「西日本プロレス」の版間の差分
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== 関連書籍 == |
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* [[竹内宏介]]『プロレス虚泡団体の真実』 [[日本スポーツ出版社]] |
* [[竹内宏介]]『プロレス虚泡団体の真実』 [[日本スポーツ出版社]] ISBN 4-930943-12-4 |
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* 『[[週刊プロレス]] 名鑑ロマン15年クロニクル』 [[ベースボール・マガジン社]] |
* 『[[週刊プロレス]] 名鑑ロマン15年クロニクル』 [[ベースボール・マガジン社]] ISBN 4-583-61261-3 |
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2016年11月15日 (火) 19:29時点における版
WJP(ダブリュー・ジェー・ピー、ウエスト・ジャパン・プロレスリング)は、日本のプロレス団体。
歴史
1994年、地域密着型プロレス団体を目的に設立した、みちのくプロレスの成功に触発されて九州(特に熊本県)を中心に地域密着型プロレス団体「西日本プロレス(にしにほんプロレス)」を設立。
旗揚げ戦に当たっては所属選手の退団で自主興行能力を失っていたPWCのエースであった高野拳磁をエースに据えて元W★INGプロモーションの島田宏や道産子プロレス道場 元気を設立していた将軍KYワカマツらが参加したがエースである高野は旗揚げ戦に参加したのみで離脱。代わって元W★INGプロモーションの徳田光輝と元ユニオン・レスリング(現:ユニオンプロレス)のホー・デス・ミン(現:ポイズン澤田)[1]をエースに据えることになる。
九州を拠点にしつつ東京都にも進出して後楽園ホールで興行を開催する展開を図るものの観客動員に苦戦。1996年、幸村剣士郎(現:幸村ケンシロウ)、相島俊介(現:相島勇人)、守永安広(現:水前寺狂四郎)が退団して独自に九州求道軍(現:プロレスリング求道軍)を結成して活動するなど内部に混乱を生じて事実上、興行機能を失った。
その後、九州求道軍から復帰した相島と水前寺をエースに据えて1998年、団体名をWJP(ダブリュー・ジェー・ピー、ウエスト・ジャパン・プロレスリング)に改称して立て直しを図ったが相島と水前寺が世界のプロレスに引き抜かれたため代わって川崎賢一をエースに据えるものの状況は好転せず現在は活動停止となっている。
設立当初はスポンサーも付き順調なスタートをきるが同じように地域密着を目的とした、みちのくプロレスがザ・グレート・サスケやスペル・デルフィンの活躍で全国区の知名度を獲得したことに比べて唯一、知名度のあった高野の離脱以降、知名度のある選手が存在せず観客動員で苦戦。それに加えスポンサーの撤退や選手同士の分裂等の問題もあり結局、充分な活動を行うことができずに事実上、崩壊する形となった。
旗揚げ戦にはPWC所属を標榜していた高野を据えた事や木村浩一郎、素顔時代の菊タローといった多くのインディーペンデント団体を中心に活動する選手や、いわゆる怪奇派を中心とした覆面レスラーが多く参戦するなど興行には事実上、外部団体の所属選手やフリー選手に依存していた。
所属選手
- 島田宏
- 徳田光輝
- ホー・デス・ミン(現:ポイズン澤田)
- 幸村剣士郎(現:幸村ケンシロウ)
- ゲレーロ・ディアブロ(現:ディアブロ)
- 相島俊介(現:相島勇人)
- 水前寺狂四郎(旧:守永安広、水前寺狂士郎)
- 川崎賢一(旧:キャプテン・ソルジャー)
- 菅沼修
- 林田伸一
- 山上康弘
- 中里貴幸
- 橋部昌浩
- 御剣破王
- 霧ノ才蔵(旧:霧の才蔵)
- ザ・グレート・野武士雷炎(旧:ザ・グレート・野武士)
- ホセ・カステリ
- バイオ・フランケン
- マグマ・インフェルノ
- ライトニング・ブレード
- アメリカン・ジャッカル
- スペース・インベーダー
- 富田洋二(総合格闘家)
- 澤井政樹(総合格闘家)
関連書籍
- 竹内宏介『プロレス虚泡団体の真実』 日本スポーツ出版社 ISBN 4-930943-12-4
- 『週刊プロレス 名鑑ロマン15年クロニクル』 ベースボール・マガジン社 ISBN 4-583-61261-3