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2016年10月17日 (月) 13:27時点における版
ジョセフ・ウィリアムズ | |
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ジョセフ・ウィリアムズ(左)。2010年、TOTOのコペンハーゲンでのライヴにて。 | |
基本情報 | |
出生名 | Joseph Stanley Williams |
別名 | ジョー |
生誕 | 1960年9月1日(64歳) |
出身地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州 |
ジャンル |
AOR ロック ポップス 映画音楽 |
職業 |
ボーカリスト 作曲家 |
担当楽器 |
歌 ピアノ キーボード |
活動期間 | 1980年代 - 現在 |
共同作業者 |
TOTO ジョイ・カルボーン ジェイ・グルスカ デヴィッド・ハリス VERTIGO |
公式サイト | http://josephwilliams.totoweb.org/ |
ジョセフ・ウィリアムズ(Joseph Stanley Williams、1960年9月1日 - )は、アメリカのミュージシャン(ボーカリスト、作曲家、ピアニスト)である。TOTOのメンバーとして特に有名。父は映画音楽の作曲家ジョン・ウィリアムズ。
人物
ロックバンド、TOTOのメンバーである。また、TOTO加入以前からシンガーとしてだけでなくロック/ポップ・ミュージック全般、映画音楽の分野で活躍する作曲家でもある。TOTO在籍期の後半では素行不良により喉を壊し、その影響でTOTOを実質解雇された(表向きはあくまで自主的な脱退)。
だが、TOTOの主要メンバーとは元々地元の仲間であり、脱退後も友好的な関係を維持している。脱退後のTOTOの作品にも楽曲提供や共作、ゲストボーカルとして頻繁に参加し、ステージにもスペシャルゲストとして登場することも多かった。TOTO脱退の頃には不調であった喉も、「年を重ねてコンディションの保ち方も学習した」と述べており、安定している。2010年のTOTO再結成よりメインボーカリストとして復帰。
TOTO以外では映画音楽や他アーティストへの楽曲提供といった作曲家としての活動、またアーティストのバックヴォーカルやBGM用楽曲のハーモニー歌唱、映画音楽での歌唱などを主な生業としており、TOTO脱退以降2010年の復帰までは基本的にこちらの活動が本業であったが、時間が許せばソロアルバムをリリースしたり日本や地元のクラブでライブをするなどのソロ歌手活動もマイペースに行っている。またVertigoというジョセフをメインに置いたプロジェクトでもシンガーとして参加していた。なお、Vertigoはジョセフ自身が企画したプロジェクトではなく、ジョセフをメインにフィーチャーした他者のプロジェクトであるため、楽曲や演奏、プロデュースはほとんどが外部から提供されたものである。 シンガーとしての活動に関しては、TOTO復帰まではVertigoは主にヨーロッパ圏、ソロ作品は日本でのリリースに留まっていた。
TOTO参加のきっかけは当時のシンガー、ファーギー・フレデリクセンの脱退を受け新しいシンガーを探していたジェフ・ポーカロからオーディションに誘われたことによる。ジェフは元々ジョセフのことは頭になかったが、知人であるシカゴのジェイソン・シェフに相談したところ「ジョセフはどうか」という意見をもらい、「そうか、あいつがいた」と思い立ったとしている。なお、前任のファーギーが決定した際のオーディション、ジョセフ決定時のオーディションともに、後にMr.Bigを結成するエリック・マーティンが参加し、最終選考に残っていた。
ジョセフ本人は「エリックはロックシンガーとして素晴らしいし、ロックな面で言えば僕よりも断然彼の方がっていうのは思うよ。それでも僕が採用されたのは気心知れてる幼馴染だというのもあるだろうけど、僕は作曲家としても活動しているから作曲やアレンジ面でもTOTOに貢献出来るんだ。それに僕は加入前からTOTOの音楽性に非常に近かったしリンクする点が多かった。結局僕が採用になったのはそういう点が大きいんじゃないかな」と語っている。ジェフ自身は「エリックは精神年齢がまだ幼いから(採用しなかった)」と語っていた。
また、スティーヴ・ルカサーは「(歴代シンガーが多数いる中で)TOTOのヴォーカリストとして本当にふさわしかったのはボビー以外ではジョセフだけだよ」と語っている。
略歴
- 1960年、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズやスティーヴン・スピルバーグの作品等、映画音楽作曲家として有名なジョン・ウィリアムズの次男として生まれる。兄はドラマー、ピアニストのマーク・T・ウイリアムズ。
- 1980年代前半から父ジョン・ウィリアムズ監督のサウンドトラックに参加、また作曲家として多く楽曲をアーティストや映画に提供する。
- 1982年、アルバム「Joseph Williams」でソロシンガーとしてデビューする。
- 1985年、映画グーニーズのサントラに参加。
- 1986年、ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチといったスタジオ・ミュージシャンを中心とするバンドTOTOに三代目ボーカリストとして加入。
- TOTOのボーカリストとして1986年にアルバム「FAHRENHEIT(ファーレンハイト)」、1988年「THE SEVENTH ONE(邦題:ザ・セブンス・ワン〜第7の剣〜)」を発表する。
- 1989年、飯島真理のアルバム『MY HEART IN RED』に参加、収録曲「Send Love To Me」で飯島真理とデュエットしている。
- 1989年、TOTOを脱退。以後も作曲家として活動しながら、自身のソロ作品もリリースしたりTOTOにゲスト参加するなど続けている。
- 1990年、オムニバスアルバム、『TATSURO SONGS FROM L.A.』に参加。山下達郎の「クリスマス・イブ」、「GET BACK IN LOVE」をカヴァーした。
- 2010年-、TOTOのメンバーで盟友のマイク・ポーカロが冒されている難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)支援のためのTOTO再結成からメインボーカリストとして復帰。
ディスコグラフィー
ソロ、ソロプロジェクト
- 1982年-Joseph Williams(日本国内盤2008年再発)
- 1996年-I Am Alive
- 1997年-3
- 1999年-Early Years(日本国内盤2008年再発)
- 2003年-Vertigo(ヨーロッパのみ)
- 2006年-Two Of Us(日本のみ)
- 2006年-Vertigo 2(ヨーロッパのみ)
- 2007年-Smiles、Tears(二作同時発売。日本のみ)
- 2008年-This Fall(日本のみ)
TOTO
- 1986年-FAHRENHEIT
- 1988年-THE SEVENTH ONE(邦題:ザ・セブンス・ワン〜第7の剣〜)
- 1998年-TOTO XX<1977-1997>(未発表曲集)
- 1999年-MINDFIELDS(楽曲提供)
- 2006年-FALLING IN BETWEEN(ゲスト・ヴォーカル)
- 2015年-TOTO XIV(邦題:TOTO XIV〜聖剣の絆〜)
PORCARO BROTHERS
- 1997年-Young At Heart
関連項目
外部リンク
- Toto - Official website - TOTOの公式サイト(英語)
- JOSEPH WILLIAMS - THE WEBSITE
- ジョセフ・ウィリアムズ (@dashlrow) - X(旧Twitter)
- ジョセフ・ウィリアムズ (JosephWilliamsFanpage) - Facebook
- ジョセフ・ウィリアムズ - Discogs