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「千鳥抄」の版間の差分

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*古田東朔・松田修「源氏御談義(千鳥抄)(上)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第16号、福岡女子大学文学部 1958年(昭和33年)10月、pp. 57-72。
*古田東朔・松田修「源氏御談義(千鳥抄)(上)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第16号、福岡女子大学文学部 1958年(昭和33年)10月、pp. 57-72。
*古田東朔・松田修「倉野憲司博士所蔵本源氏御談義(千鳥抄)(下)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第20号、福岡女子大学文学部 1960年(昭和35年)10月、 pp. 47-60。
*古田東朔・松田修「倉野憲司博士所蔵本源氏御談義(千鳥抄)(下)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第20号、福岡女子大学文学部 1960年(昭和35年)10月、 pp. 47-60。
*天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編『源氏物語千鳥抄』1982年(昭和57年)11月14日。 ISBN4-8406-9158-4
*天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編『源氏物語千鳥抄』1982年(昭和57年)11月14日。 ISBN 4-8406-9158-4
*:片桐洋一解題
*:片桐洋一解題
*中島義彦編「倉野本『源氏御談義-千鳥抄-』影印と解題」武蔵野書院、2012年(平成24年)。ISBN4-838604351
*中島義彦編「倉野本『源氏御談義-千鳥抄-』影印と解題」武蔵野書院、2012年(平成24年)。ISBN 4-838604351


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2016年11月15日 (火) 18:21時点における版

千鳥抄』(ちどりしょう)は、『源氏物語』の注釈書である。『源氏物語千鳥抄』(げんじものがたりちどりしょう)あるいは『源氏物語難儀抄』(げんじものがたりなんぎしょう)と呼ばれることもある。

概要

至徳3年7月26日(1386年8月21日)から嘉慶2年11月30日(1388年12月29日)にかけて30数回にわたって行われた河海抄の著者である四辻善成の源氏物語についての講義の内容を、聴講者の一人であった大内氏の家臣平井相助が30年以上経過した1419年応永26年)3月下旬になってから講義の後平井が四辻にさまざまな質問して答えを得た内容も含めて当時の記録を元にとりまとめて主君の大内持世に献上したものである。聞書形態の注釈書としては最も古い時代に成立したものであり、また源氏物語の全巻に亘る講義が行われた最も古い記録でもある。写本には1巻のものと2巻のものとが存在する。

注釈書としての価値

本書の注釈としての内容は、巻序を追って源氏物語の本文から難解な語句を取り出して簡単な注釈を加えたものである。かつて本書は「あくまで四辻善成の説を記したものであり、四辻善成の説は河海抄において最も整った形で示されている。」と考えられてきたため、「注釈書としての価値はあまりない。」とされてきた。しかしながら、本書の内容を詳細に調べると、河海抄と異なる注釈が行われている部分が存在し、中には後に成立した花鳥余情と一致するものが存在することが明らかになってきた。これについては、

  • 後世の花鳥余情からの混入とする説
  • 花鳥余情と一致する部分は四辻善成の河海抄が著されて以後の見解であるとする説。

が存在する。

書名

本書は伝本によって以下のようなさまざまな書名が記されている。

  • 源氏物語千鳥抄 続群書類従本、静嘉堂文庫蔵本
  • 千鳥 宮内庁書陵部蔵本、東京大学文学部国語研究室所蔵本
  • 源氏御談義 天理図書館本、桃園文庫本、三条西家本、東北大学本、清心女子大学本
  • 源氏物語御談義 倉野憲司旧蔵本
  • 源氏談義 宮内庁書陵部蔵桂宮本
  • 源氏物語聞書 松平文庫本
  • 相助聞書 徳島光慶図書館蔵本
  • 源注 加持井宮家旧蔵本

しかしながら多くの伝本に附されている跋文によると、著者自身が付けた書名が「千鳥」または「千鳥抄」であると考えられるため、一般に「千鳥抄」と呼ばれている。

主要な写本及び伝本系統

本書には数多くの伝本が存在するが、書名や奥書・勘物の有無や跋文の位置のほか項目の異同など伝本間の違いは少なくない。本書の写本及び版本は、さまざまな観点から3つないし4つの伝本系統に分けられるが、その基準は学者によっていくつかの異なった観点からのものが存在する。

待井新一は奥書・勘物の有無や跋文の位置によって以下の3つの系統に分類している[1]

大津有一は奥書の有無と内容によって以下の4つの系統に分類している[2]

  • 兼純奥書本系統 桂宮本「千鳥」
  • 藤斎・龍翔院奥書本系統 桂宮本「源氏談義」、書陵部本「源注」、倉野本
  • 宗祇奥書本系統 続群書類従本
  • 無奥書本系統 天理図書館蔵本

片桐洋一は、項目の脱落や後世の補記と見られる記述の有無などといった内容そのものから以下のように分類している[3]

  • 項目の脱落は見られないものの、後世の花鳥余情などからの補記が認められる藤斎・龍翔院奥書本系統
  • 後世の補記は認められないものの、記述に脱落が認められる系統。これはさらに宗祇奥書本系統及び無奥書本系統と兼純奥書本系統とに分けられる

巻ごとの講義の日付

伝本によって若干のちがいはあるものの、各巻の巻名の下にそれぞれの巻が講義された日付を意味するとおぼしき数字等が記されている。それによると、概ね巻序に従っているものの一部に巻序と前後していると見られる記述が存在する、これが日付の記述の誤りなのか講義の行われた日そのものが前後しているのかは不明である。

巻序 巻名 記述 和暦 西暦 備考
1 桐壺 無し 至徳3年7月26日 1386年08月21日1386年8月21日 [4]
2 帚木 至徳三 八 五 至徳3年8月5日 1386年08月30日1386年8月30日 [5]
3 空蝉 八 十三 至徳3年8月13日 1386年09月07日1386年9月7日
4 夕顔 同日 至徳3年8月13日 1386年09月07日1386年9月7日
5 若紫 八 十九 至徳3年8月19日 1386年09月13日1386年9月13日 [6]
6 末摘花 九 二 至徳3年9月2日 1386年09月25日1386年9月25日
7 紅葉賀 九 十九 至徳3年9月19日 1386年10月12日
8 花宴 九 十九 至徳3年9月19日 1386年10月12日
9 九 十五 至徳3年9月15日 1386年10月08日1386年10月8日 [7]
10 賢木 九 廿 至徳3年9月20日 1386年10月13日
11 花散里 九 二十 至徳3年9月20日 1386年10月13日
12 須磨 記述無し 不明 不明
13 明石 記述無し 不明 不明
14 澪標 十 三 至徳3年10月3日 1386年10月26日
15 蓬生 十 三 至徳3年10月3日 1386年10月26日 [8]
16 関屋 至徳3年10月3日 1386年10月26日 [9]
17 絵合 十 九 至徳3年10月9日 1386年11月01日1386年11月1日
18 松風 十 九 至徳3年10月9日 1386年11月01日1386年11月1日
19 薄雲 至徳3年10月9日 1386年11月01日1386年11月1日
20 朝顔 十 十五 至徳3年10月15日 1386年11月07日1386年11月7日
21 少女 十 十五 至徳3年10月15日 1386年11月07日1386年11月7日 [10]
22 玉鬘 十 廿八日 至徳3年10月28日 1386年11月20日
23 初音 正 廿 至徳4年正月20日 1387年02月09日1387年2月9日 [11]
24 胡蝶 十 廿八 至徳3年10月28日 1386年11月20日
25 十一 三 至徳3年11月3日 1386年11月25日
26 常夏 十一 三 至徳3年11月3日 1386年11月25日
27 篝火 十一 三 至徳3年11月3日 1386年11月25日
28 野分 十一 九 至徳3年11月9日 1386年12月01日1386年12月1日
29 行幸 十一 九 至徳3年11月9日 1386年12月01日1386年12月1日
30 藤袴 十一月十五 至徳3年11月15日 1386年12月07日1386年12月7日
31 真木柱 十一十五 至徳3年11月15日 1386年12月07日1386年12月7日
32 梅枝 十一廿二 至徳3年11月22日 1386年12月14日
33 藤裏葉 十一廿二 至徳3年11月22日 1386年12月14日
34 若菜上 十一廿七 十二三 至徳3年11月27日

至徳3年12月3日

1386年12月19日

1386年12月24日

35 若菜下 十二 三 至徳3年12月3日 1386年12月24日 [12]
36 柏木 十二廿二 至徳3年12月22日 1387年01月12日1387年1月12日 [13]
37 横笛 十二廿二 至徳3年12月22日 1387年01月12日1387年1月12日
38 鈴虫 正廿 至徳4年正月20日 1387年02月09日1387年2月9日
39 夕霧 二 三 至徳4年2月3日 1387年02月21日1387年2月21日
40 御法 至徳四 二 十 至徳4年2月10日 1387年02月28日1387年2月28日
41 二 十 至徳4年2月10日 1387年02月28日1387年2月28日
雲隠 二 十 至徳4年2月10日 1387年02月28日1387年2月28日
42 匂宮 二 十六 至徳4年2月16日 1387年03月06日1387年3月6日
43 紅梅 二 十六 至徳4年2月16日 1387年03月06日1387年3月6日
44 竹河 嘉慶二年卯十 嘉慶2年4月10日 1388年05月16日1388年5月16日 [14]
45 橋姫 廿八卯十三 嘉慶2年4月13日 1388年05月19日1388年5月19日
46 椎本 廿九 卯 十五 嘉慶2年4月15日 1388年05月21日1388年5月21日
47 総角 十 十四 嘉慶2年10月14日 1388年11月13日1388年11月13日
48 早蕨 十 十六 嘉慶2年10月16日 1388年11月15日1388年11月15日 [15]
49 宿木 十 廿四 嘉慶2年10月24日 1388年11月23日1388年11月23日
50 東屋 十一 九 嘉慶2年11月9日 1388年12月08日1388年12月8日
51 浮舟 十一 廿 嘉慶2年11月20日 1388年12月19日 [16]
52 蜻蛉 嘉慶二 十一 廿九 嘉慶2年11月29日 1388年12月28日 [17]
53 手習 十一 廿九 嘉慶2年11月29日 1388年12月28日
54 夢浮橋 卅日 嘉慶2年11月30日 1388年12月29日

翻刻・影印

  • 「源氏物語千鳥抄」塙保己一編纂太田藤四郎補訂正3版『続群書類従 第18輯 下 物語部・日記部・紀行部』続群書類従完成会、1976年(昭和51年)、pp. 627-1347。
  • 古田東朔・松田修「源氏御談義(千鳥抄)(上)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第16号、福岡女子大学文学部 1958年(昭和33年)10月、pp. 57-72。
  • 古田東朔・松田修「倉野憲司博士所蔵本源氏御談義(千鳥抄)(下)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第20号、福岡女子大学文学部 1960年(昭和35年)10月、 pp. 47-60。
  • 天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編『源氏物語千鳥抄』1982年(昭和57年)11月14日。 ISBN 4-8406-9158-4
    片桐洋一解題
  • 中島義彦編「倉野本『源氏御談義-千鳥抄-』影印と解題」武蔵野書院、2012年(平成24年)。ISBN 4-838604351

脚注

  1. ^ 待井新一「源氏物語千鳥抄の考察 諸本の分類と原著形態について」東京大学国語国文学会『月刊 国語と国文学』第40巻第10号(通号第475号)、至文堂、1963年(昭和38年)10月。
  2. ^ 大津有一「千鳥抄について」重松信弘博士頌寿会編『重松信弘博士頌寿記念論文集 源氏物語の探究』風間書房、1974年。
  3. ^ 片桐洋一「解題 千鳥抄」天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編『天理図書館善本叢書 千鳥抄』八木書店、1982年11月。
  4. ^ 桐壺巻にはいずれの伝本でも日付と思われる記載は存在しないが、これは講義全体の初めの日である至徳3年7月26日(1386年8月21日)に桐壺巻の講義が行われたために特に桐壺巻のところに日付を記載する必要を感じなかったためであると見られる。
  5. ^ 加治井宮旧蔵本による。書陵部本は記載無し。
  6. ^ 書陵部本・倉野本・九州大学本による。加治井宮旧蔵本は記載無し。
  7. ^ この日付について、橋本進吉は「十五は十九の誤りではないか」としている。
  8. ^ 倉野本・書陵部本・加治井宮旧蔵本は記載無し。
  9. ^ 倉野本・書陵部本・加治井宮旧蔵本は記載無し。
  10. ^ 書陵部本・倉野本・九州大学本による。加治井宮旧蔵本は記載無し。
  11. ^ この初音巻が「正 廿」とされていることについて、前後の巻が10月になっていることから「正」が「十」などの誤りではないかとする見方もあるが、誤りではなく実隆公記などに見られる「初音巻を正月に講ずる慣例」の確認出来る早い事例であるとする見方もある。
  12. ^ 書陵部本・倉野本・九州大学本による。加治井宮旧蔵本は記載無し。
  13. ^ 加治井宮家旧蔵本・倉野本による。書陵部本は記載無し。
  14. ^ 加治井宮家旧蔵本・倉野本による。書陵部本は記載無し。
  15. ^ 加治井宮家旧蔵本・倉野本による。書陵部本は記載無し。
  16. ^ 加治井宮家旧蔵本・倉野本による。書陵部本は記載無し。
  17. ^ 加治井宮家旧蔵本・倉野本による。書陵部本は「嘉慶二」が無く、九州大学蔵本では「嘉慶二 十一 廿三」(嘉慶2年11月23日(1388年12月22日))となっている。

参考文献