「マーティー・ワイルド」の版間の差分
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2016年10月18日 (火) 09:19時点における版
マーティー・ワイルド Marty Wilde | |
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出生名 | Reginald Leonard Smith |
別名 | Zappo |
生誕 |
1939年4月15日(85歳) イングランド南ロンドンブラックヒース |
ジャンル |
ロックンロール ロカビリー ポップ |
活動期間 | 1950年代後半 - |
レーベル |
フィリップス・レコード エピック・レコード |
共同作業者 | ザ・ワイルドキャッツ |
公式サイト |
www |
レジナルド・レナード・スミス(Reginald Leonard Smith、1939年4月15日 - )は、イギリスの歌手。マーティー・ワイルドとして広く知られている。 クリフ・リチャード、ビリー・フューリーと共に、ザ・ビートルズ出現以前のイギリスロックの創成期に活躍した。 ロカビリーの様な曲調で人気を博した。
家族
- 妻:ジョイス・スミス(旧姓:ベイカー)
- 長女:キム・ワイルド
- 長男:リッキー・ワイルド
- 次女:ロクサーヌ・ワイルド
- 次男:マーティー・ワイルド Jr.
来歴
デビュー前
1957年、「ザ・ハウンド・ドッグス」というスキッフルのグループに所属し、「レグ・パターソン」という名でロンドンズ・コンダー・クラブで活動している時、ラリー・パーンズに注目された。そしてパーンズから、マーティー・ワイルド[1]の名を与えられる。そして、フィリップス・レコードと契約を結ぶ。
全盛期
1958年から1962年まで、ワイルドは、ザ・ワイルドキャッツをバックに従え、「エンドレス・スリープ」、「恋のティーンエイジャー」、「シー・オブ・ラヴ」といったヒットを飛ばす。
また、1959年には、ザ・ヴァーノン・ガールズという女性ボーカル・グループのメンバー、ジョイス・ベイカーと結婚した。これがきっかけで、当時の10代の女性の心が砕かれ、ワイルドのアイドルとしてのイメージが徐々に失われて行く。
作曲家として
1962年の「エヴァー・シンス・ユー・セッド・グッドバイ」を最後に、ヒットが出なくなったワイルドは、歌手活動と並行して、作曲家としても活動を始める。
同じ作曲家のジャック・ゲラーと、ザ・カジュアルズの「ジェサミン」[2]、ルルの「アイム・ア・タイガー」、ステイタス・クォーの「アイス・イン・ザ・サン」等を作る。
また、実娘のキム・ワイルドにも、多数曲を作っている。
後年
1970年代前半、ザッポという名で、グラムロックにスタイルを変えたが、シングルを何枚か発表したのみで、すぐさまマーティー・ワイルドに戻す。
1980年代は、実娘キムのプロデューサー、作曲家として活動をする。
そして2010年代に入っても、全盛期の頃の歌声が衰える事なく、精力的にミュージシャン活動を続けている。
ディスコグラフィー
チャート入りしたシングル曲のみ述べる。
1958年 - Endless Sleep (4位)
1959年 - Donna (3位)
1959年 - A Teenager In Love (2位)
1959年 - Sea Of Love (3位)
1959年 - Bad Boy (7位)
1960年 - Johnny Rocco (30位)
1960年 - The Fight (47位)
1960年 - Your Seventeenth Spring (16位)
1961年 - Rubber Ball (9位)
1961年 - Hide And Seek (47位)
1961年 - Tomorrow's Clown (33位)
1962年 - Jezebel (19位)
1962年 - Ever Since You Said Goodbye (31位)
脚注
参考文献
- “music:dicsography”. http://www.martywilde.com/.+2013年9月11日閲覧。