コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「マイケル・ボルトン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 誤字修正
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼: 性別付け - log
125行目: 125行目:
{{Normdaten}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ほるとん まいける}}
{{DEFAULTSORT:ほるとん まいける}}
[[Category:アメリカ合衆国のシンガーソングライター]]
[[Category:アメリカ合衆国の男性シンガーソングライター]]
[[Category:アメリカ合衆国のR&B歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国のR&B歌手]]
[[Category:ニューヘイブン出身の人物]]
[[Category:ニューヘイブン出身の人物]]

2016年11月12日 (土) 01:25時点における版

マイケル・ボルトン(2010年)

マイケル・ボルトンMichael Bolton、本名 Michael Bolotin、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブン出身、1953年2月26日 - )は、アダルト・コンテンポラリーシンガーソングライターである。ハードロック歌手として頭角を現し、その後ブルー・アイド・ソウルカバー曲のヒットで知られる。

80年代から90年代のアメリカのアダルト・コンテンポラリーチャートを賑わせた、当時のアメリカを代表するアダルト・コンテンポラリーのシンガーの1人である。

90年代からは三大テノールや、ルネ・フレミングとの共演などジャンルにとらわれない活動をしている。

売り上げは全世界で7500万枚以上、ビルボードチャートで8枚のアルバムがトップ10、2枚のシングルがトップになっているヒット歌手である。 主な受賞歴では、アメリカン・ミュージック・アウォーズを6回受賞していることやグラミー賞に4回ノミネートされ、2回受賞などがある。 その他の受賞歴も多数。

日本では"バラードの貴公子"や"バラードの帝王"などと呼ばれ親しまれている。 2015年3月現在、彼の公式フェイスブックに「いいね」をしている人の数は192万人を超え、今なお、根強い人気があることが窺える。

来歴

1953年2月26日、コネチカット州ニューヘイヴンのロシア系ユダヤ人の家庭に生まれる。幼少期よりサクソフォーンを嗜み、11~12歳の頃には作曲もするようになっていた。やがてクラブなどで歌い始めた彼は15歳の時に初めてのレコード契約をエピック・レコードと結ぶ。この時は本名のマイケル・ボロティンの名義で、2枚のシングルをリリースしたがヒットには結びつかずドロップされる。その後RCAレコードと契約して2枚のアルバムをリリースするが、これも大きな成果にはならなかった。

ヒットに恵まれなかったためソロ活動をやめ、1970年代末に新たにハードロックバンドのブラックジャックブルース・キューリックらと結成。ポリドール・レコードと契約して1979年にデビューする。バンドは『Blackjack』『World's Apart』と合計2枚のアルバムを発表、オジー・オズボーンとツアーを行うなど積極的な活動をするものの、短命に終わる。

再びソロ・アーティストに戻ってコロムビア・レコードと契約し、名義をマイケル・ボルトンに変更してアルバム『マイケル・ボルトン』(1983年)を発表。当時の邦題は『大いなる挑戦』で、キャッチコピーは「ひとりメタル」であった。

同時期に他の歌手への曲の提供も手がけるようになり、ローラ・ブラニガン「ウイズアウト・ユー - How Am I Supposed to Live Without You」(1983年)は彼にとって初めてのメジャー・ヒット作品になり、ポップ・チャート最高12位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは3週連続トップという大ヒットになった。以後もバーブラ・ストライサンドキッスケニー・ロジャースケニー・Gピーボ・ブライソンパティ・ラベルなどに供している。

アルバム『いざないの夜 - The Hunger』(1987年)ではハードロック的要素を避け、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ - (Sittin' on) the Dock of the Bay」をカバーして自分のルーツを明らかにした。この曲はトップ40に入り、後の大ヒットへの足掛かりになる。

転機になったのはアルバム『ソウル・プロバイダー』(1989年)で、初のトップ10入り、400万枚を超える売り上げになり、シングルも5曲がトップ40入りした。特にセルフ・カバーした「ウイズアウト・ユー」は初のナンバー・ワン・シングルになり、グラミー賞では Best Male Pop Vocal Performance を授与された。続く『タイム、ラブ・アンド・テンダネス』(1991年)も売り上げが600万枚を超えるヒットになり、パーシー・スレッジのカバー曲「男が女を愛する時 - When A Man Loves A Woman」(2度目のグラミー賞受賞)を含む4曲のヒット・ソングが生まれた。しかし「ラブ・イズ・ア・ワンダフル・シング」がアイズレー・ブラザーズに著作権侵害で訴えられてしまう。

以後もカバー曲集やオリジナル・アルバムがいずれも数百万枚の売り上げ、トップ10に入るシングルヒットも多数出し続けている。さらに音楽活動と並行して1993年に Michael Bolton Foundation(現在のMichael Bolton Charities, Inc.)という基金を設立。貧困心理的虐待身体的虐待性的虐待に苦しむ人たちを援助し、370万ドルを超える額を供与しているなど、様々なボランティアを務めている。

日本との関係としては、人権と国際正義の為のスタンフォード大学WSD半田センターアンバサダー[1]のメンバーを務めている。

様々なアーティストとの共演

多くのアーティストとの共演も積極的に行っている。主な共演では、

などが知られており、ジャンルを超えた様々なアーティストとの共演を行っている。

人物・私生活

ディスコグラフィ

  • Michael Bolotin (1975)
  • Everyday of My Life (1976)
  • マイケル・ボルトン(大いなる挑戦) - Michael Bolton (1983)
  • エブリバディズ・クレイジー(クレイジー・ガイ) - Everybody's Crazy (1985)
  • いざないの夜 - The Hunger (1987)
  • ソウル・プロバイダー - Soul Provider (1989)
  • タイム、ラブ・アンド・テンダネス - Time, Love & Tenderness (1991)
  • タイムレス (ザ・クラシックス) - Timeless: the Classics (1992)
  • ワン・シング - The One Thing (1993)
  • The Artistry of Michael Bolotin (1993)
  • グレイテスト・ヒッツ 1985-1995 - Greatest Hits (1985-1995) (1995)
  • ジス・イズ・ザ・タイム: ザ・クリスマス・アルバム(追憶のクリスマス) - This Is The Time: The Christmas Album (1996)
  • オール・ザット・マターズ - All That Matters (1997)
  • Go the Distance (1997)
    アニメ『ヘラクレス』主題歌。藤井フミヤがカヴァー。
  • シークレット・パッション - My Secret Passion (1998)
  • タイムレス・クラシックス (Vol. 2) Timeless: The Classics, Vol. 2 (1999)
  • オンリー・ア・ウーマン・ライク・ユー - Only A Woman Like You (2002)
  • ヴィンテージ - Vintage (2003)
  • 'Til The End Of Forever (2005)
  • ザ・セカンド・タイム・アラウンド~シナトラに捧ぐ - Bolton Swings Sinatra (2006)
  • The Essential Michael Bolton (2006)

日本公演

3月16日,17日 国立代々木競技場第一体育館、19日 東京ベイN.K.ホール、22日 大阪城ホール
5月30日 中野サンプラザホール
10月19日 東京国際フォーラム・ホールA David Foster & Friends Japan Tour 2011
10月29日 オーチャードホール、10月30日サンケイホールブリーゼ MICHAEL BOLTON JAPAN TOUR 2012[2]
9月5日 日本武道館 深見東州と世界の友人コンサートツアー[3][4][5]
  • 友人である深見東州のチャリティの主旨へ賛同しての来日である。日本の所属事務所であるソニーを介しての公演ではなく、マイケル・ボルトンと深見東州の直接契約による公演。

脚注

  1. ^ 活動内容”. WSD世界開発協力機構. 2014年2月26日閲覧。
  2. ^ マイケル・ボルトン ジャパンツアー2012 MICHAEL BOLTON JAPAN TOUR 2012
  3. ^ マイケル・ボルトン (2013年9月6日). “A Starry show at the Budokan in Toyko!”. 2014年2月26日閲覧。
  4. ^ “深見東州と世界の友人コンサートツアー日本武道館 世界に垣根なし”. 日刊スポーツ. (2013年9月7日) 
  5. ^ “深見東州 in 武道館 マイケル・ボルトン ピーター・セテラと奇跡コラボ実現”. 東京スポーツ. (2013年9月8日) 

外部リンク