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「ランボルギーニ・ウラッコ」の版間の差分

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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*『栄光の名車たちVOL.1スーパープレミアム』タツミムック
*『栄光の名車たちVOL.1スーパープレミアム』タツミムック
*福野礼一郎『幻のスーパーカー』双葉社 ISBN4-575-28840-3
*福野礼一郎『幻のスーパーカー』双葉社 ISBN 4-575-28840-3


{{ランボルギーニ}}
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2016年11月15日 (火) 17:32時点における版

ランボルギーニ・ウラッコ
ウラッコ
側面
概要
販売期間 1973年 - 1979年
デザイン ベルトーネマルチェロ・ガンディーニ
ボディ
乗車定員 4名
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン 2,997ccV8(P300,Rally)
2,463ccV8(P250,P250S,P111)
1,995ccV8(P200)
最高出力 250ps/6,500rpm(P300)
220ps/7,500rpm(P250,P250S)
182ps/7,500rpm(P200)
最大トルク 42.0kgm/2,800rpm(P300)
23.0kgm/5,750rpm(P250,P250S)
18.0kgm/3,800rpm(P200)
変速機 5速MT
ストラット式サスペンション
ストラット式サスペンション
車両寸法
ホイールベース 2,448mm
全長 4,249mm
全幅 1,759mm
車両重量 1,150kg(P250)、1,300kg(P300)
系譜
後継 シルエット
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ウラッコUrraco )は、1970年代にイタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが開発・製造したスポーツカーである。

概要

フェルッチオ・ランボルギーニポルシェ・911の「2+2」スポーツカー市場への投入を狙って、ランボルギーニのエンジニア、パオロ・スタンツァーニに車体設計を命じた[1]。エクステリアデザインは、ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニが担当した。

エンジンはV型8気筒で、クランク軸上にギアボックスを配し、ディファレンシャルを間に挟み込んだジアコーサ・レイアウト。細長く収めて横置きとし、+2座のスペースを確保しつつホイールベースを2450mmと短く収めた。

シャシは圧延鋼板を溶接したファブリケート構造で、鋼板製ボディにも応力を持たせるセミモノコックである。

インテリアでは、室内幅のほぼ1/2にもなる横長のメーターパネルの中央にウォーニングランプ群、それを挟んで各種補機メータを左右それぞれ3個、最両端にタコメータ(左端)とスピードメータ(右端)とを一列に配置するという前衛さが特徴。

1970年に行われたトリノ・オートショーTurin Auto Show )で発表され、多数の受注を得た。

ランボルギーニは最新のコンピュータテクノロジーを導入して生産をオートメーション化してウラッコを生産し、年間2,000台製造する計画であったが、これには莫大な初期投資が必要で、当時トラクターの販売が良くなかったこともあり、頓挫してしまった。そのため生産には莫大なコストが掛かることになり、販売価格も上昇させざるを得なくなった。

1972年秋に生産が始まり、1973年にようやく発売にこぎ着けるが販売は思わしくなかった。新型V8エンジンは信頼性が低く、特に深刻だったのはクランクシャフトとドライブベルトの破損で、最低でもシリンダーヘッドにダメージがあり、最悪エンジン自体が破壊されてしまった。

1974年には年に500台を生産できるまでになり、またアメリカでの販売が始まったが、注文が少なかった。

結局791台を生産して1979年に製造中止した。しかしこの車体と3.5リッターV8エンジンをベースに、後に2シーターオープンカータルガトップ)のシルエットを販売、ジャルパに受け継がれた。

バリエーション

  • P250 - エンジンはV型8気筒SOHC、ボアφ86.0mm×ストローク53mmで2,463ccのティーポL240型。圧縮比10.5で220PS/7,500rpm、23kgm/5,750rpm。最高時速220km/h、0-100km/hは6.2秒と発表されている。ただし実際のエンジン出力は180PSほどしかなかったという。生産台数は520台。
    • P250S - 装備関係の差があるだけで、エンジンやサスペンション等主要部分はP250と全く同一。
  • P200 - 2,000cc以上の車両に厳しい付加価値税が課せられるイタリア国内向け。エンジンはV型8気筒SOHC、ボアφ77.4mm×ストローク53mmで1,995cc。182PS/7,500rpm、18kgm/3,800rpm。0-100km/hは7.2秒。66台しか売れなかった。
  • ラリーRally 、1973年試作) - ボブ・ウォレスが1973年秋から暮れにかけて1台だけグループ5の規定に従って試作したレーシングカー。エンジンは後にP300に採用された2,997ccのDOHCエンジンの試作品が積まれていた。
  • P111(1974年8月発売) - 巨大市場であるアメリカの規制に合わせた北米市場向けで、P250のエンジンにサーマルリアクター、エアポンプ、ステンレス製排気マニフォールドを備えて当時の連邦排ガス規制に対応した。このことで180PS、20kgmになっている。また大きな5マイルバンパーとサイドマーカーをつけている。21台が販売された。
  • P300(1975年4月発売) - エンジンはV型8気筒DOHC、ボアφ86.0mm×ストローク64.5mmで2,997cc。圧縮比9.2で250PS/7,500rpm。最高時速265km/hと発表されている。カムドライブをチェーン化し、トランスミッションも強化された。

関連項目

脚注

参考文献

  • 『栄光の名車たちVOL.1スーパープレミアム』タツミムック
  • 福野礼一郎『幻のスーパーカー』双葉社 ISBN 4-575-28840-3


ランボルギーニ S.p.A. ロードカータイムライン 1963-
タイプ 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3
MR(含ミッドシップ4駆) V12 ミウラ カウンタック ディアブロ ムルシエラゴ アヴェンタドール レヴエルト
イオタ レヴェントン ヴェネーノ チェンテナリオ エッセンツァ シアン カウンタック
V8/V10 シルエット ジャルパ ガヤルド ウラカン
2+2 ウラッコ
FR GT 350GT
2+2 400GT イスレロ ハラマ
エスパーダ
クロスカントリー4WD
SUV
LM002 ウルス
オーナー
親会社
フェルッチオ・ランボルギーニ ロセッティ、
レイマー
イタリア政府管理下 ミムラン クライスラー メガテック Vパワー アウディ
試作レーシングカー: ランボルギーニ・イオタ(1969)、ランボルギーニ・ハラマRS(1973)、ランボルギーニ・ウラッコ・ラリー(1973)
コンセプトカー: ランボルギーニ・エストーケ(2008)、ランボルギーニ・エゴイスタ(2013)、ランボルギーニ・アステリオン(2014)、ランボルギーニ・テルツォ ミッレニオ(2017)
人物: フェルッチオ・ランボルギーニジャンパオロ・ダラーラマルチェロ・ガンディーニパオロ・スタンツァーニ
公式WEBサイト: Automobili Lamborghini Holding Spa