六角形他室箱型を採用した。これはケーブルの定着性も良いと見込まれたうえでの採用でもあった。主桁の外腹板に定着鋼管を直接割り込ませて溶接し{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=639}}{{Sfn|名港西大橋編集委員会(写真集)|1986|pp=47 - 49}}、フェアリングを被せて該当箇所を隠蔽していることから、見かけ上はシンプルである{{Sfn|名港西大橋編集委員会(写真集)|1986|p=46}}。昨今は各地の橋で採用されている当該定着方式も、一期線計画当時は長大斜張橋における採用実績が皆無であったことから、定着部における応力が主桁に伝わる流れが未解明であった。そこで、大阪の[[豊里大橋]]建設に際して実施された模型実験による成果を一期線の定着部の実験で参考とした{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=639}}。

一期線の主桁は道路構造規格第二種第一級で設計されたことから{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=2}}幅員16 mである{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=168}}。これに対し二期線は道路構造規格第一種第二級で設計されたことで、幅員は19.4 mと一期線比で3.4 m拡大されている{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=8}}。一期線も二期線供用に併せて第一種第二級に規格変更{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=7}}するために高欄の取替えを行って道路幅を拡大した{{Sfn|鈴木裕二|1997|p=72}}。

一期線の高欄には航空機のフラップにも似た抑流板が据え付けられ、海風による影響を抑制することとしたが、二期線完成により抑流板なしでも問題なしと判定されたことから撤去された{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=8}}{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|pp=11 - 12}}。
<gallery>
File:Meiko West Bridge 20170617A.jpg|定着鋼管をアップで撮影(2017年6月)
File:Meiko West Bridge 20160910C.jpg|名港西大橋をくぐる[[太平洋フェリー]]の「[[いしかり (フェリー・3代)|いしかり]]」(2016年9月)
</gallery>

=== ケーブル ===
[[File:Meiko Nishi Bridges, Japan.jpg|thumb|路上より撮影。(2010年6月)]]
ファン型の2面12段(合計96本)マルチケーブルにより主桁を支える{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=7}}。本橋は一期線と二期線に分離して施工することから、必然的に中央分離帯は設置されない。従って、主桁とケーブルの連結は道路中央によらず両端となることで主桁両端で吊る2面吊り方式が採用されている{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=41}}。

ケーブルは径5 mm亜鉛のめっき鋼線を163 - 379本の間で平行結束し、7種類のケーブルを製作した{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=368 - 369}}。主塔から離れるほど太いケーブルで緊張している{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=368 - 369}}。また、主桁との連結間隔は力学的観点および、張り出し架設の都合から、塔から離れるに従って密としている{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=41}}。なお、二期線では径7 mmに変更され、109 - 223本の間で結束している{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=8}}。一期線はパラレルワイヤーストランド{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=7}}、二期線は鋼線に若干のよりを加えた{{Sfn|長井正嗣・井澤衛・中村宏|1997|p=26}}セミパラレルワイヤーストランドである{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=8}}。

一期線設計時点におけるケーブルは鋼線とポリエチレン管の隙間に防錆のためのグラウト(セメント、水、混和剤を混ぜたものを注入{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=496}})する手法が主流であった{{Sfn|土木学会田中賞選考委員会編|1999|pp=52 - 53}}。工場出荷時は故意に両者の隙間を開けておき、塔と橋桁をケーブルで緊張してからグラウトした。しかし、1980年代も後半になると、鋼線とポリエチレン管を直接密着する手法が開発され{{Sfn|土木学会田中賞選考委員会編|1999|pp=52 - 53}}、このため1995年以降に着工された二期線はグラウトなしで緊張した{{Sfn|佐久間智・渡部恒雄・山田三郎|1998|p=7 - 8}}。

== 付帯作業 ==
下部工の施工に先立って架橋予定地の機雷の確認を行った。先の大戦の米軍における空襲で、名古屋港に大量の爆発物が投下されたための対応だが、結果的に爆発物の残存は皆無であった{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=280}}。

一期線工事によって航路が制約を受けるため、リーディングライト設置等の必要な対策を施したが、中でもカーフェリーの安全な通航を図るため、フェリーふ頭に近接する海底の浚渫を行い、船が回頭するためのターニングベースンを確保した{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=33}}{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|p=265}}。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
* {{Cite |和書|author = 名港西大橋編集委員会 |title =名港西大橋工事誌 |year = 1986||date = 1986-03-15|edition = |publisher =日本道路公団名古屋建設局 |isbn = |series = |ref = harv }}<!-- 愛知県図書館蔵 非売品-->
* {{Cite |和書|author = 名港西大橋編集委員会(写真集) |title =名港西大橋写真集 |date = 1985 |edition = |publisher =日本道路公団名古屋建設局 |isbn = |series = |ref = harv }}
* {{Cite journal|和書|author = 横山功一・日下部毅明|year = 1989 |date = 1989-08|title = 斜張橋ケーブルの風による振動と対策|journal = 橋梁と基礎|volume = 23 |issue = 8 |pages = 75-84 |publisher = 株式会社建設図書 |ref = harv }}
* {{Cite journal|和書|author =佐久間智・前川利聡・宮内秀敏 |year = 1995 |date = 1995-11|title = 新技術紹介 ヘリウム混合ガス併用無人掘削工法による大深度ニューマチックケーソンの近接施工-名港西大橋II期線-|journal = 土木技術|volume = 50 |issue = 11 |pages = 54-65|publisher = 土木技術社|ref = harv }}
* {{Cite journal|和書|author =鈴木裕二・橋本昌郎|year = 1998 |date = 1998-05|title = 伊勢湾岸自動車道の建設(1) |journal = 土木技術|volume = 53 |issue = 5 |pages = 23-31 |publisher = 土木技術社|ref = harv }}
* {{Cite journal|和書|author =鈴木裕二 |year = 1997 |date = 1997-01|title = 名港三大橋の開通に向けて|journal = 橋梁|volume = 33 |issue = 1 |pages = 68-75 |publisher = 橋梁編纂委員会|ref = harv }}
* {{Cite journal|和書|author =佐久間智・渡部恒雄・山田三郎 |year = 1998 |date = 1998-01-01|title =施工研究 名港西大橋(II期線)主桁の設計・施工-伊勢湾岸自動車道- |journal = 土木施工|volume = 39 |issue = 1 |pages = 6-12 |publisher = 山海堂|ref = harv }}
* {{Cite journal|和書|author =檜山義光・佐久間智・前川利聡・広瀬剛 |year = 1996 |date = 1996-11-01|title =施工研究 近接施工 大深度ニューマチックケーソンの近接施工 名港西大橋II期線 |journal = 土木施工|volume = 37 |issue = 11 |pages = 29-35 |publisher = 山海堂|ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 名古屋港開港百年史編さん委員会 |title =名古屋港開港100年史 |date = 2008 |edition = |publisher =名古屋港管理組合 |isbn = |series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 名古屋港管理組合三十年史編集会議 |title =名古屋港管理組合三十年史 |year = 198 4|date = 1984-03-30 |edition = |publisher =名古屋港管理組合 |isbn = |series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 名古屋港史編集委員会 |title =名古屋港史 建設編|year = 1990 ||date = 1990-03-31 |edition = |publisher =名古屋港管理組合 |isbn = |series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 |title =三十年のあゆみ |date = 1989 |edition = |publisher = 名四国道工事事務所|isbn = |series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 名古屋港管理組合 |title =Port of Nagoya 2016-2017 |year = 2016|date = 2016-09 |edition = |publisher = 名古屋港管理組合|isbn = |series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 名古屋港編集部 |title =Port of Nagoya 名古屋港利用促進協議会設立25周年 名古屋港開港100周年 |year = 2008|date = 2008-03-31 |edition = |publisher = 名古屋港利用促進協議会|isbn = |series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌 |title =第8巻 橋の世界 |year = 1994 |date = 1994-06-30 |edition = |publisher =株式会社山海堂 |isbn = 438108196XC3351 |series = ニューコンストラクションシリーズ|ref = harv }}
* {{Cite |和書|author =[[ぎょうせい]] |title =道路法令総覧 平成28年版 |date = 2015 |edition = |publisher = |isbn =978-4-324-10011-0|series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 土木学会田中賞選考委員会編 |title =Bridges 田中賞の橋 |year = 1999|date = 1999-09-01 |edition = 鹿島出版会刊 |publisher = |isbn =4306023338|series = |ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 塩井幸武|title =長大橋の科学 夢の実現に進化してきた橋づくりの技術と歴史をひもとく |year = 2014|date = 2014-08-25 |edition =SBクリエイティブ株式会社 |publisher = |isbn =978-4-7973-6200-8|series = サイエンス・アイ新書|ref = harv }}
* {{Cite |和書|author = 長井正嗣・井澤衛・中村宏 |title = 斜張橋の基本計画設計法| year = 1997 |date = 1997-11-13 |edition = |publisher = 森北出版株式会社 |isbn = 4-627-48461-5 |series = |ref = harv }}
{{Commonscat|Meiko Nishi Bridges}}
{{Commonscat|Meiko Nishi Bridges}}



2017年9月16日 (土) 05:13時点における版

名港西大橋
名港西大橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 愛知県名古屋市
交差物件 名古屋港
座標 北緯35度3分7.5秒 東経136度50分8.4秒 / 北緯35.052083度 東経136.835667度 / 35.052083; 136.835667座標: 北緯35度3分7.5秒 東経136度50分8.4秒 / 北緯35.052083度 東経136.835667度 / 35.052083; 136.835667
構造諸元
形式 斜張橋[1]
全長 758m[1]
13.8m[1]
最大支間長 405m[1]
地図
名港西大橋の位置(名古屋市内)
名港西大橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

名港西大橋(めいこうにしおおはし)は、伊勢湾岸自動車道伊勢湾岸道路の名港中央IC名古屋市港区金城ふ頭)から飛島IC海部郡飛島村木場)の間にある橋梁。名古屋港を横断する名港トリトン名港東大橋名港中央大橋、名港西大橋)のひとつである[1]

昭和59年度の土木学会田中賞作品部門を受賞した[1]

概要

橋長758m、中央径間405mの鋼斜張橋である。構造がほかの2つの大橋と違って上下線に分離しており、上り線は有料道路名港西大橋として1985年(昭和60年)3月20日暫定2車線対面通行で供用された[2]

西大橋は一体施工の中央大橋と東大橋とは異なり、上り線を先行建設のうえ運用し、3橋運用決定後に下り線を建設する段階施工となっている。よって西大橋のみ独立二橋並列となっている。日本道路公団の資料では上り線を一期線、下り線を二期線と呼称していることから、以下の解説もそれに倣う。なお、一期線は二期線および他2橋と比べ路肩が狭くなっているが、これは当路線が新東名新名神と一体運用の東西幹線とされる以前の、道路規格第2種第1級[2](名二環と同規格)として計画されていた時代に設計施工されたためである。

斜張橋は斜めに張ったケーブルで橋桁を吊る橋の一形式である。このため、桁橋に比べて支間長が長く設定できるメリットがある。技術の進歩によって支間長は長大化の傾向にあり、長らく支間長200 m以下クラスの橋が主流の中で、1975年以降は400 mクラスとなり、西大橋建設過程時もこの流れの中にあった[3]。西大橋一期線は支間長405 mで、竣工当時は世界最長の斜張橋であった[4]。西大橋以後、鋼斜張橋は急速に長大化してきている[5]。なお、支間長 405 mに決定した理由として、船舶の航行条件として概ね340 mの長さを必要としたこと、これに必要な防護施設の幅をプラスしたためである[2]

構造

  • 橋長 : 758 m[2]
  • 支間割 : 175 m+405 m+175 m[2]
  • 桁下空間 : T.P+39.4 m[2]
  • 基礎 : P1、P4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P2、P3 : ニューマチックケーソン[2]
  • 型式 : 3径間連続鋼斜張橋[2]
  • 主桁 : 偏平六角形箱桁[2]
  • ケーブル : 一期線 : パラレルワイヤーストランド 直径5 mm[2]、二期線 : セミパラレルワイヤーストランド 直径7 mm[6]

一期線が計画された1970年代後半[7]、マルチケーブルによる長大斜張橋の施工例は日本国内にはなく、世界的見地からしても珍しいものであった[8][9][10]。よって技術的に未知の部分が多く、幾多の調査研究を経て設計された[8]。また、名古屋港に架かるこの橋は、季節風や海風の影響を受け、幾多の船舶が横断することから、設計はその点を考慮した。

下部工

建設中の一期線。橋脚周囲にジャケットを設置し、陸上とジャケットをつなぐ桟橋を設けている(1982年11月)
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)

地質調査の結果、支持層として適格な東海層は、東大橋ではT.P-30 m付近だが、西大橋ではT.P-150 mでも確認できなかった[11]。よって、それよりも浅い層を支持層として求め、砂層ではあるが強度的に安定している熱田層下部砂層(洪積層)をP2およびP3、P4の支持層とした[11]。その深度はT.P-45 m付近である。

基礎形式は海中部橋脚のP2、P3がニューマチックケーソン、陸上部橋脚のP1、P4が現場打コンクリート杭である[12]。P2、P3では、ニューマチックケーソン基礎の他に鋼管矢板基礎も検討されたが、工事費用が割安であるメリットがあるにせよ、大型の鋼管矢板基礎の設計手法が確立されていないこと、および施工上の問題点が払拭されていないことからケーソン方式が採用された[13]

P1、P4はふ頭に建設されることから資材搬入路の心配はないが、問題は海中のP2、P3である。このため、P2は西二区(現・木場金岡ふ頭)から、P3は金城ふ頭から桟橋を設け、これを搬入路とした[14]。一方、作業足場はジャケットと呼称する鋼製の足場を工場で組み立てたのち、フローティングクレーンで設置する方法によった。これにより海上作業期間の大幅短縮が可能となったほか[14]、ジャケット上でクレーンおよびトラックを活用できることから作業効率の向上が図られている[14]

ニューマチックケーソンのため、人がケーソン底部に入って作業を行うが、そのためには作業室内から水を排除するために高圧の空気を送り込むことになる。しかしながら、掘削して深度が深まるにつれて多大な水圧を受けることから、それに対抗するためにより高圧の空気を送り込めば必然的に人体に悪影響を与える。外国ではこの工法によって多大な犠牲者を出したことから、多くの国ではニューマチックケーソン工法を禁じている[15]。一方で日本では施工の容易さ(地質、地層の変化に対応でき、支持地盤を直接確認できる[16])やコストの点から施行例が多く、西大橋もその例に漏れない。しかし、以上に見た悪影響(潜函病)を回避するためのさまざまな手段が講じられ、ケーソン周辺に大深度の井戸を掘って地下水を揚水することで、送り込む空気の圧力を低減して作業員の安全に配慮すると共に作業効率の向上を図った(ディープウェル工法)[17]

一期線計画時点で将来、二期線が近接施工されることは織り込み済みであったが、当初は主桁の2倍の間隔をあけるとの前提から、ケーソン基礎の間隔は10 mで計画された[18]。しかし、後年の道路規格変更で二期線が各幅された関係でケーソン基礎間隔も13 mに拡大され、ケーソン基礎も一期線比で5 m拡大された。基礎間隔が約3 m拡大されたとはいえ、13 mしか離れていないところへケーソン基礎を埋めることで一期線への影響が懸念された[19]。特にディープウェル工法によって地下水をくみ上げた際に地盤が変位して一期線の基礎が傾斜する懸念があった。潜函病対策として是非とも必要な工法であるが、以上のリスクを鑑み当工法を断念する代わりにヘリウム混合ガスを作業員に呼吸させることで問題の解決を図った。これによって海面下40 m以下の高い気圧の中での作業を可能とした。ただし、地面の掘削は世界初の無人掘削システムによる通常気圧下で作業員が遠隔操作でパワーショベルを操作し、ヘリウム混合ガスの吸引は機器のメンテナンスや点検時に限って使用した[20]

基礎と主塔を連結するためのアンカーブロックを設置してからコンクリートを打設するが、大重量で高さ120 mを越える主塔をコンクリート上で安定的に支え密着するには高精度の平坦性が要求される。このため、研磨機を使ってアンカーボルト周辺部のコンクリートを研磨した[21]

主塔

名港西大橋主塔
名港中央大橋
名港東大橋

独立2橋並列で、両橋が近接することから、支間長(405 m)に比べて主塔の幅が狭いスレンダーな外観が特徴となっている[8]。また、支持層が砂層で軟弱地盤であることから、瀬戸大橋のような門形によらず、重量軽減のためA形として下部工の負担を抑えた[8]。西大橋は中央大橋と東大橋と比べると塔頂から下部工までがストレートで、その形はまさしくA形である。それでも、設計段階では主桁部以下の塔柱間隔を絞り込んで中央、東大橋のイメージで計画されたが、Aに比べて塔下部に架かる負担が大きく、塔自体の重量も重かった[22]。そこに製作の容易さ、形式美も勘案して現行のA形が採用された[22]。主塔形状の変更によって橋軸方向(西大橋で言えば南北方向)の負荷が減少したことに伴い、主塔断面形状も南北方向が狭められて東西方向が長めの長方形となった[23]

架設は主塔の根元たる小ブロックをアンカーブロックに置いてボルトで接合した。根元より上の部分(大ブロック)は製作工場でAの形に組み上げて3000 tフローティングクレーンで吊り上げ、そのまま名古屋港に運び入れて下部工と接合した[24]

塗装は1980年に航空法施工規則の一部が改正されたことを受けて、従来は高層の塔に対し、黄赤と白のコンビネーションが義務付けられていたが、昼間障害標識に高光度航空標識灯を設置する場合は黄赤と白の対象外となった。よって色選択の自由度が得られ、西大橋の場合は色による誘目性、視認性、港のシンボル性を考慮して赤系濃彩色を採用した[10]

主桁

主桁。変形六角形になっているのが分かる。白い円筒には定着鋼管を覆うフェアリング。(2017年6月)

桁高さの決定要因は大型船舶の通過に支障が出ないことである。西大橋では名古屋港と苫小牧西港を結ぶカーフェリー「いしかり」(マスト高さ36 m)が最大船舶と想定され、余裕高さ2 mを加えて桁下空間を38 mと決定した[25]

名古屋港に架かる本橋は海風の影響を受け、特に海面より高い位置にある主桁に対してはその影響による安全面が心配された[26]。このため、主桁断面形状の決定において風洞実験を行い、風による抵抗低減の意図から薄型の変形六角形他室箱型を採用した。これはケーブルの定着性も良いと見込まれたうえでの採用でもあった。主桁の外腹板に定着鋼管を直接割り込ませて溶接し[27][28]、フェアリングを被せて該当箇所を隠蔽していることから、見かけ上はシンプルである[29]。昨今は各地の橋で採用されている当該定着方式も、一期線計画当時は長大斜張橋における採用実績が皆無であったことから、定着部における応力が主桁に伝わる流れが未解明であった。そこで、大阪の豊里大橋建設に際して実施された模型実験による成果を一期線の定着部の実験で参考とした[27]

一期線の主桁は道路構造規格第二種第一級で設計されたことから[30]幅員16 mである[31]。これに対し二期線は道路構造規格第一種第二級で設計されたことで、幅員は19.4 mと一期線比で3.4 m拡大されている[6]。一期線も二期線供用に併せて第一種第二級に規格変更[32]するために高欄の取替えを行って道路幅を拡大した[33]

一期線の高欄には航空機のフラップにも似た抑流板が据え付けられ、海風による影響を抑制することとしたが、二期線完成により抑流板なしでも問題なしと判定されたことから撤去された[6][34]

ケーブル

路上より撮影。(2010年6月)

ファン型の2面12段(合計96本)マルチケーブルにより主桁を支える[32]。本橋は一期線と二期線に分離して施工することから、必然的に中央分離帯は設置されない。従って、主桁とケーブルの連結は道路中央によらず両端となることで主桁両端で吊る2面吊り方式が採用されている[35]

ケーブルは径5 mm亜鉛のめっき鋼線を163 - 379本の間で平行結束し、7種類のケーブルを製作した[36]。主塔から離れるほど太いケーブルで緊張している[36]。また、主桁との連結間隔は力学的観点および、張り出し架設の都合から、塔から離れるに従って密としている[35]。なお、二期線では径7 mmに変更され、109 - 223本の間で結束している[6]。一期線はパラレルワイヤーストランド[2]、二期線は鋼線に若干のよりを加えた[37]セミパラレルワイヤーストランドである[6]

一期線設計時点におけるケーブルは鋼線とポリエチレン管の隙間に防錆のためのグラウト(セメント、水、混和剤を混ぜたものを注入[38])する手法が主流であった[39]。工場出荷時は故意に両者の隙間を開けておき、塔と橋桁をケーブルで緊張してからグラウトした。しかし、1980年代も後半になると、鋼線とポリエチレン管を直接密着する手法が開発され[39]、このため1995年以降に着工された二期線はグラウトなしで緊張した[40]

付帯作業

下部工の施工に先立って架橋予定地の機雷の確認を行った。先の大戦の米軍における空襲で、名古屋港に大量の爆発物が投下されたための対応だが、結果的に爆発物の残存は皆無であった[41]

一期線工事によって航路が制約を受けるため、リーディングライト設置等の必要な対策を施したが、中でもカーフェリーの安全な通航を図るため、フェリーふ頭に近接する海底の浚渫を行い、船が回頭するためのターニングベースンを確保した[42][43]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f 『日本の名橋 完全名鑑』廣済堂出版、2013年3月、78項、ISBN 978-4-331-80222-9
  2. ^ a b c d e f g h i j k 名港西大橋編集委員会 1986, p. 7.
  3. ^ 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, pp. ii - iii(はじめに).
  4. ^ 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, pp. 4–5.
  5. ^ 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, p. iii(はじめに).
  6. ^ a b c d e 佐久間智・渡部恒雄・山田三郎 1998, p. 8.
  7. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 49.
  8. ^ a b c d 名港西大橋編集委員会 1986, p. 165.
  9. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 393.
  10. ^ a b 名港西大橋編集委員会 1986, p. 560.
  11. ^ a b 名港西大橋編集委員会 1986, p. 87.
  12. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 98.
  13. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 100.
  14. ^ a b c 名港西大橋編集委員会 1986, p. 139.
  15. ^ 塩井幸武 2014, pp. 199–200.
  16. ^ 佐久間智・前川利聡・宮内秀敏 1997, p. 65.
  17. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 302–307.
  18. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 100–101.
  19. ^ 佐久間智・前川利聡・宮内秀敏 1997, pp. 55–56.
  20. ^ 佐久間智・前川利聡・宮内秀敏 1997, p. 57.
  21. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 409–413.
  22. ^ a b 名港西大橋編集委員会 1986, p. 39.
  23. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 39–40.
  24. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 412–417.
  25. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 30–31.
  26. ^ 鈴木裕二・橋本昌郎 1998, pp. 24–25.
  27. ^ a b 名港西大橋編集委員会 1986, p. 639.
  28. ^ 名港西大橋編集委員会(写真集) 1986, pp. 47–49.
  29. ^ 名港西大橋編集委員会(写真集) 1986, p. 46.
  30. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 2.
  31. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 168.
  32. ^ a b 佐久間智・渡部恒雄・山田三郎 1998, p. 7.
  33. ^ 鈴木裕二 1997, p. 72.
  34. ^ 佐久間智・渡部恒雄・山田三郎 1998, pp. 11–12.
  35. ^ a b 名港西大橋編集委員会 1986, p. 41.
  36. ^ a b 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 368–369.
  37. ^ 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, p. 26.
  38. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 496.
  39. ^ a b 土木学会田中賞選考委員会編 1999, pp. 52–53.
  40. ^ 佐久間智・渡部恒雄・山田三郎 1998, p. 7 - 8.
  41. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 280.
  42. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 33.
  43. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 265.

参考文献

  • 名港西大橋編集委員会『名港西大橋工事誌』日本道路公団名古屋建設局、1986年3月15日。 
  • 名港西大橋編集委員会(写真集)『名港西大橋写真集』日本道路公団名古屋建設局、1985年。 
  • 横山功一・日下部毅明「斜張橋ケーブルの風による振動と対策」『橋梁と基礎』第23巻第8号、株式会社建設図書、1989年8月、75-84頁。 
  • 佐久間智・前川利聡・宮内秀敏「新技術紹介 ヘリウム混合ガス併用無人掘削工法による大深度ニューマチックケーソンの近接施工-名港西大橋II期線-」『土木技術』第50巻第11号、土木技術社、1995年11月、54-65頁。 
  • 鈴木裕二・橋本昌郎「伊勢湾岸自動車道の建設(1)」『土木技術』第53巻第5号、土木技術社、1998年5月、23-31頁。 
  • 鈴木裕二「名港三大橋の開通に向けて」『橋梁』第33巻第1号、橋梁編纂委員会、1997年1月、68-75頁。 
  • 佐久間智・渡部恒雄・山田三郎「施工研究 名港西大橋(II期線)主桁の設計・施工-伊勢湾岸自動車道-」『土木施工』第39巻第1号、山海堂、1998年1月1日、6-12頁。 
  • 檜山義光・佐久間智・前川利聡・広瀬剛「施工研究 近接施工 大深度ニューマチックケーソンの近接施工 名港西大橋II期線」『土木施工』第37巻第11号、山海堂、1996年11月1日、29-35頁。 
  • 名古屋港開港百年史編さん委員会『名古屋港開港100年史』名古屋港管理組合、2008年。 
  • 名古屋港管理組合三十年史編集会議『名古屋港管理組合三十年史』名古屋港管理組合、1984年3月30日。 
  • 名古屋港史編集委員会『名古屋港史 建設編』名古屋港管理組合、1990年3月31日。 
  • 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所『三十年のあゆみ』名四国道工事事務所、1989年。 
  • 名古屋港管理組合『Port of Nagoya 2016-2017』名古屋港管理組合、2016年9月。 
  • 名古屋港編集部『Port of Nagoya 名古屋港利用促進協議会設立25周年 名古屋港開港100周年』名古屋港利用促進協議会、2008年3月31日。 
  • 藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌『第8巻 橋の世界』株式会社山海堂〈ニューコンストラクションシリーズ〉、1994年6月30日。ISBN 438108196XC3351{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • ぎょうせい『道路法令総覧 平成28年版』2015年。ISBN 978-4-324-10011-0 
  • 土木学会田中賞選考委員会編『Bridges 田中賞の橋』(鹿島出版会刊)、1999年9月1日。ISBN 4306023338 
  • 塩井幸武『長大橋の科学 夢の実現に進化してきた橋づくりの技術と歴史をひもとく』(SBクリエイティブ株式会社)〈サイエンス・アイ新書〉、2014年8月25日。ISBN 978-4-7973-6200-8 
  • 長井正嗣・井澤衛・中村宏『斜張橋の基本計画設計法』森北出版株式会社、1997年11月13日。ISBN 4-627-48461-5