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2016年11月11日 (金) 05:46時点における版
岸田 繁 | |
---|---|
別名 | シゲール、きっしー |
生誕 | 1976年4月27日(48歳) |
出身地 | 日本 京都府京都市北区 |
学歴 | 立命館大学産業社会学部卒 |
ジャンル | ロック、オルタナティブ・ロック |
職業 |
ミュージシャン シンガーソングライター ギタリスト |
担当楽器 |
ボーカル ギター ベース ドラム ピアノ キーボード シンセサイザー ブルースハープ バンジョー マンドリン プログラミング |
活動期間 | 1996年 - |
レーベル | SPEEDSTAR RECORDS |
事務所 | BAD NEWS |
共同作業者 | くるり |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター フェンダー・テレキャスター ギブソン・SG リッケンバッカー・360 リッケンバッカー・360/12 ダンエレクトロ・59-DC | |
岸田 繁(きしだ しげる、1976年4月27日 - )は日本のミュージシャン。ロックバンド、くるりのボーカリスト兼ギタリストで同バンドのフロントマンである。
来歴
1976年、京都府京都市北区に生まれる。岸田家は代々仏具製作業だったが、養子だった曽祖父が東山区本町でパン屋を始めて成功し、大地主となった一族[1]。広告代理店勤務の父親の昭夫がクラシック好きであったため、幼少の頃からクラシックなどに親しんでいた。小学校時代は走るのは速かったが、球技などが苦手で目立たない子供だったと語っている。身長が低いことにもコンプレックスをもっていたとのこと。音楽面では京都市交響楽団の公演を父親とともに見に行くこともあったという。小学校6年生のとき、通っていた学習塾でいじめに遭いそれがきっかけで私立中学の受験を決意する。地元では、女の子には好かれていたという。
立命館中学校時代からロックなどにも興味を持ち始める。また、オフコースなども愛聴していた。中学時代のころはバンドブーム隆盛時であったが岸田は嫌悪していたとのこと。ほどなくしてガットギターの練習を始めていった。レッド・ツェッペリンなどをコピーしながらギターを修得していったという。高校1年生の時に佐藤征史と出会い、2年生の頃から同級生とバンドを組んでいった。
1995年、立命館大学産業社会学部に入学。同時に大学の音楽サークルである「ロックコミューン」に入る。そこで佐藤とくるりの前身となるバンドを組む。また、サークルで森信行や大村達身と出会った。紆余曲折を経て佐藤、森とともにバンド活動を開始する。1996年9月、アマチュアバンドコンテストに出演するためバンド名を「くるり」と命名し正式に結成。見事優勝し、活動を本格化させる。
1997年7月、第1回フジロックフェスティバルを観覧。台風が直撃し色々とひどい目にあったという。会場内で出会ったシュガーフィールズの原朋信の自宅でレコーディングを行うことになったので、一度京都に戻りすぐに東京に向かった。レコーディング時に原からアンアーバーの曲を聴かされ、感銘を受けて後の代表曲である『東京』を作り上げる。11月にBad News Recordsよりインディーズ1stミニアルバム『もしもし』、2ndミニアルバム『ファンデリア』をリリースした後、1998年10月にSPEEDSTAR RECORDSより『東京』をリリースしメジャーデビューした。1999年4月、メジャー1stアルバムである『さよならストレンジャー』をリリース。以後、くるりのボーカル、ギター担当として現在も活動している。
2004年から京都大学の学生である川本真太郎とともに京都系バンドを中心としたミュージック・フェスティバル、「みやこ音楽祭」を開催。毎年くるりとして出演している以外に、2005年には堀江博久とともに「Theかまどうま/エレクトリック・カマドウマ」名義でも出演している。
2011年公開の映画『まほろ駅前多田便利軒』で音楽を担当し、同映画のサウンドトラックで初めてソロ名義の作品を発表した(主題歌「キャメル」と「まほろ駅前多田便利軒」はくるり名義)。
人物
平和安全法制に反対を表明しており、ツイッター上で「侵略戦争こそが非であり、加担は下衆だと胸を張って言おう。ニコ動での首相からのアホアホ例え話聞いて、あれは歴史に残る国民への侮辱だと思いました」と述べている[2]。
主な作品
その他
プレイスタイル
- 岸田のプレイスタイルはロー・コードのバッキングを多用するというものである。よって、速弾き等はあまりする事はない。他のギタリストと違い、少々動きが激しい為、演奏中に眼鏡が落ちる事がしばしばある。
- 主に使用しているギターはストラトキャスターやギブソン・SG、リッケンバッカー・360など。カポタストを使用する際はリッケンバッカーやグレッチ、半音下げや一音下げの場合はテレキャスターと使い分けている。アコースティックギターはギブソン社製のものを使用。初期の頃はレスポールも使用していた。ストラトキャスターは佐藤の父から借りたものを大学時代から長年使用している。[4]
- 使用しているアンプはハイワット、マッチレス、ヴォックス(2008年現在)。
- レコーディングではエフェクターを用いるが「ノイズを出すため」という理由がほとんどで、基本的にはアンプとギターだけで音作りをしている。そのため上記のギター以外にも12弦ギターやバンジョーなどを含め多数所持している。
- 過去にはライブやレコーディング時に打ち込み系の曲でPro ToolsやCDJの前に立つ事もあった。
人物
- 愛称は「シゲール」、「きっしー」。
- 大半の楽曲の作詞・作曲を担当。
- 眼鏡がトレードマークであるが、外していることもよくある。
- ギターだけではなくベース・ドラム・ピアノも演奏できる。
- デビュー当初から使用し続けているストラトキャスターは佐藤征史の父親のものである。
- 自他共に認める筋金入りの鉄道ファンであり、自身の楽曲の詞の中に鉄道を登場させたり鉄道をモチーフにした楽曲も多数ある。鉄道雑誌レイルマガジンにもコラムを連載していた時期があった。
- 野月貴弘(SUPER BELL''Z)と対談を行っており、後に両者とも京浜急行電鉄2100形のドレミファインバーターを題材とした曲(岸田:「赤い電車」、野月:「MOTOR MAN 京浜急行VVVF」)を発表した。テレビ朝日系「タモリ倶楽部」の「タモリ電車クラブ」ゴールド会員。同番組では、車両の床に耳をつけ、モーター音を聴くなどしている(中でも「モーターの中の冷却ファンが堪らない」とのこと)。岸田の「赤い電車」は、当時の京浜急行電鉄からの依頼で作成された(当時の同社の社長である小谷昌が岸田と同じ京都府出身であることも理由)。
- 本人曰く便器マニアでもあり、流れる音を聞いただけで型番がわかる。
- UK・USロック、ダンスミュージック、テクノ、クラシックなど音楽的嗜好は幅広い。特にザ・フーやビートルズなどの60年代のUKロックを、日本ではソウル・フラワー・ユニオンなどを敬愛しており、自身の楽曲にも影響を受けている。フジファブリックの志村正彦は「岸田さんはブラジルの音楽を沢山知っているから、音楽談義・話が通じる。」と日記にて語っている。
- プロ野球・広島東洋カープのファンであることを公言しており、山崎隆造のファンである。2006年6月4日に広島市民球場で開催された広島-ロッテ戦では始球式を行った。2008年4月および2008年7月には同チームの公式HPで来場者インタビューがUPされた。この始球式が2000年代の10年間で、自分にとって最もエポックメイキングな出来事だったと話している[5]。
- 元SUPERCARのいしわたり淳治、ZAZEN BOYSの向井秀徳とは公私ともに親しい。
- 好物はラーメンと発酵食品。
- 一番好きなボーカリストに、カーネーションの直枝政広を挙げている。ラジオ番組「TR2」では、カーネーションと共演している。アルバム『LIVING/LOVING』のフライヤーにコメントを寄せた。
出演
映画
脚注
- ^ NHK「ファミリーヒストリー 岸田繁」2015年1月23日
- ^ 「安保法案にNO!」長渕剛、くるり、SHELLY…業界タブーを破る芸能人たち,アサ芸プラス,2016年8月10日
- ^ “くるり岸田繁「みんなのうた」にカンガルーの曲提供、歌唱も担当”. 音楽ナタリー (2015年12月11日). 2015年12月11日閲覧。
- ^ バンドスコア「ベスト オブ くるり」
- ^ MUSICA<MUSICA>、FACT、2010年1月号、p.57
外部リンク
- くるり on WEB くるり公式サイト
- 岸田繁 (@Kishida_Qrl) - X(旧Twitter)