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2016年10月17日 (月) 13:30時点における版
中川ひろたか | |
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別名 | ピーマン |
生誕 | 1954年2月14日(70歳) |
出身地 | 日本・埼玉県大宮市(現:さいたま市) |
学歴 | 上智大学法学部中退 |
ジャンル | 童謡、ロック、ポップス |
職業 | 歌手、絵本作家 |
活動期間 | 1979年 - 現在 |
公式サイト | Song Book Cafe オフィシャルサイト |
中川 ひろたか(なかがわ ひろたか、男性、1954年2月14日[1] - )は日本の絵本ライター、シンガーソングライター。埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身[1]。
愛称について
愛称はピーマン。保育士時代につけられた。本来は「ピーナツ」だったが、保育園の園児に「ピーナツのあだ名」としてつけられた名前がそのまま定着した。なお「ピーナツ」は、保育園であだ名が必要になったときに、大学生時代に甥からつけられた名前を名乗ったのが由来である[2]。
来歴
- 普門院幼稚園、大宮市立大成小学校、大宮市立大成中学校、埼玉県立春日部高等学校を卒業後、一浪を経て1973年に上智大学法学部に入学。1976年3月に大学3年生で中退[1]。
- 1976年4月に千早子どもの家保育園にて保育士としての活動を始める。当時、児童福祉法上保育園で保育をすることが認められたのは女性に限られており、書類上は用務員とされていたという[3]。1977年、法律改正により男性も保母試験が受けられるようになり[4]、同年10月に保母資格を取得[1][5]。1981年3月に保育園を退職[6]。
- 1979年7月、初の著作『あそびうたがいっぱい』(湯浅とんぼ+中川ひろたか、ばるん舎)を刊行[7]、保育集会「合研」を通して全国の保育園に広まる[8]。
- 1994年、『こどもちゃれんじ・ぽけっと』11月号掲載の「さつまのおいも」で絵本作家デビュー[9]。「さつまのおいも」は1995年6月に書籍化され、中川にとって初の(書籍として刊行された)絵本作品となった。同書は2週間で増刷、3か月で1万5000部を売り上げるヒットとなった[10]。
- 作品は小学校の国語・音楽の教科書にも採用されている[11][5]。
- 2006年2月には、神奈川県鎌倉市に絵本カフェ「Song Book Cafe」をオープン[5]。1000冊以上のセレクションの中から好きな絵本を手にとってお茶ができるというコンセプト。 また、Song Book Cafeホームページ上では絵本のオンラインショッピングもできる。
- D1(だじゃれグランプリ)を考案。2004年から開催[5]。『D1のすすめ』という解説DVDも作って配布している。全国の小学生を中心に、地道に広がっている。
- A1(あそびうたグランプリ)を考案。2009年から開催[5]。子供も、子供を取り囲む大人たちも一緒になって、歌って遊んで楽しめるオリジナルのあそび歌の日本一を決めちゃおう、という元気な大会。
- 2011年4月5日、東日本大震災復興支援として「みんなともだちプロジェクト」を立ち上げる[12][5]。
- 2011年、ボードゲーム「カロム」の全国大会「C1(カロムグランプリ)」を主催する。
- 中川が新たに文章を書き下ろした電子絵本アプリ『中川ひろたか名作おはなし絵本』シリーズは、2012年11月時点で日本国内と国外をあわせて35万ダウンロード以上を記録している[13]。
音楽活動
- 1979年10月、バンド「こどもどあーず」(三輪まさかつ、桂牧と3人組)を結成[14]。1980年2月9日には初コンサートを実施する[15]が、中川のソロ活動や三輪の死により自然消滅する。
- 1983年5月、初のカセット作品『あそびうたがいっぱい』(湯浅とんぼ+中川ひろたか)をレコーディング[16]。同年7月に発売[17]。
- 1985年11月にユニット「ノボ&ピーマン」(福尾野歩と2人組)を結成[18]。後述の「トラや帽子店」に発展的解消する。
- 1987年、バンド「トラや帽子店」(福尾野歩、増田裕子と3人組)を結成[19]。バンド名は、福尾の実家の「トラヤ帽子店」にちなみ、中川が提案した[20]。同年1月13日、かつしか学園で初ライブを実施[21]。1988年7月、初のアルバム(カセット)『世界中のこどもたちが』(トラや帽子店+新沢としひこ)を発売[22]。1997年8月に『題名のない音楽会』に出演[23]。1998年4月1日の仙台でのコンサートを最後に休業を宣言(事実上の解散)[24]。2000年4月に正式解散した[25]。休業宣言までに開催したコンサートは1059回、発売した関連CDは28枚に及んだ[26]。
- 1991年、ユニット「下中商会」(下畑薫と2人組)を結成。同年1月に初ライブを実施する[27]。
- 1999年、絵本作家・イラストレーター仲間によるスリーピースバンド「Beat Bang Boys」を結成。同年2月14日、初コンサートを実施。同年12月、初CD『コロガルニホンゴ』を発売。2000年9月解散[28]。
- 2001年2月、渡辺茂(bass)、菊池丈夫(drums)、友成好宏(piano)、佐藤克彦(guitar)、中川ひろたかによるバンド「Gel(ゲル)」を結成[29]。同年10月、初ライブ、2002年3月、初アルバム『YEAH!』を発売[30]。
- 現在はソロでの音楽活動もあるが、コンサート等では新沢としひこ、ケロポンズ、谷口國博、大友剛、鈴木翼らとの共演も少なくない。
- また、2004年7月に『マジスカ軽音楽同好会』を結成し2枚のアルバムを発売。
- 2009年に、大友剛(P.Vo)、野々歩(Vo)、中川ひろたか(G.Vo)の新ユニット、ON'S(オンス)を結成し、2010年7月に1stアルバム『輪になって』が発売された。精力的なライブ活動を行っている。
主な作品
絵本
- ないた(金の星社/絵・長新太) ※第10回日本絵本賞大賞受賞
- もちづきくん(チャイルド本社/長野ヒデ子・絵)
- こぶたのブルトン(アリス館/絵・市居みか)
- ようこそうみへ(童心社/絵・村上康成)
- ワニのスワニー(講談社/絵・あべ弘士)
- 「だじゃれ」シリーズ(絵本館/絵・高畠純)
- 「ピーマン村」シリーズ(童心社/絵・村上康成)
- 「ピーマン村」とは中川の愛称「ピーマン」と、村上の「村」に由来する[31]。特に「さつまのおいも」は子供達から非常に高い人気を呼んでいる。
自叙伝
- 中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年(旬報社、絵・ささめやゆき、2003年)ISBN 4-8451-0802-X
楽曲
- 作詞
- 5つのメロンパン(原曲:イギリス民謡「Five Currant Buns」、1977年)
- 中川が「子どもの遊び研究会」に参加していた当時、湯浅とんぼからElizabeth Matterson著"Games for the Very Young"を渡され、その中に収録されていた「Five Currant Buns」を日本語に訳したもの。原詞に登場するパンをメロンパンだと解釈して訳詞した(原詞に「メロンパン」という言葉は出てこない)。後日、中川がイギリス人の英会話教師に「Five Currant Buns」の訳詞として「5つのメロンパン」を聴かせたところ「イギリスにはメロンパンはない」と言われたという。21世紀初頭現在、一般的に歌われているバージョンでは、歌の途中におばさんと子供の台詞が入るが、原曲には該当する台詞はなく、中川も作詞していないと述べている[32]。
- 作曲
- 口コミにより全国に広まった歌の一つ。人から人へ伝えられていく過程で新たな歌詞が追加され、本来の歌詞以外にも地域によって様々なバリエーションで歌われている。そのため、中川がコンサートでこの歌を歌うと観客から「歌詞が違う」という声が出てくるという[34]。
- おーい かばくん(作詞:中川いつこ)
- 『ママとあそぼう!ピンポンパン』1981年4月の歌[35]、1989年には3番が追加されて『ひらけ!ポンキッキ』に採用される[36]。
- 雑誌『月刊音楽広場』(現:『月刊クーヨン』、クレヨンハウス)1988年1月号の「今月の歌」として発表。トラや帽子店のデビューアルバム『世界中のこどもたちが』にも収録。1992年度に東京書籍の小学5年生の音楽教科書に掲載され、その後他社の音楽教科書にも掲載される[37]。『ポンキッキーズ21』でも歌われた。
- ともだちになるために(作詞:新沢としひこ、1987年)
- にじ(作詞:新沢としひこ)
- はじめの一歩(作詞:新沢としひこ、1987年)
- メロンにきいてもわからない(作詞:新沢としひこ)
- 1990年10月に『ひらけ!ポンキッキ』に採用される[36]。
- パレード(作詞:新沢としひこ)
- みんなとあそぼ(作詞:谷口國博)
- 『おかあさんといっしょ』使用曲。
- 風の花束(作詞:中田有博)
- パ・パ・パ!(作詞:のぶみ)
- 作詞・作曲
- たちねぶた音頭
- 絵本『たちねぶたくん』イメージソング。
- だじゃれだゾ〜
- 『おかあさんといっしょ』2008年2月の歌。
- みんなともだち
- 『ひらけ!ポンキッキ』1989年3月の歌に採用される[36]。
テレビ出演
ラジオ出演
- 中川ひろたかのあぶずりモーニング(湘南ビーチFM)
脚注
- ^ a b c d 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』305頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』8-10頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』37-38頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』38頁。
- ^ a b c d e f 中川ひろたか プロフィール|SONGBOOKCafé 株式会社ソングブックカフェ(2012/10/5閲覧)
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』86頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』307頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』82頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』234-240頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』256頁、313頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』292頁。
- ^ ともだちのともだちのともだち〜みんなともだちプロジェクト(2012/10/5閲覧)
- ^ シリーズ累計35万DLの「中川ひろたか名作おはなし絵本」シリーズの電子絵本アプリをパナソニック「ビエラ・コネクト」で配信開始〜海外配信も順次開始予定〜、NEXTBOOK株式会社、2012年11月5日。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』72-73頁、307頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』83頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』96頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』307頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』309頁。
- ^ 1986年夏に渋谷生協会館で開催された「幼児と音楽セミナー」にノボ&ピーマンが出演した際、たまたま増田裕子と出合ったことがきっかけで結成された。『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』138-139頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』140頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』142頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』180頁、308-309頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』313頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』270-271頁、274頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』294頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』272頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』212-214頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』283-284頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』297頁、315頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』316-317頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』257頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』66-67頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』21頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』20-21頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』91頁。
- ^ a b c 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』168頁。
- ^ 『中川ひろたかグラフィティ〜歌・子ども・絵本の25年』162頁。