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2016年10月17日 (月) 13:15時点における版

ジョー山中
基本情報
別名 城 アキラ
生誕 1946年9月2日
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
死没 (2011-08-07) 2011年8月7日(64歳没)
ジャンル ロック
職業 ミュージシャン俳優プロボクサー
担当楽器 ボーカル
活動期間 1966年 - 2011年
共同作業者 4・9・1
フラワー・トラベリン・バンド
クニ河内
公式サイト ジョー山中 オフィシャルウェブサイト

ジョー 山中(ジョー やまなか、1946年9月2日 - 2011年8月7日[1])は、日本ミュージシャン俳優プロボクサー神奈川県横浜市出身。本名は山中 明(やまなか あきら)。プロボクサー時代のリングネーム城 アキラ。芸名のジョーは親交のあった画家・城景都がロックバンド活動をしていた頃に、その名前を気に入り、自ら「城」と付けたことに由来する。3オクターヴの声の持ち主。ライブ活動を中心に、映画テレビドラマへも出演するなど、幅広い活動を行っていた。

来歴

  • 7人兄弟の中で唯一の混血児として生まれる。父親を「本当の父親は顔も名前も知らない。日本に進駐していたアメリカ軍の兵隊だったらしい(中略)おふくろは一時、黒人兵と暮らす。それでお腹に宿したのが俺だ」と記述[2]、ソロ・アルバムの『W's』の中村俊夫のライナーノーツでも父親を「アフリカ系アメリカ人」としている。小学生時代に母を亡くした上、自宅が火災で全焼。結核で2年間入院した後、約16歳まで養護施設を転々として育つ。中卒後、自動車の修理工場に勤務。
  • 1962年 - 腕っぷしの強さを聞きつけた金平正紀にスカウトされ上京し、金平ジムへ入門。リングネームは正紀による命名で城 アキラ[3][4]。プロデビューは17歳で、ジムの意向によりライト級からフェザー級に転向するも、無茶な減量が祟り体調を崩して入院し、東日本新人王の準決勝を棄権している。通算成績は4勝1敗1KO。
  • 1963年 - 混血児をテーマにした映画『自動車泥棒』で安岡力也たちと共演。
  • 1966年 - GSグループ「4・9・1(フォー・ナイン・エース)」に城 アキラの芸名で加入し、ボーカルを担当。翌年シングル『星空を君へ』でデビュー(録音後に加入のため、レコーディングには不参加)。68年脱退。
  • 1968年 - 内田裕也の誘いに応じ、ロックバンド「フラワー・トラベリン・バンド」の結成にボーカルとして参加。1970年アルバム『ANYWHERE』でデビューし、また同年、クニ河内とフラワー・トラベリン・バンドのメンバーである石間秀樹とのコラボ作『切狂言』を「クニ河内とかれのともだち」名義で発表。1971年にはフラワー・トラベリン・バンドの2ndアルバム『SATORI』をアメリカカナダで同時発売、EL&Pとツアーするなど国際的に活躍。
  • 1973年 - 4月の京都公演を最後にバンドは解散。以後はソロに転じ、翌年アルバム『Joe』をリリース。
  • 1975年 - 8月、内田裕也が主催した「第1回ワールド・ロック・フェスティバル」に、フェリックス・パパラルディ(元マウンテン)のグループの一員として出演し[5]、トリではジェフ・ベックとのセッションも行った。
  • 1977年 - 映画人間の証明』に俳優として出演。主題歌「人間の証明のテーマ」(歌詞は西條八十の詩の英訳)も担当し、オリコン最高2位、約51.7万のヒット[6]
  • 1977年 - 大麻取締法違反容疑で逮捕。
  • 1979年 - 映画『戦国自衛隊』サウンドトラック制作に参加、挿入曲「もうなくすものはない」「GOIN' HOME」を作詞・作曲、エンディングテーマ「ララバイ・オブ・ユー」(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、シングルカット)を含めた3曲を歌唱した。
  • 1980年 - 映画『戒厳令の夜』で音楽監督を務める。また、ロックミュージカル『'80 ハムレット』に主演。
  • 1981年 - 劇場版アニメ『あしたのジョー2』でカーロス・リベラの声と主題歌:「あしたのジョー2のテーマ〜明日への叫び〜」・挿入歌:「青春の終章(ピリオド)〜JOE…FOREVER〜」を担当。
  • 1982年 - ウェイラーズ・バンドとアルバム『レゲエ・バイブレーション1』を発表。その後『レゲエ・バイブレーション2』、『レゲエ・バイブレーション3』を発表し、レゲエミュージシャンとしても高い評価を得る。
  • 1989年 - 映画『座頭市』に出演。
  • 1990年 - ハリウッド映画オリテリア・モーティブス』に出演。また、この頃からチャリティーボランティアへの参加も活発になり、アジアアフリカなど各国を訪問。その活動はライフワークとして終生続けられた。
  • 2001年 - 3月にソロ・アルバム『W's』を、6月には自伝『証 Akashi 永遠のシャウト』を発売。
  • 2006年 - 2月に、クニ河内、金子マリと共にコラボ・アルバム『Mr. Rally - stupid philosopher ミスターラリー頓間な哲学者』発売。クニ河内とは『切狂言』より36年ぶりとなるコラボとなった。
  • 2007年 - フラワー・トラベリン・バンドがオリジナル・メンバーによる再始動を発表し、翌2008年から活動を開始。フラワー・トラベリン・バンドの再始動アルバム『We Are Here』(カナダ・トロント録音)は2008年リリースとなり、また、2008年~2009年にかけて、日本、カナダ、アメリカでライヴを行なう。
  • 2009年 - 8月にソロ・アルバム『レゲエ・バイブレーション-4-Going Back To Jamaica』(ジャマイカ録音)発売。
  • 2010年 - 2月に肺癌が見つかり[7]、3月25日、自らのホームページで治療中であることを公表。親交のあった千葉真一から「抗ガン剤はやめたほうがいい」と免疫療法を勧められたが、化学療法を始めていた[8]。千葉は山中の曲では「ララバイ・オブ・ユー」が一番好きだと語っている。
  • 2010年 - 9月6日 バーベキューの火の不始末から自宅全焼。
  • 2011年
    • 3月に発生した東日本大震災の募金活動に参加[7]、5月にはチャリティーライブ実施。
    • 7月下旬に心肺停止状態に陥り[7]、8月7日午前6時56分に肺癌のため神奈川県横須賀市の病院で死去。64歳没[1][9]。自身はクリスチャンではなかったが、クリスチャンである妻の希望により葬儀・告別式はキリスト教式(11日・キリスト品川教会)で営まれた。

人物

  • 喧嘩が強く、安岡力也をタイマンで半殺しにしたほか、日比谷野外音楽堂でのコンサート中に、全共闘のメンバー十数人から殴り込みを掛けられ、ステージ上で大乱闘になった際、ボクシングで返り討ちにしただけでなく、演奏が終わった直後に逃げた相手を追いかけ、「それ以上殴ったら死ぬ」と止められるほどボコボコに殴りつけた、などといった武勇伝が存在する。
  • 五十嵐充の母親とは中学校の同級生であった[10]

ディスコグラフィー(ソロ活動のみ)

シングル

  • Make Up (1976)
  • 人間の証明のテーマ (1977)
  • 新しい世界へ TO THE NEW WORLD (1977)
  • ララバイ・オブ・ユー (1979)
  • 闘い続ける男達の詩 (1981)
  • あしたのジョー2のテーマ - 明日への叫び (1981)
  • カリビアン・ラブ・ソング (1982)
  • 愛のささやき (1982)
  • Dance To The Reggae (1983)
  • バナナ・ボート (1984)
  • お前の手で (1986)
  • 東京ナイト (1992)
  • RAINBOW SHIP (1994)
  • 人間の証明 - アコースティックバージョン (1996)
  • A MAN, beyond the sky (2000)
  • Moocha,Koocha (2001)

アルバム

  • 切狂言 (en (1970, 「クニ河内とかれのともだち」名義, クニ河内, 石間秀樹との共作)
  • Joe(1973)
  • 新しい世界へ (1977)
  • 武道館ライブ (1978)
  • GOIN' HOME (1979)
  • 魂 (1981)
  • REGGAE VIBRATION Ⅰ (1982, ウェイラーズとの共作)
  • REGGAE VIBRATION Ⅱ (1983, 同)
  • REGGAE VIBRATION Ⅲ (1984, 同)
  • 20th ANNIVERSARY (1986)
  • LOVE IS AN ART (1991)
  • ベスト・オブ・ベスト - 3オクターブの証明 (1996)
  • REGGAE HISTORY (1999)
  • W’s (2001)
  • 究極のベスト!ジョー山中 (2005)
  • Mr. Rally (2006, クニ河内・金子マリとの共作)
  • REGGAE VIBRATION Ⅳ - Going Back To Jamaica (2009)

参加作品

出演

※は城 アキラ名義

映画

テレビドラマ

演劇

  • ロック・ミュージカル ハムレット - タイトルロール(1980年)

著書

  • 武勇伝 ― 男は、誰のために、何を守るために戦うのか(1997年、ひらく)桑名正博安岡力也共著
  • 証(あかし) ― 永遠のシャウト(2001年、徳間書店)

関連項目

脚注

  1. ^ a b 時事ドットコム:歌手、俳優のジョー山中氏死去 時事通信 2011年8月7日閲覧
  2. ^ ジョー山中 『証(あかし) ― 永遠のシャウト』より。
  3. ^ 東京スポーツ、2007年10月23日。
  4. ^ a b 竹原慎二vsジョー山中・癌と戦う!|BOXING MASTER
  5. ^ 『聴け! 伝説の日本ロック1969-79』宝島社、2004年2月29日、94頁。ISBN 4-7966-3862-8 
  6. ^ 『オリコン チャート・ブック 昭和43年-昭和62年(20年)アーティスト編 全シングル作品』オリコン、1988年9月、169頁。ISBN 4-87131-021-3 
  7. ^ a b c “肺がん闘病中のジョー山中、一時心肺停止”. 報知新聞. (2011年7月22日). http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/entertainment/topics/news/20110722-OHT1T00026.htm 2011年8月7日閲覧。 
  8. ^ 夏八木勲「親友・千葉真一が明かした骨太“名脇役人生”」」『アサ芸+』、徳間書店、2013年5月29日、2013年8月7日閲覧 
  9. ^ 人間の証明…ジョー山中さん死去 日刊スポーツ 2011年8月7日閲覧
  10. ^ 五十嵐のブログより。

外部リンク