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2017年4月20日 (木) 09:02時点における版
伊藤 文吉(いとう ぶんきち、1885年(明治18年)12月15日 - 1951年(昭和26年)11月25日[1])は、日本の実業家。華族、貴族院男爵議員。
来歴・人物
初代内閣総理大臣伊藤博文の実子。当初は木田幾三郎の長男として育てられたが、後に戸籍上伊藤の養子となる。農商務省参事官。軍需省顧問。日本鉱業社長。
1906年(明治39年)に分家し[1]、父・博文の勲功により1909年(明治42年)11月1日に男爵を叙爵[1][2]。1922年(大正11年)3月、貴族院議員補欠選挙で男爵議員に当選し[3][4]、公正会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[4]。
逸話
昭和14年(1939年)10月16日には、朝鮮ホテルで、伊藤を暗殺した安重根の息子、安俊生と面会し「死んだ父の罪を私が贖罪して全力で報国の最善をつくしたい」と謝罪を受けた。
家族
妻は桂太郎の五女・寿満子。娘は大阪医科大学学長の佐多愛彦の四男と結婚している。
脚注
参考文献
- 佐多愛彦先生古稀寿祝賀記念事業会編『佐多愛彦先生傅』
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』吉川弘文館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。