「日本人とロシア人の友好の家」の版間の差分
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2016年11月15日 (火) 14:48時点における版
日本人とロシア人の友好の家(ロシア語: Дом Дружбы)は、千島列島国後島中心集落・古釜布(ロシア名・ユジノクリリスク)のグネチコ通りにある緊急避難所兼宿泊施設として建設された[1]施設である。
日本共産党の前衆議院議員・佐々木憲昭が元北海道開発庁長官の鈴木宗男の影響力が大きいことを表現するために「現地では『ムネオハウス』と呼ばれている」と国会で発言したため、日本(本土)ではムネオハウスという俗称がある。
概要
電話番号は 7(ロシアの国番号)-42455(市外局番)-22155 である。建物は2階プレハブ建ての比較的簡素なつくりであり、部材はすべて日本本土から持ち込んだもので、鈴木の働きかけにより根室に本社がある渡辺建設工業が元請となって建設された。総工費は、4億1685万円。内部はほぼ完全に日本様式になっている。1室の定員は、2~6人と室により異なる。
付帯設備として、シャワー式浴場、食堂、厨房、洗面所、洗濯機、管理人室などが設置されている。これらの室にある家具類も、すべて日本本土から持ち込まれたものである。配電は、ロシア仕様のコンセントと、日本仕様の100Vのコンセントの両方がある。
島民の緊急避難用として、また副次的には四島交流で訪問する日本人の宿泊先として[2]建設され、実態としては、日本が領有権を主張する「北方領土」に於いて、「ビザなし交流」で国後島を訪れた日本人訪問団、ならびに日本に「ビザなし交流」で赴くロシア国籍住民の宿舎として利用されてきた。施設の管理はロシア側が行っている。
北海道選出の大物政治家である鈴木宗男の尽力によって建設された。しかし、2002年に鈴木宗男に対して利権疑惑の一環として日本人とロシア人の友好の家の鈴木宗男利権が取り上げられ、鈴木宗男の公設秘書1人と地元建設業者5人の計6人が起訴され、全員が有罪判決を受けた。利権疑惑は他にも波及し、鈴木宗男の政治的影響力は低下した。
鈴木宗男が外務省に対し権勢を振るっていた頃は、日本政府から潤沢な維持費が提供されていたが、鈴木宗男事件の後は全て打ち切られた。このため、内部の維持に経済的に苦慮する状態となっており、ビザなし交流団だけでなく一般観光客などさまざまな人を宿泊させるホテルのように利用されて維持費を捻出している。2006年8月16日に発生したロシアによる日本の蟹かご漁船への銃撃・拿捕事件(第31吉進丸事件)で、船長をはじめとする乗組員が一時この施設に拘束されていた。
ムネオハウスムーヴメント
鈴木宗男に対して利権疑惑が浮かび上がった2002年2月頃に、インターネット掲示板2ちゃんねるのテクノ板で「アシッドハウス=ムネオハウス」というスレッドが立てられた[3]。
当初はただの駄洒落で立てられたというスレッドだったが、スレッドの中でテクノ板の住人達が、鈴木宗男ら当時の国会議員の答弁等の声をサンプリングしたハウスミュージックを発表する。
ちょうど日本の学校の春休みの時期と重なり、心得のある人などが、楽曲は勿論、楽曲を題材にしたPV仕立てのFlashムービーや、架空のCDジャケットを制作した。
楽曲はハウスやテクノはもちろん、ユーロビート、トランス、ヒップホップ、R&Bなど多岐にわたったが、これらのジャンルも総称して「ムネオハウス」と呼ばれた。
2002年の春から夏にかけて、東京・新宿、京都市のディスコ、クラブなどでイベントが開催され[4]、それに伴い楽曲のダウンロード数も連日増加し、一時は楽曲を保管するサーバの転送量が問題になる。
2003年以降、ブームが去った後も、場所を公式サイトの掲示板に移して楽曲は制作し続けられ、現在に至るまでアルバムにして約20枚相当の楽曲が完成している。
楽曲の制作・公開等は元ネタとなった議員達の許可を取らない活動として行われているが、2004年5月に札幌で、2006年2月に東京で開催されたムネオハウスのクラブイベントには「MCムネオ」として鈴木宗男本人も参加しており、鈴木だけに限れば「事実上の本人の公認(許可)」となっている。ただし他の議員については(黙認を含め)使用を認めた事実はなく、著作権上の問題のある状態である。
参考文献
- ^ 外務省 (2006年12月28日). “副大臣会見記録(12月28日付)”. 副大臣会見記録(平成18年12月). 外務省. 2010年3月4日閲覧。
- ^ 新日本監査法人 (2002年4月). “支援委員会の活動に関する調査報告書” (PDF). 外務省. pp. 17. 2010年3月4日閲覧。
- ^ 1 et.al. (2002年2月14日). “アシッドハウス=ムネオハウス”. 2ちゃんねる テクノ板. 2010年3月4日閲覧。
- ^ INTERNET Watch編集部 (2002年4月8日). “ネットコミュニティー型エンターテインメントの新しいあり方か クラブイベント「ムネオハウス」レポート”. INTERNET Watch. Impress Watch. 2010年3月4日閲覧。