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2016年11月18日 (金) 07:19時点における版

ルイズルイス加部
出生名 加部正義
生誕 (1948-11-05) 1948年11月5日(75歳)
ジャンル グループ・サウンズ
ロック
職業 ベーシスト
ギタリスト
担当楽器 ベース
ギター
活動期間 1966年 -
共同作業者 ザ・ゴールデン・カップス
ピンククラウド
公式サイト ZokuZokuKazoku
著名使用楽器
EKO ROKES BASS
フェンダー・ジャズベース
フェンダー・ストラトキャスター
フェンダー・ムスタング

ルイズルイス加部(るいずるいすかべ、1948年11月5日 - )は、ベーシストギタリストである。本名は加部 正義(かべ まさよし)、父はフランス系アメリカ人(だと自称していたという)、母は日本人、愛称:マーちゃん、マー坊 など。横浜市本牧出身。

経歴

1966年、後のグループ・サウンズ(GS)ブームにおける重要なバンドの一つとなるザ・ゴールデン・カップスへ参加、加部は本来ベースだったが、1969年5月にエディ藩の脱退によりギターへ転向(加部はカップス参加前はギタリストだった)。1969年末日を以って加部はマモル・マヌー、林恵文と共にカップスを脱退する。

脱退後は1970年に林恵文、ジョン山崎らと「ルーム」と言うバンドを組むが瞬く間に解散、その後は同年「フード・ブレイン」(陳信輝(ギター)、加部正義(ベース)、角田ヒロドラム)、柳田ヒロオルガン))に参加、同年10月に象のジャケットで有名な「晩餐」をリリースする。

1971年に陳信輝(ギター)、ジョーイ・スミス(ドラム、ボーカル)と「スピード・グルー&シンキ」を結成。

1973年頃の「スピード〜」解散後はデイヴ平尾柳ジョージアイ高野らと「(ニュー)ゴールデン・カップス」として京都のサパークラブ「ママリンゴ」などで昔の曲を演奏。また、元ザ・ダイナマイツ村八分山口冨士夫と「リゾート」なるバンドを組んでいたこともあった。

ミュージシャンから足を洗いアメリカに住んでいた加部をCharが訪ね一緒にバンドを組むため熱心に説得。1978年 Char、ジョニー吉長と共にバンド「ジョニー・ルイス&チャー」を結成。後に「ピンククラウド」に名称を変更。武道館公演をできるほどの人気バンドとなったが、1994年に活動停止。

「ピンククラウド」活動停止後は、ソロ・アルバムのリリースや1996年に再結成した「ウオッカ・コリンズ」への参加、「ぞくぞくかぞく」、「布谷文夫 & DEW」など、マイペースの活動を続けている。2003年にはザ・ゴールデン・カップスの再結成に参加する。

人物

シュールなイラストレーションを得意としており、ジョニー・ルイス&チャー、加部自身のソロアルバムのジャケットなどで、その独特な世界を味わうことが出来る。

カップス時代から今日まで、枠に囚われない、フリーなプレースタイルを身上としている。特にカップスでの「リードベース」とも言うべき斬新なプレーは、多くのフォロワーを生んだ。

また、ハーフ特有の日本人離れしたハンサムな外見も特徴の一つで、カップス時代は女性ファンからアイドル的な人気をも得ていた。

ただ、カップスのGSアイドル的な扱いには、加部本人はほとんど関心がなかったようで、やる気なさそうに演奏したり、ジャズ喫茶でのライブをすっぽかすことが度々あったらしい。

所属しているバンド

  • 「ぞくぞくかぞく」 - 加部正義 (GUITAR)/富岡GRICO義広 (DRUMS)/鈴木享明 (BASS)/手代木TESSHII克仁 (GUITAR)
  • 「グループアンドアイ」 - 加部正義 (GUITAR) /YUKI(VOCAL)/KING-CHANG(GUITAR)/大貫悟(BASS)/湊雅史(DRUMS)

外部リンク