「下田逸郎」の版間の差分
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2016年11月11日 (金) 01:16時点における版
下田 逸郎 | |
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生誕 | 1948年5月12日(76歳) |
出身地 | 日本 宮崎県 |
ジャンル | フォークソング |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | 歌、ギター |
活動期間 | 1967年 - 現在 |
共同作業者 |
浜口庫之助 東京キッドブラザース シモンサイ |
下田 逸郎(しもだ いつろう、1948年5月12日 - ) は、宮崎県生まれのシンガーソングライター。ラブソングの元祖と言われる。その唄の特徴としては繊細な独特のメロディーに乗せて唄言葉をひとつひとつ丁寧に発音する。松山千春などに影響を与え吟遊詩人とも称される。歌詞をハッキリとした口調で唄うのが特徴。
略歴
出生地は宮崎県であるが、2歳のとき家族とともに東京都へと転居。 1967年、浜口庫之助の主宰する浜口庫之助ミュージック・カレッジへ入学。翌1968年に同期の斉藤ノブとシモンサイを結成。同年12月には作曲・音楽監督として、東由多加が率いる東京キッドブラザースの旗揚げに参加。レコードデビューは1970年、「モーニング・サービス c/w 霧が深いよ」(シモンサイ)。
その後シンガーソングライターとして活動するが、30代でいったん芸能界を離れ国内・海外の放浪生活を送り、40代になって活動を再開する。現在は兵庫県神戸市在住。
2008年3月1日、NHK BS-2「フォークの達人」(全22回)の最終回の達人として登場。当時在住していた福岡県飯塚市にある嘉穂劇場で斉藤ノブ、渡辺香津美、石川セリらと共演する。
2010年、東京キッドブラザースのCafé La MaMa公演 (1970年 ) をプロデュースしたエレン・スチュワートと再会、オフ・オフ・ブロードウェイの「La MaMa E.T.C. (Café La MaMa の後身)」に出演(2010年2月25~28日)。
主な楽曲
- 霧が深いよ
- 花・雪・風
- 帰ろう
- 飛べない鳥と飛ばない鳥
- タバコ
- 踊り子
- セクシィ
- ラブ ホテル
- 月夜の砂漠
- 早く抱いて
- 不思議な気分
- ひとひら
- マハロ
- たゆたい
- 最後の誘惑
- 緑の匂い
- ワルツの時間
- この世の夢
- 紅い花
- はじめようと思う
主な提供作品
- 浅川マキ「眠るのがこわい」(作詞)
- 石川セリ「SEXY」(作詞・作曲/下田と同曲),「TABACOはやめるわ」(作詞・作曲)
- 太田裕美「ロンリィ・ピーポーII」(作詞)
- 柏原芳恵「白いヘリコプター」(作詞)
- 岸田智史「潮風のセレナード」(作詞~岸田と共作)
- 桑名正博「月のあかり」(作詞),「そこからがパラダイス」(作詞)
- 桑名晴子「夜の海」(作詞)
- 小柳ルミ子「冷たい水」(作詞)
- ジョー山中「時は過ぎて」(作詞・作曲)
- 高倉健「1999年のラブソング」(作詞・作曲/下田と同曲) 未発表
- 鶴久政治「遠い声」(作詞)
- 中原理恵「さみしさ裏返し」(作詞)
- 橋幸夫「夢のそとがわ」(作詞・作曲/下田と同曲)
- 藤井フミヤ「ひとりぽっちのLOVE SONG」(作詞)
- 松原みき「ハレーション」(作詞)
- 松山千春「踊り子」(作詞・作曲/下田と同曲)
- 南こうせつ「ゆらめく景色」(作詞)
- 簔谷雅彦「哀しいつばさ」(作詞)
- 八代亜紀「魅惑」(作詞・作曲)
- 泰葉「下町スウィング」(作詞)
- 山崎ハコ「早く抱いて」(作詞・作曲/下田と同曲)
- 山下久美子「時代遅れの恋心」(作詞)
- BOW WOW「さびしさは知らない」(作詞)
- Homeless Heart「泣くかもしれない」(作詞・作曲/下田と同曲)
外部リンク
- ひとひらconnection (公式サイト)