コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「高井ルビー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼 - log
50行目: 50行目:


{{DEFAULTSORT:たかい るひい}}
{{DEFAULTSORT:たかい るひい}}
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:日本の女性歌手]]
[[Category:日本の女優]]
[[Category:日本の女優]]
[[Category:日本のオペラ歌手]]
[[Category:日本のオペラ歌手]]

2016年11月10日 (木) 20:31時点における版

高井 ルビー(たかい るびー、1904年[1] - 没年不詳)は日本の歌手女優である。初期の芸名は「高井爾美[2](読み同じ)。

経歴

本名は「天田 春音(あまだ はるね)」[3]。大正期~昭和初期の浅草オペラでソプラノの歌姫として活躍。歌手・井上起久子に師事し、「高井ルビー」という芸名は彼女に付けられたという。 なお、芸名の由来は駆け出しの頃大学生のパーティに招かれた際、指輪がないので小道具の指輪をはめて行き、学生に「あっ、高いルビー」と言われたのにちなんだと言われる。 新星歌舞劇団生駒歌劇団を経て関東大震災後には清水金太郎田谷力三らの居る森歌劇団に所属していた。 このころからオペレッタ風の童謡歌劇や流行歌などを吹き込み、同じく浅草オペラで活躍した二村定一らとのデュエットもした。 ちなみに「君恋し」は二村定一よりも先に吹き込んでいる。

引退後、1960年代には横浜で旅館を経営[4]。晩年は実妹とともに静岡県熱海市で過ごし、1981年以前に同地で生涯を閉じたという[5]

ディスコグラフィー

高井ルビー名義

御伽歌劇・童謡

流行歌

天田春美名義
  • 「乙女の恋は弱きもの」(1930年

参考書籍

  • 清島利典『日本ミュージカル事始め 佐々紅華と浅草オペレッタ』刊行社、1982年(佐々紅華の伝記。私生活のことまで詳細に書かれている)
  • 石川桂子『大正ロマン手帖-ノスタルジック&モダンの世界』河出書房新社、2009年(浅草オペラのページに高井ルビーの写真が掲載されている)

注釈

  1. ^ 「日本歌劇俳優名鑑」(八宏社・1921年刊)p30。「十八歳」(数え年)と表記されている。
  2. ^ 「日本歌劇俳優名鑑」(八宏社・1921年刊)p30。「爾」は中国語発音で「ル(ěr)」。なお目次には「高井爾美子」と書かれている。
  3. ^ 青山順三「なつかしの一九二〇年代・浅草の歌劇の人びと」グロリヤ出版・1981年刊。「日本歌劇俳優名鑑」(八宏社・1921年刊)では「天谷春音」としている。
  4. ^ 榎本健一「喜劇こそわが命」p72 栄光出版社・1967年刊
  5. ^ 青山順三「なつかしの一九二〇年代・浅草の歌劇の人びと」グロリヤ出版・1981年刊

外部リンク