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2016年11月10日 (木) 18:36時点における版
村上幸子 | |
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出生名 | 鈴木幸子 |
生誕 | 1958年10月21日 |
出身地 | 日本 新潟県 |
死没 | 1990年7月23日(31歳没) |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1979年 - 1990年 |
レーベル | クラウンレコード |
事務所 |
クラウン音楽芸能 ホリプロダクション |
村上 幸子(むらかみ さちこ、本名:鈴木幸子、1958年10月21日 - 1990年7月23日)は、新潟県村上市(旧・岩船郡荒川町)出身の演歌歌手。
1979年に『雪の越後を後にして』でクラウンレコードから歌手デビュー。1984年の「酒場すずめ」が人気を集め、歌唱賞レースに参戦した。
1988年にリリースされた「不如帰(ほととぎす)」を自らの勝負曲と位置づけたが、歌詞の一部が当時昭和天皇が重体で「時期的にも適切な表現とは言えない」という理由から放送中止(自粛)になったというエピソードを持っている(「不如帰」の歌詞中に「血を吐く…」という形容の表現があり、当時昭和天皇は下血・吐血を繰り返し、危篤と小康状態を往復していたためこのことを気遣った放送局は同曲の放送を自粛した。)。後に「不如帰」は2006年に瀬口侑希がカバーした。
また文化放送のラジオ番組『走れ!歌謡曲』のパーソナリティを務めるようになる。しかし1989年、喉部に大豆状のしこりが見つかり検査の結果、急性リンパ腫と診断され入院した。その間もリスナーなどからの激励の手紙が多数村上のもとに寄せられたが次第に病状は悪化、1990年7月23日、31歳の若さで死去した。
『走れ!歌謡曲』のパーソナリティ仲間である小池可奈も、村上の半生とその交流を語った伝記本「さっちゃん物語」(三五館)を著している。
主な曲
- 雪の越後を後にして (作詞:丹古晴己/作曲:叶弦大/編曲:竜崎孝路)
- 盛り場かもめ (作詞:たきのえいじ/作曲:三木たかし/編曲:斉藤恒夫)
- 酒場すずめ(2010年に和田青児がカバー)(作詞:山田孝雄/作曲:四方章人/編曲:薗広昭)
- 恋椿
- やがて港は朝 (作詞:叶弦大/作曲:鈴木淳/編曲:斉藤恒夫)
- にごりえ (作詞:星野哲郎/作曲:桜田誠一/編曲:斉藤恒夫)
- 不如帰 (作詞:星野哲郎/作曲:桜田誠一/編曲:斉藤恒夫)
- 放浪記(『不如帰』同様、2009年に瀬口侑希がカバー)(作詞:星野哲郎/作曲:桜田誠一/編曲:斉藤恒夫)
- 嵯峨情話
- それなりに青い鳥 (作詞:阿久悠/作曲:三木たかし/編曲:川口真)
- 京の川 (作詞:星野哲郎/作曲:美樹克彦/編曲:桜庭伸幸)
- 雪の舞
- 女の旅路 (作詞:たかたかし/作曲:三木たかし/編曲:竜崎孝路)
- 笹舟 (作詞:木下龍太郎/作曲:船村徹/編曲:丸山雅仁)
- 螢火情話 (作詞:たかたかし/作曲:三木たかし/編曲:竜崎孝路)
- みちのくしぐれ(鳥羽一郎とデュエット) (作詞:丹古晴己/作曲:中村典正/編曲:池多孝春)
- デュオ「雨あがり」(琴風とデュエット) (作詞:吉岡治/作曲:岡千秋/編曲:斉藤恒夫)
- 純情物語(梅宮辰夫とデュエット) (作詞:中山大三郎/作曲:中川博之/編曲:小杉仁三)
- 帰郷 (作詞:石原信一/作曲:森田公一/編曲:あかのたちお)
- 恋風