「大原慎司」の版間の差分
編集の要約なし |
m cewbot: ウィキ文法修正 10: 角括弧の終了違反 |
||
43行目: | 43行目: | ||
=== プロ入り後 === |
=== プロ入り後 === |
||
{{by|2011年}}(1年目)は開幕一軍こそ逃したが、[[4月30日]]に昇格。[[5月11日]]の対[[読売ジャイアンツ]戦([[東京ドーム]])でプロ初勝利を挙げた。 |
{{by|2011年}}(1年目)は開幕一軍こそ逃したが、[[4月30日]]に昇格。[[5月11日]]の対[[読売ジャイアンツ]]戦([[東京ドーム]])でプロ初勝利を挙げた。 |
||
主に左のワンポイントリリーフとして起用され、[[10月21日]]に[[堀本律雄]]、[[権藤博]]の持つ[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]新人最多[[登板]]記録(69試合)を更新。シーズン最終戦となった[[10月22日]]の対巨人戦で、{{by|1942年}}に[[林安夫]]([[松竹ロビンス|朝日]])が記録した新人最多登板記録(当時)に並ぶ71試合登板を達成するなど活躍を見せた。[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]の候補にも挙がったが、[[澤村拓一]]が得票を独占し、大原には1票も入らなかった。 |
主に左のワンポイントリリーフとして起用され、[[10月21日]]に[[堀本律雄]]、[[権藤博]]の持つ[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]新人最多[[登板]]記録(69試合)を更新。シーズン最終戦となった[[10月22日]]の対巨人戦で、{{by|1942年}}に[[林安夫]]([[松竹ロビンス|朝日]])が記録した新人最多登板記録(当時)に並ぶ71試合登板を達成するなど活躍を見せた。[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]の候補にも挙がったが、[[澤村拓一]]が得票を独占し、大原には1票も入らなかった。 |
||
2017年2月11日 (土) 01:11時点における版
横浜DeNAベイスターズ #41 | |
---|---|
2013年4月21日、横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県日立市 |
生年月日 | 1985年6月30日(39歳) |
身長 体重 |
174 cm 66 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト5位 |
初出場 | 2011年4月30日 |
年俸 | 2,600万円(2017年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
大原 慎司(おおはら しんじ、1985年6月30日 - )は、茨城県日立市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は横浜DeNAベイスターズに所属。
経歴
プロ入り前
小学校4年生で日立南リトルリーグに入団。その後、日立市立泉丘中学校で軟式野球部に所属。
明秀日立高入学後に、本格的に投手となる。1年夏からエースになるが、甲子園出場経験は無し。
常磐大学に進学し、硬式野球部に入部。1年春からベンチ入り。関甲新リーグでは通算11勝14敗、奪三振率は8.4、最終シーズンは防御率0.64。
2008年、TDK入社。徹底した投げ込みを行い、徐々に頭角を現す[2]。2年目の2009年の日本選手権二次予選で防御率0.00で最優秀選手賞を受賞。本戦に出場し先発した大和高田クラブ戦では、6回途中4失点と力を発揮できなかった。
2010年には投手陣の柱として都市対抗、日本選手権の東北大会で投げ、チームが全国出場を逃した都市対抗では七十七銀行の補強選手に選ばれた。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズの5位指名を受け、11月20日に契約金4000万円、年俸1000万円で契約した(金額は推定)。
プロ入り後
2011年(1年目)は開幕一軍こそ逃したが、4月30日に昇格。5月11日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でプロ初勝利を挙げた。 主に左のワンポイントリリーフとして起用され、10月21日に堀本律雄、権藤博の持つセ・リーグ新人最多登板記録(69試合)を更新。シーズン最終戦となった10月22日の対巨人戦で、1942年に林安夫(朝日)が記録した新人最多登板記録(当時)に並ぶ71試合登板を達成するなど活躍を見せた。新人王の候補にも挙がったが、澤村拓一が得票を独占し、大原には1票も入らなかった。
2012年、シーズンが始まると、この年に北海道日本ハムファイターズから移籍してきた菊地和正や加賀繁の中継ぎ転向などで押し出される格好となり、登板数は激減。前年度の半分以下となる33試合の登板にとどまった。防御率は前年度を大きく上回る1.80 の成績を残したが、全体としての成績は前年度を大きく下回るシーズンとなった。
2013年、菊地や加賀の不振、藤江均の離脱もあって登板数が増加した。ワンポイントだけでは無くセットアッパーとしての登板も見られ、最終的に58試合に登板、自己最多の17ホールドを記録した。
2014年、8月1日の阪神タイガース戦で10回に登板するも福留孝介にサヨナラ打を浴び、2011年7月16日阪神戦以来、170試合ぶりの敗戦投手となった。無敗記録は169試合、歴代3位タイで終わった。この試合では、先頭の鳥谷敬に中前打で出塁を許し、暴投と敬遠などで1死一、三塁としたところで福留に対して簡単に2ストライクに追い込んだが、スライダーを中前に返されサヨナラ。「僕の黒星のことは考えてなかった。あの展開で負けてしまったことが悔しい」と肩を落とした[3]。9月には左肩痛で離脱し、前年を下回る44試合の登板に留まり、防御率も4点台とやや精彩を欠いた。
2015年、主に左のワンポイントとして21試合に登板したが、防御率4.02と好成績は残せなかった。
1月23日、約2年の交際期間を経て、6歳下一般女性と結婚。
2016年、ビハインドや大量リード、ワンポイントとして16試合に登板したが、防御率4.97と前年よりも悪化した。結婚式が12月3日に行われた。
選手としての特徴・人物
スリークォーターから140km/h前後のストレートと横滑りするスライダーが武器の左腕で、スライダーやカーブ・スクリューといった変化球を内外角に投げ分ける。
体重が65kg前後と細身であり、球速もあまり速い方ではなく、自身も「力で抑え込むタイプではない。相手に嫌がられる投球をしていきたい。」と語っている[2]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 横浜 DeNA |
71 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 11 | .800 | 184 | 44.1 | 40 | 4 | 15 | 1 | 2 | 36 | 4 | 0 | 19 | 15 | 3.05 | 1.24 |
2012 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1.000 | 143 | 35.0 | 31 | 2 | 15 | 3 | 0 | 20 | 2 | 0 | 7 | 7 | 1.80 | 1.31 | |
2013 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 17 | 1.000 | 188 | 48.0 | 32 | 6 | 17 | 1 | 1 | 38 | 1 | 0 | 18 | 16 | 3.00 | 1.02 | |
2014 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 15 | .750 | 143 | 32.1 | 32 | 1 | 13 | 1 | 2 | 28 | 2 | 0 | 18 | 16 | 4.45 | 1.39 | |
2015 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | .000 | 65 | 15.2 | 16 | 3 | 2 | 0 | 1 | 13 | 0 | 0 | 7 | 7 | 4.02 | 1.15 | |
2016 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 59 | 12.2 | 15 | 4 | 6 | 1 | 2 | 14 | 0 | 0 | 7 | 7 | 4.97 | 1.66 | |
通算:6年 | 243 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 3 | 2 | 55 | .769 | 782 | 188.0 | 166 | 20 | 68 | 7 | 8 | 149 | 9 | 0 | 76 | 68 | 3.26 | 1.24 |
- 2016年度シーズン終了時
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名変更
年度別守備成績
年 度 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2011 | 71 | 2 | 10 | 2 | 1 | .857 |
2012 | 34 | 2 | 5 | 0 | 2 | 1.000 |
2013 | 58 | 8 | 9 | 0 | 1 | 1.000 |
2014 | 44 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
2015 | 21 | 2 | 5 | 0 | 0 | 1.000 |
2016 | 16 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 243 | 16 | 33 | 2 | 4 | .961 |
- 2016年度シーズン終了時
記録
- 初登板:2011年4月30日、対読売ジャイアンツ2回戦(横浜スタジアム)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回2失点[4]
- 初奪三振:2011年5月1日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、6回表に亀井義行から空振り三振[5]
- 初ホールド:2011年5月4日、対広島東洋カープ5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏無死に6番手で救援登板、1/3回無失点[6]
- 初勝利:2011年5月11日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、5回裏2死に3番手で救援登板、1/3回無失点[7]
- 初セーブ:2013年7月6日、対読売ジャイアンツ10回戦(東京ドーム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点[8]
- その他の記録
- セ・リーグ新人最多登板新記録70試合:2011年10月21日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に救援登板、1回0/3無失点
- プロ野球新人最多登板タイ記録71試合:2011年10月22日、対読売ジャイアンツ24回戦(東京ドーム)、7回裏に救援登板、0回0/3無失点
背番号
- 41 (2011年 - )
登場曲
▪「Summer Maddness」三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE(2016年 ‐ )
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 大原慎司 - NPB.jp 日本野球機構