「ジェリー・マギー」の版間の差分
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2016年11月18日 (金) 08:00時点における版
ジェリー・マギー | |
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出生名 | Gelard James McGee |
生誕 | 1937年11月17日(87歳) |
出身地 | アメリカ合衆国ルイジアナ州ユーニス |
ジャンル |
インストゥルメンタル ロック ブルース・ロック ケイジャン |
職業 |
ギタリスト シンガー |
担当楽器 |
エレクトリックギター ベース |
共同作業者 |
デラニー&ボニー ザ・ベンチャーズ メル・テイラー&ザ・ダイナミックス |
著名使用楽器 | |
本文参照 |
ジェラルド・ジェームズ「ジェリー」・マギー(Gelard James "Gerry" McGee, 1937年11月17日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト。ルイジアナ州ユーニス出身。ザ・ベンチャーズのリードギター兼ベース、ヴォーカリスト。
来歴
父親がケイジャンミュージック界で名の知られたヴァイオリン奏者ということもあり、幼少期からケイジャンミュージックやカントリー、ブルースといった音楽に囲まれた環境で育つ。この原体験が彼の音楽性の基礎と言っていい。ギターを始めたのは20歳からであるが、やがて彼はスタジオミュージシャンとなり、エルヴィス・プレスリー、ウィリー・ネルソン、ジョン・メイオールなど幾多のレコーディング、セッション、ツアーをこなすようになる。やがて伝説のバンドと呼ばれる「デラニー&ボニー」に参加して活躍するが、1968年にノーキー・エドワーズが脱退したベンチャーズのオーディションを受けてみないか、との友人の誘いを受け(それ以前にロサンゼルスの「シー・ウィッチ・クラブ」に出演していた際にメル・テイラーの実弟である、後にキャンド・ヒートに加入するラリー・テイラーと共に「バンビーノース」として活動していたため、必然的にベンチャーズとの人脈は出来ていた)、結果加入することになり、デラニー&ボニーを離れる。ジェリーが脱退したデラニー&ボニーの後釜に座ったのがエリック・クラプトンであるが、ジェリー在籍時に残した音源を聴いて非常に感銘を受け、カントリーミュージックやアメリカ深南部のブルースに開眼することになるのは、有名なエピソードである(今も二人の交友は続いており、時折セッションやステージで共演することもあるらしい)。
ベンチャーズに加入後は、それまでになかったリズム&ブルースやブルース、そして「京都の恋」や「雨の御堂筋」といった日本の歌謡曲的なメロディをもたらすなど、ベンチャーズのそれまでのスタイルに新しい息吹を吹き込んだ。
その後ノーキーの復帰に伴い、スタジオやセッションに再び活動の場を移すが、「ベンチャーズとは違う音楽性に挑戦したい」という意向でベンチャーズを離れたメルから声を掛けられ、ビル・リンカーン、ジョン・ダリル、そして現在ベンチャーズのツアーに参加しているボブ・スポルディングらと共に1973年に「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成。来日当時、“二つのベンチャーズが来日”と話題を呼ぶが、思ったような評価は得られず、その後ジョー・バリルがベンチャーズから解雇されたためにメル・テイラーがベンチャーズに復帰することになり、メル・テイラー&ザ・ダイナミックスは自然消滅的に解散、ジェリーは再びスタジオやセッションでの活動に戻ることになる。
1984年、ベンチャーズにボブ・ボーグルが急病でツアーに参加できなくなったことから、ジェリーに白羽の矢が立てられ、ベーシストとしてツアーに参加。この年のステージではノーキーとのギターデュオや、リードギターをノーキーとスイッチするシーンが見られた。そして翌年、ノーキーが再びベンチャーズを離れることになり、ジェリーは現在もベンチャーズのリードギタリストとしてステージに立っている。なおジェリーはベンチャーズ自体は好きだったそうだが、意外なことにそれまでノーキーとは一度も会ったことがなく、面識はなかったのだが、この時のツアーで初めてノーキーと出会っている。しかしギタリスト同士という事もありすぐに馬が合い、関係がギクシャクすることは全くなかったらしい。
ベンチャーズとして活動する他にも、自らが率いる「ジェリー・マギー・ブルースバンド」として、ジャパン・ブルースカーニバルに出演する他、B.B.キングと共演するなど、ベンチャーズとは一味違う演奏を披露している。ジャパン・ブルースカーニバル出演時には、自身の子息であるケイン・マギー(Pedestrianというバンドで活動、後に脱退している)がドラムで参加している。
ソロアルバムは現在までに三枚リリースしている。ソロデビューとなった"Friends From A Distance"では、ゲストにリタ・クーリッジやボビー・ウーマックなどをゲストに迎えて、自身のルーツであるブルースやケイジャンミュージックなどを深く掘り下げ、スライドギターやブルースハープなども披露している。またその後もジャズやカントリーといった彼のルーツミュージックを幅広く取り上げた、枯れた味わいのある渋い演奏を聴かせている。
演奏スタイル
カントリーミュージックに深く根ざしたノーキーとは、元々の音楽経験が違うこともあり、ブルースの影響が大きい。しかしそれでいて、スタジオミュージシャンでもあったことから音楽的な引き出しが多く、演奏しているギターの端々からその影響が感じられる。 ピックはサムピックを使用するが、ベースを演奏する際にはフラットピックを使用している。レコーディングの際にはピックを使わず、指だけで弾くこともある。ピッキングのタッチがとてもまろやかなため、その点でもノーキーとの違いが出て来るが、ジェリー・マギーならではの味わいのあるトーンとして熱心なファンがいる。近年長らく愛用しているエリック・クラプトンモデルのストラトキャスターの機能を高く評価しており、楽曲に合わせてミッドブーストやトーン、ボリュームをこまめに調整して、音色のバリエーションを持たせている。基本的にギター自体の持ち味を殺さないクリーンな音を重視した音作りになっており、ベンチャーズに於いてはほとんど歪んだ音を使うことはない。自身のモデルではクラプトン・モデルと違い、ハードテイル(ノントレモロ)になっている。
使用機材
- フェンダーストラトキャスター・エリック・クラプトンモデル
- フェンダーテレキャスター
- フェンダージャパン・ストラトキャスター・ジェリー・マギーモデル
- ギブソン・レスポール(1970年代の再生産モデル。ピックアップの位相を変える改造をしていた他、ビグスビーの"パームペダル"を取り付けていたことがある)
- コンバット・ジェリー・マギー・モデル
- エレクトリックシタール(以前は"Coral"ブランドのダンエレクトロで、現在はジェリー・ジョーンズ製)
- アリア・サンドバイパー
- ギブソン・チェット・アトキンスモデルCE
- ギブソン・ナイロン弦アコースティックギター
- フェンダー・ジャズベース
- アリア・ベンチャーズモデルベース
その他
- 本国アメリカでは、テレビドラマや映画などでの端役として、俳優業を行っていたそうだが、あくまでも片手間仕事でやっていただけで、俳優業に本腰を入れるつもりは全くなかったと言う。映画「スター誕生」等でその姿を見ることが出来るほか、現在も時折俳優業を行っているようである。
- ベンチャーズのライブのハイライトのひとつである「朝日のあたる家」の演奏中には、ワイヤレスシステムを使用して、会場の客席通路を歩きながら演奏するのが近年の定番である。
- 日本食が好きである。特に天丼と親子丼が好物。元々彼の故郷であるルイジアナ州の食事には、日本の様に米を炊いて作るもの(Steamed Rice)があるため、その点では日本食に対してそれ程違和感が無かったという。