「鈴木望 (政治家)」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
90行目: | 90行目: | ||
{{デフォルトソート:すすき のそむ}} |
{{デフォルトソート:すすき のそむ}} |
||
[[Category:比例東海ブロック選出の衆議院議員]] |
[[Category:比例東海ブロック選出の衆議院議員]] |
||
[[Category: |
[[Category:日本維新の会の人物 (2016-)]] |
||
[[Category:維新の党の国会議員]] |
[[Category:維新の党の国会議員]] |
||
[[Category:日本維新の会の国会議員]] |
[[Category:日本維新の会の国会議員]] |
2016年11月13日 (日) 03:13時点における版
鈴木 望 | |
---|---|
生年月日 | 1949年4月20日(75歳) |
出生地 | 静岡県磐田郡豊田町(現磐田市) |
出身校 | 一橋大学社会学部 |
前職 | 国家公務員(厚生省) |
所属政党 |
(無所属→) (日本維新の会→) (維新の党→) (おおさか維新の会→) 日本維新の会 |
選挙区 | 比例東海ブロック(静岡3区) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2012年12月21日[1] - 2014年11月21日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1998年8月 - 2009年 |
鈴木 望(すずき のぞむ、1949年4月20日 - )は、日本の政治家、教育者、元厚生官僚。
1998年から2009年まで静岡県磐田市長(3期)を、2012年から2014年まで日本維新の会・維新の党に所属し、衆議院議員(1期)などを務めた。
来歴
静岡県磐田郡豊田町(現磐田市)生まれ。静岡県立浜松北高等学校、一橋大学社会学部卒業。大学在学中の1972年、国家公務員試験上級職甲(法律職)に合格し、1973年4月に厚生省(現厚生労働省)に入省した。1981年4月外務省在サンパウロ日本総領事館領事。大臣官房人事課を経て、1984年8月臨時教育審議会事務局調査員。厚生省薬務局企画課を経て、1987年8月兵庫県高齢社会企画室長、1989年厚生省大臣官房企画官(保険医療局担当)、1992年6月厚生省生活衛生局指導課長。1994年退官。退官後は出身地の静岡県に戻り、聖隷福祉事業団医療福祉研究所研究員に就任。聖隷介護福祉専門学校(現聖隷クリストファー大学社会福祉学部)で講師を務める。
1998年、磐田市長選挙に無所属で出馬し、初当選した。2002年、元静岡県議会議員の寺田伊勢男を破り、磐田市長に再選(鈴木:21,487票、寺田:19,960票)。磐田市長就任後は磐南5市町村合併協議会会長を務め、2005年、福田町・竜洋町・豊田町・豊岡村を磐田市に合併。同年4月1日の新・磐田市発足に伴い、一旦磐田市長を失職。4月24日投開票の磐田市長選に出馬し、前福田町長の寺田正捷を破り3選(鈴木:49,771票、寺田:42,927票)。市長在任中に全国市長会の社会文教委員長を務めた。
どんな人間も長い間権力を持ち続ければ腐敗するとの「権不十年」という考えに従い、2009年の磐田市長選には4選を目指して出馬せず、任期満了退任。同年、静岡産業大学経営学部客員教授、静岡産業大学磐田ボニータ代表に就任。2010年には、一橋大学の1年先輩である河村たかし名古屋市長を支援。河村を支援する市民団体「ネットワーク河村市長」の代表を務め、名古屋市会のリコールに向けた署名集めの運動を行い、政令指定都市では初めて、市民のリコールにより市会議員選挙が実施された[2]。
2011年3月に発生した福島第一原子力発電所事故を受け、原発県民投票静岡代表に就任。当時の菅直人内閣総理大臣の強い意向により稼働が停止されていた浜岡原子力発電所の再稼働の是非を問う住民投票条例の制定を目指す署名運動を推進。約16万5000人の署名を集め、条例制定のための直接請求を行ったが、静岡県議会で否決された[3]。
2012年11月21日、日本維新の会から次期衆議院議員総選挙における静岡3区での公認を受ける[4]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、地方分権や浜岡原子力発電所の廃炉を訴え、日本維新の会公認で出馬[5]。静岡3区では自由民主党の宮沢博行に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、当選[6][1]。当選後、衆議院災害対策特別委員会理事及び法務省検察官適格審査会予備委員に就任[7]。2013年には衆議院文部科学委員会理事に就任した[8]。
2014年の日本維新の会分党に際して鈴木自身は橋下共同代表らを中心とするグループへ参加したが、鈴木が代表を務めていた日本維新の会静岡県総支部所属の地方議員・元議員らは、石原新党(次世代の党)、橋下新党(新「日本維新の会」→維新の党)のどちらにもつかず全員が当面無所属で活動する意向を固め、総支部は活動を停止した。理由については、それぞれ「両共同代表に象徴された改革保守政党が解党するため」(尾崎剛司政調会長・静岡市議)、「最近の維新は大阪都構想を目的化している」(大石裕之事務局長・元県議)などと説明した[9]。
同年9月に維新(橋下グループ)と結いの党が合併して維新の党が成立すると国会議員団国対副委員長に就任[10]。2014年11月21日、衆議院が解散。11月22日、細野豪志民主党静岡県連会長及び松野頼久日本維新の党代表代行の説得を受け、鈴木は民主党との競合を解消するため静岡3区からの出馬をとりやめることを発表[11]。第47回衆議院議員総選挙には、維新の党から比例九州ブロック単独6位(6人中6位。他の5人は同列1位)で出馬した[12]が、落選した[13]。2015年湖西市市長私的政策顧問。
政策
- 憲法改正に賛成[14]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成[14]。
- 日本の核武装について今後の国際情勢によっては検討すべきとしている[14]。
- 原発の再稼働は認めず廃炉とすべきとしている[14]。
- 女性宮家の創設に賛成[14]。
- 日本のTPP参加に賛成[14]。
人物
- クリスチャンの家庭に育ち、一橋大学在学中は聖書研究会に所属していた。
- 名古屋市長の河村たかしは一橋大の1年先輩にあたる。大学でも作業着に草履ばきで名古屋弁を喋る、あけっぴろげな性格の河村に惹かれ、交流を深めた[15]。
- 磐田市長時代は行財政改革を訴え、磐田市臨時行財政改革推進会議を設置。2006年から磐田市役所でカイゼン運動を採用した。
- 趣味は読書、スポーツ観戦。野球は中日ドラゴンズ、サッカーはジュビロ磐田のファンである。
- 愛読書は中西輝政『大英帝国衰亡史』。他にヘルマン・ヘッセや山本周五郎。
著書
脚注
- ^ a b 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号「平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
- ^ 読売新聞 2010年9月8日
- ^ 産経新聞 2012年3月10日
- ^ 日本維新 3区に鈴木前磐田市長msn産経ニュース 2012年11月22日
- ^ 中日新聞:元磐田市長の鈴木望氏、維新で出馬 :政治(CHUNICHI Web)
- ^ 衆院選:脱原発勢力の結集を目指す…東海・鈴木望氏(毎日.jp2012年12月17日11:43配信(12月17日閲覧)
- ^ 第1号 平成24年12月27日(木曜日)衆議院
- ^ 第1号 平成25年3月13日衆議院
- ^ “維新県内地方議員ら「無所属」 2015年統一選”. @S アットエス 静岡新聞ニュース. (2014年7月11日) 2014年10月13日閲覧。
- ^ 事務所フェイスブックページ投稿 2014年10月8日
- ^ “衆院選:維新鈴木氏、比例へ 3区、民主競合を解消 /静岡”. 毎日新聞. (2014年11月23日) 2014年12月10日閲覧。
- ^ NHK2014衆院選(衆議院議員選挙 立候補者紹介) 【比例代表】九州ブロック 維新
- ^ 「先手自民手堅く 野党連携も後手 ― 3区 共闘届かず ― 民主 小山さん比例で復活」 『中日新聞』(中日新聞東海本社) 2014年12月15日朝刊 第12版 pp.18-19
- ^ a b c d e f “2012衆院選 静岡3区 鈴木望”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年4月18日閲覧。
- ^ 中日新聞2011年1月3日
外部リンク
- 鈴木望 公式ブログ
- 鈴木望 (@NSuzuki1092) - X(旧Twitter)
- 鈴木望 (nozomu.suzuki.10) - Facebook
- 前衆議院議員鈴木望事務所 (NSuzuki1092) - Facebook
|
|