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ニューヨーク州出身の[[ジェシ・コリン・ヤング]]([[:en:Jesse Colin Young|Jesse Colin Young]]、本名Perry Miller)は[[会計士]]の父と[[ヴァイオリニスト]]の母のもと幼少からクラシック音楽に親しみボストンの[[フィリップス・アカデミー]]に進学後、[[フォークソング|フォークリバイバル運動]]の「洗礼」から熱心な音楽活動に入り学校をドロップアウト後、ニューヨークに戻りフォーク・クラブやコーヒーハウスで活動し[[1964年]]4月[[キャピトル・レコード]]からボビー・スコット([[:en:Bobby Scott (musician)|Bobby Scott]])プロデュースのプロデュースでアルバム「ザ・ソウル・オブ・ア・シティ・ボーイ(The Soul of a City Boy)」を発表した。 |
ニューヨーク州出身の[[ジェシ・コリン・ヤング]]([[:en:Jesse Colin Young|Jesse Colin Young]]、本名Perry Miller)は[[会計士]]の父と[[ヴァイオリニスト]]の母のもと幼少からクラシック音楽に親しみボストンの[[フィリップス・アカデミー]]に進学後、[[フォークソング|フォークリバイバル運動]]の「洗礼」から熱心な音楽活動に入り学校をドロップアウト後、ニューヨークに戻りフォーク・クラブやコーヒーハウスで活動し[[1964年]]4月[[キャピトル・レコード]]からボビー・スコット([[:en:Bobby Scott (musician)|Bobby Scott]])プロデュースのプロデュースでアルバム「ザ・ソウル・オブ・ア・シティ・ボーイ(The Soul of a City Boy)」を発表した。 |
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グリニッジ・ヴィレッジの雑多な交流のなかセッションや即席のフォークグループがステージに立ち、デヴィッド・グリスマン([[:en:David Grisman|David Grisman・英語版]])の呼びかけた[[ブルーグラス]]の[[ジャグ・バンド]]には様々なミュージシャンが参加し<ref>ジョー・ボイドインタヴュー[http://www.richieunterberger.com/boydfolk.html]。このセッションはのちイーヴン・ダズン・ジャグ・バンド([[:en:Even Dozen Jug Band|Even Dozen Jug Band]])に展開しアルバムを制作したがヤング、コービットは参加していない。</ref>、ヤングとジェリー・コービット(Jerry Corbitt)はこの前後に知り合い、意気投合した二人は[[カナダ]]のフォーククラブなどを回る遠征を計画しこの演奏旅行からバンドスタイルを思い立ち帰国後ヤングは2作目のソロアルバム制作を[[マーキュリー・レコード]]([[:en:Mercury_Records|Mercury Records・英語版]])のもとで契約、同時に契約付帯項目からスタジオをバンドセッションのリハーサルとデモ・テープ制作に使う時間枠を確保し全てのプロデュースをジェリー・ロス([[:en:Jerry Ross (composer)|Jerry Ross]])に依頼した。幾度かのセッションにはのち[[ラヴィン・スプーンフル]]の[[ジョン・セバスチャン]]らがハーモニカで参加したがメンバー選考はコービットとはジャグ・バンド仲間で[[ボストン]]のセミ・プロバンド<ref>The|Proper BostonersとThe Trolls。</ref>を辞め将来の模索にニューヨークへ移住しジャズバンドの臨時雇いだったバナナ(Banana本名はLowell Levinger III)とその友人で社交ダンスホール専属の無名ジャズバンドにいたジョー・バウアー(Joe Bauer)のそれぞれ細々と糊口を凌いでいた二人に定めデモ・テープを完成させた<ref>1965年初頭にヤング、コービットにバナナがボストンのコーヒー・ハウスで面識を持ったとする資料もある。</ref>。この音源は[[1970年]]の編集盤「トゥ・トリップス(Two Trips Jesse Colin Young With The Youngbloods)」に収録された。<br />1964年2月グリニッジ・ヴィレッジで開店したカフェアゴーゴー([[:en:Cafe au Go Go|Cafe au Go Go]])クラブに出演し評判から専属契約を勝ち取り、1965年3月ヤングのソロ2作目アルバム「ヤング・ブラッド(Young Blood)」を発表、1966年デモ・テープを素にマーキュリー・レコードから2枚のシングルを制作したがプロモーション・サンプルで終わり発売に至らなかったが、[[RCA]]ビクター[[:en:RCA]のスカウトで同年11月シングル「グリズリー・ベア(Grizzely|Bear)/ティアーズ・アー・フォーリン(Tears Are Falling)」でデビュー、[[1967年 |
グリニッジ・ヴィレッジの雑多な交流のなかセッションや即席のフォークグループがステージに立ち、デヴィッド・グリスマン([[:en:David Grisman|David Grisman・英語版]])の呼びかけた[[ブルーグラス]]の[[ジャグ・バンド]]には様々なミュージシャンが参加し<ref>ジョー・ボイドインタヴュー[http://www.richieunterberger.com/boydfolk.html]。このセッションはのちイーヴン・ダズン・ジャグ・バンド([[:en:Even Dozen Jug Band|Even Dozen Jug Band]])に展開しアルバムを制作したがヤング、コービットは参加していない。</ref>、ヤングとジェリー・コービット(Jerry Corbitt)はこの前後に知り合い、意気投合した二人は[[カナダ]]のフォーククラブなどを回る遠征を計画しこの演奏旅行からバンドスタイルを思い立ち帰国後ヤングは2作目のソロアルバム制作を[[マーキュリー・レコード]]([[:en:Mercury_Records|Mercury Records・英語版]])のもとで契約、同時に契約付帯項目からスタジオをバンドセッションのリハーサルとデモ・テープ制作に使う時間枠を確保し全てのプロデュースをジェリー・ロス([[:en:Jerry Ross (composer)|Jerry Ross]])に依頼した。幾度かのセッションにはのち[[ラヴィン・スプーンフル]]の[[ジョン・セバスチャン]]らがハーモニカで参加したがメンバー選考はコービットとはジャグ・バンド仲間で[[ボストン]]のセミ・プロバンド<ref>The|Proper BostonersとThe Trolls。</ref>を辞め将来の模索にニューヨークへ移住しジャズバンドの臨時雇いだったバナナ(Banana本名はLowell Levinger III)とその友人で社交ダンスホール専属の無名ジャズバンドにいたジョー・バウアー(Joe Bauer)のそれぞれ細々と糊口を凌いでいた二人に定めデモ・テープを完成させた<ref>1965年初頭にヤング、コービットにバナナがボストンのコーヒー・ハウスで面識を持ったとする資料もある。</ref>。この音源は[[1970年]]の編集盤「トゥ・トリップス(Two Trips Jesse Colin Young With The Youngbloods)」に収録された。<br />1964年2月グリニッジ・ヴィレッジで開店したカフェアゴーゴー([[:en:Cafe au Go Go|Cafe au Go Go]])クラブに出演し評判から専属契約を勝ち取り、1965年3月ヤングのソロ2作目アルバム「ヤング・ブラッド(Young Blood)」を発表、1966年デモ・テープを素にマーキュリー・レコードから2枚のシングルを制作したがプロモーション・サンプルで終わり発売に至らなかったが、[[RCA]]ビクター[[:en:RCA]]のスカウトで同年11月シングル「グリズリー・ベア(Grizzely|Bear)/ティアーズ・アー・フォーリン(Tears Are Falling)」でデビュー、[[1967年]]1月アルバム「ザ・ヤングブラッズ([[:en:The Youngbloods (album)|The Youngbloods]] |
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[[:en:The_Youngbloods_%28album%29])」を発表し、5月「[[:en:Earth_Music|アース・ミュージック]](Earth|Music[[:en:Earth_Music|[:en]]]])」が続いた。<br /> |
[[:en:The_Youngbloods_%28album%29])」を発表し、5月「[[:en:Earth_Music|アース・ミュージック]](Earth|Music[[:en:Earth_Music|[:en]]]])」が続いた。<br /> |
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ジェシ・コリン・ヤングは引き続きソロ活動に農園経営を始めたが[[1995年]] |
ジェシ・コリン・ヤングは引き続きソロ活動に農園経営を始めたが[[1995年]] |
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カリフォルニア州インバレンス公園([[:en:Inverness Park, California|Inverness Park]])を襲った森林火災で焼き出され[[ハワイ州]][[ハワイ島]]ケアラケクア([[:en:Kealakekua, Hawaii|Kealakekua・英語版]])に転住し音楽活動とコーヒー農園を営んでいる。<br /> |
カリフォルニア州インバレンス公園([[:en:Inverness Park, California|Inverness Park]])を襲った森林火災で焼き出され[[ハワイ州]][[ハワイ島]]ケアラケクア([[:en:Kealakekua, Hawaii|Kealakekua・英語版]])に転住し音楽活動とコーヒー農園を営んでいる。<br /> |
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バナナは解散後ミミ・ファリーニャ([[:en:Mimi Farina|英語版]][[:en:Mimi_Fari%C3%B1a])の伴奏を長く務め<ref>[[ジョーン・バエズ]]の実妹、[[2001年]]7月19日死去。</ref>おもにカントリーロックやブルーグラスの範囲でセッションやツアーのミュージシャンとして[[ライ・クーダー]]、[[ダン・ヒックス]]・アンド・ホットリックスなど、ニューヨークで活動時代の仲間デヴィッド・グリスマンのセッションに参加し、現在(2016年)、カリフォルニア州インヴァーネス([[:en:Inverness,|California|Inverness]]][[:en:Inverness,_California|[:en]]])に居住している。 |
バナナは解散後ミミ・ファリーニャ([[:en:Mimi Farina|英語版]][[:en:Mimi_Fari%C3%B1a]])の伴奏を長く務め<ref>[[ジョーン・バエズ]]の実妹、[[2001年]]7月19日死去。</ref>おもにカントリーロックやブルーグラスの範囲でセッションやツアーのミュージシャンとして[[ライ・クーダー]]、[[ダン・ヒックス]]・アンド・ホットリックスなど、ニューヨークで活動時代の仲間デヴィッド・グリスマンのセッションに参加し、現在(2016年)、カリフォルニア州インヴァーネス([[:en:Inverness,|California|Inverness]]][[:en:Inverness,_California|[:en]]])に居住している。 |
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ヤングブラッズはフォークから[[1970年代]][[シンガーソングライター]]・ブームへと橋渡しをしたバンドやミュージシャンの一つとなった。結成前から終焉と活動経過にジェシ・コリン・ヤングと同一視されたりソロの一部と捉えた誤解が多いがニューヨークの他フォークロックバンドにみられた [[リズム・アンド・ブルース]]やブルーグラスの影響、その後「エレファント・マウンテン」以降強めたジャズ風のアレンジなどジェリー・コービット、ジョー・バウアーにバナナの貢献が無ければ成立せずヤングの作曲センスやカバー曲の選択は個性的で1970年代の[[AOR]]などに影響を与えた。<br /> |
ヤングブラッズはフォークから[[1970年代]][[シンガーソングライター]]・ブームへと橋渡しをしたバンドやミュージシャンの一つとなった。結成前から終焉と活動経過にジェシ・コリン・ヤングと同一視されたりソロの一部と捉えた誤解が多いがニューヨークの他フォークロックバンドにみられた [[リズム・アンド・ブルース]]やブルーグラスの影響、その後「エレファント・マウンテン」以降強めたジャズ風のアレンジなどジェリー・コービット、ジョー・バウアーにバナナの貢献が無ければ成立せずヤングの作曲センスやカバー曲の選択は個性的で1970年代の[[AOR]]などに影響を与えた。<br /> |
2017年1月11日 (水) 01:11時点における版
ヤングブラッズ | |
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出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク |
ジャンル |
ロックンロール フォークロック ブルースロック ジャズロック リズム・アンド・ブルース ブルーグラス カントリーロック |
活動期間 | 1965年 - 1972年 |
レーベル | RCA |
メンバー |
ジェシ・コリン・ヤング ジェリー・コービット バナナ(ロウエル・レヴェンジャー) ジョー・バウアー |
'(または'The Youngbloods)は、1960年代に活動したアメリカ合衆国のバンド、フォーク・ロック・バンド。1965年、ニューヨーク州ニューヨーク市で結成、ディノ・ヴァレンティによる(英語版)楽曲「ゲット・トゥゲザー」は1967年全米ホットチャートのマイナー部門シングル盤ランキング最高62位、1969年に再びビルボードのシングル盤チャート最高5位のヒットとなった。
メンバー
- ジェシ・コリン・ヤング(ペリー・ミラー)(Jesse Colin Young/Perry Miller [2] 1941年10月22日生、ニューヨーク州クイーンズ区出身) ボーカル、ベース・ギター、ギター
- ジェリー・コービット(Jerry Corbitt [3] 1943年1月7日ー2014年8月3日、ジョージア州ティフト出身) ボーカル、リード・ギター ※1965-69年迄在籍
- バナナ(ロウエル・レヴェンジャー)(Banana/Lowell Levinger [4] 1946年生、マサチューセッツ州ケンブリッジ出身) キーボード、ギター
- ジョー・バウアー (Joe Bauer [5] 1941年9月26日-1983年11月日、テネシー州メンフィス出身) ドラムス
- マイケル・ケイン (Michael Kane) ベース・ギター ※1971-72年迄在籍
- デヴィッド・パーパー (David Perper) ドラムス ※1984-85年在籍
- スコット・ロ-レンス (Scott Lawrence) キーボード ※1984-85年在籍
概要・来歴
1965年結成、フォーク・ロックの代表的なバンドの一つでラヴィン・スプーンフルとともにニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジを中心に活躍し1969年カリフォルニア州内に活動拠点を移し1972年解散した。
ニューヨーク州出身のジェシ・コリン・ヤング(Jesse Colin Young、本名Perry Miller)は会計士の父とヴァイオリニストの母のもと幼少からクラシック音楽に親しみボストンのフィリップス・アカデミーに進学後、フォークリバイバル運動の「洗礼」から熱心な音楽活動に入り学校をドロップアウト後、ニューヨークに戻りフォーク・クラブやコーヒーハウスで活動し1964年4月キャピトル・レコードからボビー・スコット(Bobby Scott)プロデュースのプロデュースでアルバム「ザ・ソウル・オブ・ア・シティ・ボーイ(The Soul of a City Boy)」を発表した。
グリニッジ・ヴィレッジの雑多な交流のなかセッションや即席のフォークグループがステージに立ち、デヴィッド・グリスマン(David Grisman・英語版)の呼びかけたブルーグラスのジャグ・バンドには様々なミュージシャンが参加し[1]、ヤングとジェリー・コービット(Jerry Corbitt)はこの前後に知り合い、意気投合した二人はカナダのフォーククラブなどを回る遠征を計画しこの演奏旅行からバンドスタイルを思い立ち帰国後ヤングは2作目のソロアルバム制作をマーキュリー・レコード(Mercury Records・英語版)のもとで契約、同時に契約付帯項目からスタジオをバンドセッションのリハーサルとデモ・テープ制作に使う時間枠を確保し全てのプロデュースをジェリー・ロス(Jerry Ross)に依頼した。幾度かのセッションにはのちラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャンらがハーモニカで参加したがメンバー選考はコービットとはジャグ・バンド仲間でボストンのセミ・プロバンド[2]を辞め将来の模索にニューヨークへ移住しジャズバンドの臨時雇いだったバナナ(Banana本名はLowell Levinger III)とその友人で社交ダンスホール専属の無名ジャズバンドにいたジョー・バウアー(Joe Bauer)のそれぞれ細々と糊口を凌いでいた二人に定めデモ・テープを完成させた[3]。この音源は1970年の編集盤「トゥ・トリップス(Two Trips Jesse Colin Young With The Youngbloods)」に収録された。
1964年2月グリニッジ・ヴィレッジで開店したカフェアゴーゴー(Cafe au Go Go)クラブに出演し評判から専属契約を勝ち取り、1965年3月ヤングのソロ2作目アルバム「ヤング・ブラッド(Young Blood)」を発表、1966年デモ・テープを素にマーキュリー・レコードから2枚のシングルを制作したがプロモーション・サンプルで終わり発売に至らなかったが、RCAビクターen:RCAのスカウトで同年11月シングル「グリズリー・ベア(Grizzely|Bear)/ティアーズ・アー・フォーリン(Tears Are Falling)」でデビュー、1967年1月アルバム「ザ・ヤングブラッズ(The Youngbloods
[[:en:The_Youngbloods_%28album%29])」を発表し、5月「アース・ミュージック(Earth|Music[:en]])」が続いた。
最初のアルバムから6月にシングル・カットされた「ゲット・トゥゲザー(Get Together)」[[:en:Get_Together_%28The_Youngbloods_song%29]はディノ・バレンティ(Dino Valenti/Chet Powers・英語版)が書き下ろし1964年6月にキングストン・トリオが取り上げ発表後フォーク/フォークロックのグループやミュージシャンが多数取り上げていた。ヤングブラッズのカバーヴァージョンは全米ホットチャートのマイナー部門シングル盤ランキング最高62位と健闘し、その後ニューヨークのラジオ放送局 WABC-AM [[:en:WABC_%28AM%29]でユダヤ・キリスト教系公益法人のNCCJ(Conference for Community and Justice|英語版])[[:en:National_Conference_for_Community_and_Justice]とICCJ(reconciliation|英語版])[[:en:Christian%E2%80%93Jewish_reconciliation]のCMに起用され1969年には全国ヒットとなった。「ゲット・トゥゲザー」のヒットとは対称的にアルバムのセールスは振るわなかった。フェリックス・パパラルディをチーフ・プロデューサーに据え一枚目で顕著だったボブ・ディラン、ビートルズやバーズなど影響、サイケデリック・ロック風のリード・ギター、他のバンドがこぞって取り上げたブルースロック調で最先端のロックミュージックから転じ、4人が協調した「アース・ミュージック」はステージで演奏していたフォーク・ロック、リズム・アンド・ブルースなどで幾つかはメンバーがアレンジを手がけた。エンジニアと数曲でアレンジを務めたパパラルディは当時アメリカではジョン・サイモンら計算立てのアレンジが出来る少数派先進者の一人で、ニューヨーク出身ミシガン大学でクラシック音楽を修めたキャリアから若手ながら高い評価と実績を持ちその名声からイギリスで前評判高く期待されたバンドクリームのスタッフに起用されている。「アース・ミュージック」で担当した楽曲は、RCAでは同時期ジェファーソン・エアプレインのアルバムやシングル盤[4]とは異にした丹精な音質で時代に左右されない普遍的ものとし一過的な流行のアレンジが無い仕上がりとなったが[5][6]、パパラルディは一方で出身地元ニューヨークでビート・ジェネレーション余波のフォークミュージシャンとの関係も深く、ティム・ローズ(Tim Rose・英語版)[7]リッチー・ヘブンス[8]の作品などベース・ギターで演奏参加やアレンジで関わり、このヤングブラッズの特徴を注いだアルバムはニューヨークのローカルカラーが濃い作品とも云えホワイト・リズム・アンド・ブルースのヤングラスカルズと共通したアレンジが有り、全国的なヒット・チューンの流行傾向との乖離は否めず全米トップ200チャート圏外、地元と音楽マニアの支持に留まった。2作のアルバム販売不振はメンバー間の軋轢や主導権争いに発展しアルバム第3作はRCAの催促に関わらず足踏み状態で「クイックサンド(Quicksand)」など数曲を収録して中断[9]、1969年初頭にコービットはソロ活動転向を理由に脱退した。コービットが抜けた穴はバナナがオルガン以外にギター、ベースやマンドリンなどを兼任するマルチ・ミュージシャンで以前からリズム・ギターなどを受け持ち、普段はベース担当ヤングの受け持つギターパートと楽曲ごとのアレンジを大幅に変更対処で演奏活動は三人体制で続行を決めた。解散の懸念解消からRCAはアルバムの録音再開にハリウッドの自社スタジオで収録することを持ちかけ、バンドはこの提案を受け入れマリン郡などに滞在し1969年4月チャーリー・ダニエルズのプロデュースで「エレファント・マウンテン[[:en:Elephant_Mountain]」として発表した[10]。
バンドが根城にしていたカフェアゴーゴーは10月に閉店することが決まり、RCAとの契約は3作のアルバム制作で満了するため「エレファント・マウンテン」の録音再開前には既に幾社かと接触し交渉を進めていたが作品の裁量権と不干渉範囲、経費負担、責任債務割合に好条件を提示したカリフォルニア州に本社があるワーナー・ブラザース・レコードと契約を締結し自主レーベルでラクーン(Raccoon)を開設、活動の拠点をニューヨークからカリフォルニア州内に移した。
サンフランシスコを中心に演奏公演で国内各地やカナダを訪れこの模様と音源で1970年「ロック・フェスティヴァル(Rock Festival[[:en:Rock_Festival_%28album%29]」、翌年「ライド・ザ・ウインド(Ride|the Wind )」を新曲を含むライヴ盤で発表した。1971年「グッド・アンド・ダスティ(Good And Dusty)」に収録する楽曲を巡る各自の配分に対立が生じ、以後ヤングはバンドの出演や演奏参加の一部を条件で拒絶し、バウアーのソロ作品に一切関与しなかった。バナナとバウアーは補助メンバーマイケル・ケイン(Michael Kane)を雇った。1972年ヤングはソロ・アルバム「トゥギャザー(Together)」をバナナとバウアーの手を借りず完成させ、招聘したミュージシャンには脱退したコービットもいた。同年春のヤングブラッズ「ハイ・オン・ザ・リッジ・トップ(High on a Ridge Top・イタリア語])
[:it]」録音を前にヤングは脱退を表明しバンドの解散が決定した。マイケル・ケインを昇格させ有名無実と化したヤングブラッズの最終作はヤング作の一曲を除いてカバー曲が占めヤングとスタジオ・ミュージシャンを務めるバナナ、バウアーとケインで収録し決定していたステージスケジュールを9月まで消化して活動停止解散、11月にラストアルバム「ハイ・オン・ザ・リッジ・トップ」が発売された。
その後・付記
1984~5年にかけてヤングブラッズ再結成全米ツアーが行われジェシ・コリン・ヤング、ジェリー・コービット、バナナ、デヴィッド・パーパー(David Perper・英語版)、スコット・ロ-レンス(Scott Lawrence)で各地を公演した。
ジョー・バウアーは1982年9月脳腫瘍で死去した、享年40歳。日本では当時麻薬中毒死と誤って報道された。
ジェリー・コービットは2014年3月8日肺がんで死去、享年71歳。
カントリー・ミュージックのチャーリー・ダニエルズとは関係が深く合名のライブ・アルバムとソロアルバムのプロデュースを依頼したり互いのアルバムやステージにゲスト参加している。
ジェシ・コリン・ヤングは引き続きソロ活動に農園経営を始めたが1995年
カリフォルニア州インバレンス公園(Inverness Park)を襲った森林火災で焼き出されハワイ州ハワイ島ケアラケクア(Kealakekua・英語版)に転住し音楽活動とコーヒー農園を営んでいる。
バナナは解散後ミミ・ファリーニャ(英語版en:Mimi_Fariña)の伴奏を長く務め[11]おもにカントリーロックやブルーグラスの範囲でセッションやツアーのミュージシャンとしてライ・クーダー、ダン・ヒックス・アンド・ホットリックスなど、ニューヨークで活動時代の仲間デヴィッド・グリスマンのセッションに参加し、現在(2016年)、カリフォルニア州インヴァーネス(California|Inverness][:en])に居住している。
ヤングブラッズはフォークから1970年代シンガーソングライター・ブームへと橋渡しをしたバンドやミュージシャンの一つとなった。結成前から終焉と活動経過にジェシ・コリン・ヤングと同一視されたりソロの一部と捉えた誤解が多いがニューヨークの他フォークロックバンドにみられた リズム・アンド・ブルースやブルーグラスの影響、その後「エレファント・マウンテン」以降強めたジャズ風のアレンジなどジェリー・コービット、ジョー・バウアーにバナナの貢献が無ければ成立せずヤングの作曲センスやカバー曲の選択は個性的で1970年代のAORなどに影響を与えた。
ヤングの1964年ソロ作と最初のアルバムに収録した「朝の四人(Four In The Morning)※1969年当時の邦題。朝4時の意。」、二枚目「アース・ミュージック」の「ユフォーリア(Euphoria)」の作者ロビン・リマイリー(Robin George Remailly)はその後1970年ホリー・モダル・ラウンダーズ(The Holy Modal Rounders(英語版)[[:en:The_Holy_Modal_Rounders])に参加するまで本人が録音や発表する機会に恵まれなかったため、ヤングのソロ作とヤングブラッズがメジャー初公開となった。
「Four In The Morning」はヤングブラッズのアレンジを元にロサンゼルスのフォークロックバンド、サンシャイン・カンパニー(Sunshine Company・英語版)がカバー、1967年一枚目アルバム「ハッピー・イズ(Happy Is the Sunshine Company)」に収められた。
作品
ジェシ・コリン・ヤングソロ作品(1964-1972)
1972年以降のソロ作は「英語版ジェシ・コリン・ヤングwikipedia]」項目を参照
- The Soul of a City Boy(1964年4月)キャピトル・レコード T 2070
- Four In The Morning/You Gotta Fix It/Rye Whiskey/Whoa Baby/Susanne/Black Eyed Susan/Same Old Man/Drifter Blues/Talk To Me/Stranger Love/I Think I'll Take To Whiskey
- Young Blood(1965年3月)マーキュリー・レコード MG 21005/SR 61005
- Rider/Doc Geiger/ Lullabye/Brother Can You Spare A Dime/Trouble In Mind /Little Suzie/Nobody's Dirty Business/Green Hill Mountain Home/Summer Rain/Walkin' Off The Blues/Cotton Eyed Joe
- Together(1972年3月25日)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2588(ラクーン#10)
- Good Times/Sweet Little Child/Together/Sweet Little Sixteen/Peace Song/Six Days On The Road/It's A Lovely Day/Creole Belle/6000 Miles/Born In Chicago/Pastures Of Plenty
ヤングブラッズ アルバム(1964-1972)
RCAヴィクター・レコード
- The Youngbloods(1967年3月)RCAヴィクター・レコード LSP-3724
- Grizzly Bear/All Over The World (La-La)/Statesboro Blues/Get Together/One Note Man/The Other Side Of This Life/Tears Are Falling/Four In The Morning/Foolin' Around (The Waltz)/Ain't That Lovin' You, Baby/C.C. Rider
- The Youngbloods Get Together "The Youngbloods First Album" (1969年月)RCAヴィクター・レコード LSP-3724
- ※The Youngbloods、LSP-3724のジャケット装丁変更。
- Earth Music (1967年5月)RCAヴィクター・レコード LSP-3724
- Euphoria/All My Dreams Blue/Monkey Business/Dreamer's Dream/Sugar Babe/Long And Tall/I Can't Tell/Don't Play Games/The Wine Song/Fool Me/Reason To Believe
- Elephant Mountain (1969年)RCAヴィクター・レコード LSP-4150
- Darkness, Darkness/Smug/On Sir Francis Drake/Sunlight/Double/Sunlight/Beautiful/Turn It Over/Rain Song/Trillium/Quicksand/Black Mountain Breakdown/Sham/Ride The Wind
マーキュリー・レコード
- Two Trips Jesse Colin Young With The Youngbloods (1970年)マーキュリー・レコード SR- 61273
- ※ジェシ・コリン・ヤングソロ作Young Bloodとデモ・テープを編集したもの。
- Hey Babe/Sometimes/Another Strange Town/No More Pain/Nobody's Dirty Business/Summer Rain/Brother Can You Spare Dime?/Walkin' Off The Blues/Doc Geiger/Lullabye
ワーナー・ブラザース・レコード(ラクーン・レコード)
- Rock Festival (1970年)ワーナー・ブラザース・レコード WS 1878(ラクーン#1)
- It's A Lovely Day/Faster All The Time/Prelude/On Beautiful Lake Spenard/Josiane/Sea Cow Boogie/Fiddler A Dram/Misty Roses/Interlude/Peepin' 'N' Hidin' (Baby, What You Want Me To Do)/Ice Bag
- Ride The Wind (1971年)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2563(ラクーン#4)
- Ride The Wind/Sugar Babe/Sunlight/The Dolphin/Get Together/Beautiful
- Good And Dusty (1971年)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2566(ラクーン#9)
- Stagger Lee/That's How Strong My Love Is/Willie And The Hand/Circus Fire/Hippie From Olema #5/Good And Dusty/Let The Good Times Roll/Drifting And Drifting/Pontiac Blues/Moonshine Is The Sunshine/Will The Circle Be Unbroken/I'm A Hog For You Baby/Light Shine
- High On A Ridge Top (1972年)ワーナー・ブラザース・レコード BS 2653(ラクーン#15)
- Speedo/She Caught The Katy & Left Me A Mule To Ride/Going By The River/Running Bear/I Shall Be Released/Dreamboat/She Came In Through The Bathroom Window/Donna/La Bamba/Kind Hearted Woman
- Beautiful ! Live In San Francisco1971 (2005年月)サンデイズド・レコード LP5442/CD SC 11148
- Six Days On The Road/Country Home/On Sir Francis Drake/Dreamboat/Drifting And Drifting/Interlude/Old Dan Tucker/You Can't Catch Me/On Beautiful Lake Spenard/Josiane/Explosion/Beautiful/Get Together
ヤングブラッズ シングル(1964-1972)
マーキュリー・レコード
- Sometimes~Stereo Ver. / Sometimes~Monoral Ver. (1966年、※1970年に再プレスプロモ・オンリー)DJ-229
- Rider / Sometimes(1966年、※1970年に再プレスプロモ・オンリー)72583
RCAヴィクター・レコード
- Grizzely Bear / Tears Are Falling (1966年11月)47-9015
- Euphoria/ The Wine Song (1967年5月)47-9222
- Fool Me / I Can Tell (1967年10月)47-9360
- Get Together / All My Dreams (1967年7月)47-9264
- Merry-Go-Round / Foolin' Around (The Waltz) (1967年月)47-9142
- Quicksand / Dreamer's Dream (1968年1月)47-9422
- Darkness, Darkness / On Sir Frances Drake(1969年4月)74-0342
- Sunlight / Trillium (1969年11月)74-0270
- Darkness, Darkness / On Sir Frances Drake (1970年4月)
ワーナー・ブラザース・レコード
- It's A Lovely Day / Ice Bag(1970年、※プロモ・オンリー)K16098
- Dreamboat~Stereo Ver./Dreamboat~Monoral Ver. (1972年月、※プロモ・オンリー) WB 7639 (ラクーンS #12)
- Running Bear~Stereo Ver./ Running Bear~Monoral Ver.(1972年月、※プロモ・オンリー)WB 7660 (ラクーンS #13)
ジョー・バウアーソロ作品
- Moonset(1971年)ワーナー・ブラザース・レコード BS (ラクーン#3)
- Explosion/Five Ten/Old Shoe/Cat Gone/Moonset/Frogs/Swallows/Pelicans/Earthquake Blues
- ※Joe Bauer - Drums/Michael Kane - Bass/Jack Gregg - Bass/Steve Swallow - Bass/Banana - Guitar, Piano/Richard Anderson - Harmonica
ジェリー・コービット作品(1969-2011)
※2016年9月現在ジェリー・コービットソロ活動項目が日本と英語版wikipediaに存在しないため、暫定項目。
カントリー・ミュージックのチャーリー・ダニエルズ、ブルースロック、ブルーグラスなどのミュージシャンを招き制作しヤングブラッズのメンバー参加は少ない[6]。
- Corbitt (1969年)ポリドール・レコード 24-4003
- Let The Music Come Inside/Out Of The Question/Country Girl/Delight In Your Love/Queen Of England/The Psong/I Love You All/The Rain Song(ヤングブラッズと同曲)/Banned In Boston/Tribulations/Kahuna Song
- Jerry Corbitt (1976年)キャピトル・レコード ST 771 ※Till You Come Back Home Againにジェシ・コリン・ヤング参加
- Country Boy Blues/Burning In Your Love Light/Georgia/Till You Come Back Home Again/Pain/Load On/Happy Times/Canada/Get On Back To The Land
- Jerry Corbitt & Charlie Daniels – Corbitt & Daniels Live I (1976年)Tiger_Lily_Records TL 14001
- Great Big Bunches Of Love/Sweet Gentle Lovin'/Till You Come Back Home Again/Thirteenth Hour/Caldonia/Stormy Monday - Part 1/Orange Blossom Special
- J. B. Corbitt - On The Line (1984年)Line Records LRLP 5394 AP ※西ドイツ発売
- On The Line/Double A/Defend On Me/Pool Hall/Country Home/Snoe Job/Grizzly Bear/Sit Down Rock And Roll Man/Shasta Daisy/Load On
- Jerry Corbitt & Charlie Daniels – Live II (2011年)Big_Pink – 147 ※韓国発売、CDのみ
- Country Boy Blues/John Lee Walker/Thirteen Hour/Stormy Monday (Part 2)/John Deere Tractor/The Pope & The Dope/Pain
脚注
- ^ ジョー・ボイドインタヴュー[1]。このセッションはのちイーヴン・ダズン・ジャグ・バンド(Even Dozen Jug Band)に展開しアルバムを制作したがヤング、コービットは参加していない。
- ^ The|Proper BostonersとThe Trolls。
- ^ 1965年初頭にヤング、コービットにバナナがボストンのコーヒー・ハウスで面識を持ったとする資料もある。
- ^ 最初期のジェファーソン・エアプレインもフォークロックでメンバー交代と作る楽曲変化から、1枚目から担当しロサンゼルス中心に活躍した音響エンジニア兼音楽プロデューサーのデヴィッド・ハッシジャー(David Hassinger・英語版)が1967年2枚目のアルバムシュールリアリスティック・ピローズ(Surrealistic Pillow・英語版)に実験音楽の一環からサイケデリック・アレンジを施し、同時期にハッシジャーが手がけたエレクトリック・プルーンズ(The Electric Prunes・英語版)の初期2作とともに「サイケデリック・ロック」作品の代表作の一つとされる。
- ^ このフェリックス・パパラルディの遺産「丹精な格調ある音質とアレンジ」はCD盤化で行うデジタルリマスターの時代に入って安易なノイズ除去処理を施した変換作業にデジタルリミックス担当者が度々批判されている。クリームの1997年再発CDボックスセット「THOSE WERE THE DAYS」はデジタルリマスター過渡期の失敗例に挙げられる。デジタルリマスター技術は2000年代に入って向上し評価の高い成果を上げる一方、一例でレット・イット・ビー...ネイキッドのような錯誤も繰り返されている、
- ^ バナナ主導のロックンロールカバー曲やバンドがアレンジしたMonkey Businessなどとは音質が異なる。
- ^ 元はボニー・ドブソン(Bonnie Dobson・英語版)作で1966年にティム・ローズが収録したモーニング・デュー(Morning Dew・英語版)はイギリスでヒット曲になった。ティム・ローズによるこの曲の収録セッションにパパラルディはベース・ギターで参加、デビッド・ルビンソン(David Rubinson・英語版)がプロデュースを担当した。
- ^ ビート詩人でファッグスのトゥリ・カッファーバーグ(Tuli Kupferberg・英語版)の楽曲を取上げている。
- ^ 1968年1月に「クイックサンド(Quicksand)」を既発表の「ドリーマーズ・ドリーム(Dreamer's Dream)」と併せシングル盤化。
- ^ 録音作業はフェリックス・パパラルディを交えて開始したがパパラルディは(バンド)|マウンテン]などの活動多忙から降板している。楽曲"Rain Song (Don't Let the Rain Bring You Down)"にはコービットにパパラルディと夫人のゲイル・コリンズがクレジットされ録音中断の痕跡が残された。
- ^ ジョーン・バエズの実妹、2001年7月19日死去。
外部リンク
メンバーリンク
- ジェシ・コリン・ヤング
- バナナ・Lowell Levinger「Lowell Levinger ? My new Web site」
参考資料
- ロック百科 vol.2 著フィル・ハーディ/デイブ・ラング 訳 三井徹 サンリオ 1981年
- ロック・エンサイクロペディア THE ENCYCLOPEDIA OF ROCK1950's-1970's 著フィル・ハーディ/デイヴ・ラング 訳 三井徹 みすず書房 ISBN 978-4-622-07344-4 C0073 2009年11月25日発行