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2016年11月10日 (木) 20:31時点における版
高井 ルビー(たかい るびー、1904年[1] - 没年不詳)は日本の歌手、女優である。初期の芸名は「高井爾美」[2](読み同じ)。
経歴
本名は「天田 春音(あまだ はるね)」[3]。大正期~昭和初期の浅草オペラでソプラノの歌姫として活躍。歌手・井上起久子に師事し、「高井ルビー」という芸名は彼女に付けられたという。 なお、芸名の由来は駆け出しの頃大学生のパーティに招かれた際、指輪がないので小道具の指輪をはめて行き、学生に「あっ、高いルビー」と言われたのにちなんだと言われる。 新星歌舞劇団、生駒歌劇団を経て関東大震災後には清水金太郎・田谷力三らの居る森歌劇団に所属していた。 このころからオペレッタ風の童謡歌劇や流行歌などを吹き込み、同じく浅草オペラで活躍した二村定一らとのデュエットもした。 ちなみに「君恋し」は二村定一よりも先に吹き込んでいる。
引退後、1960年代には横浜で旅館を経営[4]。晩年は実妹とともに静岡県熱海市で過ごし、1981年以前に同地で生涯を閉じたという[5]。
ディスコグラフィー
高井ルビー名義
御伽歌劇・童謡
- 「かくれんぼ」(1924年)相良愛子・木村時子と共演。
- 「遊覧電車」木村時子・宇津見清・柳田貞一と共演。
- 「わたしのお家」木村時子・宮城信子・柳田貞一と歌唱。
- 「鯰の裁判」柳田貞一・明石須磨子・園春江と共演。
- 「お彼岸」柳田貞一・明石須磨子・園春江と共演。
- 「ちょいとお待ち」柳田貞一と共演。
- 「ノンキナトオサン」堀田金星・井上起久子・城沢敏夫と共演。
- 「茶目子の一日」(1929年)平井英子・二村定一と共演。
- 「毬ちゃんの絵本」(1929年)平井英子と共演。
流行歌
- 「ドンが鳴る迄」明石須磨子・園春江とのトリオ。
- 「恐はやの恐はやの」明石須磨子・園春江とのトリオ。
- 「君恋し」(1926年)
- 「銀座小唄」(1929年)
- 「カフェー小唄」
- 「深川」
- 「アラ失礼マア失礼」
- 「お夏狂乱」
天田春美名義
- 「乙女の恋は弱きもの」(1930年)
参考書籍
- 清島利典『日本ミュージカル事始め 佐々紅華と浅草オペレッタ』刊行社、1982年(佐々紅華の伝記。私生活のことまで詳細に書かれている)
- 石川桂子『大正ロマン手帖-ノスタルジック&モダンの世界』河出書房新社、2009年(浅草オペラのページに高井ルビーの写真が掲載されている)
注釈
- ^ 「日本歌劇俳優名鑑」(八宏社・1921年刊)p30。「十八歳」(数え年)と表記されている。
- ^ 「日本歌劇俳優名鑑」(八宏社・1921年刊)p30。「爾」は中国語発音で「ル(ěr)」。なお目次には「高井爾美子」と書かれている。
- ^ 青山順三「なつかしの一九二〇年代・浅草の歌劇の人びと」グロリヤ出版・1981年刊。「日本歌劇俳優名鑑」(八宏社・1921年刊)では「天谷春音」としている。
- ^ 榎本健一「喜劇こそわが命」p72 栄光出版社・1967年刊
- ^ 青山順三「なつかしの一九二〇年代・浅草の歌劇の人びと」グロリヤ出版・1981年刊
外部リンク
- 高井ルビーの部屋(アーカイブ)
- 二村定一研究(高井の芸名について記述)