コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「フランク赤木」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ロック・ミュージシャンのカテゴリ修正依頼 - log
72行目: 72行目:
{{デフォルトソート:ふらんく あかき}}
{{デフォルトソート:ふらんく あかき}}
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:日本のロック歌手]]
[[Category:カントリー・ミュージシャン]]
[[Category:カントリー・ミュージシャン]]
[[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト]]
[[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト]]

2016年10月19日 (水) 12:47時点における版

フランク 赤木
生誕 (1939-08-05) 1939年8月5日
出身地 日本の旗 日本福岡県
ジャンル カントリー
歌謡曲
ロカビリー
職業 歌手俳優
担当楽器 ボーカル
共同作業者 ワゴン・マスターズ、ブーツ・ブラザース

フランク 赤木(ふらんく あかぎ、1939年8月5日 - 没年不明)は、福岡県出身の日本歌手俳優

来歴

金融業を営む赤木逸平と房子のもと、次男としてハワイに生まれる。父の仕事の都合で満州・大連へ移住するが、終戦直後、父が急逝し、兄と姉が動員されたため、母とフランクの2人だけで、日本へ引きあげた[1]。その後、兄と姉が帰国し一緒に生活するが、母が亡くなったため、兄と姉は仕事に追われ、フランクは一人で留守番することが多くなり、その間に寂しさを紛らすために歌を歌うようになる[1]

その頃、兄のすすめで習っていたボクシングの興行先でバンドと知り合い、小学6年生にして、バンドボーイとして米軍キャンプを回るようになる。ギターと歌に磨きをかけ、中学1年生にして上京。ウエスタンの「ワゴンマスター」に入る。17歳の時には、独立してデキシーバンド「ニュー・オルリンズ」を結成したが、その頃ロカビリーが急激に人気を集め、そのあおりをくって、三十万円の借金を残して解散しなければならなくなった[1]

その後、小野満とスイングビーバース、ブルー・レンジャーズのボーイ等を経て、1962年レイ・チャールズのカバー「愛さずにはいられない」でデビュー[2]。のちにザ・キングトーンズが吹込んだ「暗い港のブルース」も歌った。非常に歌唱力のある歌手で、ザ・キングトーンズにも歌唱指導した[3]

フランク赤木とブーツ・ブラザース、小坂一也とワゴンマスターズにも所属。寿司屋、電気屋、自転車屋、バンドボーイといろいろな職業を経験した。

主な出演

映画

  • 波止場の賭博師(1963年、日活)[4]
  • 空の下遠い夢(1963年、日活)[5]

ディスコグラフィー

脚注

  1. ^ a b c 1962.5「彼の歌にはハートがある……フランク赤木」週刊平凡4(4) 平凡出版 pp.74-75
  2. ^ フランク赤木 DrillSpin (ドリルスピン)
  3. ^ 暗い港のブルース 二木紘三のうた物語
  4. ^ フランク赤木
  5. ^ フランク・赤木の映画作品

関連項目