「アイク&ティナ・ターナー」の版間の差分
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2016年10月17日 (月) 13:36時点における版
アイク&ティナ・ターナー Ike & Tina Turner | |
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基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス |
ジャンル | ロック、ソウル、ブルース、ファンク |
活動期間 | 1960年 – 1976年 |
レーベル |
シュー ロマ ケント フィリップス ワーナー・ブラザース ミニット・レコード タンジェリン リバティ ユナイテッド・アーティスツほか |
メンバー |
アイク・ターナー ティナ・ターナー |
アイク&ティナ・ターナー (Ike & Tina Turner) は、1960年代から1970年代にかけて活躍したアメリカのポップ、ソウルデュオ。
アイク・ターナーとティナ・ターナーの夫婦(後に離婚)のチーム。16年間にわたって、ロック、ソウル、ブルース、ファンクなど幅広い音楽を手がけた。グラミー賞を獲得した「プラウド・メアリー」のカバーが有名。1991年にロックの殿堂入り。
グループ結成まで
1956年、16歳のアンナ・メイ・ブロック(後のティナ・ターナー)は、彼女の母親、姉妹と同居するために故郷テネシーからセントルイスに移住。
アンナは彼女の姉妹と共に夜な夜なナイトクラブに通い詰め、そのうちのひとつでザ・キングス・オブ・リズム(The Kings of Rhythm) のメンバーとしてステージに立つアイクと出会う。
バンドが聴衆をステージに上げて歌わせているのを見て彼女も果敢にステージに上がり、「アイ・ノウ・ユー・ラヴ・ミー・ベイビー」(I Know You Love Me Baby) をB.B.キングバージョンで歌い上げた。
今も彼女のトレードマークとなっている、喉をきしませる独特の歌い方はアイクを感動させ、仲間内で「リトル・アン」と呼ばれていた少女はバンドのバッキング・シンガーとして雇い入れられた。
ある日、バンドのメインボーカリストがレコーディングに現れなかった際、アイクはアンナを抜擢。当時アイクとの子供を身ごもっていた妊娠8カ月のアンナは「ア・フール・イン・ラヴ」(A Fool in Love) を彼女のボーカルでレコーディングした。
当初はその場限りのつもりであったアイクは、彼女のボーカルを聞いた後、アンナを前面に立ててプッシュしていくことを決め、彼女の芸名をティナに変えて、彼の姓であるターナーを付け加えティナ・ターナーを誕生させた(当時アイクはまだ別の女性と結婚していたが)。彼はグループ名もザ・キングス・オブ・リズムからアイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューに変えた。
スターダムへ
「ア・フール・イン・ラヴ」はアイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューのファーストシングルとして1960年冬にリリース。ビルボードのホットR&Bチャートの2位、アメリカン・ポップ・シングル・チャートの27位にまで達するヒットととなり、2人は一躍全米クラスの知名度を得る。
翌1961年にリリースした、ローズマリー・マッコイ作のセカンド・シングル「イッツ・ゴナ・ワークアウト・ファイン」(It's Gonna Work Out Fine)は、前作に続きホットR&Bチャートの2位、アメリカン・ポップ・シングル・チャートの14位にまで上昇した(この曲にはバックグラウンド・ボーカルとして、一発屋のデュオミッキー&シルヴィアのミッキーが協力している)。
この曲で、2人のコンビは早くも初のグラミー賞ノミネートという快挙を成し遂げる。
1962年の3枚目のヒット「プア・フール」(Poor Fool) も38位まで上昇。しかしながら、彼らの人気を後押ししたのはチャートアクションのみならず、一連のエキサイティングなショウによるところも大きかった。彼らは『シンディグ!』(Shindig!)、『ハリウッド・ア・GoGo』、『アメリカン・バンド・スタンド』などのテレビ上にも積極的に露出し、ティーンエイジャーたちを熱狂させた。1960年代の半ばまでにアイク&ティナ・ターナー・レビューは国民的人気を獲得した。
1966年、フィル・スペクターのフィリーズ・レコードと契約。「リヴァ-・ディープ - マウンテン・ハイ」(River Deep – Mountain High)をレコーティング(アイクは録音に参加せず、ティナの単独レコーディング[1])。 アメリカではビルボード・ホット100の88位までしか上がらずスペクターを失望させたが、イギリスで3位まで上昇する大ヒットとなり、これがきっかけとなってローリング・ストーンズの1966年と1969年のアメリカ・ツアーのサポートアクトに抜擢され、2人は国際的スターへの足がかりをつかむ。
1969年には、ブルース色の強い「オウタ・シーズン」(Outta Season) と、アルバート・キングのカバー「ザ・ハンター」(The Hunter) のリリースでより大きなチャートアクションを獲得。ティナはアルバム『ザ・ハンター』からの「ボールド・ソウル・シスター」(Bold Soul Sister) でグラミー賞ベストR&B女性ボーカルに2度目のノミネートを受ける。
1970年、「エド・サリバン・ショー」に出演、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカバー「プラウド・メアリー」と「ボールド・ソウル・シスター」を披露した。「プラウド・メアリー」は1971年春にシングルとしてリリースされ、ポップシングル・チャートで4位まで上昇し、アメリカのチャートにおける過去最高位を記録、1972年にグラミー賞を獲得した。
人気の衰退~解散
1975年頃には、アイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューの人気は色あせた。
最初にアイクのバンドに加入してから17年後、ティナはソロ活動に向けて行動を開始、「シェール・ショー」や「マイク・ダグラス ショー」などの番組にアイクを伴わず単独で出演した。同じ年に彼女は、ザ・フーのミュージカル映画『トミー』にアシッド・クイーンの役で出演、素晴らしい演技を披露した。
このころよりコカインを常用するアイクのティナに対するDVが深刻になり、彼はティナへのコントロールを保つために彼女に暴行を続けるようになった(後に、ティナは自伝I, Tina の中で、アイクがグループ活動の期間中ずっと、また16年の結婚生活の間中彼女を監督するのに暴力を続けたと述べた)。
ティナは最終的に、ダラスでのショーの直前にホテルから逃亡。1976年にグループは解散した。
その後ティナは離婚訴訟を起こし、1978年に和解するまで2人は法廷で争った。
ディスコグラフィ
アルバム
- 1960: The Soul of Ike and Tina Turner (Sue)
- 1962: Dance With Ike & Tina Turner & Their Kings of Rhythm Band (Sue)
- 1963: Don't Play Me Cheap (Sue)
- 1963: Dynamite (Sue)
- 1963: It's Gonna Work Out Fine (Sue)
- 1963: Please Please Please (Kent)
- 1964: The Ike & Tina Turner Revue Live (Kent)
- 1965: Live! The Ike & Tina Turner Show (Warner Bros.)
- 1965: Festival of Live Performances (United)
- 1965: Ike & Tina Show 2 (Tomato)
- 1965: Ooh Poo Pah Doo (Harmony)
- 1966: River Deep - Mountain High (Philles/A&M)
- 1966: Ike & Tina Turner and the Raelettes (Tangerine)
- 1966: Live! The Ike & Tina Turner Show (Loma)
- 1966: Live! The Ike & Tina Turner Show, Vols. 1-2
- 1968: Outta Season (Blue Thumb)
- 1969: Ike & Tina Turner in Person (Minit)
- 1969: Fantastic (Sunset)
- 1969: Get It Together (Pompeii)
- 1969: Her Man His Woman (Capitol)
- 1969: The Hunter (Blue Thumb)
- 1970: On Stage (Valiant)
- 1970: Come Together (Liberty)
- 1971: Workin' Together (One Way)
- 1971: Nuff Said (United Artists)
- 1971: Something's Got a Hold on Me (Harmony)
- 1971: What You Hear Is What You Get (EMI)
- 1972: Feel Good (United Artists)
- 1973: Let Me Touch Your Mind (United Artists)
- 1973: Nutbush City Limits (United Artists)
- 1973: Live! The World of Ike and Tina Turner (United Artists)
- 1974: Strange Fruit (United Artists)
- 1974: Sweet Rhode Island Red (United Artists)
- 1974: Tina Turns the Country On (United Artists)
- 1974: The Gospel According to Ike and Tina (United Artists)
- 1974: The Great Album
- 1975: Sixteen Great Performances (ABC)
- 1977: Delilah's Power (United Artists)
- 2009: Get Yer Ya-Ya's Out (Deluxe Edition Remastered) (Bonus CD Live) (※ローリング・ストーンズ)
コンピレーションアルバム
- 1991: Proud Mary: The Best of Ike & Tina Turner (EMI)
- 1992: Proud Mary and Other Hits (EMI)
- 2002: Funkier Than a Mosquito's Tweeter (EMI)
- 2007: The Ike & Tina Turner Story 1960-1975 (Time Life/WEA)
シングル
注釈なきものはすべてティナのリード・ボーカル
Year | Song | U.S. 100 |
U.S. R&B |
UK 75 |
CAN 100 |
DEU 100 |
ITA 50 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1960 | "A Fool in Love" | 27 | 2 | - | - | - | - |
1961 | "I Idolize You" | 83 | 5 | - | - | - | - |
1961 | "It's Gonna Work Out Fine" | 14 | 2 | - | - | - | - |
1962 | "Poor Fool" | 38 | 4 | - | - | - | - |
1962 | "Tra La La La La" | 50 | 9 | - | - | - | - |
1962 | "You Shoulda Treated Me Right" | 89 | - | - | - | - | - |
1964 | "I Can't Believe What You Say (For Seeing What You Do)" | 95 | - | - | - | - | - |
1965 | "Goodbye So Long" | - | 32 | - | - | - | - |
1966 | "River Deep - Mountain High" | 88 | - | 3 | 62 | - | - |
1966 | "Tell Her I'm Not Home" | - | 33 | 48 | - | - | - |
1966 | "A Love Like Yours" | - | - | 16 | - | - | - |
1968 | "So Fine" | - | 50 | - | - | - | - |
1969 | "I'm Gonna Do All I Can (To Do Right By My Man)" | 98 | - | - | - | - | - |
1969 | "I've Been Loving You Too Long" | 68 | 23 | - | 78 | - | - |
1969 | "The Hunter" | 93 | 37 | - | - | - | - |
1970 | "Bold Soul Sister" | 59 | 22 | - | 71 | - | - |
1970 | "Come Together" | 57 | 21 | - | - | - | - |
1970 | "I Want To Take You Higher" | 34 | 25 | - | 36 | - | - |
1970 | "Working Together" | - | 41 | - | - | - | - |
1971 | "I'm Yours (Use Me Anyway You Wanna)" | - | 47 | - | - | - | - |
1971 | "Ooh Poo Pah Doo" | 60 | 31 | - | - | - | - |
1971 | "Proud Mary" | 4 | 5 | - | 3 | 21 | - |
1972 | "Up In Heah" | 83 | - | - | - | - | - |
1973 | "Early One Morning" | - | 47 | - | - | - | - |
1973 | "Nutbush City Limits" | 22 | 11 | 4 | - | 2 | 5 |
1974 | "Sexy Ida" | 65 | 29 | - | - | - | 25 |
1974 | "Sweet Rhode Island Red" | - | 43 | - | - | 43 | - |
1975 | "Baby Get It On" | 88 | 31 | - | - | - | - |
脚注
- ^ アイク・ターナーのスタジオでのコントロールを嫌ったスペクターが20,000ドルをアイクに支払う代わりにアイクはレコーディングには一切関与しないという極めて異例な契約が交わされた。