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2016年11月13日 (日) 03:12時点における版
梅村 聡 うめむら さとし | |
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2013年参議院議員選挙の選挙演説にて | |
生年月日 | 1975年2月13日(49歳) |
出生地 | 大阪府堺市 |
出身校 |
大阪大学医学部 大阪大学大学院医学系研究科 |
前職 | 内科医 |
所属政党 |
(民主党→) (無所属→) (おおさか維新の会→) 日本維新の会 |
称号 |
学士(医学・大阪大学) 医師 |
公式サイト | 梅村さとし ホームページ |
選挙区 | 大阪府選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2007年7月29日 - 2013年7月28日 |
梅村 聡(うめむら さとし、1975年2月13日 - )は、日本の政治家、医師。
参議院議員(1期)、厚生労働大臣政務官(野田第3次改造内閣)を歴任。参議院議員時代は民主党に所属していた。
来歴
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 大阪府堺市生まれ、大阪市淀川区十三育ち。十三幼稚園、大阪市立神津小学校、大阪教育大学附属池田中学校、大阪教育大学附属高等学校池田校舎、大阪大学医学部卒業。阪大医学部の同期に同級生に産婦人科医の宋美玄[1]がいる。大学時代は水泳部に在籍していた。
- 2001年に医師免許を取得し、大阪大学医学部附属病院で勤務した。2002年、箕面市立病院内科に転勤。2004年、大阪大学大学院医学系研究科入学。日本内科学会認定内科医を取得。
- 2007年、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で大阪府選挙区から出馬、1,281,502票を獲得し初当選した[2]。
- 2012年10月、野田第3次改造内閣で厚生労働大臣政務官に就任。
- 2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に民主党公認で大阪府選挙区から出馬、337,378票で次点となり落選した。
- 2013年9月、民主党を離党した[3]。
- 2015年、よどがわ内科クリニック理事長就任[4]。
- 2016年1月、第24回参議院議員通常選挙比例区におおさか維新の会公認で立候補し、3年ぶりの返り咲きを目指すが[5]、落選。
政治活動・国会質問
- 2011年3月11日に発生した東日本大震災において、福島県いわき市で被災した透析患者の県外転院が厚生労働省の許可が下りず遅れていたため、千葉県や東京都の病院に約740人の透析患者を転院させた。
- 2012年7月25日の参議院「社会保障と税の一体改革に関する特別委員会」において医師法20条の誤った解釈が医療現場で広がっていることを初めて指摘した[6]。この指摘を受けて、厚生労働省は2012年8月31日、63年ぶりに医師法20条の解釈通知を出している[7]。
- 生活保護制度改革に積極的に取り組んでいて、2012年2月6日の参議院予算委員会で「雇用政策、産業政策なども必要だが、(生活保護の)不正受給やモラルハザードの問題についてもきちんと取り組まなければ根本的な解決にはならない」と述べている[8]。
- 生活保護受給申請者の資産・収入調査について2012年2月6日の参議院予算委員会で以下の提言を行っている。「生活保護の受給申請があった場合、資産や収入を調査するのは生活保護法29条で定められているが、現実的には(居住自治体周辺の)金融機関の支店に個別紹介しているという状況だ。これを本店に一括照会して、きちっと口座を調べられるようにすべき。」[9]これを受け、厚生労働省は生活保護の不正受給防止に向け、申請者や扶養義務者の収入、資産を正確に把握できる金融機関の「本店一括照会方式」の導入に踏み切ることになった[10]。
- 終末期医療における尊厳死(平穏死)についての発言・執筆を行っている。2013年2月20日の参議院予算委員会で、副総理の麻生太郎による「さっさと死ねるようにしてもらわないと」という発言をとりあげ、「言葉遣いはちょっと乱暴で不適切だったと思うが、(内容的には)全然問題にするものではない。むしろこの発言から終末期医療の在り方、どういう形で個人が自分の終末期を過ごす自己決定を実現していくのか、国民的議論を広げていくべきだ」と述べている[11]。
- さらに2013年2月20日参議院予算委員会の質疑の中で「人生の終末期の過ごし方について、個人の意思をきちんと反映するには、十分な国民的議論を行ったうえで、尊厳死(平穏死)の法制化が必要である」との見解を示している。その理由として「日本は国民皆保険制度の国であり、延命をしてほしいという権利は十分に実現されている。『延命してください』と言えば一生懸命お医者さんもやってくれる。だけど、『私はそれを拒否します』という権利は今の日本では十分に担保をされていない。そのことも同時に担保しなければ、個人の尊厳ある終末期ということを過ごせることができない」と述べている[12]。
所属していた団体・議員連盟
- 適切な医療を実現する医師国会議員連盟(幹事)
- 国会がん患者と家族の会(事務局長)
- 脳卒中対策推進議員連盟
- 腎臓疾患対策議員連盟
- 肝炎対策推進議員連盟(幹事長)
- こころの健康推進議員連盟(事務局長)
- ストップ結核パートナーシップ推進議員連盟(顧問)
- 幹細胞(iPS細胞、ES細胞等を含む)研究支援議員連盟(呼びかけ人)
- 行政書士制度推進議員連盟
- 税理士制度推進議員連盟
- 土地家屋調査士制度推進議員連盟
- 国民の安心の医療をめざす看護議員連盟(幹事長代理)
- 介護を考える議員連盟(副会長)
- 歯科医療議員連盟(副会長)
- 適切な医療費を考える議員連盟(事務局長)
書籍
- 『パンドラの箱を開けよう 勇気を出してこの国をチェンジ』エピック社 ISBN 978-4899851516
- 『蘭学医・関寛斎―平成に学ぶ医の魂』エピック社 ISBN 978-4899851639
- 『梅ちゃん先生国会奮闘記』エピック社 ISBN 978-4899851776
脚注
- ^ [1]
- ^ この選挙で梅村が獲得した票数は、同選挙区で過去最多だった1998年の第18回参議院議員通常選挙で西川きよしが獲得した1,057,393票を上回り、最多となった。
- ^ “民主・梅村前参院議員が日医総研へ”. 医療介護CBニュース. (2013年9月11日) 2013年4月1日閲覧。
- ^ “梅村さとし ホームページ”. 2016年1月25日閲覧。
- ^ “おおさか維新、参院選比例に元民主の島氏ら公認へ”. 産経ニュース. (2016年1月25日) 2016年1月26日閲覧。
- ^ 「医師法20条で約60年ぶりに解釈通知へ」医療介護CBニュース CBネット
- ^ 「医師法第20条ただし書の適切な運用について(通知)」医政医発0831第1号 平成24年8月31日
- ^ 「国会議事録」
- ^ 「産経新聞」
- ^ 「産経新聞」
- ^ 「国会会議録[057]」
- ^ 「国会会議録[065]」
外部リンク
- 梅村さとし いのちの現場から国政へ
- 梅村聡 (umemura.jimusyo) - Facebook
- 梅村聡 (@@umemura1satoshi) - X(旧Twitter)
公職 | ||
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先代 藤田一枝・津田弥太郎 |
厚生労働大臣政務官 糸川正晃と共同 2012年 |
次代 渡嘉敷奈緒美・丸川珠代 |