「イワン・パブロフ」の版間の差分
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[[1857年]]、高い塀から敷石の上に落ち重傷を負い長く病床につく<ref name="dowling2">パヴロフ著『大脳半球の働きについて』岩波文庫、1975年</ref>。 |
[[1857年]]、高い塀から敷石の上に落ち重傷を負い長く病床につく<ref name="dowling2">パヴロフ著『大脳半球の働きについて』岩波文庫、1975年</ref>。 |
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[[1860年]]、リャザンにある教会の付属学校で、司祭になるつもりで勉強を始める<ref name="dowling4>ダニエル・P・トーデス著『パヴロフー脳と行動を解き明かす鍵ー』近藤隆文訳、大月書店、2008年</ref>。 |
[[1860年]]、リャザンにある教会の付属学校で、司祭になるつもりで勉強を始める<ref name="dowling4">ダニエル・P・トーデス著『パヴロフー脳と行動を解き明かす鍵ー』近藤隆文訳、大月書店、2008年</ref>。 |
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[[1864年]]、リャザン神学校に進学<ref name="dowling4>ダニエル・P・トーデス著『パヴロフー脳と行動を解き明かす鍵ー』近藤隆文訳、大月書店、2008年</ref>。 |
[[1864年]]、リャザン神学校に進学<ref name="dowling4">ダニエル・P・トーデス著『パヴロフー脳と行動を解き明かす鍵ー』近藤隆文訳、大月書店、2008年</ref>。 |
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[[1869年]]、リャザン神学校を卒業。 |
[[1869年]]、リャザン神学校を卒業。 |
2016年11月15日 (火) 12:46時点における版
Ivan Petrovich Pavlov イワン・パブロフ | |
---|---|
生誕 |
1849年9月14日 ロシア リャザン |
死没 |
1936年2月27日 (86歳没) ソ連 サンクトペテルブルク |
国籍 | ロシア |
出身校 | サンクトペテルブルク大学 |
職業 | 生理学者 |
著名な実績 | 条件反射の研究 |
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イワン・ペトローヴィチ・パブロフ (Иван Петрович Павлов イヴァーン・ピトローヴィチ・パーヴロフ, Ivan Petrovich Pavlov, 1849年9月14日(グレゴリオ暦9月26日) - 1936年2月27日) は帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学者。
生涯
1857年、高い塀から敷石の上に落ち重傷を負い長く病床につく[2]。
1860年、リャザンにある教会の付属学校で、司祭になるつもりで勉強を始める[3]。
1869年、リャザン神学校を卒業。
1870年、サンクトペテルブルク大学へ進学。イリヤ・ファデエヴィチ・ツィオンの弟子となり外科医となる。パブロフは両利きであったため、手術が上手であったらしい。
1876年、軍医学校に進学。
1879年、医師の資格を取得[1]。医師ボートキンの生理学研究所に就職[4]。
1881年、セラフィマ・ヴァシリエヴナ・カルチェフスカヤと結婚。
1884年から1886年までドイツに留学し、ライプチヒ大学のルドウィッヒ教室及びブレスラウ大学のハイデンハイン教室に学ぶ[1]。
1891年、実験医学研究所の生理学実験室の長となる。
1893年、アルフレッド・ノーベルより、医学研究所の規模を倍にできる額の寄付を受け取る。
1895年、軍医大学校薬理学教授から生理学教授へと配置換えになる[2]。
1897年、『主要消化腺の働きに関する講義』を出版。同書は1899年、ドイツ語訳される[2]。
1902年、唾液が口の外に出るよう手術した犬で唾液腺を研究中、飼育係の足音で犬が唾液を分泌している事を発見。そこから条件反射の実験を行う。行動主義心理学の古典的条件づけや行動療法に大きな影響を与えた。
初期には消化腺の研究を行い、1904年にノーベル生理学・医学賞を受賞。ロシア人として初のノーベル賞受賞者となった。
ノーベル賞授賞式では消化腺の話題よりも条件反射と無条件反射に関する演説を行った。
1907年にロシア科学アカデミーの会員に選出される。
1910年に研究用の防音効果を備えた研究室「沈黙の塔」の建設を始める[2]。
その後ロシアは内戦状態に陥り、1917年にボリシェビキ党が政権を握る。
ボリシェビキ政権にノーベル賞の賞金を没収される。
1920年6月、生活に困窮したパブロフはボリシェビキ政権に対し、国外移住の希望を伝える手紙を送る。手紙を読んだウラジミール・レーニンは、偉大な科学者の国外移住を避けるため、パブロフに対する全面支援を命令。
1923年、『高次神経活動の客観的研究』を出版。
1924年、レニングラードの洪水でパブロフの犬が溺死しかける。この事件をきっかけに、犬に固定されていた条件反射が変化したり消滅していることを発見。これにより「実験神経症」の研究を開始。
1927年、『大脳半球の働きについて』を出版。
1929年、コルトゥシュにて実験遺伝学研究所に着工。
1935年、パブロフは第15回国際生理学会を主催。スコットランド人生理学者ジョージ・バーシャーがパブロフのことを「世界生理学会の王子」と7カ国語で演説し、聴衆から拍手喝采を受けた。
晩年は睡眠や本能などを研究する傍ら、再教育を考えていたウラジーミル・レーニンと親交を結び、条件反射の発見は「全世界の労働者階級にとって重大な意義をもつ」と賛辞が与えられた。
2度目の肺炎の発作の後に死去。
時間厳守・毎日運動するなどの規則正しい生活を生涯続けたらしい。
1950年、パブロフ生理学の再評価のためにソビエト連邦科学アカデミヤとソビエト連邦医学アカデミヤの合同会議が開催される[4]。
犬を使った実験
一般的に「パブロフの犬」としてよく知られる実験である。犬のほおに手術で管を通し、唾液の分泌量を測定した。ベルを鳴らしてからエサを与える事を繰り返した結果、ベルを鳴らしただけで唾液を出すようになった。
さらにベルを鳴らし続けると次第に反応は消えていくが、数日後同様の実験をしても犬は唾液を分泌する。前者を『消去』と言い、後者を『自発的回復』と言う。
なお「パブロフの犬」というと単数の印象を受けるが、実際には数百頭いたらしい。
パブロフ型条件付け
別名では古典的条件付け。
参考文献
- 『パブロフ全集』 1951-1952年
- ダニエル・P・トーデス著 オーウェン・ギンガリッジ編 『パヴロフ 脳と行動を解き明かす鍵』 大月書店 2008年 ISBN 9784272440498
脚注
関連項目
- 思考
- 唯物論 - パブロフは唯物論者であった
- パヴロヴィア (小惑星) - 彼に因んで命名された小惑星
- 『大脳半球の働きについての講義』- 著書