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「ラビットカー」の版間の差分

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* 復刻ラビットカー - [[近鉄600系電車 (3代)|養老鉄道600系606F]] 6800系旧モ6857号車-旧モ6858号車を[[養老鉄道養老線|養老線]]に転出の際、改番したもの
* 復刻ラビットカー - [[近鉄600系電車 (3代)|養老鉄道600系606F]] 6800系旧モ6857号車-旧モ6858号車を[[養老鉄道養老線|養老線]]に転出の際、改番したもの
* 復刻ラビットカー - [[近鉄6000系電車|近鉄6020系6051F]] 2012年の[[近鉄吉野線|吉野線]]開業100周年を記念した復刻塗装車両
* 復刻ラビットカー - [[近鉄6000系電車|近鉄6020系6051F]] 2012年の[[近鉄吉野線|吉野線]]開業100周年を記念した復刻塗装車両
ラビットカーが就役したのは1957年であるが、2年後の1959年に就役した名古屋線用[[近鉄1600系電車|近鉄1600系]]も、高加減速車ではないものの、登場時には近鉄社内で'''名古屋ラビット'''と呼ばれていた<ref>鹿島雅美、『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31) 、1983年、P107 ISBN4-586-50622-9。</ref>。1600系の社内電算記号(他鉄道事業者の[[編成 (鉄道)|編成番号]]に相当)が 「R」 であったのは、この'''名古屋ラビット'''に由来している。
ラビットカーが就役したのは1957年であるが、2年後の1959年に就役した名古屋線用[[近鉄1600系電車|近鉄1600系]]も、高加減速車ではないものの、登場時には近鉄社内で'''名古屋ラビット'''と呼ばれていた<ref>鹿島雅美、『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31) 、1983年、P107 ISBN 4-586-50622-9。</ref>。1600系の社内電算記号(他鉄道事業者の[[編成 (鉄道)|編成番号]]に相当)が 「R」 であったのは、この'''名古屋ラビット'''に由来している。
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2016年11月15日 (火) 17:30時点における版

近鉄ラビットカーオレンジバーミリオン
 
16進表記 #da7343
RGB (218, 115, 67)
マンセル値 1.5YR 6/10
出典 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」

ラビットカー(Rabbit Car)は、近鉄南大阪線などで運転されていた通勤車両につけられた愛称のことである。また、日本で初めての高加減速車両でもある[1]

狭義には6800系・6900系電車を指すが、具体的には復刻ラビットカーを別とすると、以下の3形式(6900系は後に6000系に改番)から構成される。

当初は各駅停車用で、旧型車で運行される急行や準急のダイヤの間を高加速・高減速で縫って走る姿がウサギを連想させるために付いた名である。運用の都合で急行・準急として使用されることもあったが、後年には大阪阿部野橋 - 河内長野間急行・準急に専ら充当されるようになった。

近鉄が特定の車両形式に対して愛称を付けたのはこれは初めてのことである。ただし、「ビスタカー」や「L/Cカー」などとは異なり、この愛称は2016年現在登録商標とはなっていない。

ラビットカーと呼称されていた車両

詳細は各形式の記事を参照。

  • 初期ラビットカー - 近鉄6800系
  • 後期ラビットカー - 近鉄6900系・6000系 6000系は厳密には高加減速車ではないが、全車がラビットカー塗装・サ6150形以外がラビットマーク付で落成した。
  • 復刻ラビットカー - 養老鉄道600系606F 6800系旧モ6857号車-旧モ6858号車を養老線に転出の際、改番したもの
  • 復刻ラビットカー - 近鉄6020系6051F 2012年の吉野線開業100周年を記念した復刻塗装車両

ラビットカーが就役したのは1957年であるが、2年後の1959年に就役した名古屋線用近鉄1600系も、高加減速車ではないものの、登場時には近鉄社内で名古屋ラビットと呼ばれていた[2]。1600系の社内電算記号(他鉄道事業者の編成番号に相当)が 「R」 であったのは、この名古屋ラビットに由来している。

近鉄600系606F
近鉄6020系6051F

ラビットカー色

養老鉄道の復刻ラビットカーに付けられたラビットマーク

登場時はオレンジバーミリオンに100mm幅白帯 (N9) の塗装であったが、1968年から塗装工程簡略化のためにマルーンレッド一色となり、1980年代後半にはマルーンレッドとシルキーホワイトの塗装となった。サ6150形以外には車体側面にウサギをモチーフにした 「ラビットマーク」(画家の岡本太郎がデザイン。ラビットマークは6800系の1次車から3次車までは白の塗装で、6800系の最終増備車となる4次車および6900系と6000系の全車ではステンレス無塗装のものであった) が取り付けられていたが、マルーンレッド一色への塗装変更の際に取り外された。しかし、1987年のデビュー30周年記念、2009年の養老線、2012年の吉野線開業100周年記念で、登場時の塗装とラビットマークが復元された。1987年の復元の際は1次車のモ6851に原型とは異なるステンレス無塗装のものを、2009年の養老鉄道と2012年の近鉄での復刻ラビットカーでは原型には存在していなかった銀の転写式のもので復元している。

ラビットカーの車両色は、当時近鉄の車両部に在籍していた近藤恒夫が考案したものである[3]

なお、翌1958年に新造された特急車の10000系ビスタカー」や、以降の特急車でもオレンジの塗装が採用されたが、これら特急車のオレンジの色調はラビットカーのオレンジバーミリオンとは異なるものである。

脚注

  1. ^ JTBパブリッシング JTBキャンブックス「近鉄電車」三好好三著 P.195掲載の近鉄6800系の記事
  2. ^ 鹿島雅美、『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31) 、1983年、P107 ISBN 4-586-50622-9
  3. ^ 徳永慶太郎、「近鉄特急アラカルト」、p.79。

参考文献

  • 慶應義塾大学鉄道研究会編 『近鉄』 (私鉄ガイドブックシリーズ第4巻) 、1970年。
  • 鹿島雅美 『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31) 、1983年。
  • 徳永慶太郎 「近鉄特急アラカルト」、『鉄道ピクトリアル』505、1988年。
  • 中村卓之 「近鉄南大阪線"ラビットカー"の30年」、『関西の鉄道』 19、1988年。
  • 中山嘉彦 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」、『鉄道ピクトリアル』 2003年12月臨時増刊号、2003年。

関連項目