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2016年11月18日 (金) 08:18時点における版
ブライアン・ロバートソン Brian Robertson | |
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2007年11月10日、ノッティンガムにおけるシン・リジィのライヴ | |
基本情報 | |
生誕 | 1956年2月12日(68歳) |
出身地 | スコットランド・レンフルーシャイア |
ジャンル |
ハードロック ブルースロック ヘヴィメタル |
職業 |
音楽家 作曲家 |
担当楽器 |
ギター ボーカル ベース キーボード チェロ ドラムス |
活動期間 | 1974年 – 現在 |
共同作業者 |
シン・リジィ モーターヘッド ワイルド・ホーシズ ザ・クラン ザ・ビター・ツインズ |
公式サイト | Official website |
ブライアン・ロバートソン(Brian Robertson 1956年2月12日 - )はスコットランド出身のロック・ギタリスト。シン・リジィ、モーターヘッドの元メンバーとして知られる。愛称は「ロボ」(Robbo)。
初期
スコットランド、レンフルーシャイアのクラークストン(現在のイースト・レンフルーシャイア)生まれ。イーストウッド・ハイスクールで学びながら音楽家を志す[1]。最初はチェロ、クラシック・ピアノを8年間学んだが、ギターおよびドラムスに転向。地元のローカル・バンドでプレイする(彼が在籍したバンドには、後のアヴェレージ・ホワイト・バンドの前身ドリーム・ポリスなどもあった)。フレディ・キング、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ピーター・グリーンなどの影響を受ける[2]。
シン・リジィ時代
1974年、18歳でシン・リジィに加入。スコット・ゴーハムとのツイン・リード・ギター体制の一翼を担う。2人のリード・ギタリストによるシン・リジィの個性的なサウンドは、後にメディアによって「ツイン・リード・アタック」と名付けられ、アイアン・メイデン、メタリカ、ザ・ダークネスらの後進にも大きな影響を与えた。
シン・リジィでは5枚のスタジオ・アルバム(『ナイトライフ』(Nightlife) (1974)、『ファイティング!!』(Fighting) (1975)、『脱獄』(Jailbreak) (1976)、『サギ師ジョニー』(Johnny the Fox) (1976)、『バッド・レピュテイション〜悪名』(Bad Reputation) (1977))とライブ・アルバム『ライヴ・アンド・デンジャラス』(Live and Dangerous) (1978) に参加した。
シン・リジィのレパートリーの大半はフィル・ライノットの作品であるが、ロバートソンも在籍中にソング・ライターとして多くの楽曲をグループに提供した(『バッド・レピュテーション』は彼の曲がひとつも収録されなかった唯一のアルバム)。サウンド面では、ワウペダルの個性的かつ効果的な活用が、バンドのカラーの確立にひと役買った。
1978年にシン・リジィを脱退(後任は彼の前任者であったゲイリー・ムーア)。 その後、ジミー・ベイン(ベース、元レインボー)らとワイルド・ホーシズを結成し、First Album (1980)、Stand Your Ground (1981) の2枚のアルバムを残したほか、1980年にはエリック・バードンのアルバム Darkness Darknessのレコーディングに参加した。
モーターヘッド時代
1982年、『アイアン・フィスト』のプロデュースを巡ってレミーと対立して脱退した "ファスト" エディ・クラークの後任としてモーターヘッドに加入。5月21日、デトロイトのハーポス・コンサート・シアターにおけるライヴでお披露目された。その後「キング・ビスケット・フラワー・アワー」の収録に続いてアルバム『悪魔の化身』(Another Perfect Day) (1983) のレコーディングに参加した。
しかし、どちらかというとメロウなロバートソンのプレイスタイルはモーターヘッドの個性には明らかにフィットしておらず、『悪魔の化身』およびそこからシングル・カットされた「シャイン」(Shine) のセールスもまったくの期待外れに終わり、結局1983年11月11日に行われたベルリンでのライヴを最後にモーター・ヘッドを脱退[3]。その後ゲイリー・バーデンのバンド、ステイト・トゥルーパーに参加するが成功には恵まれなかった。
その後
1983年、歴代のギタリスト達とともにシン・リジィのファイナル・ツアーに参加、フィル・ライノット死後の1986年には、ライノットへの追悼盤としてリジィの Still in Love with You をカバー[4]。
1995年、自身以外は無名のミュージシャンを集め、ザ・クラン(The Clan) を結成。アルバム That's All.... を発表した。
2004年、アイルランドで開催された「オキシジェン・ミュージック・フェスティバル」においてアッシュのステージにゲストとして出演し、「ヤツらは町へ」(The Boys Are Back in Town) を演奏した。
2005年8月には、ゲイリー・ムーア、スコット・ゴーハム、ブライアン・ダウニー、エリック・ベルとともにシン・リジィを再結成、フィル・ライノット追悼ライブを行った(ベースはジェスロ・タルのジョナサン・ノイス)。
ストックホルムのポーラー・スタジオで2年以上かけて制作した自身初のソロ・アルバム『ダイアモンズ・アンド・ダート』(Diamonds and Dirt) を2011年3月に発表予定。このアルバムにはイアン・ホーグランド(ヨーロッパ)、リーフ・サンデン(マイケル・シェンカー・グループ)、リニー・ウッドらが参加しており、プロデュースはロバートソン自身とソレン・リンドバーグ、クリス・レイニー。
ディスコグラフィ
ソロ
Diamonds and Dirt (2011)
シン・リジィ
- ナイトライフ - Nightlife (1974)
- ファイティング!! - Fighting (1975)
- 脱獄 - Jailbreak (1976)
- サギ師ジョニー - Johnny the Fox (1976)
- バッド・レピュテイション〜悪名 - Bad Reputation (1977)
- ライヴ・アンド・デンジャラス - Live and Dangerous (1978)
ワイルド・ホーシズ
- First Album (1980)
- Stand Your Ground (1981)
モーターヘッド
- 悪魔の化身 - Another Perfect Day (1983)
- ノー・リモース - No Remorse (1984)
- ザ・バースデイ・パーティ - The Birthday Party (1990)
ザ・クラン
- That's All.... 1995
ザ・ビター・ツインズ
- Global Panic! (2009)
関連項目
脚注
- ^ Eastwood High School Achievers
- ^ “Brian Robertson”. Dinosaur Rock Guitar article. 2007年4月3日閲覧。
- ^ Burridge, Alan and Stevenson, Mick The Illustrated Collector's Guide to Motörhead Collector's Guide Publishing, 1994 pp. 17 & 40-43, ISBN 0-9695736-2-6
- ^ “[http:// www.stiff-records.com Stiff Records Official Website]”. stiffrecords.com. 2008年12月24日閲覧。
外部リンク
robbo.thin-lizzy.com 公式サイト