コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「リッチー・ジェームス・エドワーズ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
英語版より引用
 
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ロック・ギタリストのカテゴリ修正依頼 - log
57行目: 57行目:
[[Category:無神論者]]
[[Category:無神論者]]
[[Category:イギリス社会主義の人物]]
[[Category:イギリス社会主義の人物]]
[[Category:イギリスのギタリスト]]
[[Category:イギリスのロック・ギタリスト]]
[[Category:リズムギタリスト]]
[[Category:リズムギタリスト]]
[[Category:イギリスの作詞家]]
[[Category:イギリスの作詞家]]

2016年11月18日 (金) 08:41時点における版

リッチー・エドワーズ
Richey Edwards
出生名 Richard James Edwards
別名 リッチー・ジェームス、リッチー・マニック
生誕 1967年12月22日
出身地 ウェールズの旗 ウェールズ ケアフィリ ブラックウッド
ジャンル オルタナティヴ・ロック
ハードロック
ポストパンク
パンク・ロック
職業 ミュージシャン作詞家
担当楽器 ギターピアノボーカル
活動期間 1989年 - 1995年
レーベル コロムビア
共同作業者 マニック・ストリート・プリーチャーズ
著名使用楽器
フェンダー・テレキャスター・シンライン

リッチー・エドワーズRichey Edwards、出生名:リチャード・ジェームス・エドワーズ Richard James Edwards 1967年12月22日 - 1995年2月1日失踪、2008年11月23日死亡宣告)は、イギリスウェールズ出身のミュージシャン作詞家ロックバンドマニック・ストリート・プリーチャーズに在籍したギタリスト、作詞家として最もよく知られる。

略歴

生い立ち

1969年ウェールズの町ブラックウッドに生まれる。少年時代から後のバンドメイトとなるニッキー・ワイアージェームス・ディーン・ブラッドフィールドショーン・ムーアら3人と仲良くなり、好きな音楽について語り合うなど一緒のグループで行動するようになる。リッチーは高校卒業後にスウォンジー大学に進学し政治歴史学の学位を取得し卒業した。

マニックスのメンバーとして

ジェームス、ニッキー、ショーンの3人は結成時からマニックスのメンバーだったが、リッチーは当初バンドの運転手ローディーを務めていた。1988年に当時メンバーだったフリッカーが脱退し、リッチーはリズムギタリスト作詞家としてバンドに加入。バンドは1991年にメジャーデビューを果たした。

同年5月15日には当時「アルバム1枚のみをリリースして世界各国で1位になって解散する」などと大口を叩いていたマニックスに対して疑問を抱いていたNMEの記者であるスティーヴ・ラマックは、ライヴ後にリッチーに対しバンドがどれだけ本気かを尋ね、リッチーは所持していた剃刀で「4REAL(本気だ)」と左腕に傷をつけ、18針を縫う大怪我を負う[1]。これが後に伝説となった4REAL事件である。このようにリッチーは思想的・精神的支柱としてバンドでの存在感を強めていく。

精神的トラブル

しかしリッチーは次第にうつ病自傷行為に加え、ドラッグアルコール依存など様々な問題を抱えるようになる(自傷行為については、主にリストカットタバコの火を腕に押し付ける、いわゆる根性焼きなどを行っていた)。リッチーが作詞の約8割を手がけた1994年リリースの3rdアルバム『ホーリー・バイブル』では、リッチーによる陰惨で絶望的な歌詞で占められている。『ホーリー・バイブル』リリース後にリッチーは薬物更生施設であるプライオリーに入所し、バンドはスリーピース体制でアルバムのプロモーション・ツアーを行い、レディング・フェスティバルT in the Parkなどのロックフェスティバルに参加した。

プライオリー出所後は再び4人体制でスウェードセラピー?らと共にヨーロッパツアーに繰り出すが、1994年12月21日ロンドンのアストリアで行われたライヴが、リッチーが最後に出演した公演となった。

失踪

1995年2月1日、ジェームスと共にアメリカツアーに向かう予定の日に、リッチーはジェームスと一緒に泊まっていたホテルから失踪する[2]。その後もリッチーは見つからず、バンドは解散も視野に入れるが、リッチーの家族の懇願もあり、バンドは活動を継続。バンドはリッチー失踪後に国民的バンドとして人気を集めていく。リッチー失踪から13年後の2008年11月23日に死亡宣告が出された[3][4]

脚注

  1. ^ Jinman, Richard (1 February 2005). “Fans keep hopes alive for missing Manic”. The Guardian. p. 7. http://arts.guardian.co.uk/news/story/0,,1402938,00.html 5 March 2015閲覧。 
  2. ^ Price (1999), pp. 177–178.
  3. ^ BBC staff reporter (24 November 2008). “Missing guitarist 'presumed dead'”. BBC. http://news.bbc.co.uk/1/hi/wales/7745273.stm 6 March 2015閲覧。 
  4. ^ Cartwright, Garth (26 November 2008), “Obituary: Richey Edwards”, ザ・ガーディアン, http://www.guardian.co.uk/music/2008/nov/26/richey-edwards-manic-street-preachers 6 March 2015閲覧。 

関連項目

外部リンク