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「吉田璋也」の版間の差分

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*[[鳥取民藝美術館]]
*[[鳥取民藝美術館]]
== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*牧野和春『吉田璋也と鳥取県の手仕事』、牧野出版、1990年6月20日 ISBN4-89500-014-1 P1400E
*牧野和春『吉田璋也と鳥取県の手仕事』、牧野出版、1990年6月20日 ISBN 4-89500-014-1 P1400E
*鳥取民藝協会編『吉田璋也―民芸のプロデューサー』、牧野出版、1998年5月15日 ISBN4-89500-052-4 C0072
*鳥取民藝協会編『吉田璋也―民芸のプロデューサー』、牧野出版、1998年5月15日 ISBN 4-89500-052-4 C0072
*鳥取民藝協会編『吉田璋也のものづくり』、鳥取民藝協会、2001年4月22日
*鳥取民藝協会編『吉田璋也のものづくり』、鳥取民藝協会、2001年4月22日
*木谷清人編『デザイナーとしての吉田璋也』(英文"Shoya YOSHIDA ,A remarkable ancestor and multiple producer of Japanese folk crafts")、財団法人鳥取民藝美術館、2012年9月6日
*木谷清人編『デザイナーとしての吉田璋也』(英文"Shoya YOSHIDA ,A remarkable ancestor and multiple producer of Japanese folk crafts")、財団法人鳥取民藝美術館、2012年9月6日
*『民藝』(680号)特集 吉田璋也・新作民藝の展開、日本民藝協会、2009年8月
*『民藝』(680号)特集 吉田璋也・新作民藝の展開、日本民藝協会、2009年8月
*木谷清人編『吉田璋也の世界 Shoya YOSHIDA Design collection』、公益財団法人鳥取民藝美術館、2015年1月 ISBN-13: 978-4924695054
*木谷清人編『吉田璋也の世界 Shoya YOSHIDA Design collection』、公益財団法人鳥取民藝美術館、2015年1月 ISBN 978-4924695054
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://mingei.exblog.jp/ 鳥取民藝美術館・たくみ工芸店-公式ブログ]
*[http://mingei.exblog.jp/ 鳥取民藝美術館・たくみ工芸店-公式ブログ]

2016年11月15日 (火) 18:13時点における版

吉田 璋也(よしだ しょうや、1898年1月17日 - 1972年9月13日)は、民藝運動家。医師鳥取県鳥取市出身。

柳宗悦民芸運動に共感して活動。柳宗悦の見出した民藝の美を生活の中に取り入れるため、新たな民藝品を生み出した。これをのちに新作民藝運動と呼ぶ。「民藝のプロデューサー」を自認し、民藝の普及に大きな業績を残した。 また、自らも多くのデザインを残しており、民藝の美を現代の生活に取り入れるために、日常の生活のための衣食住に渡る幅広いデザイナーとしての足跡も大きい。

年譜

  • 1898年(明治31年)鳥取市立川にて生まれる。父吉田久治(医師)母伴代。吉田一郎と命名。
  • 1917年(大正 6年)新潟医学専門学校(現新潟大学医学部)入学。
  • 1919年(大正 8年)『攻瑶会雑誌』の編集委員となり式場隆三郎(垣沼)と親交をもつ。
  • 1920年(大正 9年)白樺派の運動に共鳴し「新しき村新潟支部」を設立。雑誌『アダム』を発行。表紙は岸田劉生など。初夏、千葉県我孫子柳宗悦を式場隆三郎らと共に訪ねる。
  • 1921年(大正10年)結婚
  • 1923年(大正12年)改名「璋也」(しょうや)
  • 1924年(大正13年)京都帝国大学医学部研修科耳鼻咽喉科医員となる。柳宗悦の紹介で河井寛次郎と会う。
  • 1925年(大正14年)倉敷紡績(株)倉紡中央病院耳鼻科医員。
  • 1927年(昭和 2年)京都帝国大学より医学博士号を受ける。
  • 1929年(昭和 4年)奈良市福智院町の武家屋敷に住む。(現重要文化財今西家書院)柳宗悦河井寛次郎志賀直哉らと親交を持つ。
  • 1930年(昭和 5年)暮れに鳥取に帰る。
  • 1931年(昭和 6年)鳥取にて耳鼻咽喉科医院を開業。牛ノ戸焼を訪問し新作民藝の試作に取り組むよう説得。「鳥取民藝會」設立。陶芸・木工・金工・染織など多岐に渡り工芸品を試作。新作民藝運動を起こす。
  • 1932年(昭和 7年)「鳥取民藝振興會」設立。鳥取市若桜街道に「たくみ工藝店」を開店。
  • 1933年(昭和 8年)東京西銀座に「たくみ工藝店東京支店」を開店。現在の「銀座たくみ」。
  • 1938年(昭和13年)軍医として応召。中国北方に従軍。中国の工芸の研究を始める。
  • 1940年(昭和15年)『有輪担架』(牧野書店)刊行。中国石家荘で現地応召解除。一時帰国の後再び中国に渡り工芸を指導。
  • 1941年(昭和16年)厚民工芸を提唱し北京で新作民藝運動を拡大。
  • 1943年(昭和18年)北京で「華北生活工藝店」開店。
  • 1945年(昭和20年)敗戦で北京より京都に引き揚げる。
  • 1947年(昭和22年)鳥取に帰る。
  • 1949年(昭和24年)「鳥取民藝協団」組織。「鳥取民藝協会」設立(再発足)。「鳥取民藝館」開設。(翌年鳥取民藝美術館と改称)
  • 1952年(昭和27年)鳥取大火にて医院・自邸焼失。再建する。
  • 1954年(昭和29年)「鳥取文化財協会」設立。理事に就任。鳥取城跡(史跡)鳥取砂丘(天然記念物)指定申請。
  • 1957年(昭和32年)耐火構造の「鳥取民藝美術館」改築。(昭和36年増築)
  • 1958年(昭和33年)『民藝61号』「新作民芸品監督生産者」。自らの立場を「民芸のプロデューサー」とする。
  • 1959年(昭和34年)「童子地蔵堂」を開く。
  • 1961年(昭和36年)「童子地蔵堂」八角ブロック造に改築。
  • 1962年(昭和37年)「財団法人鳥取民芸美術舘」設立。博物館登録。「たくみ割烹店」(生活的美術館)開店。
  • 1964年(昭和39年)湖山池湖畔に「阿弥陀堂」を建てる。
  • 1965年(昭和40年)仁風閣を国の重要文化財とすべく運動。
  • 1966年(昭和41年)『民芸運動私見』刊行。
  • 1969年(昭和44年)『民芸入門』(保育社)刊行。
  • 1970年(昭和45年)妻、歿す。耳鼻咽喉科医院廃業。
  • 1972年(昭和47年)9月13日没す。(満74歳)
  • 1974年(昭和49年)鳥取市名誉市民の称号を受く。
  • 1981年(昭和56年)県政功労者表彰を受く。

(注)木谷清人編「吉田璋也年譜」より抄録。

関連項目

参考文献

  • 牧野和春『吉田璋也と鳥取県の手仕事』、牧野出版、1990年6月20日 ISBN 4-89500-014-1 P1400E
  • 鳥取民藝協会編『吉田璋也―民芸のプロデューサー』、牧野出版、1998年5月15日 ISBN 4-89500-052-4 C0072
  • 鳥取民藝協会編『吉田璋也のものづくり』、鳥取民藝協会、2001年4月22日
  • 木谷清人編『デザイナーとしての吉田璋也』(英文"Shoya YOSHIDA ,A remarkable ancestor and multiple producer of Japanese folk crafts")、財団法人鳥取民藝美術館、2012年9月6日
  • 『民藝』(680号)特集 吉田璋也・新作民藝の展開、日本民藝協会、2009年8月
  • 木谷清人編『吉田璋也の世界 Shoya YOSHIDA Design collection』、公益財団法人鳥取民藝美術館、2015年1月 ISBN 978-4924695054

外部リンク