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2016年11月6日 (日) 08:03時点における版

カイリー・ミノーグ
2015年
基本情報
出生名 Kylie Ann Minogue
生誕 (1968-05-28) 1968年5月28日(56歳)
出身地 オーストラリアの旗 オーストラリア, メルボルン
ジャンル Pop, dance-pop, electropop, europop
職業 シンガーソングライター
活動期間 1987 – 現在 (歌手)
1979 – 現在 (女優)
レーベル Mushroom, 1987 – 現在
Geffen (US), 1988 – 1989
PWL, 1987 – 1992
Deconstruction, 1993 – 1998
Parlophone, 1999 – 現在
EMI, 1999 – 現在
Capitol, 2002 – 現在
公式サイト Kylie.com

カイリー・アン・ミノーグ OBEKylie Ann Minogue, OBE, 1968年5月28日 - )は、オーストラリアビクトリア州メルボルン生まれのシンガーソングライター女優である。2014年現在はイギリスに住居を移し、同国を主な活動拠点としている。身長153cm[1]。妹のダニー・ミノーグもポップ歌手である。

人物

1987年に歌手デビューし、母国オーストラリアやイギリスを中心に大ヒットを数多く飛ばす。一時は「低迷期」と呼ばれる時期もあったが2000年代に入って復活。2001年に発表した「フィーヴァー」が大成功して以降はその歌唱力と美術センスのコラボレーションや、コンサートでのカイリーの「腰振り」にも話題が集まるようになった。また、歌手活動と平行して女優活動や香水などのプロデュースも行っている。音楽作品の総売上枚数は7,000万枚以上[2][3]

来歴

1968-1992:誕生からPWL時代

1968年5月28日、オーストラリアメルボルンで生まれた。父親はアイルランド系、母親はウェールズ系。

1980年、オーストラリアのTV番組『スカイウェイズ』に子役として出演した。

1986年2月24日から、オーストラリアの人気ドラマ『ネイバーズ』にシャーリーンの役で出演した。

1987年3月、オーストラリアの『ロギー・アワード』銀賞を獲得した。

同年7月、オーストラリアのマッシュルームレコードから、リトル・エヴァ(Little Eva)のカバー曲「ロコモーション」でデビューした。カイリーのカバー曲は、ビルボード(Billboard)誌の週間チャートにおいて1988年11月12日付で最高位の第3位まで上昇した。1988年年間チャートでは第51位だった。ビルボード誌の集計では2012年現在までにおけるカイリー・ミノーグ最大のチャートヒットである。本国オーストラリアでは7週連続1位の大ヒットとなった。

1988年1月、イギリスとオーストラリアで、セカンドシングル(“世界デビュー曲”と呼ばれることも多い)「ラッキー・ラヴ」を発売し全英1位を獲得し、イギリスのヒットチャートで6週連続1位を記録。「ラッキー・ラヴ」は、イギリスの「ユーロビート」のヒットメーカーチームであるストック・エイトキン・ウォーターマン(Stock-Aitken-Waterman)のプロデュースで、発売したレコード会社も彼らのレーベルPWLである。同年7月にはデビューアルバム『ラッキー・ラヴ』を発表、アルバムからは「恋は急がず」、「涙色の雨(ジュ・ヌ・セ・パ・プークワ)」などヒットを連発。また、日本では「愛が止まらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」がデビューアルバムから独自にシングルカットされ、当時絶大な人気を誇っていたアイドルWinkがカバーした相乗効果もあり大ヒットした。

1989年、2ndアルバム『エンジョイ・ユアセルフ』を発表、アルバムは2作連続の全英1位に輝いた。

同年にはスクリーンデビュー作「恋に走って」に主演。日本では劇場未公開だが映像作品化されている。

1990年、3rdアルバム『リズム・オブ・ラヴ』を発表、翌年には4thアルバム『あなたも、M?』を発売した。

1992年、初のベストアルバムとなった『グレイテスト・ヒッツ』(全英1位)を最後にカイリーはデコンストラクションへと移籍する。

1994-1998:デコンストラクション時代

1990年代以降、アイドル路線から歌唱力に比重を置いたプロモーションに変更したが、人気は逆に低迷してしまう。この間にアメリカ映画ストリートファイター』(1994年)にキャミィ役で出演する。

1994年、5thアルバムとなる『カイリー・ミノーグ』を発表。アルバム名に自分の名前を冠したこの作品はカイリーの再デビューとでもいうべき、記念碑的な作品となる。

1997年にはデコンストラクションでの第二作目となる『インポッシブル・プリンセス』を発表した。この作品はインディーロックやトリップホップなどを盛り込んだ野心的な作品となった。しかしシングル・ヒットも出ずアルバム自体の売り上げも大きく伸び悩んだ。そしてカイリーは再度移籍することとなる。

1999-2005:パーロフォンへの移籍と『フィーヴァー』の大成功

1999年、EMI傘下のパーロフォンに移籍。自身のアルバム発表に先駆け、同じくパーロフォン所属のペット・ショップ・ボーイズの楽曲"In Denial"(アルバム『ナイトライフ』収録)にゲスト参加する。

2000年、移籍後初のアルバム『ライト・イヤーズ』を発表。リードシングル「スピニング・アラウンド」が10年ぶりに全英シングルチャートで1位を獲得し劇的な復活を遂げ、「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」(全英2位)やロビー・ウィリアムズとの「キッズ」(全英2位)など後続のシングルカットも次々ヒットして第2の黄金期を創出する。また、「スピニング・アラウンド」のミュージック・ビデオで見せたゴールドのホットパンツや、同年オーストラリアで開催されたシドニーオリンピックの閉会式での歌唱も話題となった。

追い風に乗ったカイリーは2001年にアルバム『フィーヴァー』を発表。リードシングル「熱く胸を焦がして」は全英1位に輝いたのみならず世界中でナンバーワンを獲得、約100万枚と彼女のキャリア史上最大のセールスを挙げた。そして、このシングルは2001年で世界一の売り上げを記録した[4]。また、2002年に入ってアメリカでも大ヒット(ビルボードでは最高7位、ダンスチャートでは初の1位に輝いた)。さらに「フィーヴァー」は全英アルバムチャートで9年ぶりの首位を獲得するだけでなく、全米でも3位まで上昇するなどデビュー当時を上回る人気を獲得した。カイリーのアルバムが全米ビルボードのアルバムチャートTOP3にチャートインするのはこれが初であった。このアルバムからは他にも「イン・ユア・アイズ」(全英3位、豪州1位)、「ラヴ・アット・ファースト・サイト」(全英2位、全米ダンスチャート1位)などのヒットが生まれた。

同年、同じオーストラリア出身のバズ・ラーマン監督の『ムーラン・ルージュ』にアブサン妖精 "The Green Fairy" として登場。『サウンド・オブ・ミュージック』を歌った。

2003年、9枚目のアルバム『ボディ・ランゲージ』を発表。先行シングル「スロウ」は自身7曲目の全英1位となった。

2004年、『フィーヴァー』から最後のシングルとしてカットされていた「カム・イントゥ・マイ・ワールド」でグラミー賞 "Best Dance Recording部門" を受賞。

この年には自身のキャリアを総括したベスト・アルバム『コンプリート・ベスト』が発売された。

2005-2010:乳癌克服からキャリア初の北米ツアー

2005年3月から「ショーガール:ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー」を開始。

2005年5月、ツアーの最中に乳癌が発覚し、地元メルボルンでの闘病生活を強いられたものの、早期発見が幸いし、半月ほどで治療に成功した。退院後は、ガンとの闘病生活を送る子供たちを見舞うために病院を訪れるなどの活動を行った。

2006年11月、シドニーを皮切りに「ショーガール:ホームカミング・ツアー」とタイトルを変更, 全衣装や一部曲目なども変更してツアーを再開。2007年1月23日に終了。全公演完全ソールドアウト。

2007年11月には、復活作となる10枚目のアルバム『X』発売。

2007年12月 イギリスのエリザベス2世女王より、大英帝国勲章(OBE)を授与される事が決まった。

2007年12月に10年ぶりの来日。アルバムと香水のプロモーション、そして日本テレビ系『Music Lovers』でのゲストライブを行った。番組内では「熱く胸を焦がして」、「ラッキー・ラヴ」、「2・ハーツ」を歌った。

2008年2月に、『SMAP×SMAP』にゲスト出演。同年4月には、アメリカでアルバム『X』が発売、USでのリードシングルには独自に「オール・アイ・シー」が選ばれ、「This Is Why I'm Hot」の大ヒットで知られるラッパーのMIMSが参加したリミックスが正式に作られる。

2008年5月 フランス・パリを皮切りに「KYLIEX2008」ツアーが開始される。

2008年7月 英国・バッキンガム宮殿にて、大英帝国勲章(OBE)を正式に授与される。

2009年9月、キャリア初の北米ツアー『For You, For Me Tour』を開始しツアーは大成功に終わる。

2010-現在:『アフロディーテ』から歌手デビュー25周年

2010年7月 最新アルバム『アフロディーテ』を、2010年6月30日、世界に先駆けた日本先行リリース(EMI Music Japan)を筆頭に、主に7月初旬に全14ヵ国で相次いでリリースした。このアルバムは全英アルバムチャートで9年ぶりの首位を獲得したのみならず、全米でも『フィーヴァー』以来のTOP20入りを果たしている。

さらに『アフロディーテ』が全英1位になった事によって、カイリーはイギリスのチャートで4世代(80年代、90年代、00年代、10年代)それぞれで1位を獲得した初の女性ソロアーティストとなった[5]

2011年2月から「アフロディーテ・レ・フォリ・ツアー」(一部地域では「アフロディーテ・ツアー」)をスタートさせる。このツアーは全英を含むヨーロッパ、北米、アジアやアフリカなどを廻り全77公演が行われた。このツアーでは 1991年の「リズム・オブ・ラヴ・ツアー」以来20年ぶりの来日コンサートが実現し4月23日と24日に 幕張メッセ、25日に 大阪城ホールで公演を行った。

来日前の 3月11日東日本大震災が発生し多くのアーティストが来日公演を取りやめる中、予定通り公演が執り行われた。また、4月25日には VERBALとともに東日本大震災支援のための楽曲、「ウィー・アー・ワン」が発表された。[6]

11月27日には彼女のこれまでのキャリアの功績が認められて、ARIAHall Of Fame入りを果たした。

2012年にはデビュー25周年を迎えそれを記念して「K25」プロジェクトが発足。

3月18日からはアンタイ・ツアーを開始、このツアーはB面や未発表曲、アルバム曲を中心としたコアなファン向けのセットリストとなっており、比較的小規模な会場で行われた。

5月25日、配信限定でニューシングル『タイムボム』が発表された、この曲は「K25」の一環としてリリースされた新曲で世界同時配信から4分でツイッターのワールドワイド・トレンド・トピックで1位になるなど話題を呼んだ[7]

10月24日、過去のヒット曲をアビイ・ロード・スタジオでフルオーケストラとともに再録音した『女神(アフロディーテ)のすべて 〜アビイ・ロード・セッションズ〜』が日本先行で発売された。[8]

2014年3月19日、約4年振りとなる12枚目のアルバム『キス・ミー・ワンス』を発売。

2015年11月18日、自身初となるクリスマス・アルバム『カイリー・クリスマス』を発売。

2016年2月19日、19歳年下のジョシュア・ザッセとの婚約を発表[9]

ディスコグラフィ

チャート漢字表記一覧:イギリス(英),オーストラリア(豪),全米(米),日本(日),フランス(仏),ドイツ(独),アイルランド(愛),カナダ(加),オーストリア(墺),イタリア(伊),スペイン(西),オランダ(蘭),ベルギー(白),スウェーデン(瑞),ロシア(露),デンマーク(丁),フィンランド(芬),ハンガリー(洪),台湾(台)

オリジナル・アルバム

コンピレーション・アルバム (一部)

シングル

- 1987年

- 1988年

- 1989年

- 1990年

- 1991年

- 1992年

- 1994年

- 1995年

- 1997年

- 1998年

- 2000年

- 2001年

- 2002年

- 2003年

  • スロウ」(英1,豪1,西1,丁1,伊6,加6,独8,蘭8,露20,洪4,米91位)(米CLUB 1位)

- 2004年

- 2005年

- 2007年

- 2008年

- 2010年

- 2011年

- 2012年

- 2013年

- 2014年

コラボレーション・シングル

- 1988年

- 1989年

- 1991年

- 1995年

- 1998年

- 2000年

- 2005年

- 2008年

- 2010年

- 2011年

- 2013年

- 2014年

- 2015年

DVD

Blu-ray

受賞歴

年度 部門 対象
日本ゴールドディスク大賞 1989年 THE GRAND PRIX NEW ARTIST OF THE YEAR ラッキー・ラヴ
THE GRAND PRIX SINGLE OF THE YEAR
ブリット・アワード 2002年 最優秀国際アルバム フィーヴァー
最優秀国際女性 カイリー・ミノーグ
2008年 国際女性ソロアーティスト
MTV VMA 1998年 国際視聴者投票賞(オーストラリア) ディド・イット・アゲイン
2002年 最優秀振付賞 熱く胸を焦がして
MTV EMA 2002年 最優秀ポップ歌手賞 カイリー・ミノーグ
最優秀ダンス歌手賞
グラミー賞 2004年 ベストダンスレコーディング カム・イントゥ・マイ・ワールド

日本公演

1988年に第19回世界歌謡祭出場のため初来日が予定されていたが、諸事情により中止が決定された。

10月2日 名古屋レインボーホール、6日 東京ドーム、7日,8日 大阪城ホール
3月3日:東京ベイNKホール 3月6日:横浜アリーナ、3月8日:名古屋市公会堂、3月10日:神戸ワールド記念ホール
4月23日・24日 幕張メッセイベントホール、25日 大阪城ホール

ゲーム

映画

参考文献

外部リンク