「エピソード・シックス」の版間の差分
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[[1964年]]イギリスの[[ミドルセックス]]、ハッチエンド([[:en:Hatch End|en]])[[:en:Hatch_End]])地区でハーロウ・グラマー・スクールに通っていたグレアムとシーラのカーター=ディモック兄妹にアンディ・ロスらによって結成された。ヴォーカルとドラムス担当ハーヴェイ・シールドが加わり、その友人でクラスメイトのロジャー・グローヴァーが誘われ参加した。[[1965年]]パイ・レコードとの契約が結ばれる前後の時期にヴォーカルのロスが脱退、バンドはヴォーカル、コーラス、ハーモニーを中心に据えた音楽活動を進めていたことから後任を探すことになった。そこでグローヴァーは、ジャヴェリンズと云うセミ・プロのバンドに参加し、私生活では婚約が決まってキャリア・アップを希望している人物、友人の[[イアン・ギラン]]を紹介した。ギランの実力は申し分なく、加入後の[[1966年]]1月、[[ホリーズ]]のカバー曲"Put Youself In My Place"でデビュー。TV音楽番組「[[レディ・ステディ・ゴー]]」などに出演し、以後MGM、チャプター・ワンに移籍してシングルをリリースするが、チャートインすることはなく、大きな成功は収められなかった。[[1969年]]にギランとグローヴァーがディープ・パープルに参加。残ったメンバーはメンバーチェンジをしながら1974年頃まで活動した。 |
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[[2015年]]12月6日、ロンドンで結成50周年を記念してシーラ・カーター=ディモック、ランダー、グローヴァー、シールド、ギラン、ケリソンが参加した一夜限りの再結成と公演が行われた。 |
[[2015年]]12月6日、ロンドンで結成50周年を記念してシーラ・カーター=ディモック、ランダー、グローヴァー、シールド、ギラン、ケリソンが参加した一夜限りの再結成と公演が行われた。 |
2016年12月11日 (日) 01:12時点における版
エピソード・シックス (Episode Six)は1960年代に活動したイギリスのフォークロック、ポップロックバンド。イアン・ギランが在籍したことで知られる。
メンバー
- シーラ・カーター=ディモック、Sheila Carter-Dimmock(ヴォーカル、キーボード)1964-1974
- グラハム・カーター=ディモック、Graham Carter-Dimmock(ヴォーカル、ギター)1964-1969
- アンディ・ロス、Andy Ross(ヴォーカル)1964-1965
- トニー・ランダー、Tony Lander(ギター、ヴォーカル)1964-1974
- ロジャー・グローヴァー、Roger Glover(ベース、ヴォーカル)1964-1969, のちディープ・パープル、レインボー
- ハーヴェイ・シールド、Harvey Shield(ドラムス、ヴォーカル)1964-1967
- イアン・ギラン、Ian Gillan(ヴォーカル) 1965-1969, のちディープ・パープル、ギラン
- ジョン・ケリソン、John Kerrison(ドラムス) 1967-1968, 元ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ
- ミック・アンダーウッド、Mick Underwood(ドラムス)1968-1972, 元ザ・ハード、のちクォーターマス、ギラン
- ジョン・ガスタフソン、John Gustafson(ベース、ヴォーカル)1969-1972, 元ビッグ・スリー、のちクォーターマス、ロキシー・ミュージック、イアン・ギラン・バンド
- トニー・デンジャーフィールド、Tony Dangerfield(ベース)1972-1974, 元スクリーミング・ロード・サッチ&ザ・サヴェイジズ、アラン・ボウン・セット
- アラン・コールター、Alan Coulter(ドラムス)1972-1974, , 元アラン・ボウン・セット
- デイヴ・ロウソン、Dave Lawson(キーボード)1972-1974, 元アラン・ボウン・セット
来歴
1964年イギリスのミドルセックス、ハッチエンド(en)en:Hatch_End)地区でハーロウ・グラマー・スクールに通っていたグレアムとシーラのカーター=ディモック兄妹にアンディ・ロスらによって結成された。ヴォーカルとドラムス担当ハーヴェイ・シールドが加わり、その友人でクラスメイトのロジャー・グローヴァーが誘われ参加した。1965年パイ・レコードとの契約が結ばれる前後の時期にヴォーカルのロスが脱退、バンドはヴォーカル、コーラス、ハーモニーを中心に据えた音楽活動を進めていたことから後任を探すことになった。そこでグローヴァーは、ジャヴェリンズと云うセミ・プロのバンドに参加し、私生活では婚約が決まってキャリア・アップを希望している人物、友人のイアン・ギランを紹介した。ギランの実力は申し分なく、加入後の1966年1月、ホリーズのカバー曲"Put Youself In My Place"でデビュー。TV音楽番組「レディ・ステディ・ゴー」などに出演し、以後MGM、チャプター・ワンに移籍してシングルをリリースするが、チャートインすることはなく、大きな成功は収められなかった。1969年にギランとグローヴァーがディープ・パープルに参加。残ったメンバーはメンバーチェンジをしながら1974年頃まで活動した。
2015年12月6日、ロンドンで結成50周年を記念してシーラ・カーター=ディモック、ランダー、グローヴァー、シールド、ギラン、ケリソンが参加した一夜限りの再結成と公演が行われた。
ディスコグラフィー
シングル
- Put Yourself In My Place / That's All I Want (1966年1月)
- I Hear Trumpet's Blow / True Love Is Funny That Way (1966年4月)
- Here, There & Everywhere / Mighty Morris Ten (1966年8月) ビートルズのカバー。日本でも「いつでもどこでも」の邦題で1966年に日本コロムビアから発売された。型番:LL-997-Y
- I Will Warm Your Heart/ Incense (1966年10月) シーラ・カーター&エピソード・シックス名義
- Love, Hate, Revenge / Baby Baby Baby (1967年1月)
- Morning Dew / Sunshine Girl (1967年6月)
- I Won’t Hurt You / U.F.O. (1967年9月) ネオ・マヤ名義
- I Can See Through You / When I Fall In Love (1967年10月)
- Little One / Wide Smiles (1968年2月) ジ・エピソード名義
- Lucky Sunday / Mr. Universe (1968年10月)
- Mozart Vs The Rest / Jak D'Or (1969年2月)
アルバム
現役時代は未発売。
参考文献
- 『The Complete Episode Six』Sequel (CD)、1991年
- 『Love, Hate, Revenge』Castle Music (CD)、2005年
外部リンク
- The Official Mick Underwood Website - ドラマーMick Underwoodの公式サイト(英語)