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2016年11月11日 (金) 02:29時点における版
本川 達雄(もとかわ たつお、1948年4月9日[1] - )は生物学者、シンガーソングライター。東京工業大学名誉教授。専攻は動物生理学。
来歴
1948年、宮城県仙台市で生理学者の本川弘一(後に東北大学総長)の息子として生まれる。宮城県仙台第一高等学校を経て、1971年、東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。東京大学助手、琉球大学助教授、デューク大学客員助教授を経て、1991年より2014年まで東京工業大学教授。
研究
研究対象は、棘皮動物のキャッチ結合組織や、ホヤを題材にしたサイズの生物学(アロメトリー)など。
一般への科学普及に力を入れており、多数の著書がある。中でも、アロメトリーという日本でなじみの少ない学問を平易に解説した『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)はベストセラーになった。高校生物の教科書や参考書も執筆している。
歌う生物学者
また、彼は「歌う生物学者」としても知られている。琉球大学時代には瀬底音頭(瀬底島は琉球大学の臨海実験所、現在は熱帯海洋センターがある)や千原音頭(千原は琉球大学の現在の所在地)を学内で歌い、池原貞雄退官の際は「いけいけ池原」、原田一太郎の時は「原一スピリット」を献歌。また講義内容をまとめた歌として「サンゴのタンゴ」や「微小管はすべる」などを作った。いずれも本人の作詞作曲である。1983年にそれらの歌を夫人のピアノ伴奏付でカセットテープに収め、歌詞カード付で日本動物学会の全国大会にて配布、残部は大学内の教師陣に配った。その後も講義で歌って聴かせる以外にもあちこちで宣伝、たとえば「生物学の知識を歌にして覚える」という学習方法を提唱しており、作った歌をまとめた『歌う生物学 必修編』を出している。
なお、彼は受験参考書として有名なチャート式生物学I、IIも執筆しているが、そのIIの方の巻末にはやはり氏の作詞作曲による「人類進化のうた」が掲載されている。
テレビ番組に出演する際も、これらの歌を自ら歌っており、「ナマコ天国」をNHK「爆笑問題のニッポンの教養」で、「生き物は円柱形」をTBS系「あらびき団」で披露した。
書籍
単著
- 『サンゴ礁の生物たち―共生と適応の生物学』中公新書 1985年
- 『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』中公新書 1992年
- 『歌う生物学』講談社 1993
- 『時間―生物の視点とヒトの生き方』NHKライブラリー 1996年
- 『生きものは円柱形―時代を拓く生物の発想』NHKライブラリー 1998年
- 『ナマケモノの不思議な生きる術―生き物たちの驚きのシステム』講談社プラスアルファ文庫 1998年
- 『歌う生物学 必修編』(2002年、阪急コミュニケーションズ)
- 『おまけの人生』(2005年、阪急コミュニケーションズ)のち文芸社文庫
- 『「長生き」が地球を滅ぼす ― 現代人の時間とエネルギー』(2006年、阪急コミュニケーションズ) のち文芸社文庫
- 『サンゴとサンゴ礁のはなし 南の海のふしぎな生態系』中公新書 2008
- 『世界平和はナマコとともに』(2009年、阪急コミュニケーションズ)
- 『生物学的文明論』新潮新書 2011年
- 『生物多様性 「私」から考える進化・遺伝・生態系』中公新書、2015
共編著
絵本
- 『絵ときゾウの時間とネズミの時間』あべ弘士絵 福音館書店 たくさんのふしぎ傑作集 1994
- 『生きものいっぱいゆたかなちきゅう』ワタナベケンイチ絵 そうえん社 2008
- 『絵とき生きものは円柱形』やまもとちかひと絵 福音館書店 たくさんのふしぎ傑作集 2011
翻訳
- チャールズ・R.C.シェパード『サンゴ礁の自然誌』平河出版社 1986
- スティーヴン・ウェインライト『生物の形とバイオメカニクス』東海大学出版会 1989
- バーンズ、カロウ、オリーヴ、ゴールディング、スパイサー『図説無脊椎動物学』監訳 朝倉書店 2009
ディスコグラフィー
- ゾウの時間ネズミの時間―歌う生物学(1995年、日本コロムビア)
外部リンク
注
- ^ 『現代日本人名録』2002年