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== 著書 ==
== 著書 ==
* 『保険業法Q&A―少額短期保険業のポイント』([http://www.amazon.co.jp/dp/4892930156 ISBN-4892930156])(白藤文祐との共著)、[[保険毎日新聞社]]・刊、2006年11月。
* 『保険業法Q&A―少額短期保険業のポイント』([http://www.amazon.co.jp/dp/4892930156 ISBN 4892930156])(白藤文祐との共著)、[[保険毎日新聞社]]・刊、2006年11月。
* 『日本未来図2030』([http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822225194 ISBN-4822225194])(寄稿)、[[日経BP社]]・刊、2014年12月。
* 『日本未来図2030』([http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822225194 ISBN 4822225194])(寄稿)、[[日経BP社]]・刊、2014年12月。


== 註釈 ==
== 註釈 ==

2016年11月15日 (火) 19:42時点における版

豊田 真由子
とよた まゆこ
生年月日 (1974-10-10) 1974年10月10日(50歳)
出生地 日本の旗 千葉県
出身校 東京大学法学部卒業
ハーバード大学大学院修了
前職 厚生労働省老健局課長補佐
所属政党 自由民主党細田派
称号 修士(ハーバード大学・2002年
公式サイト とよた真由子 公式サイト

選挙区 埼玉4区
当選回数 2回
在任期間 2012年12月18日[1] - 現職
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豊田 真由子(とよた まゆこ、1974年10月10日 - )は、日本厚生官僚政治家衆議院議員(2期)、内閣府大臣政務官(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当)、文部科学大臣政務官復興大臣政務官学位修士ハーバード大学2002年)。自由民主党女性局次長青年局次長・国会対策委員会委員。選挙ではとよた 真由子(とよた まゆこ)と名乗ることもある。

金融庁総務企画局課長補佐在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官厚生労働省老健局課長補佐、衆議院議員(1期)などを歴任。

略歴

所属団体・議員連盟

来歴

生い立ち

1974年[3][4]千葉県に生まれる。3人姉妹の次女[3]

学生時代

船橋市立法典東小学校[3]桜蔭中学校[3]、桜蔭高等学校[3]に進学。生徒会役員をつとめ、茶道部で活動。「将来は国のために働きたい」と思い、1993年東京大学文科一類法学部に入学[3]。公法学科に進み、佐々木毅教授の政治学ゼミで指導を受けた[3]。児童養護施設や障がい者福祉施設等でのボランティアを通じ、弱き立場の人々、困難な状況にある人々に光が当たる世の中にしなければならないと心に誓ったという[3]

厚生省入省からハーバード大学大学院へ

1997年、東京大学を卒業し厚生省へ入省[3]。同期入省のなかで唯一の女性であったが、徹夜もいとわぬハードな仕事生活を続け、介護保険制度のスタートや障害者福祉に携わる[3]

厚生省の勤務の中で、理論的分析に基づく根拠ある政策立案を行う必要性を感じ 、その方法論を身につけるべく2000年に国費留学生として ハーバード大学大学院へ入学し、パブリック・ヘルスを学ぶ[5]。在学中の2001年に9.11ニューヨーク同時多発テロが発生。2002年に理学の修士号を取得した[3]。さまざまな国から来た学生たちとの交流を深め、世界が取り組んでいるグローバルな課題に対し目を開き、世界に貢献する気概を持つ必要性を感じたという[5]

厚労省課長補佐を経てWHO担当の外交官に就任

中央省庁再編により設置された厚生労働省にて、社会・援護局や健康局などで勤務。感染症や生活習慣病対策、第二次世界大戦の戦没者や遺族、原爆被害者の援護などに取り組む。

また、他の中央省庁においても出向等により勤務しており、2003年からは金融庁の総務企画局にて課長補佐を務め、保険業法(生命保険・損害保険)、共済制度に係る法律改正や企画立案を行う。「保険業法Q&A」という本も執筆している。

2007年には、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に一等書記官として赴任した[3]。WHO(世界保健機関)を担当する日本国外交官として、世界の保健・医療・感染症・食糧問題等に対処。2009年にはメキシコに端を発したH1N1新型インフルエンザの世界的流行への対応に最前線で取り組み、感染症に対処する国際的なシステムの強化や国際保健外交の重要性を学ぶ[3]。在職中、ジュネーブで長男、その後パリで長女を出産[3]。またこの時、WHOトップのマーガレット・チャン事務局長からも薫陶を受け、2015年12月の国際会議にチャンが来日した折[6]等に再会し喜びを分かち合ったという[7]

政治の道へ

2011年に帰国し、厚生労働省の老健局にて課長補佐に就任した[3]。東日本大震災の発生により、避難先や仮設住宅等における高齢者福祉政策等を担当した[5]。民主党政権の国家運営の実情に強い疑問を抱き、復興が一向に進まない現状に、「このままでは日本がダメになる、政治が正しく機能する国にしなくては」と、政治の世界に身を投じる決意をする[8]

厚生労働省を退官し、自民党埼玉県連の公募に合格した。日本では新しい「公募」という仕組みによって、これまで立候補に不可欠とされていた「潤沢な資金や家柄」ではなく、「自らが受けた教育や政策立案の力を頼りに、地道な地元活動を展開して支持を獲得する人々」が立候補できるようになった[5]。そして2012年12月、第46回衆議院議員総選挙において埼玉4区に自由民主党から出馬し[3]、初当選した。「地盤・看板・鞄」という、選挙に必要とされるものを何も持たない中での選挙戦であった[9]。骨折した足首を松葉杖で支えて、毎日駅前に立ち演説を続け、「靴が履けないから雨の日はギプスの上にビニールを被せて立っていた」と地元住民に目撃されており[10]、本人も「みじめな姿だったと思いますが、本人はいたって元気で前向きでした」とコメントしているが[5]。、その努力の姿勢は「あれは誰にも真似できない」と自民党関係者がコメントするほどであった[10]。また、家に幼い2人の子供を抱えての選挙活動であり容易ではない状況だったが、本人は「常に『日本の輝く未来』を思い浮かべて励みました。」と振り返っている[11]

自由民主党においては、厚生労働副部会長、厚生関係団体委員会・労働関係団体委員会・外国人労働者等特別委員会等にて副委員長、首都圏整備特別委員会の事務局次長、国家戦略本部の主査といった党の役職を務めた[12][13][14]派閥としては清和政策研究会に所属した[15][16]

衆議院再選から大臣政務官就任

2014年、第47回衆議院議員総選挙で他候補を大きく引き離し、再選。常日頃から、地元に密着した活動を続け、2児の母として子育て中の主婦層などをこまめに回り、無党派層からも広く支持を得た[17]。2015年10月9日、第3次安倍第1次改造内閣内閣府大臣政務官(東京オリンピック・パラリンピック担当)、文部科学大臣政務官復興大臣政務官に就任。

政策

法制度

夫婦別姓
選択的夫婦別姓制度の導入に反対[18]

厚生労働

女性が活躍する社会の実現
安倍内閣が目指す「女性が活躍する社会の実現」のために、長時間労働の是正、有休・育休取得の促進、結婚・妊娠・子育て期までの切れ目のない支援、国民の意識の変革を行うことが必要であり、同時に中小企業の負担に配慮した対策も必要と考える。[19]
持続可能な医療保険制度を構築するための国民健康保険法等の一部を改正する法律
外来の機能分化の推進、国民健康保険へのメリハリのついた財政支援、医療・介護・福祉の現場労働環境の向上などについて衆議院厚生労働委員会において施策の推進を提案。[20]
戦没者慰霊
「戦没者の遺骨収容帰還を促進する法律」を党特命委員会のメンバーとして起草。[21]

不祥事・騒動


活動

  • 2014年7月30日、在日モロッコ大使館にてモロッコ国王即位15周年式典に参加[26]
  • 2014年4月27日から5月1日にかけ、日本国際交流センター主催の第27回日本議員団訪米プログラムに参加[27]
  • 2015年6月、サッカー外交推進議員連盟の一員として、ソウル上岩ワールドカップスタジアムにて第8回日韓国会議員親善サッカー大会に出場した[28]
  • 2015年11月2日JAXA主催「地球観測衛星データ利用シンポジウム 2015」に来賓として出席 。挨拶にて「途上国を含め、人々の笑顔と世界の発展に貢献する『科学の力』を、わたくしは信じています」と述べた[29]
  • 2015年11月4日文化功労者顕彰式に出席。この時、大学時代の恩師、佐々木毅が文化功労者に選ばれている[29]
  • 2015年11月16日、文部科学省大臣政務官として筑波大学附属久里浜特別支援学校を馳文部科学大臣とともに視察。グランドで商学部の余暇活動「自転車あそび」や、図書室「おひさま文庫」を見学。その後、自閉症教育、インクルーシブ教育に関し意見交換をした[30]
  • 2015年11月16日、日刊工業新聞の創刊100周年記念式典に来賓として祝辞を述べる[31]
  • 2015年12月8日、国立研究開発法人科学技術振興機構が主催する福島でのシンポジウム「JST成果発表・展示会」を震災復興大臣政務官として訪問[32]
  • 2015年12月15日、情報アクセシビリティフォーラム2015に文部科学省大臣政務官として参加し、来賓挨拶に登壇[33]

人物

夫と1男1女の4人家族である。座右の銘は「艱難汝を玉にす」、趣味は絵画鑑賞、ジョギング、料理。[9]

国会議員となってからは多忙を極めており、「『一体、いつ休んでるの?』と聞かれますが、基本、休んでません(笑)。毎日2、3時間睡眠、休日なしです」[34]だと説明している。また、自らの政治に取り組む姿勢について「本気で人を幸せにしたい、国を良くしたいと思うなら、自分のことなど構ってられない」[34]「何があっても、皆さんの前では、笑顔です。(実は、見えないところで、ときに涙を流し、歯をくいしばっていますー。)」[34]とも述べている。

子育てをしながら議員活動を行っており、朝は子供を保育所へ送り届けて、議員活動を行い、夜は帰宅後、子供を寝かしつけた後に翌日の会議資料を読み原稿を書くなどの多忙ぶりが紹介されている[35]。また、2014年の衆院選の際には、駅前でビラ配り中「働く母親の声を分かってくれるのは、豊田さんしかいません」と女性から声をかけられ、「子育てをしているから、苦労や悩みを理解して一緒に考えていける」とこたえている[36]。また西田陽光がコーディネーターを務める子育てをする女性に向けたイベント「女性のためのリベラルアーツ」にゲストスピーカーとして出演したり[37]、NPO法人全国小規模保育協議会主催の「小規模認可保育の未来を描く全国フォーラム」でママ議員パネリストとして参加したり[38]、山口県萩市にて河村建夫元官房長官の後援会主催の「女性のための政治セミナー」でゲストとして講演する[39]など、女性議員ならではの活動もしている。

厚生労働省時代には、海外赴任前にTOEICで900点以上が必要とされ、書店で40冊の問題集を購入し、仕事で徹夜続きの中、問題集を全て解いて満点に近い960点を取ったという、困難な状況にあってもたゆまぬ努力を続け結果を出す人物であるというエピソードがある[10]

ハーバード時代の師であるマイケル・ライシュ教授は、同スクールの卒業生には、医療や途上国のフィールドでの活動を選ぶ者が多い中、豊田が政治家となった数少ない同スクールの卒業生であると指摘した上で「グローバル化が進み、また、新興感染症などの危機が大きくなる中で、パブリック・ヘルスの分野にたずさわる人々は、この分野における政策立案において、政治家が担う役割の重要性や、パブリック・ヘルスの教育を受けた政治家がいかに重要な貢献を果たすことができるかをもっと理解する必要がある」と述べている[5]。日本の衆議院と参議院の中ではパブリック・ヘルス分野での職歴を持つ議員は豊田を含め数名しかいない状況を考慮すると、本人も、その経験を生かす必要があると語っている[5]。また、政策を立案する官僚と、現場の思いをくみ取ることができる国会議員の両方の経験を生かしたいと、衆議院再選の時も述べている[40]

厚生労働省時代、甚大な被害を受けた東日本大震災の被災地において、避難先や仮設住宅等での高齢者福祉政策等を担当した経験から、議員となった後も、被災者の声を聞き、「決して忘れない」ことを伝えるためにも、被災地に通い続けることが大切だと考え、実践している[5]

著書

註釈


注・出典

  1. ^ 平成24年(2012年)12月18日埼玉県選管告示第96号(衆議院小選挙区選出議員選挙において当選した者の住所及び氏名並びに候補者届出政党の名称)
  2. ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「とよた真由子のプロフィール」『プロフィール|とよた真由子 公式サイト 埼玉県第4区 衆議院議員』とよた真由子。
  4. ^ 「国会議員」『豊田 真由子 | 国会議員 | 議員情報 | 議員・役員情報 | 自由民主党自由民主党
  5. ^ a b c d e f g h Public health politician | News | Harvard T.H. Chan School of Public
  6. ^ JCIE | 国際会議 新たな開発目標の時代とユニバーサル・ヘルス・カバレッジ― 強靭で持続可能な保健システムの構築を目指して ―
  7. ^ Facebook、2016年2月29日
  8. ^ じほう、2012年11月
  9. ^ a b 文部科学省ホームページ、 大臣・副大臣・大臣政務官(2015年10月現在)
  10. ^ a b c 月刊「新潮45」2013年12月号「桜蔭だけがなぜ特別なのか」
  11. ^ じほう、2012年12月
  12. ^ 「総裁・組織運動本部・選挙対策本部他」『自由民主党 役員表 | 議員・役員情報 | 自由民主党自由民主党2014年3月28日
  13. ^ 「広報本部・国会対策委員・総務会」『自由民主党 役員表 | 議員・役員情報 | 自由民主党自由民主党2013年11月14日
  14. ^ 「政務調査会(部会・調査会・特別委員会等)」『自由民主党 役員表 | 議員・役員情報 | 自由民主党自由民主党2014年4月23日
  15. ^ 「衆議院」『清和政策研究会 会員紹介清和政策研究会
  16. ^ 「衆議院」『清和政策研究会 会員紹介清和政策研究会
  17. ^ 読売新聞2014年12月15日
  18. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  19. ^ 第187回国会 内閣委員会 第10号 、2014年。
  20. ^ 2015年4月17日 (金)衆議院インターネット審議中継 、2015年。
  21. ^ 2015-09-28のブログ 活動報告(Facebookより)、2015年。
  22. ^ 朝日新聞、2013年11月25日
  23. ^ 「変えるぞ日本とよた真由子を育てる会」政治資金収支報告書(平成25年分 定期公表)
  24. ^ 「自民議員、園遊会に招待者以外同伴」『産経新聞』25635号、14版、産業経済新聞東京本社2014年4月29日、21面。
  25. ^ 「自民・豊田真由子衆院議員、ルール違反――園遊会に招待者以外同伴」『自民・豊田真由子衆院議員、ルール違反 園遊会に招待者以外同伴 - MSN産経ニュース産経デジタル2014年4月29日
  26. ^ ナショナルデーのレセプションを開催しました | モロッコ王国大使館サイト
  27. ^ 第27回日本議員団訪米プログラム | 公益財団法人 日本国際交流センター
  28. ^ 정상윤, "한일 국회의원 축구대회 참석한 김현의원", [포토] 한일 국회의원 축구대회 참석한 김현의원 - Save Internet 뉴데일리, 뉴데일리, 2015년6월13일.
  29. ^ a b Facebook 2015年11月5日
  30. ^ 馳文部科学大臣・豊田大臣政務官が筑波大学附属久里浜特別支援学校を視察 | 筑波大学附属学校教育局
  31. ^ 創刊100周年記念 来賓あいさつ・祝辞/文部科学政務官・豊田真由子氏 | 日刊工業新聞
  32. ^ 「復興から新しい東北の創生へ-科学技術の英知・絆の成果-in福島」へ出展しました(平成27年12月8日) | 国立研究開発法人科学技術振興機構
  33. ^ 情報アクセシビリティ・フォーラム2015:式典詳細ご報告
  34. ^ a b c 豊田真由子「リレー日記」『リレー日記 No,51 (豊田 真由子) | 社団法人 朝霞青年会議所』朝霞青年会議所。
  35. ^ 読売新聞 2013年5月18日
  36. ^ 朝日新聞デジタル 2015年5月6日
  37. ^ Facebook 2015年3月19日
  38. ^ 新制度までカウントダウン! 小規模認可保育の未来を描く全国フォーラム
  39. ^ Facebook 2015年11月8日
  40. ^ 埼玉新聞 2014年12月15日

外部リンク