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2016年10月17日 (月) 14:39時点における版

パウロ鈴木。
出生名 鈴木佳昌(すずきよしまさ)
別名 グレゴリースズキ
生誕 (1961-09-22) 1961年9月22日(63歳)
出身地 日本の旗 日本愛知県
学歴 愛知学院大学商学部商学科卒業
ジャンル ロック
職業 音楽家・ミュージシャン
ビートルズ研究家
エマーソン・レイク・アンド・パーマー研究家
ライブハウス経営者
ライブ・イベンター
担当楽器 ボーカル
ベース
ピアノ
活動期間 1986年 -
レーベル ラバーソウルレコード
共同作業者 難波弘之
公式サイト パウロ鈴木。 公式サイト
GOMAWORLD with 難波弘之 
ラバーソウルレコード
ザ・ビートルズ (The Beatles)
エマーソン・レイク・アンド・パーマー

パウロ鈴木。(本名: 鈴木 佳昌 (すずき よしまさ)、1961年9月22日 - )は、日本の音楽家ミュージシャンビートルズ研究家、エマーソン・レイク・アンド・パーマー研究家、ライブハウス経営者、ライブ・イベンター。

担当パートはボーカルベースピアノ

『ビートルズ・ランキング』の選んだ「日本のビートルズの「達人」100人」の1人[1]

来歴・人物

出自

愛知県名古屋市出身。 東邦高校普通科、愛知学院大学商学部商学科卒業。

父方は広島の原爆により、父の祖母と兄、妹を残し一家を亡くした。

母方は天野遠景の子孫であり、本家(愛知県名古屋市千種区城山)には先祖代々の家系図が存在する華族の家系である。

祖父の弟である天野景康は、米国フィラデルフィアの「米国財団法人 野口医学研究所」の創成期や「ローマ字ひろめ会」に寄与、加えてサイケデリックな画集『Amano Kageyasu Watt』(ローマ字ひろめ会, 1989年)も出版していた。

天野景康は学生時代からのパウロ鈴木。の前衛的でもある音楽活動に好意的な助言を与えていた。

音楽家、ザ・ビートルズ・トリビューター、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(EL&P)研究家として

9歳の時にTV CM(東芝家具調ステレオ・ボストン)を通じてザ・ビートルズ(The Beatles)の「レット・イット・ビー」を、11歳(1972年10月8日)の時にNHKヤング・ミュージック・ショーにてエマーソン・レイク・アンド・パーマー(EL&P)を聴き深い感銘を受け、音楽家を志す。

学生時代、難波弘之が結成したセンス・オブ・ワンダーの結成初ライブ・ツアーを体験し、現在のバンドGOMAWORLDの原型であるGOMA(ゴマ/護摩)結成を思い立つ。
GOMAは当時ブームであったヤマハ主催のバンド・コンテストの中部圏地区版「MID LAND '82」にて特別賞を獲得。

  • 1986年、劇団MOVEにアンビエント作品を初めて提供し、プロの音楽家としての活動を開始。
  • 1988年、名古屋スター・クラブ(六本木キャバーン・クラブ支店)にてデビューし、プロのザ・ビートルズ・トリビューターとしての活動を開始。
  • 1990年、「音楽のアトリエ」と自ら呼ぶ、英国風ライブバー「ラバーソウル」を神奈川県横浜市に企画開業した。
    国内外の数多くの音楽家たちの活動場所として現在も継続している。
    「最良の機材を揃えたライブハウス[2]や「アンプの配置をこだわり抜いたため、音もいいと評判」[3]など、幾度となく書籍で紹介されている。
  • 1992年、ザ・ビートルズ誕生の地リバプールにあるビートルズ・ストーリーポール・マッカートニーの50歳の誕生日を記念するパーティーをラバーソウルで主催し、現地の新聞で取り上げられる[4]
  • 1992年、ザ・ビートルズのカバー・バンドであるザ・ビートルースに加入。
  • 1996年8月23日、石川県で行われたビートルズ音楽祭にザ・ビートルースとして出場し、準優勝を獲得。
    この音楽祭は、ザ・ビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンが審査員を務めた。
    カバーするのが困難な「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を再現したザ・ビートルースの演奏でジョージ・マーティン夫妻を大喜びさせ、ジョージ・マーティンから直々に受賞した[5][6]
    これを機にザ・ビートルースとして2枚のアルバム(『マジカル・ドリーミー・ツアー』1997年、『エニシング・ニュー』1999年)をリリースし、国内[7][8][9][10]、 海外[11]などで、話題のアルバムとなった。
  • 2000年、ジャズ専門誌『Out There』(プランニングハウス, 2000年1月・2月合併号, p.17)の「ビートルースおおいに語る」で、ザ・ビートルースのロングインタビューが掲載された。
  • 2001年4月14日、NHKラジオ「ちょっとカルチャー 今も続くビートルズ熱」でパウロ鈴木。のインタビューとザ・ビートルースのセカンド・アルバム『エニシング・ニュー』から「マジカル・ミステリー・ツアー」と「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が放送された。
  • 2001年頃からビートルズ研究家の広田寛治の薦めにより、ビートルズに関する執筆活動を開始。
    自身が演奏家であることを生かしたザ・ビートルズの演奏解説[12]、楽器解説[13]など、独自の視点から研究を現在も行っている。
    2002年からジョン・レノン・ミュージアムにて開催されていたバンド・コンテストの常任審査委員を、閉館の2010年まで務め、ビートルズ・フォロワー育成に努めた。
  • 2003年、ジョン・レノン・ミュージアムにてジョン・レノン追悼イベント「We Love ジョン・レノン フリーライブ」企画、国内の有名ビートルズ・フォロワーに加えてニューヨークから元アップル・アーティストのデビッド・ピール(David Peel)を招くことを想い立ちスタッフと共に実現した。
    ライブという音楽形態の自由な楽しみ方を提示した。
    この時のゲストは、松尾清憲パール兄弟廣田龍人であった。
  • 2004年から2007年まで、日本を代表するポール・マッカートニー・プレイヤーとしての高い評価から、携帯電話auの着うたサービスで、ザ・ビートルズをカバーしたパウロ鈴木。の歌と演奏が配信された。
  • 2005年、ザ・ビートルースとして、CDジャーナル主催「1966~その後のビートルズ~」に出演。
  • 2005年8月25日、宮永正隆が主催するトークライブ「ビートルズ大学」にて講義。ビートルズ大学教授という肩書きを得る。[14]
  • 2006年から東京タワー展望台にあるClub333 特設ステージで定期的に出演。
    日本一高い場所でのザ・ビートルズ・カバー演奏である。
  • 2006年9月18日、鶴見区区制80周年・横浜開港150周年プレイベント「すげーぜ・つるみ2006」にビートルースが出演。
    鶴見区多文化の代表として、沖縄民謡、韓国民謡、ブラジル民謡などの楽団と共演。
    「鶴見に拠点を置く、世界一のビートルズのコピーバンド」と紹介される。
  • 2006年12月9日、ジョン・レノン・ミュージアムで6時間にわたるジョン・レノン追悼ライブ「メモリアル・デイズ・ライブ」を主催。王様伊豆田洋之細井豊内海利勝(ex キャロル)、カバーソウルらを招聘し、共演。
    この日はジョン・レノンの命日(1980年12月8日(日本時間:12月9日))であった。
  • 2007年、グレゴリースズキという芸名で、『プログレッシブ・ロック入門』(河出書房新社 2007年)にて難波弘之の協力のもと、プログレとEL&Pについて執筆。
    収録記事の高嶋政宏と難波弘之の対談の場所として、ラバーソウルが使われた[15]
  • 2007年3月17日、英国政府観光庁が主催した1年にわたる企画「英国式幸福論」の一環で、パウロ鈴木。としてライブ出演し、ザ・ビートルズのカバーを演奏。
  • 2008年2月17日、「英国式幸福論」フィナーレでザ・ビートルースとしてライブ出演し、ザ・ビートルズのカバーを演奏。
  • 2008年2月24日、ラジオTOKYO FMの「サンデー・スペシャル・プログラム 英国式幸福論 イン・丸ビル」でフィナーレのライブ演奏が放送された。他の出演者は、サーカス、加藤和彦土屋昌巳Le Coupleであった。
  • 2008年2月29日、英国政府観光庁の庁舎にて執り行われた、「英国式幸福論」関係者への感謝祭パーティーにパウロ鈴木。が招待された。
  • 2008年4月13日、ナゴヤドームにて開催された「アクティブ・シニア・フェアー」にザ・ビートルースとして出演。この時の共演者は、ビリーバンバンらであった。
  • 2008年7月12日、ジョン・レノン・ミュージアムで「英国ナショナル・トラストとザ・ビートルズの2つの家」 イベントに出演。ナショナル・トラストが管理しているリバプールにあるジョン・レノンが育った家(251 Menlove Avenue)とポール・マッカートニーが育った家(20 Forthlin Road)を紹介するイベントの後段で、ザ・ビートルズのカバーを演奏した。
  • 2008年12月8日、BBC World Newsで、パウロ鈴木。の演奏が放送された。
  • 「大人のロック」2009年夏号で、内海勝利(exキャロル)にインタビューした記事が掲載される。(68ページ)
  • 2010年1月、NHK番組「パフォー!」のプログレ復興企画にてGOMAがBest4入りした。
  • 2010年10月、難波弘之の協力のもと、「パウロ鈴木。& GOMAWORLD with 難波弘之」を結成。
  • 2013年3月21日、EL&Pのメンバーであったキース・エマーソンの自伝『キース・エマーソン自伝』のプロモーション・ビデオにてキース・エマーソン本人と共演。ジャム・セッションを収録撮影するも未発表のままである。
  • 2014年8月30日、ラジオ日本の長寿番組「THE BEATLES 10」に司会のカンケの依頼により出演。ポール・マッカートニーのベース奏法を45分にわたり講義した。
  • 2015年、パウロ鈴木。が所有するポール・マッカートニーと同じ型式、製造年のバイオリン・ベースヘフナー・500-1」が書籍で紹介された[16]
  • 2015年3月、ラジオ日本「ビートルズ10」のエンディングテーマ「ビー・テンダー」でベースを担当する。
  • 2015年4月21日、パウロ鈴木。& GOMAWORLD with 難波弘之として『GOMA WORKS / ゴマ・ワークス』(2015年, ラバーソウルレコード)をリリース。
    帯には、"Brilliant play backwards and forwards. Sukrat! Sukrat!"(前進でも後進でも素晴らしい!スクラットじゃ!)とキース・エマーソンがコメントを寄せた。[17][18]
    「あの熱い想いが蘇る!濃密な固まり感は、ワケを知ってる人でなければ、けして出せない、この感じ」とサエキけんぞうが本作にコメントを寄せた。[19]
  • 2015年7月、ラジオ日本「ビートルズ10」の10周年を記念して、非売品CDがリリースされた。
    パウロ鈴木。がベースで参加した「ビー・テンダー」が収録されている。

作品

音楽作品

ソロ

  • 『劇団MOVE』(1986年, 非売品 アセテイト盤)

ザ・ビートルース

  • 『マジカル・ドリーミー・ツアー 』(1997年, ラバーソウルレコード)
  • 『エニシング・ニュー』(1999年, ラバーソウルレコード)

デビッド・ピール

  • 『ロックン・ロール・アウトロー・ジャパン・ツアー2003 アンプラグド・ヴァージョン』(2004年, キャプテン・トリップ・レコーズ)

護摩

  • 『ジャップス・プログレ』(2008年, イグヅラシルレコーズ)

王様&レッド・サッパリン

  • 『今村商店』(2010年, 非売品CD-R)

パウロ鈴木。& GOMAWORLD with 難波弘之

  • 『Rubber Soul 20 Anniversary 』(2010年, ホイホイ・レコード CD-R)
  • 『Rubber Soul 21 Anniversary』(2011年, ホイホイ・レコード CD-R)
  • 『GOMA WORKS / ゴマ・ワークス』(2015年, ラバーソウルレコード)

The Tukenines

  • 『The Tukenines』収録曲「ビー・テンダー」(2015年, 非売品)

プロモーション・ビデオ

  • 『キース・エマーソン自伝』プロモーション・ビデオ (2013年, DVD 未発表)

書誌情報

  • 『文藝別冊ポール・マッカートニー』(河出書房新社, 2001年, ベース革命 p.60, ビデオ解説 p.188)
  • 『ビートルズ大全』(河出書房新社, 2004年, 楽器解説 p.476, pp.480-484, p.488, p.490)
  • 『プログレッシブ・ロック入門』(河出書房新社, 2007年8月号, インタビュー取材担当 p.7, EL&P解説 p.70, プログレQ&A p.52, インタビュー取材担当 p.68)
  • 『大人のロック』(日経BP社, 2008年夏号,日本のポールが解くマッカートニー・マジック p.63)
  • 『大人のロック』(日経BP社, 2009年夏号, 内海利勝インタビュー取材担当 p.68)
  • 『文藝別冊増補新版ポール・マッカートニー』(河出書房新社, 2011年, ポールのベース革命p.176, アルバムレビュー p.182, ビデオレビュー p.224)

交流のある人物・共演した人物

脚注

  1. ^ 『ビートルズ・ランキング』(シンコーミュージック, 2013年, p.178)
  2. ^ 『オヤジBAND倶楽部 Vol. 2』(オークラ出版, 2007年, p.104)
  3. ^ 『東京ロック地図』(交通新聞社, 2009年, p.117)
  4. ^ 'Liverpool Echo' 1992年6月19日号
  5. ^ 『オヤジBAND倶楽部 Vol. 2』(オークラ出版, 2007年, p.14)
  6. ^ 『ビートルズ・クラブ会報』(1996年10月号, p.9)
  7. ^ 『CDジャーナル』(2001年1月号, p.99)
  8. ^ 『モノマガジン』(2001年, No.421, p.48)
  9. ^ 『ミュージック・マガジン』(2002年2月号, p.186)
  10. ^ 『レコジャケジャンキー!』(2006年3月号)
  11. ^ "Beatles Unlimited Magazine" (2000, July/August, p.40)
  12. ^ 『ビートルズの逆襲』(河出書房新社, 2001年, p.154)
  13. ^ 『ラピタ』(2001年1月号, p.67)
  14. ^ http://www.catchup.jp/b4univ/kousi.html
  15. ^ 『プログレッシブ・ロック入門』(河出書房新社, 2007年, p.201)
  16. ^ 『ビートルズ・ストーリー '64』(ファミマ・ドットコム, 2015年, p.107)
  17. ^ https://www.youtube.com/watch?v=aW2j252lYZY&x-yt-ts=1422579428&feature=player_embedded&x-yt-cl=85114404
  18. ^ CD『ゴマ・ワークス』帯(RSCD-5003)
  19. ^ http://www.beatle-japan.com/label/gomaworld.html

外部リンク